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戦国の鈴木さん  作者: capellini
第2章 熊谷編「宇利の戦い」
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第21話 1517年「松平信忠」

 宇利城攻めの大将・松平信忠は非常に焦っていた。


「ええい、忌々しい。さっさと降伏すればよかろうものを。」


 父・長親は隠居すると言ったものの実権を手放さず、弟の信定をかわいがっており、家中も信忠を当主としては評価していない。

 家中の引き締めのために慮外者を手討ちにしたこともあったが、支持基盤を確かにするには至らなかった。


 そんな中で今回の出征は、急に勢力を増して地に足がついていない熊谷・鈴木の両家を打ち破って、一気に東三河に勢力を拡大し、その武威で家中をまとめるためのものだった。

 今川方の両家は主家の命で、浜松を騒がせる斯波氏と戦うべく出兵しており、当初の計画では宇利城は労せず落とせるはずだった。

 両家の本拠地である宇利を落とせば、松平に従属するだろう。そういう思惑の信忠は、東三河制圧と当主の力量を示すことに凝り固まってしまっていた。

 しかし今となっては、両家が大人しく降伏などということはありえず、親族の戦死も含めて味方の被害も馬鹿にできない。もちろんこのまま攻め続ければ宇利を落とすことはできようが、これでは東三河を支配するには十分とは言えないのではないか。

 信忠はそれを心配して焦っていた。


「全軍を以て城を落とさん!」


 焦る信忠は、浜松から熊谷の兵が引き返してくることが脳裏にちらついた。

 とはいえ、彼らが戻ってくるにしても、1000の松平兵に対抗するには今川に援軍を要請するに違いなく、そのための調整を考えれば、まだ日数には余裕があるはずである。

 そうであれば一気呵成に城攻めを終えてしまえばよい。そのためには手数が必要だ。

 もはや引っ込みがつかない信忠はそう考えて、動ける兵を根こそぎ連れて宇利の大手道を登り、自ら采配を振るうつもりだった。


「時をかけるがよくないことは確かなれど、御大将はなにとぞ御身を大事になさりますよう。」


 将の一人である竹谷の松平玄蕃允親善が慎重な意見を述べた。

 しかし、副将・滝脇の松平乗清は信忠の出陣を後押しする意見を述べた。


「さりとて玄蕃殿、兵どもは士気が落ちてござる。ここは殿にご出陣いただくがよくはなかろうか。」

「よくぞ申した!しかし玄蕃よ、その方、怖気づいたか。その方には西の陣を任す。」


 こうして松平親善は前線から外され、冨賀寺守備の一隊を任された。

 西の冨賀寺の陣は、当初は搦手から攻めることも考えて設置されたが、城の西は崖で攻めにくかったため、落ち延びる者を狩るために少しの兵を残すのみだった。

 一方、南陣には負傷者が置かれ、小勢で手伝いに来ていた西郷父子が守備することとなった。


 ◇


 甚三郎率いる熊谷勢200と奥平勢50の合わせて250少々の兵は、まだ暗い明け方に宇利に近づいた。

 小弓衆を物見に出し、すでに本丸が攻められていることと、城の西と南に陣幕があることが分かった。

 また、本丸攻めが始まって城の西の冨賀寺の陣は手薄で、南陣は負傷兵が多いことも分かった。


「冨賀寺を落とすか。」


 甚三郎の自問ともとれるようなつぶやきに、鳥居源右衛門が反応した。


「ううむ、されど奇襲するならば、冨賀寺を先に攻めては、城攻め中の敵方に我らの所在が知れ申す。これを捨て置き、城に攻め寄る者どもを南から追い立て、城方と挟み撃ちするがよくてござらんか?」

「ふむ、いかにもそのようだが……。城の南に向かおうとして宇利の川に沿って西郷屋敷より北東に進めば、冨賀寺より丸見えよ。黄柳(つげ)野を大回りして北側より攻め寄せるは時がかかりすぎるし……。」

「……となれば、奇襲は無理にござるか。」

「うーむ。」


 宇利の集落は西郷屋敷のある南西に向かって開けるが、それ以外の方面を山に囲まれており、宇利にはその南西方面から入るしかなかった。

 もし東に回って黄柳川沿いを遡って宇利の北に出ようとすれば、それだけで1日かかってしまうかもしれない。

 一方で、宇利南西の限られた進入口は、集落を見下ろす位置にある富賀寺からは丸見えであり、西の陣を無視して奇襲することは無理だった。


挿絵(By みてみん)


「数に劣る我らがさらに兵を分けるは悪手なれども、いずれをも奇襲して、とりわけ冨賀寺を疾く降さば……。冨賀寺の兵数はいかばかりなりや?」


 甚三郎は小弓衆の者に問いかけた。


「俺には100足らず、50かそこらに見えたに。」

「すると60、70ばかりか。山中より襲うは無理そうか?」

「ほなもんわけないじゃんね、いつも狩りしとるのと変わらんだに。」


 自信満々の小弓衆に甚三郎は笑顔で「それならば任せよう」と返した。


「あいや、よろしいか。ここは我ら奥平家もお力添えいたそう。山道は得意ゆえな。」


 50ほどの奥平兵を率いる和田の奥平出雲守貞寄が口を挟んだ。

 こうして冨賀寺奇襲の算段は整った。


 ◇


「喚声が聞こえ申す!」

「やったか!」


 冨賀寺の松平勢への攻勢が始まったのである。

 源右衛門と甚三郎は顔を見合わせて頷くと、兵たちに南陣への突撃を命じた。

 甚三郎本隊は冨賀寺から見えないギリギリの西の山の麓に潜伏していた。


「そうれ、かかれぃ!敵はけが人ばかりぞ!」


 南陣の幕を蹴倒すと、中はけが人ばかりで拍子抜けするほど反撃がなかったが、甚三郎はがむしゃらに敵負傷兵を屠っていった。

 その鬼気迫る様に敵味方が怖気づく中、このままでは南陣の兵が根絶やしにされると思った西郷信員が止めに入った。


「待たれよ!待たれよ!我らは戦えませぬ。降伏いたすゆえ、無体はなさらぬよう願い申す。」

「その方、松平の将か?」

「否!それがし西郷弾正なり。」


 甚三郎の物言いが松平を強く敵視している様子だったため、西郷弾正信員は慌てて否定した。


「なに、西郷とな。そなたの妻を預かっておる。武器を捨て鎧を脱げ。兵どもに知らせよ。」

「なんと!もはや、せん方なし。」


 こうして城下の敵兵は武装解除された。

 甚三郎は鳥居源右衛門に後始末を任せると、150ほどの兵で宇利城の大手道を攻め上がり、城攻めに加われていない隊列の末尾の者たちを襲った。


「くたばれ!くたばれ!」


 松平勢は突然の敵の増援に混乱し、組織だった抵抗ができないまま、数人一組で動く鈴木方の熟練農民兵たちに次々討ち取られていった。


「これはなんぞや!いかなることぞ!」


 信忠は混乱して甲高く叫び、現実を受け止めきれずに茫然自失した。

 見かねた松平乗清は、兵の群れを割り進みながら、大音声で停戦を叫んで大手道を下りた。

 喧騒の中なんとかそれに気づいた甚三郎は、槍を天に掲げて勝利を宣言し、勝鬨を上げさせた。

 両者の戦いはこうして終わった。


 ◇


「殿はすっかり(たま)が抜けてしまわれた。」

「ああ、なんともはや……。」


 松平親善は乗清から小声で話しかけられ、唇をかんで悔しがった。

 西陣を守っていた松平親善は、小弓衆と奥平勢の山からの突然の攻撃により苦戦を強いられ、しばらく粘ったものの、鳥居源右衛門が派遣した兵が「本陣が落ちた!」と触れ回ったことで降伏した。

 呆けて話にならない信忠を脇に置いて、乗清・親善と甚三郎の間で和睦のための交渉がなされ、やがて話がまとまると、甚三郎は和議の条件を大声で告げた。


「勇ましく戦いし五井松平のご兄弟と滝脇のご嫡男の首級をお返し申し、熊谷の先代当主・兵庫頭殿の首級を頂戴いたす。戦功の証として一筆よろしく願う。

 西郷家の親族をお返しする代わりに地財は没収、以後、松平家に寄宿とする。

 そして松平勢の無事のお帰りを約し、3年の和平を結ぶ。ただし、半分の兵は槍か鎧をこの場に捨てるように。以上!」


 西郷信員は当初この条件を渋ったが、松平勢の実質の大将となった乗清が和睦を受け容れるつもりになっていたことから、諦めざるをえなかった。

 甚三郎が「松平勢が帰った後のことを考えての物言いか?」と、松平との和平後に西郷氏を攻め滅ぼすことをほのめかしたのも効き目があっただろう。

 心ここにあらずの信忠は、乗清と親善に促されるままに証文に署名し、負傷兵を合わせても700ほどの軍勢に守られながら、西三河へ帰っていった。


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