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戦国の鈴木さん  作者: capellini
第5章 今川連合編「海の路」
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第56話 1525年「旗頭」

 年始の挨拶に訪れた鈴木重勝を前にして、瀬名陸奥守は苛立ちを隠せなかった。

 瀬名は幼くして父に先立たれ、その後は一門衆として氏親のそばで養育されたことから、とりわけ当主一家と近い存在として若くして駿府重臣団の中でも重要な立場にあった。

 そんな彼は氏親を父のように慕っており、その父に取り入ろうとしているようにしか見えない重勝の振る舞いを疎ましく思っていたのだ。


 目の前のこの男は、一代で東三河に家を興し、若輩ながらも一国を平定する勢いで急成長した。それでいて、野心があるのかないのか、今川家に対して、あるいは当主である氏親に対してはなぜか忠誠心のようなものを持っているらしい。

 しかも老いた病身の今川氏親は、そのせいで心が弱って絆されてしまったのか、はたまた重勝がおこがましくも文通しているというお方様から吹き込まれてしまったのか、三河鈴木家を西の守りとして頼りにしているようなのである。


 氏親の母・北川殿は、自分の弟の伊勢宗瑞(早雲)、その子で先ごろ苗字を「北条」に改めた北条氏綱を信頼していた。氏親は母の思いを汲んで、北条家と結んで甲斐の武田信虎と争ってきた。

 この母子が西の鈴木家に向けるまなざしは、ちょうど東の北条家に向けるそれと同じだった。

 伊勢宗瑞が今川方の総大将として松平長親と戦った記憶が、松平信定と争う鈴木重勝の姿に重なって見えていたのだ。


 一方で氏親の妻は妻で、実家の中御門の兄弟を駿府に招くなどして、文治を推し進めた。

 文芸の振興のみならず、東海道と宿場町を整備させ、茶や果樹などの商品作物を増産させ、信頼する外交僧・柴屋軒宗長の実家である駿河国島田の刀鍛冶など職人を大いに保護したのだ。その背景には重勝の助言があったと聞こえている。


 駿府の近臣団は重勝の態度に騙されないよう、氏親にたびたび訴えた。

 しかし氏親とその嫁姑は、重勝を警戒するどころか、文治の気風を共有する西の鈴木家を、東の北条家と並ぶ今川家の両壁として期待を寄せるのをやめなかった。

 瀬名はこのような事情のゆえに、近臣団を差し置いて氏親の好意を得ている鈴木家に対して、敵意をこじらせていたのだった。


「聞こえなんだか?三河は一色や細川がおらぬ今や、守護の家柄である吉良が治むるが本来。その吉良が今川に身を寄せたとなれば、三河を治むるは当然お屋形様となろう。断じて一国人が差配するべからず。」


 沈黙して瀬名を見据えるだけだった重勝に対して、瀬名はさらに挑発するような言葉を重ねた。

 吉良は、鎌倉時代に三河守護となった足利の分家で、今川はさらにその分家である。そして、応仁の乱で三河守護だった一色氏も細川氏もこの地を捨てて去ってしまった。

 三河守護の資格のある家柄で東海に勢力を持っているのは今川家だけであり、瀬名は「三河は今川が治めるべき土地だ」と本気で思っていた。

 この思いは瀬名だけのものではなく、今川の多くの重臣がまさしく瀬名の吐露したような感情を抱いていて、三河一国を鈴木家が管理するということ自体に心情的に納得していなかったのである。


 瀬名の物言いは鈴木方には暴論とも思えたが、分不相応という点に関してはもともと鈴木方の諸将も内心で少し気にしていたこともあり、言葉に詰まるような感じを覚えていた。

 その中で重勝だけは、瀬名に気圧されることなく、むしろ沸々と湧き上がる怒りをなんとか抑えて、反論の言葉を探していた。

 彼は、瀬名の頑なな物言いに「これは交渉やら何やらで解決する問題ではない」と悟りつつあったが、黙っていては本当に土地を取り上げられてしまうかもしれず、苦し紛れに言い返した。


「鈴木の家は穂積朝臣の由緒正しき血筋。貴賤のみからいえば、『分』なきにはあらず。当家に逗留しておられる中原外記殿によれば、上古、穂積の者は東国国司や副将軍に任じられたとのこと。

 とはいえ、もちろん当家には三河をご采配なさった足利の血は流れておらず、三河をまとめるいわれはないと言われれば、それまでにござる――」


 そこまで言って重勝はふと言葉を切った。

 自分でも説得力があるとは到底思えない言葉を紡ぐことに対して急に白けた気持ちになり、何を言っても聞き入れる気のない相手と問答するのも空しくなってしまったのだ。

 重勝は無表情に瀬名陸奥守を見据え、軽い口調で静かに続けた。


「――それを理由に三河の所領を手放せとのたまうならば、致し方ありませぬ。三河の平和は、それがしに信を置いて力を貸してくれた者たちの血を以て成し遂げられたもの。それがしはその信に応える義務を負っておりまする。

 せめてこの身の朽ちるまで、皆で手にした物を守り抜きましょう。流れた血を復することはかないませぬゆえ、手に入れたときと同じだけの血を三河の大地に吸わせ、『これを以て力を尽くした』と死した者たちに憚りなく申すことできれば、そのときは異存なく三河をお屋形にお渡しいたしまする。」


 吐き出された言葉は、あっさりした語り口に見合わずに重く、重勝の雑念のない瞳を正面から受け止めた瀬名は息をのんだ。彼がいざとなれば言葉通りの振る舞いをするのだろうと自然と納得させられてしまったのだ。

 重勝の後ろの鳥居と鷹見も、三河の平定のために骨身を削ってきた自負があるため、主君を制止することはなく、むしろ早くも一戦を覚悟して身構えた。身を挺してでもこの場から主君を逃がさねばならないからである。

 部屋の外に控えている重勝の護衛の阿寺衆たちも、耳のよい者が漏れ聞いた単語から不穏な様子を察して、いつでも動けるように互いに目配せをしている。


「お待ちなさい。」


 張り詰めた空気の中に女性の声が飛び込んできた。

 声をかけたのは、後に出家して寿桂尼と名乗る氏親正室である。彼女は部屋の外の、重勝たちからは見えないところから声をかけてきた。

 高貴な家柄である中御門家の出の彼女は、おいそれと他家の国人ごときに顔を見せるわけにはいかず、見せるにしてもそれ相応の場を整えてお目見えを許してからが望ましかった。

 ましてやいまこの場は一触即発の危険な状態であり、なおさら出て行くべきではなかった。


「お方様。」


 重勝は彼女の声を知らなかったが、瀬名がポツリとこぼした一言で声の主が誰であるかを悟った。

 お方様は瀬名に対して窘めるような物言いで言った。


「陸奥殿は、誰の意を以て三河の地を取り上げようとしておられますか?」


 瀬名は答えられなかった。「お屋形様の意思」と言いきれればよかったのだが、そうではなかったからだ。


「あたかも三河を取り上げなさるのが当然というような、端から喧嘩腰な物言いはよくありません。

 そして、そこなるはわらわと文のやり取りをしている鈴木長門守殿とお見受けしますが、あなたもあなたです。お便りの限りではもう少し思慮深いお方かと思うておりました。三河と駿河が別れ別れになってしまえば、あなたの大事なお母上はどうなってしまうのでしょう。」

「……まことに不明の限りにて、あ、直答お許しいただきたく。」

「いまさらです。」


 ぴしゃりと言われて、重勝はなんだか母に怒られているように思って、さきほどまでの剣呑な雰囲気がすっかり霧散してしまった。

 鳥居と鷹見も主君の気の抜けた様子に「これは収まったかな」と思って腰を落ち着けた。

 重勝は先ほどまでは、今川の重臣連中の圧力に屈してしまわないよう、厳しい態度を鎧のように着込んで防御していたが、今やその鎧は崩れてしまい、いささか情けない物言いで言った。


「……少々意地になっており申した。とはいえ、やつがれはたびたびお方様とも文のやり取りしておりますれば、やつがれには隔意なく、お屋形様を敬い畏みており申すことはご承知であられましょう。」

「そなたから文をもらっている方々はそなたを『よからず』と思う者はおりませぬ。そなたの義父殿がまさしくそうでしたでしょう。それなのにむきになって。」

「……面目ございませぬ。」


 重勝が大人しくなると、彼女のお小言は今度は瀬名陸奥守に向かった。


「そして陸奥殿、長門殿が三河の一揆を鎮めるにあたって当家は一兵も送っていないと聞きますよ。それで三河をお取り上げなさるのですか?公家より嫁いだ身だからでしょうか、『さすがにそれは』と思ってしまうのは。」

「いえ……、されど、一国人の増長をここまで許せば、他の国人を押さえておられませぬ。」

「でしたら丹波殿(朝比奈俊永)が言うように尾張か甲斐を攻め、そなたが懸念する方々にはかの地にて所領をあてがい、満足させることはできませんか?相州(相模国)の北条殿は当家とは合力して武田家と戦っておりますが、相州よろしく、三州(三河国)もわらわたちとともに戦うお味方とすることはできませぬか?」


 瀬名はうまく言い返す言葉を見つけられずに黙ってしまった。

 「尾張攻めも甲斐攻めもそんな簡単なことではない!」など、瀬名にはいろいろと思うところはあったが、敬愛する主君の、これまた敬愛するご正室に対しては、あまり強い言葉はかけたくなかったのだ。


「管領様の騒がしさは目に余りますから、今こそ足利御一門の当家が動かねばならないのではないでしょうか。とすれば、いたずらに再び三河を騒がせるはいかがなものでしょう。」


 彼女の言葉は今や言葉をうまく発せられない氏親の言葉でもあった。

 表の政治に口を挟むからには、彼女の意向は夫のそれをほとんど代弁しているのだろう。瀬名はそう理解して口をつぐまざるを得なかった。


 ◇


 こうして重勝も瀬名も頭を冷やし、意味のある交渉が行われた。

 今川家は、鈴木重勝を三河における「旗頭」、つまり代理人と認める代わりに、従属諸勢力の分も合わせて毎年2000貫文相当の上納を求めた。さらには、甲斐攻め・尾張攻めの際には今川方の国人衆が所領を得るための協力を求めた。

 重勝は、これからは自領と交易の利益だけでも4万貫の収益があると見積もっていた(石高で16万石)。とはいえ、必要な出費を差し引けば自由にできる財はさほど多くはない。

 従属する鈴木・三宅・菅沼・奥平を加えても5万貫で(20万石)、彼らにいくらか負担を求めるとしても、2000貫は大きな痛手だった。


 しかし、その重荷を背負ってでも重勝は今川家との関係を重視すると決めた。

 鈴木家が仮に尾張に進出しないとしても、攻め込まれる可能性は十分にあることから、一国で三河の倍以上の収益が見込める豊かな尾張に対抗するには、背後の今川家との協力は不可欠だったのだ。

 その代わりに重勝は、三河の統治と外交における自由を認めさせた。外交については、すでに外部勢力との独自のやり取りが生じている上に、いちいち駿府の指示を仰ぐのは実務上も無理だったからだ。


 すなわち、従属しているとはいえ、鈴木家は実質的に独立した三河一国の大名の地位を承認されたのである。


数え年齢で、氏親正室が43歳くらい、瀬名陸奥守が29歳、鈴木重勝が23歳です。

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[一言] >今川家は、鈴木重勝を三河における「旗頭」、つまり代理人と認める代わりに、従属諸勢力の分も合わせて毎年2000貫文相当の上納を求めた。 1貫文15万円と仮定すると年3億円の上納の代わりに、三…
[気になる点] 戦国時代は一貫文四石という感じですか?僕は一貫文2.5石くらいと思っていたのですが(僕の勘違いかもしれないです)
[良い点] 重勝の言い回しにうまいなぁ〜!と感服した。 結論的には似たようなものでも、「んだとこら!取り上げるっていうならこっちも反抗するぞ!」と「分かりました、でもこちらも義理があるのでそれを果た…
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