第18話 1517年「引馬」◇
永正13 (1516)年の初春、遠江で変事が起きた。
今川家は前年の永正12(1515)年に甲斐の従属勢力の援護のために出兵していた。
しかし、その隙をついて、長らく争ってきた尾張守護・斯波方の部将、大河内貞綱が蜂起し、浜名湖近くの引馬城を占拠したのである。
そうこうするうちに、これに守護・斯波義達の軍勢も合流し、厄介なことになっていた。
今川氏親は急ぎ武田信直(後の信虎)と和議を結び、引馬に蔓延る斯波方を今度こそ粉砕すべく、三河・遠江より兵を集め、永正14(1517)年の初夏にこれを包囲したのであった。
「こたびは斯波武衛様直々のご出馬とか。」
「当代の尾張守護様はご気性の激しいお方やもしれぬな。先には守護代の織田何某を誅したと聞き申す。こたびの戦で浜松も落ち着けばよいが。」
「さにあらざらば、殿もいつまでも嫁を迎えられませぬしな。」
熊谷家の陣代も兼ねて熊谷・鈴木家の兵200を率いた甚三郎は、副将の鳥居源右衛門と話していた。
今川の甲斐攻め後に婚儀を執り行うはずだった甚三郎は、源右衛門が茶化したように、独り身のまま参陣していたのだった。
「朝比奈家より嫁御を迎えるのでしたかな。」
話が聞こえたのか、同じく三河勢として参陣する同輩の作手奥平氏の当主・監物貞昌が馬を寄せてきて言った。
貞昌は老境にあるが、甚三郎とそりが合うのか、こうして気軽に話しかけてくる。
一連の斯波氏と今川氏の抗争の中で功を挙げた貞昌は、浜松の地に所領を得ていて土地鑑があるため、甚三郎から事前に相談などを受けており、親しくなっていた。
「これは監物殿。いかにも。朝比奈の義父殿には母を駿府にて預りてもろうており申す。」
「ふむふむ、我らはかくのごとく今川方でまとまりてござるが、牧野・戸田・菅沼はそうはゆかぬようでござるな。」
「牧野は当主を滅ぼされし恨みがあり申すし、戸田は牧野とやりおうておるゆえなぁ。菅沼については……、まあ、それがしのせいでござるな。」
「はははっ!そうでござろうな!甚三郎殿が野田と長篠を押さえたと聞いたときは、ずいぶんと驚かされ申した。
儂は浜松で仕置をしており申したゆえ、作手におった一門・家老衆は、まずは儂の意見を求めるべきとの者らと、横槍で野田を乗っ取ろうという者らで割れて、兵を集められなかったようにござる。
鈴木殿は時の運にも恵まれており申したな!」
貞昌はあっけらかんと言ってカラカラと笑った。
◇
着陣して今川のお屋形様に挨拶をすると、三河勢は同じ陣地を割り当てられたため、共同で幕を張った。
近くには甚三郎が駿河との往来の際に世話になった井伊氏の軍勢もいたが、どうも彼らは奥平氏と仲が悪いらしく、先方から挨拶にはこなかった。
挨拶に出た源右衛門が井伊家中の奥山家の者から聞いてきたところでは、井伊氏は少し前まで今川氏に敵対しており、そのときに井伊氏の城を一つ攻め取ったのがこの奥平貞昌なのだという。
甚三郎は貞昌の老獪な人柄をこれまでの付き合いから知るに至っており、「この御仁にならば、してやられそうなものだ」と納得した。
城攻めは幾度か行われたが、目立った被害もなければ目立った成果もなかった。
今川本陣も甲斐攻めの直後であることや今後のことも考えているのか、無理攻めはしないつもりのようだった。
今川方の軍勢は輪番で城を囲みながら、浜松の斯波方の土豪の拠点を脅かして鎮定してしばらくの時を過ごした。
こうして攻め手にすこし気が抜けてきたところで、甚三郎のもとには危急の報せが入った。
「なにっ!宇利が松平・西郷のやつばらに攻められておるだとっ!いつのことだっ!?」
「3日前にござるっ!」
「3日……。宇利は曲輪も増やしておるし、攻めにくい城だ。まだ落ちてはおるまい。
よし、源右衛門、陣を畳め──いや、何もかも捨て置け!抱えられるだけの矢束と糧秣のみ持ち、ただちに宇利に向かう!」
「ははっ!」
ためらいなく命を受け容れた源右衛門は、兵たちに事情を説明し指示を飛ばしながら、自身も支度を始めた。
「監物殿!それがし、三河に戻り申す!お屋形様にはよろしくお伝えくだされ。お咎めござれば後で受け申す。残しておくものは勝手にお使いくだされ!
──よし、組頭は点呼を取り、揃い次第街道へ向かえ!」
報せを受けてすぐに兵をまとめて点呼を始めた甚三郎の迷いのなさに、奥平貞昌は一時ぽかんと口を開けて呆気にとられていたが、従弟・出雲守貞寄を呼び寄せると、去りゆく甚三郎を追いかけ声をかけた。
「待て待てい!我らより和田の出雲守をつけようぞ!
作手の方まで乱が及ぶならば、我が一党とともに事にあたってくだされ!」
振り返った甚三郎は力強く頷いて去った。
◇
甚三郎は逸る心を抑え、体力を温存するために時間をかけて移動し、浜名湖北岸を回る本坂通を通って三河に入った。
「まずは西郷よ。やつばらは館を構えるのみだったはず。」
目指すは本坂通沿いの西郷氏の屋敷。
西郷氏は岡崎から移って間もなく城のような防備のある拠点を持っていない。
甚三郎はその屋敷を日没後の暗闇に紛れて急襲して人質を取り、脅して兵を引かせることを考えたのだった。
先導する小弓衆は土地を知り尽くしており、日が暮れても街道沿いに進軍するくらいは松明さえあれば余裕であった。
兵たちも組ごとに頻繁に点呼を取って、落伍者が出ないように気を付けていた。
「鈴木の方々とお見受けいたす!それがしは小枝左京進!かの地はそれがしの庭にて先駆けいたす!」
街道を駆ける一団を見つけて、本坂通沿いに城を構えていた小枝左京進なる土豪が後から追いかけてきて案内を申し出た。彼は新参者でありながら勢力を増しつつある西郷氏を警戒して対立関係にあったからだ。
小枝左京進の先導で屋敷を特定すると、案の定、宇利攻めで人が出払っていた。
「大人しくせい!手向かえば容赦はせぬぞ!」
西郷屋敷の者たちはろくな抵抗もできずに鎮圧された。
甚三郎は当主・信員の妻など数人を人質として連れていくこととし、家人らは縄でつないで放置して宇利攻め中の連中に報せがいかないようにした。
「思った通りの運びよ!明け方まで屋敷で休め!日の出とともに動き宇利の敵軍勢の背後を突く!」
宇利の熊谷氏の様子が気がかりな甚三郎は、なかなか寝付けずにそのまま朝を迎えることとなる。




