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戦国の鈴木さん  作者: capellini
第2章 熊谷編「宇利の戦い」
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第19話 1517年「五井の兄弟」◆

 宇利の状況は厳しいものであった。

 今川の軍役を拒否した菅沼氏に対する備えのために、長篠には小笠原長高と鳥居源七郎が兵80とともに入り、大野には小弓衆の平七・平八が入っていた。

 一方で、敵対関係にないとはいえ今川方と隔意のある南方の牧野氏・戸田氏に備えて、野田と宇利にはそれぞれ50ほどの兵が置いてあった。野田の守将は鷹見と塩瀬であり、宇利は熊谷一族が守っていた。


「なにっ!松平めが攻めてきたとなっ!ええい、うろたえるでないわっ!」

「とにもかくにも民を逃がさねば。刈田せらるるとて人さえ残らば、我らがお奉行殿がなんとかしてくれよう。」


 松平・西郷勢の進軍を聞いた熊谷実長は動揺する家中をまとめ、その父・重実は急ぎ近場の村々の女・子供・老人を吉田の方に逃がすよう手配した。

 土地が増えて以来、鈴木・熊谷両家は人手不足を痛感していたため、まず人を逃がすことに思い至ったのだった。


「野田や長篠に使いを出すとて多勢に無勢。城に籠るほかなかろう。さりとて後詰の間に合うやいなや……。」

「浜松は急がば二日とかからぬし、今川様の兵もあるゆえ、宇利にて数日耐えらるれば望みあり。おぬしが左様な様では、なるものもならず!」


 実長は悲観的な物言いだったが、重実はそんな息子を励まし、今川方の後詰の存在を周知して家中の者たちに希望を持たせた。

 一方で、宇利の男衆は、集落の戦えない者たちにできるだけの食料と財を持たせて送り出した後、手に手に武器を持って宇利城に集まってきた。その数は300を数えた。


「熊谷の殿様には世話になったがや。俺らも一緒に戦わあ。」


 土地の者らは長らく苛政を敷くことのなかった熊谷氏を慕っており、鈴木の「お奉行」のおかげで近頃は特に豊かになったことに感謝していたのだった。

 彼らの心意気に感激した熊谷一家は男泣きに泣きながら、農民兵たちに手元にある限りの槍や腹当を行き渡らせ、籠城の構えをとった。


 ◇


 対する松平氏は総勢1000と少々。

 大将はいまいち家中の評判の良くない宗家当主の松平信忠。

 従うは滝脇松平の乗清・乗遠父子、五井松平の元心・忠定兄弟、竹谷松平の親善、西郷信員・正員の父子らである。

 軍勢は本陣と先陣に分かれ、本陣は宇利の山城の西に広がる細い平地を挟んで、反対側の山上の冨賀寺のあたりに陣取って搦手をうかがい、先陣は城の南の平地に陣取って、大手から北上した。


 城攻め初日。

 松平勢は強化された大手の木戸を打ち破るのに難渋し、予想外に敵兵から激しい攻撃を受けて焦った指揮官、竹谷の親善は無理攻めを命じて一気に木戸を打ち破った。


「思いの外、城方の士気は高いようだな。」

「浜松に兵を出しておると聞いてござったが、それなりに兵もおるようですな。」


 本陣の大将・信忠は親善からの報せを受けて不満げに言った。

 副将・乗清も敵の予想以上の激しい抵抗の様子に、兵数の見積もりを改めた。

 とはいえ、いずれも本日の城攻めは終了と見ており、炊事の用意をさせ始めた。

 すると突然、城の方から喚声が聞こえ、驚いた信忠は先陣に使いを走らせた。


 ◇


「門にて一日耐えられずは口惜しきかな。」


 熊谷実長はそう言って、早々に大手門を破られたことを悔しがった。


「兄上、ここはそれがしにお任せあれ。」

「なんぞ策でもあるのか?」


 実長は珍しく自分から提案をした弟・直運に問いかけた。


「おう!いくらか馬を借り申す!」


 直運は胸を張って答えた。


 ◇


 城門を守っていた敵兵が死ぬか撤退するかしていなくなったため、一日かけて大手門を攻め続けて疲労が蓄積していた松平勢は、「続きは明日」とばかりに城から城下に戻る道を引き返していた。


「おらおらおらっ!!者ども蹴散らせいっ!!」


 するとその後背に向かって、山上の本丸から熊谷家当主の弟・直運の率いる数騎が一気呵成に駆け下りてきた。

 麓から大手門へ向かう道は狭い尾根になっており、兵数の多い松平勢に割り入った直運らは、敵兵を尾根の両側の坂下に追い落とした。


「ええい、なにするものぞっ!皆の衆、敵は少ない!うろたえるなっ!」


 殿(しんがり)を任されていた五井の松平元心が兵をまとめ始めると、直運は所詮は多勢に無勢ゆえ、さっさと手綱を引いて向きを変え、元来た大手道を駆けあがった。

 これに食らいついたのが元心の弟・忠定だった。


「待てい!待てい!小癪なやつばらめ、ここで屍をさらすがよい!」


 彼は一隊を率いて熊谷勢を追撃せんと、大手道を駆け上がった。


「それ今ぞ!矢を放て!」


 するとそこへ左右の曲輪より矢が放たれた。

 宇利の城はここ数年の増築で、大手の木戸から本丸に向かって北上する道は掘り下げられ、道を挟んで東の姫御殿曲輪に対応するように、掘り下げた分の土砂で西に三ノ丸曲輪がつくられていた。

 熊谷勢はこの大手道を見下ろす両曲輪に兵を置いておき、攻め寄せた忠定勢に矢や飛礫を浴びせかけたのだった。


「しまった!者ども、ここはいったんっとうわぁああ!!」


 味方に退却を呼びかけようとした忠定は、振り向きざまに運悪く顔面に矢を受け、討ち死に。

 松平勢は初日で大手門を破るも将を一人失う痛手を受けることとなった。

 先陣からの使いでこれを聞いた信忠は口を「へ」の字に曲げて不満を隠さなかった。



【史実】宇利の戦いは、1530年に野田菅沼氏や奥平氏を従えた岡崎城・松平清康(徳川家康の祖父)が、三河統一のために、律儀に今川家に味方していた熊谷家を3000の兵で攻めたものです。

 清康本陣は富賀寺あたりに陣取りました。400足らずの城方は壊滅して熊谷一族は落ち延び、松平方は松平信忠の三弟・信定がまじめに戦わず、次弟・親盛が戦死しました。

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