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戦国の鈴木さん  作者: capellini
第3章 松平編「宗家を継ぐ者」
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第39話 1522年「日記」

 ある日のこと。

 誰もが寝静まった深夜。

 ごそごそと音がしておつねは目が覚めた。

 夫の重勝は温かい綿布団を抜け出して、菜種の油に火をつけて何やら読み物をしているようだった。

 綿の布団も菜種の油も、食料に余裕が出てきてから作られるようになったもので、特に菜種は水田で稲の裏作として作られ始めたものだった。


「どうしました、甚三郎さま。」


 重勝は急に話しかけられて「びくっ」とし、気まずそうに返事をした。


「ああ、おつねか。たまげたわ。」

(もろ)の『かみ』が燃ゆるほど火に近くて、思わず声をかけてしまいました。」


 暗くて文字が見えづらいようで、重勝は書物に鼻がめり込むばかりに近づいており、つねは「髪」や書物の「紙」に火が移らないか心配に思ったのだった。


「いやなに、少し気に懸かることありて日記を読み返しておった。」

「日記にございますか?」

吾御許(わおもと)に見せたことはなかったかな?」


 そう言うと重勝はすり寄ってきた。


「産後まだ日が経っておらぬゆえ、吾御許は布団から出てはならぬぞ。腹を冷やす。」

「ふふっ、お気遣いありがとうございます。」


 つねは少し前に第二子の順天丸を出産していた。

 元気のよい男の子で、乳母の手を焼かせている。

 今回は産後の肥立ちはよかったが、重勝はそれでもあれやこれやと妻の身の周りの世話を焼いていた。


「これだ。」

「暗くて見えませんね。」

「しまった。待ちやれ。油をとってくる。」


 重勝はつねに日記を広げて見せたが、灯りを向こうに置いてきていた。

 そのとぼけた様子に、つねはクスクスと笑って、寝床から起き上がった。


「これ、布団から出るなと言うておるに。」

「お腹より下は温かいですから。」


 重勝は上に掛けてあった半纏を取っておつねの肩にかけ、持ってきた灯りの下で額を寄せ合って日記を見た。

 ぱらぱらと草子(そうし)(ちょう)を繰るうちに、おつねは似顔絵の書かれているところを見つけて重勝に「誰ですか?」と問うた。


「ああそうであった。吾御許は会っておらなんだか。宇利の戦にてはかなくなりし(亡くなった)熊谷の兵庫頭殿とその御次男・次郎三郎殿なり。『忘れまい』と思って似せ絵を書きつけたのだ。」


 重勝は死んでいった者たちを忘れないよう、熊谷重実・直運などの似顔絵を日記に書き残していたのだった。そこには兄・鈴木重政(死んでいないが)や松平信定(会ったことはなく伝え聞いた限りであるが)の似顔絵もあった。

 重勝は生き残るためにどんな手を使ってでも負けないように振る舞うことに抵抗はなかったが、その過程で敵味方の多くの人を死なせてしまうことを「申し訳ない」と感じる気持ちは持っていた。

 本人の中でそれは「仕方のないこと」として受け入れているつもりだったが、しかしそうはいっても、確かにそこに生きていた人を自らの行動の結果死なせてしまったという事実は、確実に心に悪い影響を残していた。

 せめてもの供養の気持ちからか、あるいは忘れられてはかわいそうだという思いからか、その無意識の罪悪感は、日記に記録をつける際に死者の記憶を書きつけるという行為となって表れていた。


 おつねにはそれが重勝が死者に憑りつかれているように見えて、不吉で恐ろしく感じられた。


「亡き人を忍ぶよすがは、人と古物語(おもいでばなし)をするのがよいのではないでしょうか。甚三郎さまおひとりで忍ぶのは心が苦しくなり、やがて寂しさも過ぎて、恐ろしいほど心細くなってしまいましょう。

 かの方らは(とお)つ国にいて甚三郎さまを見守っていてくれましょうが、近くにては人と語り合う中にいらっしゃるのです。遠つ国の方々と連れ立っていってしまうようなことは、どうかなさらないで。」


 おつねは重勝が一人で死者を思い返すことで黄泉の国に連れ去られてしまうのではないかと恐れ、思い出話をすることこそよい偲び方だと泣きながら説いた。

 重勝は、妻の言葉で自分が死に囚われていたことを自覚した。

 彼は現代日本人としての一生を夢で経験したがゆえに、現代的な価値観が中途半端に染みついており、宗教に対する漠然とした忌避感を持っていた。

 それゆえ、死と隣り合わせの世界にあっても、他の者たちとは異なって、宗教を心のよりどころとすることができずに無自覚に苦しんでいたのだ。

 妻の思いやりに触れた重勝は、心にのしかかっていた重しが少し取れたように感じた。彼は手を伸ばして彼女を愛おし気に抱き寄せ、やがて眠りに落ち、安らかに朝を迎えた。


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