第62話 1526年「別離」◆
大永6 (1526)年。
前年の大永5年には上方で疫病が大流行したが、海路で伊勢・紀伊に繫がり東海道が横断する鈴木領にも、その魔の手が伸びてきてしまい、冬の厳しい寒さが重なって病に倒れる者が続出した。
「近藤殿(満用)がお倒れになった!」
熊谷備中守実長が鳥居伊賀守忠明のいる部屋に慌てて飛び込んできた。
鳥居は頭を抱えて言った。
「なんと!左京進(小枝)のみならず、近藤殿まで……。子の周防守は父御のお勤めをよく存じておるゆえまだなんとかなるが、宿場は病人が続出しておるというし、これは手に負えんぞ……。」
街道沿いで増える病人を隔離したり死体を処理したりとあれこれ手配していた近藤満用が病死した。彼は高齢で病に対する抵抗力が弱まっていたのだ。
それだけでなく、補佐をしていた小枝左京進が致仕してしまい業務が集中したのもよくなかった。小枝の幼子が病に罹って亡くなり、失意の彼は仕事が手につかなくなってそのまま出家し隠居してしまったのだった。
近藤満用と小枝左京進がこなしていた業務は、満用の次男の周防守忠用が引き継いだ。近藤家は先の戦で嫡男の乗直を喪っており、災難続きである。
「塩瀬殿と西郷殿が戻って手伝いに入っておられるが、それでも足りぬか。」
「うむぅ、東三河の方は元々病人も数多くなく、早めに寝床を分けたゆえ、なんとかなろうが、西はなあ。」
熊谷の問いかけに、鳥居は難しい顔で答えた。
老齢を理由に隠居していた塩瀬甚兵衛と西郷得全入道(信員)は、「どうせ老い先短いゆえ、ここで死んでも大差ござらん」と復帰して応援に入っていた。
しかし、やがて彼らも病を受けて亡くなることになる。
疫病により通常よりもするべきことが増えたにもかかわらず、病が蔓延してそれをこなすことのできる人手が減ったことで、鳥居伊賀守と熊谷備中守に業務が集中することになった。
◇
仕事熱心で諸事に通じる重勝も、役に立たなくなっていた。
妻のつねが病に倒れてしまったのである。高熱にうかされ意識のあるときがほとんどない中で、一旦回復したときに重勝はなんとか彼女と会話を交わした。
「吾御許はそれがしを置いていってはならぬ!ならぬのだ!」
「つねがおらねども、いとし子らがおります。甚三郎さまは今や我が父よりも大身。守るものもたいそう増えました。それらを大事になさってください。さすればきっといとし子たちも守られましょう。つねは幸せ者でした。お前さまと一緒になれて本当に幸せでした。」
汗だくのつねは、細くやつれた手を重勝に伸ばした。その手を重勝がしっかりと握ると、つねは苦しいにもかかわらず笑顔を見せて、そのまま意識を失った。
その後、彼女は意識を取り戻すことなく、しばらくして息を引き取った。
病がうつることを恐れて家中の者らは重勝を彼女から引き剥がし、実質的に幽閉してしまっており、夫は妻の死に目に会えなかった。
つねは永正16 (1519)年に嫡男・瑞宝丸、大永2 (1522)年に第二子・順天丸を産み、少し前に第三子・勝子姫を産んで、その後の肥立ちが悪く長患いをしていた。そこに外から病が入ってきてしまったのである。
重勝は、領内で育てている薬草を煎じ、友人の医者・阿佐井野宗瑞や、その紹介で知り合った京の婦人医・南条宗鑑にも助言を乞うた。しかしそれでもつねを助けることはできなかった。
もはや本人に生き残る力が残っていなかったからだ。
重勝の落ち込み様はひどく、しばらく仕事が手につかなかった。生気を失って、飼っている亀を終日ぼうっと眺めていることもあった。
その様は痛々しく、重勝を自らの子のようにも思っている家老の鳥居と熊谷は、それを見かねて業務を代行した。立ち直るまで待ってやらねばと思ったのである。
しかしそのせいで、この2人にのしかかる仕事量は、尋常なものではなくなっていた。
◇
そしてついに鳥居伊賀守(忠明)が卒中で倒れた。
加齢と、そしてなにより過労のせいだった。
幸いすぐに死に至るということはなく、しばらくすると意識を取り戻したが、麻痺が残り、もはや仕事はできなかった。彼は出家・隠居して、息子の源右衛門忠吉が「伊賀守」の名乗りを継承して業務も引き継いだ。
重勝は大いにうろたえたが、「呆けている余裕はないのだ」と自らに言い聞かせて無理にでも体を動かし、熊谷備中守・鳥居伊賀守(忠吉)・鷹見修理亮に支えられて、鈴木家は疫病の流行による一連の危機をなんとか脱することができた。
重勝は、妻を喪った悲しみや業務過多、鳥居源七郎(忠明)の体調の心配のみならず、今回の混乱で自家の将来に対して漠然とした不安を抱えたことで、食欲不振や不眠になり、げっそりと痩せてしまっていた。
彼は諸事が落ち着くと、病床の鳥居源七郎のもとを訪れた。
「伴侶を喪うのがこれほど苦しいとは思っておらなんだ……。そのうえ源七郎まで。すまなんだ。おぬしには負担をかけ過ぎた。おぬしまで失ってはそれがしは立ち行かなくなるだろう。どうか休みて再び元気になってほしい。」
重勝は落ち込んだ声音で、目を閉じて寝ているように見える源七郎に、すがるように呼び掛けた。
「こたびのことで思ったのだ。当家には、いやそれがしには一国を治めるので手一杯なのではないかと。志摩に紀伊にと進んではみたが、上方の騒動も一段と近くなった。今川に織田にと囲まれて、上方にも目を配らねばならぬとなれば、どうにもそれがしには、おのれに扱いきれるようには思えぬのだ。」
寝ていると思われた源七郎はゆっくりと目を開けた。
重勝は「なんだ、起きておったか。すまんな、今のは忘れてくれ」と弱々しく言って「くれぐれも体を大事にしてほしい」と言葉をかけて立ち上がろうとしたが、源七郎は重勝の方に手を伸ばして引き留めた。
「なんぞ伝えたきことあるや?」
重勝は源七郎の背を押して起きるのを助け、「いろは表」を手繰り寄せた。
この表は、口がうまく動かない源七郎が文字を指さして意思を伝えることができるように、重勝が用意したものだった。
「なになに……。」
重勝は、源七郎が指で指し示した文字を声に出して復唱しながら、ゆっくりと会話をした。
「寿命。気に病むべからず。」
「いやいや、孫の元服もまだであろう。まだまだ生きてもらわねば。おぬしに頼り過ぎたのは間違いないゆえ、家中の仕組みをもっと考えねばならぬ。」
源七郎はゆっくり頷き、重勝を励ますように彼の手をポンポンと叩いた。
「つね殿、残念。」
「うむ……、まことに……。」
重勝の顔に影がかかる。源七郎はそれを気づかわしげに見ていたが、しばらく瞑目し、やがて意を決したように目を見開き、指を動かした。
「次の、つ、ま――」
重勝は、その指の先を追って源七郎が伝えたい言葉を理解すると、声を失った。重勝は悲しげな表情で、源七郎に問い返した。
「次の妻を娶れと、そう言うのか。」
源七郎は、その表情に憐れみを覚えて心が痛んだが、死期を悟ったこの忠臣は、おのれにできる最後の助言として、重勝に再婚を促した。
「結婚か……。今はとてもその気にはなれぬが、家中からそういう声も上がるであろうな……。」
重勝は源七郎が言うことを理解できないわけではなかった。
西三河の鈴木諸家は親族ではあれど、重勝を支える支持母体というよりは、独立して家を構えており、親族衆が薄かった。それでいて、彼には男児が2人しかおらず、妾も庶子もいない。
重勝が万一死ぬことがあれば、一代で築き上げてきた東三河鈴木家はたやすく瓦解しかねなかったのである。
また、源七郎は「再婚相手を松平系の家から迎えるべきである」とも助言した。
重勝が彼らの旧主である松平宗家の面々を暗殺させたのは公然の秘密のようなもので、彼ら自身が選んで松平家と敵対することになったとはいえ複雑な思いを抱える者も少なくなく、鈴木家との間に微妙な距離があった。ゆえに婚姻によって距離を埋めようというのである。
とはいえ源七郎は重勝にすぐに返事を求めているわけではなく、これから手配すべきこととして注意を促したつもりであり、悲しみに暮れる今の重勝を追い詰めるつもりはなかった。
それゆえ源七郎は話題を変えて、未来に思いを馳せて言った。
「枷、作るべからず。」
「ふむ?先に申した一国で手一杯の話か?」
「小笠原殿を信濃に。」
「……そうであったな。」
「伊庭殿も。」
「確かに伊庭出羽は近江に戻るという願いを捨てて、当家に期待をかけてくれた。……そうか、もうそれがしは先へ進むよりほかないのであるな。」
「せがれに一国を。」
「はははっ、おぬしとも約束したのであった。そうか、そうであったな……。」
重勝と源七郎は、その後もしばしば時間をかけて会話を交わした。
やがて、源七郎は再び発作を起こして帰らぬ人となった。重勝はそれまでに十分に別れを告げることができていたため、落ち着いた心で源七郎の死出の旅立ちを見送った。
【史実】1525年には上方で疱瘡が大流行したようですが、三河でもそうかはわかりません。疱瘡は一度高熱になって解熱した後に再度高熱になって死に至ることが多い病です。




