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戦国の鈴木さん  作者: capellini
第4章 西三河編「三河の一向宗」
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第43話 1523年「乳母」

 一向衆による明眼寺の焼き討ちと、その実行犯を酒井兄弟がなぶり殺しにした一件は、酒井氏と一向門徒の対立を後戻りできない段階まで押し進めてしまった。


 楽土を建設しようと宗教熱に燃える者たちは、少し前には彼らの信仰に照らして「勧善懲悪」を成し遂げるべく、青山と宇津の屋敷を襲ったが、宇津と本多の機転によって滅ぼすべき敵は逃げおおせてしまっていた。

 すなわち、いったん振り上げられて宙ぶらりんになっていた彼らの拳は、(くう)をさまようことになっていた。

 彼らは青山や宇津と親しくしていた者たちを「内通者」と決めつけて狩り殺し、気を紛らわせていたが、ここにきてついに、その拳を振り下ろすに相応しい大きな標的が現れた。酒井家である。

 安祥周辺では、仲間を殺された一向門徒が、宗誉の一族である酒井左衛門尉家の残りの者と、別家の酒井雅楽助家を襲撃しようと気勢を上げていた。 


「なんとあさましきことか……。」


 本多平八郎は嘆いた。

 彼は浄土真宗ではあるが、あくまでも松平家に仕える者としての矜持を見失っておらず、自領に蔓延る無秩序のひどさに忸怩たる思いを抱いていた。


「左近大夫よ、なんとかならぬものか。」


 彼は門徒総代の石川左近大夫に問いかけた。

 それを受けた石川は苦り切った顔で答えた。


「一部の門徒は楽土への道を歩んでおると信じて疑わず、道に立ち塞がる者を軒並み敵とみなして『敵を血祭りにあげるこそ念仏に優るとも劣らぬ信心』と言って憚らぬ。その様を御仏に身も心も捧げておると心得違いした者らが同心して収まりがつかぬのだ。」

「実恵殿はそれを見て何と仰せなのか?」

「……実恵様は『無垢なる者にこそ、すでに楽土が、そこに至る御仏の定めし道が見えておるということであろう。これぞ他力本願』と感心し、松平のお家の扱いにつきては『大事の前の小事』とのたまわられた。」

「小事か……。」


 本多と石川のそばには、榊原七郎右衛門清長の姿もあった。

 彼はじっと黙って、集団で一心不乱に念仏踊りに興じている大量の門徒の群れを見ていた。伊勢からの物資輸送の失敗などにより、彼らは武装らしい武装を身に着けていないが、その状態で戦場に出ることに躊躇いや恐怖をほとんど覚えていないのだった。

 榊原は信定によく仕え、教団に搦めとられた阿部よりも信定に近しい存在となっていた。主君の内心の思いを直接聞くことができる立場になり、信定がいかに今の状況に落胆しているかを知っており、一向門徒の振る舞いに対して疑念が生じていた。

 榊原は信定と本願寺教団の橋渡し役として、こうなる前に実恵の取り巻きに、「信定が『青山・宇津・酒井の成敗は松平家の問題ゆえ手出し無用』と強く抗議している」ということを勇気を出して伝えた。

 しかしそれに対する実恵の返答は、「極楽往生に至る道筋は御仏によって定められている。門徒は自らがその道を進むだけであると心底信じており、これは止められぬ」というものだった。

 その返答を聞いた主君が、いまだかつて見たことがないような顔で絶句しているのを見て、榊原は「この主君を支えねばならぬ」という思いを新たにした。


 松平家中には酒井氏をこれ以上貶めるようなことを望む者はいないにもかかわらず、もはや誰にもそれを止めることはできなくなっていた。

 一方、門徒の勢いに逆に感化された教団上層部は、三河にも加賀や越中のような一向宗の国を打ち立てることができるのではないかと、いよいよ夢が現実味を帯びてきたと思うようになっていた。彼らの目には、酒井氏の討伐は、そのための第一歩のように映っていたのである。


 ◇


 門徒衆は酒井の屋敷を幾重にも取り囲んだ。

 酒井の者らは屋敷の門を固く閉ざして一族自害の覚悟を決めつつあった。

 そのときである。


「幽鬼どもめっ!そんなに極楽に行きたくば、現世に毒まきちらさず、疾く死ねっ!!」


 100近い騎馬武者が門徒の群れに乗り込んできた。

 彼らは岡崎城を出発した酒井・宇津・青山の者たちで、酒井宗誉や青山善大夫のかたき討ちと安祥に取り残された酒井氏の救出に、闘志を燃やしていた。

 この騎馬隊が使っている馬は、岡崎に集められいていた鈴木家の去勢馬である。酒井氏救出隊の面々は、よく調教されたこれらの馬を使って一丸となって酒井屋敷へ攻め寄せたのだった。

 先頭にいるのは小笠原長高であるが、悪口を吐いて門徒を槍で打ち払うのは鈴木重勝である。重勝が猪武者と化して指揮をとれずにおり、それを見てかえって冷静になった長高が一団をよく統率していた。

 門徒たちは騎馬の集団の勢いと威圧感にひるんで逃げ散り、騎馬隊は勢いを落とさずに屋敷へ近づいていった。


 酒井氏救出隊の面々の喚声に、酒井屋敷の者らは援軍の到来を知り、勇気づけられて門を開いて討って出た。酒井方の武者は数は少ないながらもよく戦った。

 一方の門徒たちは、物資不足ゆえ、飢えて健康状態も悪く、ほとんどの者が体の前を守るのみの簡易の腹当を身に着けるだけであり、しかも槍の穂先が十分に用意できなかったために手に持つ武器は棒だった。しかしそれでも門徒たちは宗教的熱狂に突き動かされて酒井方の者たちの前に立ち塞がった。

 念仏を唱えながら捨て身で、時には素手でも組みかかってくる門徒兵は恐ろしく、武者たちは気圧された。しかも斃しても斃しても数の減らないさまに、段々と心を折られ、ひとりまたひとりと打ち倒されていった。


「無事の者はまだおるかっ!?」

「おうっ!まだまだおりまするぞっ!」


 いよいよ突撃の勢いも鈍くなって騎馬集団が門徒に遠巻きに囲まれつつある中、返り血まみれの鈴木重勝は、ようやく屋敷の酒井の者らと合流できた。

 答えたのは、酒井雅楽助家次である。すぐ隣には血だらけの嫡男・家秀の姿もあった。深手を負っており、長くはなさそうだった。


「騎馬にて血路を開くゆえ、後に続かれぃっ!」

「あいや待たれい。我ら、すでに覚悟を決め申してござる。せっかくの助勢ありがたけれども、もはや逃げることかなわぬ者多し。どなたか存ぜぬが、なにとぞ我らの滅びゆくさまを見届け、その誉れ代々語り継ぎたまえ。」


 そう言って酒井雅楽助は脱出を固辞した。

 すでに酒井の郎党はいくらも残っておらず、屋敷に残る者たちは女子供老人ばかりで、彼女たちを守りながら騎馬を追いかけて脱出することはできそうになかった。

 また、彼自身の気持ちとして、ともに逃げることはできそうにない瀕死の息子を置いていくことは許せなかった。


 その返事を聞いて悔し気な重勝のもとに、酒井宗誉の孫の忠親・忠尚が近づいてきた。

 雅楽助は同族の兄弟にも「もう十分だ。最後におぬしらの顔をみれてよかった」と声をかけた。酒井の兄弟は涙を呑んで手綱を引いて向きを変え、退却の姿勢に入った。

 そこに宇津忠茂の声がかかった。


「長門守殿!酒井家のどなたか女傑殿よりお孫殿を託され申した!」


 宇津は重勝の一団とは別れて、自らの郎党らを連れて屋敷の方に駆け付けていた。

 屋敷では女も老人も、武器を持てる限りすべての者が戦っていたが、いざとなれば無体を働かれないよう、潔く自害するつもりだった。

 しかしその中で、槍を片手に戦いながらも、雅楽助の嫡孫を何とかして逃がせないかと思っていた乳母は、宇津の接近を聞きつけるや駆け寄って「この子をなにとぞ!ご嫡孫なり!」とその幼子を投げてよこした。そしてこの女傑は、宇津の乗る馬の尻を槍の柄で叩いて、火の手が上がり出した屋敷から追い出したのだった。


「なんと!宇津殿、小五郎(酒井忠親)、彦次郎(酒井忠尚)!我が孫を頼んだぞ!」


 宇津のその言葉を聞いた酒井雅楽助は大いに喜び、宇津と酒井兄弟に後事を託した。

 酒井兄弟も喜色を浮かべて「これで雅楽助殿のお家も絶えぬぞ!甲斐なく帰るにはあらず!」と叫び、退路を切り開いて重勝と宇津を先導した。


 やがて酒井屋敷の左衛門尉家・雅楽助家の者らは全滅した。

 助かったのは幼子ただ一人だった。



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