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戦国の鈴木さん  作者: capellini
第3章 松平編「宗家を継ぐ者」
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第32話 1521年「坂崎城」

「戻りましてございまする。」


 鈴木重勝(長門守)のもとに送った使者が帰ってきた。

 岡崎城に詰める小笠原長高と西郷信員は、予想外に手に入ってしまったこの城を何とか守らなければならず、鈴木重勝に後詰の催促をしていたのだ。


 海からの奇襲は所詮は小勢であるため、どこか敵拠点を首尾よく落としたとしても、反抗されては長くは耐えられない。

 しかも、予想外に岡崎という大きな成果が手元に転がり込んできたため、その幸運を逃すまいと、長高と信員だけでなく、後詰軍も必死だった。

 その軍勢は松平に悟られないよう気をつけて事前に用意していたとはいえ、道中には東海道沿いの松平方の諸勢力がおり、それらを追い散らしながらの進軍になるため、どれだけ急いでも足りないくらいだった。


「うむ、早かったな。」

「はっ!では早速ご報告いたしまする。」

「頼んだ。まずは後詰の兵力は?」

「本軍は宇利・吉田のほか、奥平・設楽・長篠らの手伝い加えて700からなり申す。予定よりいささか少ないのは、甲斐を攻めている今川様が一進一退ゆえ、その援軍を求められたがゆえにてござりまする。」

「なんと!そんなことになっておったか。軍役と別に700を集めたは、よく工面(くめん)したものよ。長門殿のご苦労いかばかりか。」

「はい。ひどくお疲れのご様子で、牧野家に領内通り抜けのお許しを求める使者を立てるのをお忘れになっておられました。」

「クハハッ!おほん、ああいや、笑い事ではなかったでござる。されど、そのように申すは、問題なかったということであろうな。」

「牧野家は兵を差し向けてき申したゆえ、あわや戦になりかけましたが、鳥居源右衛門殿がお止めになられました。」

「それは大変であったな。」


 西三河侵攻を敵味方に悟らせなかった弊害で、「いざ西進!」というところで、重勝は甲斐を攻めきれなかった今川家から兵と兵糧のおかわりを求められた。

 そのことを告げた今川の使者に対して、断るわけにもいかない重勝は、ひとまず応諾の返事したが、その後は発狂寸前だったという。

 そして、あまりの忙しさに鈴木家では牧野氏に領内通行の連絡をし忘れ、武装して駆けつけてきた牧野方に対して鳥居源右衛門が決死の使者として事情を説明しに向かった。

 それを出迎えた牧野家の諸将は盛大な文句を述べた後でようやく承諾の返事をしたが、おかげで鈴木家の軍勢は安心して東海道を進軍することができたのだった。


「東海道沿いの長沢松平家らを降すか捨て置くかでひと悶着ござり申したが、長門守様は『ともかく急ぐべし』と勢い込んで西進中にござり申す。」

「あい分かった。その調子であれば、少なくとも後詰の兵の一部は一日二日で岡崎に送られてこよう。」


 長高はそのくらいならば現有兵力でも松平勢を押しとどめられるだろうと判断して、大いに安堵した。


「次は、幡豆の小笠原の扱いはいかがか。」


 長高は問い合わせてあった幡豆郡小笠原氏の扱いについて問うた。

 彼の弟・定政が関わることゆえ、気がかりだったのだ。


「はい、欠城の小笠原摂津守殿が、形原の松平を滅ぼしたことは沙汰なしとのことにござりまする。」


 それを聞いた長高はまたもや安堵した。

 幡豆郡の小笠原氏は形原松平の海賊衆と競合関係にあり、棟梁の小笠原摂津守長房は、どさくさに紛れて仇敵だったこの一族を族滅していた。

 小笠原長高は、重勝が形原松平氏を降伏させるつもりだったかもしれないと思い、場合によっては自身の弟にも累が及びかねないと心配して、事の是非を問い合わせていたのである。


「ならばよし。続いて、坂崎城の扱いはいかん。」

「坂崎につきましては、城そのものよりも、かの地か、あるいは岡崎目指して集まる松平勢をよく見張り、できるだけ敵方の後詰を散らしてほしいとのことにございまする。」

「難しいことを言いよるわ。」


 長高は髭をしごいて呟いた。


 小笠原の軍勢が素通りしてきた坂崎城では、天野氏は小笠原の軍勢が去った後、囲いがなくなったことで活発に動き出していた。

 城主の遠房は、まず真っ先に安祥城に「岡崎が落ちた」との使いを出して援軍を要請し、自力でも急いで兵を集めていた。

 坂崎城は海と岡崎との間にあるため、放置して敵の反攻拠点になってしまうと、鈴木家は両方に多くの兵を置く必要が出てくるため、厄介だった。

 できればこの城を確保して見張りの兵を置くにとどめ、岡崎に大規模な兵をまとめて配置し、岡崎のみしっかり守って、他はそこからすぐに援軍を送れるようにするのが望ましかった。

 そのため、重勝は坂崎に敵軍が容易に集結できないよう、岡崎から圧力をかけておいてほしいと頼んだのだった。


「坂崎の方には大林に任せて兵を出しておるが、それがしも参るとしよう。西郷殿や。」

「うむ、守りでござるな?」

「左様。そなたに一任することになる。残す兵は100あるかないかだが、しっかり城門閉ざしておれば、鈴木家の物頭もいくらかおるし、長門殿の後詰の来るまでは何とか持ちこたえられよう。」

「それがしが少々燃やしてしまいましたが、戸板など打ち壊して、穴など見つければ埋めておき申す。」

「……そうであったな。できるだけ修繕しておいてほしい。」

「承知つかまつった。」


 ◇


 小笠原長高の軍師である大林勘助は、もちろん危うい現状を理解しており、100の兵を率いて坂崎城の側に布陣して敵方の動きを見張っていた。

 大林はしばらく上方で遊学していて、西三河攻めの報せを受け取ると、岡崎攻めには間に合わなかったが、急ぎ帰国し主君のもとに駆け付けていた。


「坂崎そのものをこの数の兵で囲んでおっても意味はない。むしろ、敵の後詰に背後をとられて城方と挟み撃ちされよう。ゆえに物見を多く出し、後詰が来たらば本隊はその進路に隠れて待ち伏せせん。」


 坂崎城には周囲の農民を根こそぎ集めて200ほどの兵が入ってしまっていたが、それ以上に集まる様子はなかったため、大林はこれを放置し、兵100のうち30を物見に出して、本隊は坂崎周辺の林に隠れた。


 やがて物見は岡崎の南から坂崎に向かって進む集団を発見した。この一団には非武装の農民も多く混じり、松平・青山・宇津の旗を掲げていた。

 これを率いるのは、「自領が心配であるから」と安祥城をいち早く抜け出して岡崎周辺に戻っていた宇津忠茂だった。

 彼は近くの青山氏から旗指物を借り、遠目にはこの一団があたかも松平宗家が送り出した援軍であるかのように見せかけた。そうすることで、坂崎城の兵を鼓舞し、鈴木家には松平の増援があったと誤認させようとしたのだ。

 兵数も乏しく、とりうる手立ても限られる中での苦肉の策だった。


「よくぞ見つけた!敵方も100ほど。これならば正面からぶつかっても何とかなろうが、念には念を入れ、待ち伏せして一気に崩すぞ!」


 大林勘助はこの集団の進路上に移動して待ち構えた。

 物見が間近で陣容を見て宇津勢が張りぼてであると気づいたことは大きかったが、そうでなくとも兵数はほぼ互角であり、大林勘助は確実に押しとどめられると踏んでいた。


 よくひきつけた後、頃合いを見計らって大林勢は矢を射かけ、宇津勢の特に非武装の農民は、急に降ってきた矢に大いに驚き、慌てふためいた。

 大林勢は間髪入れずに武器を持って丈の高い草原から飛び出したが、宇津忠茂は接触する前に即座に退却を命じて、自身も一目散に逃げ去った。

 その逃げっぷりは小気味いいほどで、大林も追うのを諦めた。


 宇津の潰走がもし坂崎城の者に見えていたら、大いに士気を落としたであろう。しかし、坂崎城は低地の平城で見晴らしがよくなく、城方にとっては幸いなことに、彼らはこの騒動に気づくことはなかった。


 ◇


 一方の鈴木重勝軍は、大々的に「沿岸部と西三河への出口は支配下に置いた!無駄な抵抗はやめて降参しろ!」と呼びかけながら進んでいた。

 重勝は、今川家への兵と食糧の供出の手配に加え、想定外の岡崎城占領という状況に、考え疲れて頭の働きが鈍っており、諸々面倒くさくなって勢いで乗り切ろうとしたのだった。破れかぶれである。


 先導は奥平の分家の萩城・奥平主馬允。本来は合図のために使う太鼓をドンドンと鳴らしながら、威勢よく行進していく。

 あたりの土豪は、あたかも戦に勝った帰路であるかのように意気揚々とした様子を見て、勝ち戦に便乗しようと勝手に集まってきた。御油城の林氏、竹本城の竹本氏、森城の佐竹氏、野口城の印具氏らが小勢ながら同行し、士気はますます高まった。


 半信半疑の松平方の諸家は、鈴木家の言うことが本当か確かめに人を送ったところ、実際に岡崎に小笠原の旗が立っているのを見てしまった。

 東西三河の回廊部に住む彼らは、今やその両方の出口を鈴木家に押さえられてしまったことになり、敵中に孤立してしまう。

 本当のところは鈴木家の優位は確かなものではなかったが、虚飾に惑わされた彼らは、あえなく抵抗を諦めてしまった。

 その中には長沢の松平家も含まれたが、重勝は彼らを安祥に送り出すことを約束した。鈴木家に加わられても、これから松平氏と戦うとなれば扱いが面倒であるからというのが理由だった。


 降伏した者たちを移送するための人手を残しつつ、重勝軍は坂崎城近くに布陣していた小笠原勢に合流した。

 後片付けを済ませた残余の兵も捕虜とともに続々と集まってくる。

 その間に、鳥居源右衛門は坂崎城の天野遠房に降伏を呼び掛けた。


「天野殿、貴家の松平家への忠節と武勇の優れたる様はよくわかったゆえ、お家を残すため、ここにある長沢の松平殿とともに宗家のもとへ帰参なさってはいかがか?」


 鳥居は、東海道沿いの松平勢が降伏したことを見せつけるために、捕虜となった長沢松平氏の者を連れてきていた。


「長沢がかくも早く落ちたは驚きなれど、当家はここで安祥からの援軍を待っておればよいだけ。それをわかっておって降伏を促すとは、さては鈴木家は焦っておられるか?

 とはいえ、和睦を端から受け容れぬというのでは、鳥居殿も立つ瀬がないであろう。家中で審議し、明後日には返答しよう。」

「それはいけませんな。ご親切に援軍の訪れをお知らせいただきましたゆえ、本日夜半までのご回答を願いましょう。さもなくば力攻めでござる。」


 天野遠房はこのように述べて余裕の姿勢を見せようとした。

 しかし実際は、安祥城の松平清孝の軍勢は、桜井城の松平信定に備えなければならず、動きが鈍かった。

 家督を狙う松平信定は、宗家の居城である安祥城を絶対に確保したかった。そのためには兵力が必要であり、本願寺系の本證寺に働きかけて城に門徒を送らせていた。

 信定は軍勢の編成途中であっても、松平清孝勢が安祥から坂崎へ援軍に出ようものなら、即座に兵を動かして見せた。

 清孝軍も今まさに兵を集めているところであり、準備のできた一隊を坂崎の援兵として送り出そうとしても、信定勢がそのたびに城攻めの気配を見せるため、踏ん切りがつかなかったのである。


 天野遠房は返答を引き延ばそうとしたものの、降伏の回答期限である夜半までには、結局、安祥からの援軍を告げる使者はなかった。


「ううむ、どうしたことか。よもや見捨てられたということはあるまいが。あるいは使者がたどり着かなかったか……。」


 遠房はひとまず鈴木家に回答期限の延期を申し入れ、鈴木家は明朝を次の期限とした。

 しかし朝まで待っても状況は変わらず、鈴木家は問答無用で火矢を射かけ始めたため、遠房は籠城を諦め、安全な退去と引き換えに城を明け渡した。


 遠房が早くに降伏したのは、鈴木軍の勢力を誤解したのも理由だった。

 鈴木重勝軍は、進発直前に岡崎に物資を運ぶための人足を追加し、また近くの土豪が勝手に集まってきて嵩ましされていた。

 これらに小笠原軍が加わって、兵の実数よりだいぶ多く、見せかけでは1000を越えていた。

 しかも、捕虜の処理を終えた小勢が東海道から続々と参集してきており、捕虜自体の人数もそこそこであることから、城方には敵軍が増援を得てますます増強されているかのように見えた。

 残念ながら坂崎城は、曲輪を複数持つわけでもなく、堀や土塁で防備を施した程度であり、数倍の兵の総攻撃は全く防ぎようがなかったのである。


「敵の兵力は5倍では済まぬ。籠城しようにも士気が振るわぬし、一日二日持たせたとして、はたして安祥から味方は来るのか……。」


 城方は実際に松平方の諸家があっさり捕虜になったのを見せつけられており、味方がほとんど何もせずに捕らえられるほど鈴木軍が有力なのだと誤解していた。そのため、城兵の士気は振るわなかった。


「このままここにいても落城が遅いか早いかの違い。ならば、兵を温存したまま再起を期すのがよかろう。致し方なし。」


 天野遠房は開城を決意し、安祥城の味方に合流することにした。


 ◇


「西郷殿は、まことお手柄であった。このまま岡崎城代を任せたく思う。」

「ははっ!ありがたきことにござる!」


 岡崎に詰める諸将の前で鈴木重勝は西郷信員を褒め、彼に城代を任せた。


「うむ。ところで、当家に属することになるにあたり、鈴木家の知行の扱いにつきて知っておいてほしいことがある。」

「何でございましょうや。」

「当家において、城代はまさしく城代、将来そのまま岡崎城が西郷殿に与えられるということはおそらくないと思う。」

「はあ。そのようにおっしゃるからには、勲功次第というわけでもないということにござりまするか?」

「左様。鈴木家は他所から移り住んだ者が多く、本貫らしき本貫を持つ者は多くない。かような者らは、鈴木の倉から禄を受け取り、あちこち移って奉行や城番を務めておる。

 本貫を除き、土地は家臣の知行になったことはなく、城には城代・城番が置かれるのみ。城代は奉行が集めた糧秣で城の守りを固むるが務めにて、村々の差配は奉行がまとめて行うのだ。

 その本貫も台帳に『どこそこは本貫』と記さるるだけで、やはりその差配は奉行がひとまとめにしておる。本貫ある者も、結局はこれを貫高で勘定し直して鈴木の倉から禄を受け、それを以て一族郎党を養っておるのだ。」

「なるほど……。」


 信員はその説明を聞いて、岡崎は一族が領していた城であるし、決死の思いで自力で獲得した城であるから、あくまでかりそめの城主でしかないとなると、なんだか惜しい気がしてきた。

 とはいえ、自らはつい先ごろまで帰農も覚悟し、死も覚悟したばかりであり、心にあった土地や功名に対する執着はほどけて弱まっていた。

 それゆえ信員は、新たな家に仕えるからには新たな仕組みに従わねばならないと、つとめて情を抑え込み、平伏して言った。


「それがしは西郷守護代家とは別流ゆえ、本貫も特にあるわけでもなし。なれば、自らは岡崎の城代の誉れあればそれにて足りまする。しかし、なにとぞ苦労を掛け申した家族に報いるだけの禄を賜ることできますれば。」

「いや、心配をさせたようだ。本貫地なくば微禄しか与えぬというのではないゆえ安心されよ。養う一族の数や役目に応じて十分な禄を与えんと約束しよう。」

「さればそれがしに懸念はございませぬ。よろしくお頼み申す。」


 こうして、東西三河を繫ぐ回廊部と、岡崎から南東の三河湾に繫がる一帯は、吉田鈴木家の勢力下におかれることとなった。


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