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戦国の鈴木さん  作者: capellini
第1章 自立編「東三河の鈴木家」
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第5話 1514年「先代」

「甚三郎にござる。」


 部屋では兵庫頭重実が一人で待っていた。

 さきほどは強い視線を向けられていた気がするので、甚三郎は「何事か」と訝しく思いながらこれと相対して座った。

 先代・重実は熊谷家が吉田の一部を手放すことに不満を抱いていたのに、息子の実長が押し切ったのだろうか。甚三郎はそのような不安を覚えた。

 しばらくして、平坦な声で重実がおもむろに尋ねた。


「おぬしよりの文は読んでおる。あたかも経文(きょうもん)のごとくなれど、手ずから書きやるか?」

「それがし、寺にて手習いしましたる折に、かような書き振りに慣れてしまい申して。字を崩さぬは『礼、厚し』とも聞きたるほどに、よいかと思うておりましたが、もしや至らぬところでも?」


 甚三郎は足助の香積寺で教育を受けた。

 寺の和尚は、甚三郎が忠親の庶子でまともに乳母もつけられていないと聞いていたから、ちゃんと教育する気がなくて、放置していた。

 しかし、甚三郎は教材として見せられた初学者向けの教訓集『実語教』を自分で学び、忠親と会った際に内容をそらんじてみせたため、香積寺の和尚は忠親からお褒めの言葉をもらった。

 甚三郎がこつこつと学問に励んでいたと知った和尚は己の不徳を恥じ、心を入れ替えて指導に熱心になった。喜んだ甚三郎もよく学び、中国の偉人伝『世説新語』を読めるほどに成長した。

 これを大いに褒めた忠親は甚三郎を余所の大名の「祐筆」にでもしようかと、書札礼を教えるよう和尚に依頼し、かつて幕府の奉公衆だった中条氏が持っていた『書札作法抄』を写して甚三郎に与えた。

 こうした末子びいきに、嫡男の雅楽助重政はいい顔をしなかった。

 彼は、甚三郎が預けられた香積寺より格式の高い足助八幡宮で学んだものの、当時このようにもてはやされたことはなく、嫉妬を覚えたのだ。

 しかし、甚三郎にも苦手はあった。崩し字である。なまじ楷書体になじんでいたから、手紙や行書の手本集である『庭訓往来』で懸命に学んでも、うまく書けなかったのだ。

 兄・雅楽助はここぞとばかりに「風流が欠けている」とケチをつけて憚らず、爾来、甚三郎は人前では崩し字を避けるようになっていた。


「いや、悪いとはいわぬが、文において礼は双方の家格の優劣に応じて変えるのが本来。『厚礼』を受けて気を悪くする者はおらずとも、自家の家格をいたずらに下げるは騒動のもとぞ。」

「ああ、ごもっともにございまする。ご指摘まことにありがたく。こたびは由緒正しき熊谷様に宛てて、中条様の臣たる父の末子のそれがしから文を奉るということで、お見逃しくだされ。」

「うむ。いやなに、礼においても中身においても、おぬしはずいぶん当家に気を遣うてくれておったが、あまりに腰が低く不思議に思いて、まことの存念を聞いておかねばとな。」

「左様にございましたか。家の外の方に文を出すは初めてで和尚と相談して礼と心を尽くし申したが、やり過ぎて疑念を抱かしむるとはかたじけなくてございまする。」


 甚三郎は吉田に入る前に当主の実長と文のやり取りをしていたが、甚三郎の人となりを事前に推し量ろうと、重実は実長宛の書状を読んでいた。

 甚三郎の手紙はほとんど楷書で書かれており、書札礼においては相手に対してよく礼を払っていることを意味した。甚三郎が、吉田の一部を手放すことになった熊谷家中の心情を慮ってしきりに恐縮の念を綴っていたこともあり、重実は手紙の書き手に好感を持っていた。

 しかし、聞けば甚三郎はまだ若いという。文体も、経文もかくやというほどの漢文体で別の誰かが書いたのかもしれない。そうした中での丁寧さは逆に下心の表れではないかとも思えてきていて、甚三郎という人間を見極めようと声をかけたのだった。


 とはいえこうして実見してみれば、手紙から読み取れた人柄は甚三郎の本質を外れてはいないと判断してよさそうである。

 そして、この者に家を分けさせるのを決めた彼の父・鈴木忠親の心に思いをめぐらせながら重実は言う。


「さても、おぬしは足助の鈴木から家を分けたと聞き申すが。」

「はい、足助鈴木の当主は長兄にございます。次兄も家を分けておりまして、それがしもかくなり申した。」


 重実は小さく頷いた。


「かくも乱るる世にありて、家を分けるはよきことやもしれぬ。」


 漢籍を学び農才のある末弟。これはお家騒動を呼び起こしかねない。

 家を分けることは、お家騒動を防ぐだけでなく、家を存続させることにもつながる。

 重実は「さもありなん」としみじみと思った。

 彼には次男の直運がいたが、兄の実長に比べて器量もないように思えてそのままにしていた。

 現状が何も対処をしていないように見えても、重実がお家存続のことを考えないときは一時もなかった。


 彼は連綿と宇利荘を治めてきた熊谷氏の中で、この地に初めて城を築いた人物だったが、これは彼の野心を表したものではなかった。

 むしろ、応仁年間からの動乱に巻き込まれることになった三河において、若かりし重実はただただ嵐が過ぎ去るのを待つしかなく、恐れから城を築いて身を守るすべを求めたのだった。

 京で起こった大乱は新旧の三河守護の争いに波及し、巻き込まれた尾張の斯波氏も駿河の今川氏も翻弄された。

 混乱の中で、今川は当主の義忠が討ち死にしているし、東軍・細川方の守護代・東条国氏は自害して果てている。


「前の公方様はみまかられ、修理大夫様(今川氏親)は今の公方様より遠江守護の職を賜りなさった。やはり今川様に勢いがあるように見ゆる。」


 重実はぽつりぽつり話を続けた。

 前の公方とは足利義澄(よしずみ)のことである。

 彼によって追い落とされていたその前の将軍・義尹(よしただ)が、義澄の死を受けて、義稙(よしたね)と名を改めて将軍に返り咲いたのだった。


「おぬしの父や中条殿より『ともに松平を抑え込まん』との文を受け取った。鈴木家はかつて中条殿とともに戦い松平三郎親忠に敗れたよの。

 一度はそのようなこともあるやもしれん。されども、この間は子の次郎三郎長親も修理大夫様を押し返しおった。油断はならぬ。」

「それがしも同じ思いにございまする。」

「さりとて宇利熊谷にとっては菅沼の方が危ういのだ。長篠に城を築き、冨永を滅ぼして野田を押さえた。それも修理大夫様が西に東にと忙しき間に。」


 菅沼氏は足助の鈴木氏の東側、宇利や吉田の北方の、田峯城を中心とする奥三河の山地一帯を支配する一族で、ここ数年で豊川沿いの平野部に勢力を拡大していた。

 豊川西岸の野田は旧家の冨永氏が治めていたが、お家騒動に乗じて田峯城の菅沼定忠は三男の新八郎定則を送り込み、今や菅沼領となっていた。

 近頃は冨永氏が詰めていた野田館の代わりに新たな城を建築中であり、その上流の長篠に住む菅沼氏の分家も、新たに城を築いていた。


「先には中条殿は自ら動かれた。しかし、当家には中条殿が抱えていたような被官衆もおらぬ。かような時にそなたがやって来る運びとなったのだ。」


 重実は応仁・文明年間の混沌を間近で目にし、そしてその中で頭角を現した国人たちの勢いに圧倒されていた。

 動き始めた三河の情勢の中で、重実は自らも動かなければと感じていた。その動機は所領の拡大というよりは、どちらかと言えば家と自領を守るためであった。

 しかし、それは無理な話だった。宇利荘は1500貫ほど(石高で言えば6000石)。頼りになる被官衆や同盟相手もおらず、単独では身動きが取れなかったのだ。


 だからこそ、この機に今川に従属して、一応は同じ今川方についている菅沼氏から攻め込まれる危険を回避し、吉田郷の一部を割いてでも菅沼氏に対抗しうる中条氏の被官すなわち鈴木家や三宅家などとの誼を深めようとしたのであった。

 しかも、お家騒動の危惧を周囲に抱かせるほどの才覚を持つという甚三郎の力を借りれば、この停滞した熊谷家に何か良い変化をもたらすことができるのではないか。

 自らの老いを自覚する彼は「次代のためにできることを」と心得て、吉田郷阿寺の分与のために家中を誘導したのだった。

 彼こそが甚三郎に期待を寄せていたのである。


 やがて、重実は重い口を開いた。


「おぬしの父は、おぬしが知恵もあり、弓にも長け、意気軒昂たりと伝えよる。さればこそ儂は聞きたいのじゃ。」


 重実はそこで息を止めると、眼光鋭く問いかけた。


「我らはいかにすべきなりや。」


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