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戦国の鈴木さん  作者: capellini
第5章 今川連合編「海の路」
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第55話 1525年「年賀」

 大永5 (1525)年。


 駿府の今川館では年始の挨拶が行われている。

 今川重臣が居並ぶ中で、国衆らはかわるがわる今川氏親に挨拶した。

 氏親は中風(脳卒中の後遺症)がひどく、身動きしたり発言したりすると病状が知れてしまうため、もはや言葉を発することもなく、動きもしないで最上段でじっと国人たちをにらみつけるばかりである。

 病とわかっていても、氏親の放つ威圧感は国人たちを委縮させるのに十分だった。


 三河からは近頃は戦で忙しく、使者と贈物を送るばかりだったが、今年は鈴木重勝、鈴木重直、そのほか10数名が大挙して参上しており、全員で平伏して三河の平定を報告した。

 重勝は次代の家老として鳥居源右衛門と鷹見修理亮、そして口下手で挨拶を嫌がった伊庭の推挙で次代の軍師として宇津五郎右衛門忠俊を連れてきていた。

 供まわりの者を入れれば100人近い大所帯での駿府参りであり、この後の宴会を準備する今川家の奉公の者たちは裏で忙しく走り回っていた。


「三河の諸力を今川の名のもとに集め平和を復したは、まさしく忠勤の極みにて、もって鈴木長門守を三河における旗頭と認む。お屋形様はそうお決めになられた。諸家は相争うことなくこれを助け、那古野のお味方をよく支えたまえ。」

「ははっ!」


 声の出せない氏親に代わって、瀬名陸奥守が無表情に鈴木家の三河平定の労をねぎらった。

 事前の準備会合では、瀬名を中心とする氏親近臣団は鈴木氏の三河での勝手な振る舞いに対して憤りを露わにしており、この賞賛は本心ではなかった。

 瀬名の本心が別にあって、その彼が氏親の代弁者としてこのような言葉を口にしたならば、この賞賛は氏親の心を映し出しているということになる。

 平伏する重勝はそのことを理解しており、氏親からの信頼をよくよく噛みしめた。


 ◇


 さて、問題はその事前の会合である。

 駿府勢は最初から険悪な雰囲気だった。


「いったいどういう了見か。」


 瀬名陸奥守は警戒心もあらわに鈴木家の者たちを問い詰めた。

 同じく険しい顔で居並ぶのは、葛山八郎、三浦次郎左衛門尉、一宮出羽守宗是ら、今川の一門衆や近臣たちである。

 他に同席しているのは、氏親の側室の一族で、正室の側近を務める福島越前守。それから、重勝の義父・朝比奈丹波守俊永の姿もあった。この2人は瀬名に同調していないようだった。あとひとり、頭巾をかぶった若い僧の九英承菊(後の太原雪斎)は超然とした風である。

 これらに相対するのは、鈴木重勝と鳥居・鷹見の主従、そして鈴木重直である。重直が連れてきた奉行・鈴木筑後守と重勝の見習軍師・宇津五郎右衛門は三河衆の面倒を見ていて不在だった。

 重勝は内心でびくびくしながら、表向きは堂々と尋ね返した。


「なんのことにござりましょうか。」

「それがわからぬというのならば、その方は今川の家を蔑ろにしておると言われても文句は言えまい。」

「皆目見当がつきかねまするが、瀬名殿『は』当家がお屋形様を蔑ろにしておると思っておるということにござるな?」

「それがしのみにあらず、ここにおる諸将はみなそうである。」


 必ずしも全員が頷いているわけではないが、少なくとも何かを問いただしたいという雰囲気は一座で共通のようだった。朝比奈の義父ですら何かもの言いたげな様子である。


「ふうむ、蔑ろにしておると言うからには何か証があるのでしょう。なれば、それがしは逆の証を挙げるがよいかと思いまする。さて、何から申せばよいやら……。」


 重勝は、実のところ、駿府で鈴木家に対する不満の声が上がっているということは知っていた。

 妻の実家・朝比奈氏や母の再婚相手の興津氏、書物の進呈を縁に文通が始まった氏親の正室から注意を促されていたからだ。彼女との文通は最初は身分差から新大夫という女官を間に挟んでいたが、今は本人同士でやり取りしている。

 そうした事前情報から、瀬名陸奥守の不満の種は「鈴木家の軍役や上納の負担が家の規模に比べて少ないこと」にあると重勝は見当をつけた。


「まずは軍役ですな。当家は三河にて一向門徒の乱を鎮定しておる間にあっても、お屋形様のおんために甲斐攻めの兵と糧秣を送り申した。もし当家以外の三河の諸家の無沙汰を咎むるというのであれば、それは当家に言われましても受け止めかねまする。」


 重勝は鈴木家が今川家からの要請に真摯に応えてきたことと、あくまでも吉田鈴木家に従う諸家の分だけ負担してきたことを強調した。

 これには朝比奈の義父も頷いている。重勝は常日頃のやり取りの中で、このような自らの立場を手紙で伝えており、手紙を受け取った者たちはそれに一定の理解を示していたのだった。

 重勝はさらに「言いがかりに近い噂に反応して上納を増やしては、今後延々とその手の噂に屈し続ける羽目になる」と訴えて、頑なに進物の増量を拒否してきていた。


 しかし、重勝は間違っていた。

 鈴木家は今川の甲斐攻めに協力するつもりで忠心から大量の物資を供出したが、駿府の重臣たちは「それだけ物資を出す余力があるのなら、これまでの年賀の贈物は少なすぎた!」と騒いでいたのだ。

 甲斐攻めまではお互い上納の量に納得していたのに、欲が出たのである。


「戸田は我らと誼を通じておらず、吉良様は格別のお家、鵜殿はお屋形様の直臣。牧野と絆深まったは三河鎮定の後なれど、そも牧野は当家でなく尊家に従属するのであり、その分を当家が用立てるのもおかしな話。

 その他の鈴木と懇意の諸家は、当家の贈物の添え状に名を連ねておるゆえ、毎年の祝いも欠かしておりませぬ。先年の年始の進物も、戦のさなかゆえに新たに得た土地から得られた物は多くないとはいえ、それでもいくらか増やしており申す。これを以て『咎めを受くべし』というのはさすがに……。」


 重勝は自分で言いながら「怒られるいわれはない」との自信を強めていき、どんどん言葉を続けた。それを聞く瀬名一派は面白くなさそうな様子で、全く納得していないのが見てとれた。


「当家によくしてくださる朝比奈の義父上や、母の面倒を見ていただいておる興津の家にも、ささやかながら欠かさず進物いたしており、恩を仇で返す様な真似は致しておりませぬ。

 また、三河を通りお屋形様の用向きにて駿河に向かう商人らの船は一切関銭をとらぬよう配下の者に厳命しておりまする。また約定通り、三河の船はみだりに懸塚湊より東には入らぬようにしておりまするし――」


 鈴木家は、造船業の盛んな伊勢や紀伊から船を購入して小笠原水軍に与え、水軍はその漕ぎ手を確保すべく諸海賊を糾合していた。この水軍に守られた三河屋は、紀伊から遠江にかけて非常に強い勢力を持っていた。

 それゆえ、今川家は、隣接する遠江で従属国人らが小さめの舟で行っている水運業を保護するために、三河船が懸塚湊(遠江の真ん中あたりで天竜川の東岸河口)よりも東に進むことを禁じた。

 重勝は氏親の顔を立ててこうした要求も素直に受け容れ、極力約束を守るように気をつけていたのである。


「もうよい。相分かった。陸奥殿、この者の話すに任せておれば、それこそ一刻も続けるに違いあるまい。」


 書状でも言葉の多い義息・重勝のことを「しゃべりたがり」と思っている朝比奈丹波守は、言葉を挟んで重勝を止めた。


「何度も言ったが、長門殿がお屋形様を蔑ろにするなどということはなかろう。そこにおられる足助の鈴木殿もそうであるが――」


 話題にあがって諸将の視線を集めた鈴木重直は慌てずに、軽んじられないよう落ち着いた風を装って会釈した。

 朝比奈丹波守はそれを横目で見つつ、続けて言う。


「長門殿が三河を平らげるまでは今川家に服しておらなんだ家も多く、これより前につきて『進物が足りぬ』と申すは筋違い。それよりも今川の旗の下に駿遠三の三ヶ国まとまるを寿ぎ、浜松から三河を通りて尾張の斯波家まで攻めるが容易くなったことを大事と見るべきなり。

 吉良様もお屋形様を礼法の上でも敬ってくださるようになった。今川のお家は名実ともに高みに至り、尾張を攻むるも、甲斐を攻むるも、今やお屋形様のお指図ひとつである。」


 朝比奈丹波守の中で鈴木家が成し遂げたことの評価は高いらしく、饒舌に重勝の後押しをしてくれた。


 今川家にとって本家筋にあたる吉良家は、少なくとも礼法上は今川家の上位にあり続けていた。しかし駿府に移ってからの吉良は、今川宛の書状で「殿」の字を草書体よりも楷書体に近づけて書くようになっていた。それはつまり、吉良家が今川家の立場を従来よりも尊重していることを意味した。

 吉良家のこの振る舞いは、吉良義堯の義兄で鈴木家客将の小笠原長高が、没落しかけの名門の先達として「書札礼において自らへりくだる」という処世術を助言していたからだった。そうでもなければ、吉良は実力に見合わずに居丈高に振る舞い、今川との関係は破綻していただろう。


 このことは今川家中で大いに評価されており、こればかりはいかなる者も鈴木家が今川家のために働いたと認めざるを得なかったのである。

 しかしそれでも警戒心を抱いている瀬名陸奥守は言い返した。


「それは全てが済んでから『そうであった』というだけであり、従属の身で勝手に三河を平らげようとしたことこそ不遜。平らげるだけならまだしも、その後も一国人が一国を差配しようとは分不相応であり、悪しき先例となりかねぬ。鈴木家は得た新領を、足利・吉良に続くお血筋で三河守護に相応しきお屋形様にお返し奉るべきなり。」


 その言葉を聞いた重勝は、思わず表情を消した。

※懸塚湊を載せた地図は第56話末尾にあります。

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― 新着の感想 ―
[一言] 処す?処す?www
[一言] 舐められておりますのう、舐められておりますのう。 いくさ? いくさにござるか?
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