第1話 1513年「真弓山城」◇
永正10 (1513)年。
三河国加茂郡足助荘真弓山城。
鈴木小次郎忠親は、弟の小民部丞とともに、庶子の竹丸が弓の稽古をしているのを眺めていた。
竹丸は忠親が歳を取ってからできた子で、彼はこれをとりわけかわいがっていた。
まだ数えで11歳の竹丸は、大弓こそ力が足りずに引き絞ることはできないが、なにやら焼いた竹を多く使った小弓を作らせ、山野を駆け回って狩りをしている。
竹丸はこの小弓を手下に持たせ、早くもいっぱしに徒党を率いていた。
手下には、どうも矢作川の中下流の土豪の一族も混じっているらしく、家臣からは「余所者が入り込んでおる」と苦言が出ていたが、忠親は彼らを宥めて黙認していた。
竹丸に良くも悪くも注目が集まるのは、彼が勧農の才を見せたからだ。
彼は一昨年、水田に苗を広めの間隔でなるべく等間隔に植えれば、日光と栄養がよりよく分配されると説いた。その言に納得した小民部丞はいくつかの村でこれを試させた。
そうすることで、同じ広さの田でも植えるべき苗の数が減って、苗づくりに使う米粒の数も必要な労力も節約でき、使わずに済んだ米は食ったり直播したりできる。大規模に行えば余った人手で開墾もできるかもしれないのだ。
昨年の秋になって「植えた数が少ない割に十分な収穫があった」との声が多かったため、この手法は領内の水田で少しずつ広まっている。
忠親はこうした竹丸の才に大きな期待を寄せ、竹丸が嫡男の雅楽助重政を支える部将として戦場に並び立つ姿を夢想していた。
しかし、彼はそれと同時に、竹丸の存在が、重政からその子の千代丸に継承されるはずの家督の問題に影を落としかねないことも承知していた。
的当てで一番となった竹丸を小姓らがもてはやすのを遠めに見ながら、忠親はひとりごちる。
「やはり外に出すのがよいか。」
「小原に家を分けたがごとく、此度もそうなさいませ。」
小民部丞は咳き込みながら答えた。
小民部丞は忠親の腹心として長年相談役を務めてきたが、近頃体調を崩していた。すでに十分歳を取っていることもあって、家中には不安の声が漏れ聞こえている。
「うむ…。」
かつて忠親は嫡男・重政に嫡孫・千代丸が生まれると、次男・藤五郎親信を家督継承の序列から除いて苗字を「鱸」の字に変えさせた。そして、小原の地に市場城を築かせ、家を分けていた。
忠親も竹丸に分家を立てさせることは考えていたが、狭い足助で山城を一つ任せる程度では、その才気に見合わないようにも思っていた。
足助は西三河の矢作川上流の山がちな地である。
この足助は、ここから岡崎を通って三河湾に注ぐ矢作川と、尾張方面から延びる飯田街道の交点にあり、塩の取引など商業の拠点でもあった。
鈴木氏はそれより南の平地に近い酒呑と寺部にも勢力を持っている。
そして、かつて室町幕府の奉公衆に取り立てられた中条氏の被官の立場にあった。
しかし、20年前の明応2 (1493)年。中条秀章の命で、寺部鈴木氏らは合力して井野田で安祥城主・松平親忠と戦い、大敗していた。
松平親忠には鈴木忠親の叔母が嫁いでいたが、被害の大きかった中条被官衆の間では遺恨が生じ、こうなってしまっては両家の融和は難しいように思われた。
親忠が死去した後も、その子の長親は東海の雄・今川氏親の派遣した軍勢を小勢で追い返した。長親はすでに隠居したそうだが、いつ北上してくるとも限らない。
「竹丸はしきりに松平を気にかけておった。『康』のつく者を探しておったようじゃが……。」
「左様にござりますな。そのような者は知り申さぬが、もしやかの者を通じて神仏が何やらしるしを示しておるのやもしれませぬ。なおざりにしてはよからぬことになりましょう。」
しかも、竹丸が矢作川を下って聞いてきた限りは、松平氏は吉良氏と友好関係を築いているという。
西三河の南半分がまとまってしまえば、富の量や人の数から言って、山ばかりの北半分がまとまったとしても対処のしようがない。
忠親はその時の竹丸の心安からざる様を見て、このことを憂いているのだと合点していた。
「かくなる上は、今川を頼りなさいませ。」
「今川か。しかし、臣従は嫌じゃ。竹丸を人質に取られるやもしれぬ。」
「そういうところですぞ、雅楽助が不満を持つのは。家中を割るおつもりにござるか。」
吉良家は西遠江をめぐって今川家と仲が悪くなっていると聞こえる。
さらに、その吉良家と仲を深めつつある松平家とも、今川家はすでに相争う関係である。
また、長親に追い払われたとはいえ今川の勢威は衰えず、東三河はおおよそ今川方にまとまっている。作手の奥平家も今川に従属したそうだ。
勢いが盛んであるといっても三河半国に満たない松平が、遠駿の大半を押さえる今川をはねのけることはないだろう。忠親はそう考えていた。
「まあ、いきなり臣従は信用もされぬであろうし、家中も動揺しましょう。ここは中条様もお誘い申して、まとまって誼を通ずるにとどめておくのがよろしいかと。
それがしは竹丸を今川に送り別家を立てさせるがよいと思うており申したが、それがお嫌となれば、三河のどこか、それこそ中条様にお計らいいただいて、どこぞの荒地でもお与えいただくようお頼み申すほかないでしょうな。あれには農才があり申せば、かえってそれがよろしいかと。」
「うむ……そうじゃな。それならば家中も納得しやすかろう。よし、ぬしも手伝え。」
忠親は小民部丞と「ああでもない、こうでもない」と文面を話し合い、ようやく今川氏と中条氏への書状を認めると、使者にこれを託したのであった。