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戦国の鈴木さん  作者: capellini
第2章 熊谷編「宇利の戦い」
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第17話 1516年「仲人」◆

 永正13 (1516)年。


 足助の鈴木忠親が死んだ。弟・小民部丞に続けての訃報だった。

 特に忠親は、(よわい)70を超えていたというから、大往生だろう。

 

「駿府の母への最初の報せが、父上が身罷られたこととは……。」

 

 甚三郎は嘆きながらも母のお秋に宛てて文を認めた。

 彼自身は父が十分老齢であり、「いずれは」と覚悟もできていたことから落ち込みはさほどではなかった。

 それよりも、甚三郎の心を占めたのは母・お秋に対する心配だった。

 彼女は遠方に移ってすぐに情を交わした相手が死んだと聞くことになる。その落胆はいかばかりか。

 甚三郎はすぐにも駿府に会いに行きたかったが、さすがにそれはどうかと思い、自重せざるをえなかった。


 足助に対しては「葬儀の日取りを教えてほしい」と問い合わせた。

 しかし、兄で当主の雅楽助重政は「葬儀は済ませた」と返事をしてきた。


「兄上はいったい何をお考えであるのやら。父上のおらぬようになりてかくも勝手をなさろうとは。」

「足助のご当主は我らをよく思うておらぬようにござりますな。」


 家老の鳥居源七郎も重政からのぶっきらぼうな返書に顔をしかめた。

 不審に思った甚三郎は平七を遣わし、真弓山城内の様子を探らせた。

 平七が台所に奉公に出ている者を捉まえて聞く限りは、どうも家中で甚三郎の評判が高まっているようだった。


「それがしばかりが褒められるのが(しゃく)に障るのであろう。あるいは、我らは野田の田を多く得たのに、足助は山城ひとつというのも気に食わぬのやもしれぬ。」

 

 重政の様子は詳しくはわからなかったが、弟ばかりが褒められて不機嫌になっているのだろう。

 また、先の戦で熊谷・吉田鈴木勢は野田に長篠と、耕作に適した平地を増やしたのに対し、足助勢は山城の一つ二つしか得るものがなかったのも不満なのだろう。


「左様にござりましょうな。とはいえ、当家より費えは送り申したというに……。」


 鳥居源七郎もその言に同意した。

 彼の言うように熊谷家・鈴木家からは60貫という大金を送っていて、倉を監督している源七郎は十分に礼は尽くしたと思っており、むしろ甚三郎よりも怒っていた。


 両鈴木家は忠親が生きている間に交わした約束で「田峯菅沼氏を降せば長篠・野田以外は全て足助の支配下に置く」と予め取り決めていたが、それでも重政は納得がいかないということのようである。


 その話を聞いた小笠原長高は顔をしかめた。


「その雅楽助なる新たなる当主は心の狭き男よ。甚三郎殿は十分に気を遣うておるというに。」


 長高は自分がまさに重政の立場にあって廃嫡されたにもかかわらず、それは棚に上げて「自分であればそこまでみっともなくはなかったのに」と妙な形で腹を立てたのだった。


「足助と事を構えるのは我らの願うところにあらなくに(ではないというのに)……。」


 忠親という重しのなくなった今、場合によっては足助と事を構えることもあるかもしれないと悟った甚三郎はやるせない思いを抱えた。

 しかし、彼は感傷に浸ることなく、このことを宇利の評定で話し合い、心構えを共有しておいた。お家第一、たとえ本家と争うことになろうとも、甚三郎はそう伝えたのだった。


 ◇


 鳥居源右衛門に男子が生まれた。

 妻は足助鈴木氏の親族の女で、忠親の養女である。


「いつの間に仕込んでおったのやら。」


 鷹見弥次郎がチクリと言うと、源右衛門はガハハと笑って、「そういえば、おぬしは妻がおらなんだのう。」とやり返した。


「おう、そうよな。弥次郎も嫁を手配せねば。」


 それを聞いた甚三郎は、家臣の嫁の手配まで世話が行き届いていなかったことに気づき、候補を考え始めた。


「牧野氏か奥平氏から良い年頃の娘がいないか探してみよう。」


 そこでふと「もしや小笠原殿の婚儀も手配すべきなのか」ということに気づき、家格の問題から自分では手に負えないと瞬時に思って、甚三郎は「うーむ」と唸った。

 そして甚三郎はあっさりと考えることをやめ、評定に同席している長高に直接聞くことにした。


「さても小笠原殿、御身はいかがなさるおつもりで?」

「うむ、実は世話になっておって近頃身罷られた吉良左兵衛佐殿の娘御をどうかという話があった。受けてもよいかと思うておったが、こちらで厄介になることもありそのままになっておる。」


 吉良左衛門佐とは、西条吉良氏と呼ばれる流れの吉良義元のことで、最近、早逝していた。

 長高は知多に住んでいた際に交流があり、嫁取りの話が出ていたのだった。


 甚三郎は家柄もちょうどいいし、松平に接近しているように見える別流の東条吉良氏を牽制する手段になるかもしれないと考え、即座にその婚儀を推し進めることに決めた。


「それはよきお話!ぜひにもご婚儀を進めましょう。信濃にも文を出して挨拶に来る者がおらぬか探してみましょうぞ。将来のお味方になり得る者が見つかるやもしれませぬ。」

「おお、それはよきかな。府中はまとまっておったが、伊那ならば三河に近いゆえ、よいやもしれぬ。宛先は考えておこう。」


 府中は信濃中部、伊那は信濃南部のことである。

 こうして小笠原家の家臣探しも兼ねて、長高の婚儀の準備が始められた。

 一方の鷹見弥次郎は「主君より先に結婚するのは」と渋ったが、「早く結婚して子を産んで次の将なり代官なりを育ててくれ」と甚三郎が懇願したため、弥次郎が折れることとなった。

 甚三郎は自身の結婚に先だって2件の婚儀を仲立ちし、いち早く長高が吉良義元の娘を嫁に迎えた。

 ついでに、招待状がばらまかれ、それに伴って噂が出回ったおかげで、信濃・伊那郡から落ち延びてきた国人が仕官した。


「荒川詮頼が末裔、伊那郡は熊城の伊奈熊蔵易次にござり申す。府中帰還を目指す右馬助様(長高)のご成婚を聞き、はせ参じ申した。帰着の暁には、なにとぞ叔父に奪われし我が城の奪還にお力添えを!」

「うむ、大儀である。それがしのみならず、熊谷・鈴木のお家のためにも忠勤を以て励むがよい。」

「ははっ!」


 こうして、小笠原家に(実質的には吉田鈴木家に)仕えることになった伊奈易次は、鷹見弥次郎のもとで作事に精通していくのであった。

 一方の弥次郎は、豊川下流域を押さえる牧野氏との関係をよくすることを目論んだ甚三郎の手配で、今橋城主系の牧野氏とは別で、野田から下流に一刻半(3時間)ほど歩いたあたり牛久保に住む牧野成種の娘を嫁に迎えた。


【史実】伊奈熊蔵は伊那から来て松平家に仕えました。子孫の伊奈忠次は名奉行らしく、徳川家康が本能寺の変の後に上方を脱出するのを助けるなどしたそうです。

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