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戦国の鈴木さん  作者: capellini
第2章 熊谷編「宇利の戦い」
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第20話 1517年「死兵」◆

 熊谷勢は大手木戸を早々に放棄せざるをえなかったが、当主・実長は次なる防衛線として、本丸と姫御殿曲輪の間の堀切に夜中の間に柵を設置させた。


「柵を以て(せき)となし、敵を押しとどめん。」


 この柵は甚三郎が用意させていたものだった。

 敵を足止めするための簡易的な柵であり、先の尖った材木を斜め十字に組んで、その交差部分を縄で固定して、材木が自立するような形だった。

 簡単に持ち運ぶことができ、崩されてもさらに予備を置いて下がることで、長く防衛線を維持するためのものだった。


「熊谷方はただ無策に籠城するにあらず。心しておゆきなされ。」

「それがしはひたすら敵を討ち滅ぼすのみ!弟の仇を取るまでよ!!」


 先陣の将・竹谷の親善は五井の元心(もとむね)に用心を呼び掛けたが、目を血走らせて復讐を誓う猛将の元心にはその言葉は届かなかった。


 熊谷勢は二日目も東西の曲輪に兵を配置し、ここから大手を直進してくる松平兵に矢と飛礫をお見舞いした。

 堀切のあたりは道幅が狭く、多くの兵が展開することはできないため、数の差は問題にならない。

 緊張した面持ちで実長は兵たちを指揮していた。


「くたびれた者は下がりて休め!ただし、必ず槍を振るう者らの列に穴をあけてはならぬ!」


 防御に徹する熊谷兵は柵で守られた内側から敵の先頭に向けてひたすら槍を振り下ろしたり突き出したりするだけでよかった。


 予想以上の守りの固さと熊谷兵の気迫に松平兵はひるみ攻勢は鈍っていた。

 突出する元心を孤立させまいと前線に出てきていた松平親善が矢傷を負うなど相応の被害も出ていた。


「ひるむでない!我らの方が数に優る!柵に隠れる腰抜けなど、ひとりずつ片づけてゆけばよいのだ!」


 元心は飛んでくる矢を切り払い、兵を鼓舞して先頭を進み、突き出される槍を跳ね上げて肉薄すると、柵を破壊して防御側の兵たちの前に躍り出た。


「弟・源五郎の仇討ちぞ!出てこい!昨日我が弟を討ち取りし者がおるはずぞ!」


 弟のかたき討ちで発奮した元心は勇猛果敢に突撃し、雑兵をなぎ倒した。

 自らと敵兵の血にまみれた元心の姿に兵たちは怯えて後ずさりする。


 これを見て、兄とともに堀切を守っていた熊谷直運は、兄を本丸に返すと自分は前に出た。

 直運は、元心の気勢を前にして、ここを死地と定め、「最後ばかりは」と堂々と名乗りを上げた。


「やあやあ我こそは次郎直実より数えて13代、備中守実長が弟、熊谷の次郎三郎直運なり!」

「それがしは松平大炊助(おおいのすけ)元心なり!直実公の末裔よ!おとなしゅう寺で敦盛公を弔っておればよいものを!いざっ!」


 元心と直運は槍を捨てて太刀にて切り結ぶ。

 かたき討ちの執念に突き動かされる元心は実力以上の力を発揮した。

 両者の力量差は歴然だったが、直運は必死で踏みとどまった。

 本丸前のこの堀切でいかに粘れるかに自家の命運がかかっていることを承知していたからだ。


 ついに直運は元心に太刀を打ち上げられてよろめいた。

 すかさず元心は直運の喉元を狙って突きの一撃を放つ。


「ぐばっ!なんのこれしきっ!!」


 直運はその狙いをずらすも、肩のあたりを貫かれた。

 元心はすぐに刀を引き抜こうと直運の腹を蹴ったが、しかしすでに覚悟を決めていた直運は執念に突き動かされ、刀を捨てて元心の足を掴み、元心の下半身にそのまま体重をかけるようにして、もろともに転がった。


「ええい、そこをのけい!」


 直運はみっともなく元心の腰にしがみついて元心の動きを封じ、ずるずるとよじ登るようにしてのしかかった。

 元心は、5尺の大人に胴丸の重さを加えた100と数十斤の重量に押しつぶされ、太刀も引き抜けないままではなすすべもなかった。


「ふぅうう、ぉおおおおっ!!!」


 直運は、痛みに耐えて歯の隙間から息を吐きながら、出血で暗くなった視界の真ん中に元心の首元を捉え、ひとつ大声を上げて気合を入れた。


「こっ、これにて、終いよっ!!」


 最後の一声とともに、なんとか動かせる片方の手で短刀を抜いて元心の喉元に突き立て、直運はそのまま(くずお)れた。


 両者の死闘を遠巻きに見ていた兵たちは急に訪れた静寂の中で我に返った。

 熊谷勢は直運を引きずって後ずさるとともに、元心の首級を掲げて喚声を上げた。

 うろたえた松平勢は後ろを向いて駆けだした。


 熊谷勢はその後も防護柵を守り抜き、松平勢は、負傷しつつも指揮を執っていた松平親善が残余の兵をまとめて引き下がった。


 本丸では直運の治療が試みられたが、出血がひどく、長くもたないのは明白だった。

 元心は突撃の際の怪我で万全でなかったにもかかわらず、直運はその身と引き換えにしなければ元心を討ち取ることはかなわなかった。


 直運はもはや光を見ることのない瞳に父の泣き顔を映しながら、最期は満足気な表情で逝った。

 老いた前当主の重実は、動かなくなった息子の手を取って慟哭した。


 ◇


 攻め手の松平方は散々だった。

 将二人を失い、元気な兵も800足らずとなった。

 大将の信忠は本陣にやってきた親善を出迎えたが、親族二人の戦死の報告に動揺が激しく、自らも矢傷を負って奮戦した親善に気遣う言葉をかけることはなかった。

 人々はそれをもって自軍の大将を「頼りなし」とみなした。


 信忠は翌日も自らは西に陣取って動くことはなく、滝脇松平の乗清に兵を率いさせて大手道から攻めさせた。


「左右の曲輪もいずれは矢が尽きよう。柵とていずれは尽きよう。」


 攻め手の将・乗清は考えた。

 敵の手口はもう分かった。元々小勢の敵方はこれ以上積極的な攻勢に出ることはできないし、時間がたつほど矢や柵の備蓄は少なくなる。

 敵が頑強に守るのは浜松からの援軍を信じているからだろうが、時間は敵ばかりを利するわけではない。こちらも腰を据えて防御を重視してゆっくり攻めれば、必ずや攻略はなるだろう。


「楯に隠れて進め!矢を射つくさせるのだ!」


 楯を不格好に頭上に掲げた兵たちがのろのろと進む。

 曲輪から投げられるのはすでに石(つぶて)ばかりで矢は尽きていると思われた。

 攻め手の兵はほとんど被害もなく昨日の堀切に到達した。

 堀切の防御柵は修繕されていたが、実のところ城方にはもう予備は残っていなかった。

 左右の曲輪からの攻撃はじきに途切れ、激戦はこの堀切で行われることとなった。


「かかってこぉいぃっ!!息子の弔い戦じゃぁああっ!!」


 大音声で叫んで槍を突き立てるのは、前当主・重実である。

 彼は甚三郎が援軍を連れて帰還することに希望を託し、直運と自らの命をかけて時間稼ぎに徹すると決めていた。


 彼は無心で敵兵を突き殺し、もはや綻びても補充されることのない柵の内から飛び出ると、老体に鞭を討って半日通しで戦い続けた。

 すでに時間の感覚はなく、渇きも覚えず、頭は何も考えられなかった。

 一隊を追い払ったと思えば、次の一隊がなだれ込んでくる。

 周りには味方はほとんどなかった。

 重実に従ってこの堀切を防衛していた兵たちはみな、最初から本丸に戻る気はなく、ここで死ぬまで戦うつもりであった。

 気づけば、いつの間にか敵兵が槍を突き出していた。


 喉を突かれた重実は「かふっ」と最後の息を吐いて絶命した。

 その首級は松平勢の手に渡った。


 ◇


 松平勢はいよいよ本丸にとりつくことになったが、士気は低かった。

 2日間、本丸前の「関」のような隘路では激しい戦いが続いた。

 ようやく松平勢はその関を突破したものの、死兵の最期の粘りで、もはや動く者の姿のないその場所には敵味方合わせて200を超える死体が積み重なっていた。

 その中には、乗清の子・乗遠も含まれた。

 乗清の意気消沈した様は、けが人を除いた600いくらかの兵たちの士気にも影響を与えた。

 しかし、敵方は200と少々。松平家の優位は圧倒的だった。


 事ここに至ってようやく大将の信忠は本陣を移し、全軍で本丸を囲んだ。

 本丸からは矢や石がパラパラと飛んできたが、松平勢にそれほど被害は出ず、門を破るべく丸太が持ち込まれた。

 敵兵が密集するそこには、壁の内側から、煮えたぎる糞尿が壺やら柄杓やらを使って振りまかれた。手だてのなくなった城方の最後のあがきだった。


【史実】松平元心(五井)と忠定(あるいは忠景、大永年間に深溝城を任される)は、江戸期まで旗本として続きます。この兄弟およびその父の世代は系譜が混乱しています。

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