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戦国の鈴木さん  作者: capellini
第4章 西三河編「三河の一向宗」
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第53話 1524年「在外雑掌」

 松平の移動が完了した頃、岡崎城で、三河の一揆を結んだ家々合同で大評定が開催された。

 戦後処理のためである。とはいえ、事前交渉でおおよそは決まっており、評定ではそれを披露するばかりだった。


 広間最奥の本人から見て左には鈴木長門守重勝が座り、右には甥の越後守重直(小次郎)が座る。

 この席次には準備の段階で西三河の鈴木諸氏が苦言を呈した。足助の庶流に過ぎない重勝を上席にいただくのを嫌がったのだ。

 しかし、重直はそれを叱って、今回の戦で兵と物資を最も多く持ち出したのは重勝であり、三河国人一揆の起請文にも重勝が最初に名を記したことを根拠に、この席次を決めた。


 重勝はまず援兵の礼について述べた。


「諸家のお力添えはまことに心強く、感謝の念からご助力に報いたいと思う。」


 奥平氏には手伝いの礼として、熊谷家が浜松で今川家から恩賞としてもらった100貫の土地が今川家の許可を得た上で譲与され、熊谷家は代替で50貫文の加扶持を得た。

 牧野氏には手伝い料として500貫文相当の礼物が、鵜殿氏・信濃の下条氏には100貫文相当、奥遠江高根城の奥山氏には50貫文相当がそれぞれ贈られることとなった。

 これらの費用は鈴木重勝家で工面することとなり、その分、西三河勢には金銭での褒賞はなしだった。代わりに鈴木重直家の取り分は上野下村城やその周辺の1000と数百貫の土地とされた。

 実質の寄騎である中条家・三宅家・鈴木諸家・田峯菅沼家にいかに分配するかの決定権は鈴木重直に委ねられた。


 続いて一番槍などの諸々の論功行賞が軍目付の伊奈熊蔵から発表され、それが終わると、おもむろに鈴木重直が重勝の隣から前に出てこれに相対し、(こうべ)を垂れて言った。


「こたびの戦を以て三河は平らかになり諸家の絆も深まり、我らはますます栄えることでしょう。されどそれも、三河内々にてこれ以上の争乱なければのことでござる。ゆえに足助鈴木家は以後の序列争いを防ぐべく吉田鈴木家を親と思いて励みたく。」


 席次の問題にもあったように、重直は鈴木諸家を完全には説得できていなかったが、この場で足助鈴木家が吉田鈴木家に従属することを宣言した。

 鈴木諸家の年嵩の者は、庶流の重勝の風下に立つことに抵抗感を覚えてうめき声をあげた。

 西三河の鈴木・中条・三宅と田峯菅沼がまとまれば貫高で1万貫(4万石)になるため、鈴木重勝家が単独でその3倍半であることは見なかったことにして「まだやれる」という思いが強かったのだ。


 一方、重直と同世代で酒呑と寺部の次代当主である重信・重教は、血筋や勢力の規模自体のことよりも、重勝が一代で家を興したことに対抗心を覚えていた。

 しかし、同じ立場の重直が熱心に説得したことで、狭い三河で土地を取りあうよりも、重勝を担いで自家を盛り立てることに期待を覚えるようになり、従属申し出を支持してくれたのである。


「それがしも長門殿を鈴木家惣領にいただくに異論はない。」

「我が奥平も吉田の鈴木家を三河の旗頭と定めて家を盛り立てたい。」


 重勝の次兄で懇意にしている鱸藤五郎の父子も、奥平貞昌もこのように述べて重直を支持した。

 奥平貞昌は、自らはもう70歳を超えているが、嫡男はようやく元服する年頃であり、次代以降の家の存続を思っていっそ鈴木家に従属するべきだと考えた。

 今までの重勝の振る舞いから、彼が従属家を使い潰すようなことをしないという確証を得たことも、この老将の決断を後押ししており、先の100貫の地の譲渡は協力への返礼の意味もあった。


「当家もその列に加えていただきたい。」


 重直と重勝で根回ししてあったのは足助・酒呑・寺部の鈴木家若衆、小原の鱸家、奥平家で全部だったので、重勝は驚いて声のした方に目を向けた。

 すると、鈴木家のかつての主君である中条氏の当主・出羽守常隆が真剣な面持ちで見つめ返してきた。


「中条殿もでござるか?」

「左様。先ごろ父がはかなくなったが、死の間際にかく言い残してござる。『己は松平を抑え込まんとしてしくじったが、長門殿はこれを成し遂げた。中条の家はかの者を頼りとすべし。かつての主従のしがらみは、おのれが死とともにあの世へ持っていこう』と。」

「……先の中条殿のご遺志とあらば、この重勝いっそう気を引き締めて方々の繁栄のために精進いたしたく思う。中条殿には、将軍奉公衆の尊き格式を以てなにとぞお助けいただきたい。」

「心得た。」


 中条常隆の祖父・政秀は時の将軍・義尚に仕えた奉公衆であり、中央との伝手のない鈴木家にとっては大事な縁となるだろう。

 評定の後に重勝は中条常隆と対談し、「近いうちに堺に屋敷を構えて上方との交渉窓口となってほしい」と伝えた。いきなりの抜擢に常隆は気後れしたが、ひとまずはしばらく重勝と行動を共にして互いを理解するということで落ち着いた。


 それはともかく評定の間においては、立て続けの従属志願の申し出に、その雰囲気に流されて己の身の振り方を思案し始めた者たちが多く、どこかそわそわした空気が感じ取られた。

 とはいえ、家の処遇を即決することは容易ではない。この場ではこれ以上は後に続く者もなく、そろそろ締めに移ると思われた。


 そのとき、前に進み出た者の姿があった。伊庭貞説である。

 貞説は客将として、鈴木家の家臣の列ではなく、客将・小笠原長高の次席に並んでいた。

 彼は眼光鋭く重勝を見やると、迷いのない所作で頭を下げ、簡潔に述べた。


「長門殿を主君としたい。」


 伊庭氏が元は近江守護代で重勝に客将として仕えていることは諸家の間でも知られていたため、突然の申し出に一同がざわめく中、ひときわ慌てたのは九里浄椿である。彼はこの話を一切知らなかったのだ。


「と、殿、それは――」


 浄椿は目に見えて狼狽していた。

 しかし貞説は、陪臣に過ぎない九里が断りなく話し始めようとしたのを視線で押しとどめ、「長門殿をお支えする」とだけ言葉を重ねて、あとは平伏して重勝の言葉を待った。


 伊庭貞説は若い頃から近江守護・六角高頼と争ってきたが、それは自分の意志ではなく、父・伊庭貞隆と九里の者たちに振り回されてのことだった。

 物心ついてからずっと彼は自分の意見を聞いてもらえる環境になかった。そのせいで彼は意見を言うのが苦手になっていた。誰も自分の声をまともに聞いてくれないのだ。


 そのような中で自分の意を汲んで事を任せてくれたのが鈴木重勝だった。

 しかし浄椿は、文化的にも優れ、かつて将軍を保護したこともある自家のことを誇りに思うあまり、度々口を滑らせて重勝を軽視する発言をしていた。貞説はこれが気に入らなかった。

 貞説は浄椿に大いに敬意と感謝を寄せていたが、抑え込んできた不満も少なからずあったのだ。

 しかも、重勝は物資補給などに関する面倒事は全部手配した上で、総大将まで任せてくれたのである。三河一国の将兵を煩わしさなしに己が意志で動かすことの、なんと素晴らしきことか。浄椿が望むように近江に戻れたとして、このような高揚感はまた得られることがあるだろうか。


 この申し出は、小さな不満の積み重ねの発露であるとともに、近江に戻ることに囚われている浄椿に対しての意思表示だった。

 重勝は、貞説の自身に寄せてくれた信頼を受け取って感激し、彼のもとまで近寄って「ぜひ頼む」と短く伝えると、貞説は力強く頷いて応えた。

 同じ客将の立場である小笠原長高は、その様子を間近で見ながら、複雑な表情をしていた。


 ◇


 その後、西三河の鈴木家には、重直の決定に対する反発からやや不穏な空気が流れた。

 しかし重直は、帰属の定かでない土豪連中を掌握するべく重勝から兵を借りて戦を繰り返し、武威を示して反対意見を封じた。

 なお、重勝が兵を貸したのは、松平との戦で多くの熟練兵が失われたため、後進に戦闘経験を積ませる必要があったからだ。熟練兵は兵としての自覚と練度が高く、そのおかげで松平との戦では不利でも踏みとどまって戦ったが、そのせいで大きな被害が出ていた。

 兵団の中核を損ねた鈴木重勝家は、しばらく大規模な遠征はできそうになかった。


「かくなっては致し方ない。越後守殿を主君と仰ぎ、この鈴木筑後、粉骨砕身してまいりましょうぞ。いっそ円山の所領はお預けいたすゆえ、なにとぞそれがしをお側に置きお使いくだされ。」


 重直が円山城を降した際に降伏した城主・鈴木筑後守高教は、このように言って所領を返上した。山奥の小領にこだわるよりも、いっそ主君のそばにあって外に出ることを目指したのだ。

 片腕となる将が叔父の鱸藤五郎しかいなかった重直は、その申し出を喜び、この鈴木高教を「先の読める人物である」と評して奉行に取り立て、重勝のもとに送って勧農のすべを学ばせた。


 こうして重直は西三河の山地に散らばる一族の者たちや、このあたりで勢力を誇っていた原田氏を降して家臣化した。

 その勢いに圧倒された渡刈城の深津重次も、足助鈴木家の軍勢が近づいてくるのを見るや、戦わずに臣従した。重直は彼も内治の人材とすべく取り立てた。


「深津殿、その決断が正しいものであることを、それがしはこれから示していくこととしよう。差し当たり、そなたには鈴木筑後の与力として働いてほしい。」


 ◇


 一方、松平家に勝ったことの影響は大きく、重勝の陣営にも加わる者もあった。中条領南の尾張国境に近い八草城・中条藤大夫と、その東の明知(みょうち)城・原田種次のことである。

 尾張と三河の国境の北半分は三宅氏と中条氏が守っており、南半分には織田方の知立城が三河に突出しているため、これまでは鈴木重勝家は尾張と直接は接していなかった。しかし中条と原田の臣従で、鈴木重勝にとって尾張もいよいよ身近なものになる。


「尾張との境は甚三郎殿のものになったようだな、小次郎殿。」


 重勝から送られた中条・原田臣従を報せる使者を返した後、小原の鱸藤五郎はこのように重直(小次郎)に話しかけた。

 藤五郎は二人の弟分(甚三郎重勝は実弟、小次郎重直は甥)の才覚を高く評価しており、一番近い親族であるものの、家臣として一線を引いてよく働いていた。その姿勢は嫡男の肥後守永重にも受け継がれており、重直はこの父子を頼りにしていた。


「うむ、仕方あるまい。甚三郎兄上も尾張との境を守るのに当家と分け合うとなるよりはやりやすかろう。西郷弾正左衛門殿を大将に西備(にしぞな)えを置くとか。」


 西郷弾正左衛門とは先に出家した信員(得全入道)の子の正員で、家督を譲り受けて名乗りも継承した。尾張境の防衛は、この正員を大将とする「備え」が担った。いざというときは西郷の動員命令で、西三河の旧松平系の諸将が駆けつけることになっている。

 また、石川又四郎の荒くれ者の一隊も守備について、腕っぷしの強い多田三八郎が目付よろしく弓組頭として加わった。

 又四郎は松平家当主一族の暗殺という大功を成し遂げたが、その仕掛け人が重勝であることは公然の秘密であり、表立って又四郎の功を賞すことはできなかった。その代わりに、彼は手下に十分な禄を求め、自分には「今後、戦場での勝手を許すこと」を求めた。

 それを聞いた猪助はますますこの若い頭領を気に入ったが、重勝もそれは同じであり、石川隊は望んだ場合には総大将の指揮からも外れる権利を与えられた。


 重勝からの使者は臣従の話だけでなく、このような尾張国境を守る備えについてもわざわざ丁寧に知らせていた。重勝は身内には律儀だった。

 重直もそれに倣って、同輩の酒呑鈴木重信と寺部鈴木重教に分け隔てなくこの情報を知らせており、吉田・足助・小原・酒呑・寺部の鈴木五家の若衆は互いに信頼関係を強めた。


「それから神谷領の件でござるが、50貫の地を代わりに寄越すというので了承しようと思うが、それでよいか?」


 鱸藤五郎は続けて、重勝と交渉していた別件について重直の承諾を求めた。

 神谷領の件というのは、重直の所領の中にある神谷氏の旧領の扱いについてである。


 神谷家当主の又右衛門高宗は、しばらく前に松平氏に所領を追われて駿河に逃れており、高宗は永正年間の終わりに駿河で没した。

 その子・喜左衛門宗利は、松平氏が今川に臣従したのを受けて、松平氏と顔を合わせたくないという思いと、旧領復帰に期待する気持ちから、帰郷を願い出た。

 しかしここで厄介だったのは、宗利が駿府にいる重勝の母・あきを介して、重勝に「父の遺骨を本貫地に帰してやりたい」と訴えたことだった。神谷高宗の旧領は鈴木重直の支配下にあるため、重勝に頼まれても困るのである。

 仕方なく重勝は、重直に50貫の代替地を渡して神谷旧領を確保し、その分の禄を渡す形で宗利を吉田鈴木家の臣の列に加えることにしたのだ。


「それで問題ない。叔父上、よろしく頼む。」

「承知。それから、その神谷何某であるが、甚三郎殿はこれを駿府に戻して今川家とのやり取りを任せるつもりだそうだ。」

「ふむ、中条殿を堺に移して『雑掌』とするようなものか。兄上は色々と考えておられる。」


 重勝は帰郷を果たした神谷宗利に「父の代からの縁を守って駿府に常駐し、鈴木家と今川家との橋渡しをしてほしい」と頼んだ。

 宗利は「また駿河に戻るのか」と内心で嫌に思ったが、生まれは三河でも知り合いは駿河の方が多くなっていた宗利は、「頼りにされるのはよいことだろう」と思い直し、折衝役を引き受けた。

 彼は中条常隆とともに、重勝のそばや庭野政庁での政務を見聞した後に任地に向かうことが決まり、やがて神谷は「在駿雑掌」、中条は「在堺雑掌」となった。


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[一言] 三河をほぼ統一ですね! この後発生するであろう今川家の家督争いに上手く乗ずることができれば大きく飛躍できそうですがどうなることやら。 この時期が最盛期の大名家はありましたっけ? 朝倉、大内…
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