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戦国の鈴木さん  作者: capellini
第11章 南海編「他なるもの」
169/173

第151話 1537年「補陀落渡海」◆

【ご注意】本話には表現や内容の点で差別的な事柄が出てきますが、もちろんそれらをよしとする意図でないことは予めご承知おきください。

 岩倉の織田伊勢守家が滅んで配下が離散し、尾張守護代の織田大和守家は没落。残った津島の織田信秀は西尾張で自立し、大名として鈴木家に従属した。

 こうした争乱により、国人の主家鞍替えや所替えが尾張各所で生じた。

 中でも東尾張の御器所に勢力を持った佐久間四兄弟は、戦中に鈴木家に臣従するのをよしとせずに信秀のもとに移ったが、本拠地を失ったことで一族を養うのが難しくなった。しかも、かつて敵だった鈴木家は今や主家の上位の同盟相手であり、関係修復が必須だった。

 そういう事情のもと、四兄弟のひとり佐久間信晴の姿が新城の鷹見邸にあった。


「尾張からよくぞ参られた。」

「世話になりまする。」

「まずは茶でも。これは当家の先代が好んだ土瓶茶という。かの御仁は茶を点てるのを面倒がってな、焙じた葉を土瓶で煮だしたものだ。奥方とお子もいかがか。」

「かたじけない。」


 家主の鷹見修理亮は信晴の幼い息子を見やって茶を口に含んだ。

 子供は行儀よく茶請けの漬物を頬張り、初めての茶を前にどうすればいいか母親にひそひそ尋ねている。男子に恵まれなかった鷹見はそれを微笑ましく見ていた。

 信晴は鈴木家との関係をよくするべく鈴木家に仕官することになっていた。

 仲介は簗田出羽守で、彼は織田大和守家から信秀に鞍替えして重用されている人物だが、その息子の舅が鷹見なのだ。

 その鷹見の屋敷で信晴は妻子ともども仕事や住まいの手配が済むまでやっかいになる予定だ。


「当家は家人が少なく、部屋こそあれども、女中に中間小者と、あまり融通してやれぬ。別の町に移ることもあるやもしれぬで、所が決まったらば、その地で奉公人を取りまとめておる奉行に宛てて一筆したためよう。」

「重ねてありがたく存じまする。」

「ああ。されど近頃、三河でも家を分ける者、遠江に移る者、いろいろとあってな。先には宇津家の跡継ぎが家を出るとかで……。」


 鷹見が口にしたのは宇津家のお家騒動についてである。

 現当主・宇津忠茂は齢60を超え、順当にいけば家督は嫡男・左衛門太郎が継ぐはずなのだが、今や次男・忠俊の方が出世しており、こちらが跡継ぎだろうというのが世評だった。

 これに長年悩んだ左衛門太郎は、悩みが過ぎて暴食に走って肥え太り、ただでさえ好きでなかった武者働きで精彩を欠いたため、先ごろ地方の奉行に任じられて分家を立てることになった。

 左衛門太郎は部将としては古参だが、奉行の経験はない。これを支えるには相応に心得のある中間小者が必要だ。そういうわけで、質のいい奉公人は彼の配下になってしまっていたのだ。


 なお、忠俊が家督を継ぐと決まったのは家中に少なからぬ影響を及ぼした。

 彼は父にもまして奉公に熱心だが、主君個人の意向よりも主家の利益を第一に、武を以て鈴木家を大きくする、その一点に重きを置くきらいがあった。

 一方、これまでは健全財政や内治を大事とする鳥居忠吉や鷹見修理亮を筆頭に、当主の意向の通りに動く伊庭党が宇津党の上位にあった。これらを従えた先代・鈴木重勝は奉行職が用意できる範囲内で将兵を動かすという舵取りをしていた。

 しかし、鳥居は熊野の郡代として本国にはもうかかわっていないし、新当主・鈴木重時の側近は、だいぶ丸くなったとはいえ元来血の気の多い酒井将監。伊庭党の勢威も低落ぎみ。

 そこにきて、宇津党の頭が宇津忠俊となる。

 重時が美濃攻めを望むや、事はすぐさま軍の編成へと進んだ。

 こうした武へ傾く流れを抑える者には、尾張攻め総大将の西郷正員あたりもあろうが、彼の配下の岡田氏ら尾張者は鈴木家中での立身をもくろんで徒党を組んでおり、手柄を求めて美濃攻めに積極的である。西郷も無下にはできない。


 鷹見は思う。このまま行くと戦が立て続けに起こるのではないか。あまり目を外に向けてばかりでは、駿河がそうであったように内から崩れかねぬ。

 幸い宇津忠茂が元気で左衛門太郎も惣領の地位にこだわらなかったから大事に至らなかったが、これから似たような騒動は増えるだろう。

 一応、こういうことでは熊谷実長が諸家の相談に乗っているようだが、「そういう役目である」と周知した方がいいのかもしれない。近く議事に取り上げてみるのもよいか。

 考えが目の前の佐久間一家から離れているのに気づくと、鷹見は「まあ」と口を開いて話を戻す。


「それはさておき、かような次第でな、よき奉公人のみつかるかどうか。」

「あの、御無礼ながら伺いたい。貴家では奉公人を雇うにいちいち奉行の手配を頼むのでござるか?」


 言われてみれば普通ではないかもしれない。

 鈴木家ですら奉行がそんなことまで采配するようになったのは最近だ。


「ついこの前よりのことだ。当家では役目を()けると譜代家人とは別に奉行所付の者を役目の間だけ用いるなどもある。それをすべて奉行が手配するわけにもいかぬで口入屋や請人宿(人材派遣業者)を使うが、この元締めどもを奉行が捌くわけよ。」


 町奉行は中間小者傭人目付とでもいうべき役目が追加された。これは有為な人手を効率よく回すために奉公人の口入に介入するという趣旨でなされたものだ。

 そうでもしないと困るのは、要するに人手不足だからである。


 その背後に領内の開発があるのはもちろんだ。戦乱で荒れた渥美半島や浜名湖西岸は復興が進んでいるし、安定に向かう尾張は新当主の西進の方針により後背地として成長することが望まれている。

 しかし、なんといっても主因は三河諸家が遠江に転封になったことである。

 早くから所領経営を鈴木家に任せきりの設楽家はまだしも、奥平家と田峯菅沼家が移って奥三河は丸々鈴木家直轄となり、作事に地方に管理の人手がいるわけだ。


 それだけではない。

 三家はあれこれの業務に通ずる中下級の三河者を引き抜いて遠江に移った。

 これは不安定な遠江情勢に対処するには仕方のない措置だった。

 例えば、臣従した天野氏には直臣となった一派と、飯尾家配下で陪臣となった一派がいるが、これは犬猿の仲である。

 また、井伊氏は独立心が強く、気賀に入部する奥平家の与力となることすら嫌がった。しかも彼らは、浜松荘を安堵され西遠江では出頭の飯尾氏に強い対抗意識を持っている。

 東遠江も少なくない土豪が勢力を保ったまま臣従しているし、駿河今川家は混乱のさなかとはいえ残っているから防備が必要である。

 そんな中では奥平・菅沼・設楽の三家には十分な人手を使ってなるべく早くに支配を固めてもらわねばならなかったのだ。


「それに、己の家にあまりに素性のおかしな者が入ってきては困ろう?中間と女中あたりは特にな。」

「はあ、それはなんとも。」


 人手不足のうえに出入りも増えれば、身元不確かな者や能力不足で悪事しかしないような者が蔓延るようになる。これは未然に防ぎたい。奉公人口入の監督にはそういう意図もあった。

 鷹見は各人の手許で漬物がすでになくなっているのを見て「干し柿も出してやれ」と女衆に声をかけ、茶を飲んでからまた話を続ける。


「うむ。手間のかかる話なれど、さりとて放置するわけにもいかぬでな。まあ、こんな話はよかろう。ともかくも、しばらくゆっくりして、町を見るなりしたまえよ。」


 ◇


 その言葉に甘えた信晴は、鷹見邸に行く途中に気になっていたところに寄ってみた。


「制札が立っておるな。なになに、『往来にて小便し申す間敷(まじく)、小屋にてし申せ。高札に小便する者、過料10疋。見付人の手限(てぎり)にて、侍凡下(ぼんげ)を問わず尻を10叩きて懲らすべし』か。」


 この調子で町掟がずらっと並ぶ中、信晴は『熊谷備中通信』なる奇妙なものを見つけた。


「なんだこれは。」


一、三河御殿様、海神の冥護によりて、八丈島の彼方、南海の果てに、女地頭の国を見つけたり。夷語を話し、男は(もとどり)残して薙髪(ちはつ)(剃る意味、形としては辮髪風)、女は鉄漿(かね)(お歯黒)を付けたる様。

一、田峯殿(菅沼)、作手殿(奥平)、設楽殿、御栄達。就きて、地方・倉方の心得者の奉行所に来りて働くを求む。故あって無籍の者は分斉(ぶんざい)の保証人を立つべし。


「お侍さんは、お外の人かね?仕官かね?」


 信晴はいきなりそばから声がして驚いた。

 見れば高札の庇の影の中、腰ほどの高さのところに歯抜けの老人の顔があった。不具の乞食かと思ったが、腰布1枚というのでもなく、背が低いのは腰掛に座っているからだった。

 信晴はひとまず返事をしてみることにした。


「仕官と言えばまあそうだが。」

「ほなら今日は面会の日でないで、奉行所で券をもろうておいでやれ。そこにある日取にお奉行をお訪ねなされ。」

「いや、仕官は決まっておるのだ。この『通信』なるものが気になって、ちと見ておった。」

「ははあ、左様にござったか。爺のたわごと、ご堪忍ご堪忍。」

「おぬしは乞食ではないようだが、そこで何をしておる。」

「儂は養老宿の預かりで、ひねもす案内をしておりまする。」


 信晴は何一つ意味が分からなかったが、老人にこの『通信』について尋ねる。


「はあ。それで、この『通信』というのは何なのだ?」

「これは備中様いうて、備中様は宇利の熊谷のお殿様のことにございまする。変な噂は困るいうて、備中様は『嘘偽りなし』とこうして高札を立てられた。」

「ううむ?」


 老人の説明は要領を得ず、信晴はやはりよく理解できない。

 老人もうまく伝わっていないのは感じるのか、言葉を重ねてなんとか説明しようとする。


「先には御隠居様は補陀落(ふだらく)渡海とかいうんで、入定なさったいう噂があり申した。されどこれは嘘で、御隠居様はなにやら南の島にて次々島を見つけて、お元気とのことで。それで、備中様は『嘘偽りは罷りならぬ』というわけで。」


 補陀落渡海というのは、舟に乗って観音様のいるという南海の補陀落なる楽園に漕ぎだすことをいい、先にも熊野で僧侶が渡海を試みたばかりだ。

 元は「重勝もそういうことなのだろう」とどこかの誰かが意見を言ったのだろうが、それがまことしやかに広まった。

 先君の信心深さを称える意図だったのかもしれないが、しかし補陀落渡海は死ぬのと同義。「重勝が死んだ」なんて噂は、付け入る隙と他家から見られかねない。

 慌てて鈴木領の村町の各所でこうして高札が立てられたが、「変な噂が出回るよりも伝えるべき真実を選んで示した方がよい」という話になり、暇そうな熊谷備中守実長が時折こうして鈴木家の動向を民衆向けに伝えているのだ。


 しかし、老人の話ではそんな事情も分かるはずもなく、信晴は「老いて少しおかしくなっているのか」と話半分に聞き、「わけのわからぬ町だな」という感想とともに高札広場を後にした。


 ◇


「そなたにはひとまず岡崎で奉行付として働いてもらうこととなったが、ことによると美濃攻めの加勢もあるやもしれぬ。早めに後を任しうる留守居を見繕っておくとよいであろう。あとは、近くこちらから西に小荷駄馬が出るで、そなたら一家もこれについて動きなされ。」


 東三河には牧が多くあって、そこから各所に軍馬・農耕馬が支給される。

 この小荷駄馬も美濃攻めのために追加で西へ送られるものだ。


「重ね重ね世話になり申した。このご恩は忘れませぬ。」

「佐久間の方々とは先には戦場にて槍を交わしたが、向後は仲よくやっていきたい。ご本家にもよろしく頼む。」


 そうして別れを告げると、馬奉行から出発の連絡が入り、奉行付の深尾掃部助なる者の率いる一団に交じって信晴一家は岡崎を目指した。

 この深尾は美濃国太郎丸の出で、山内盛豊なる尾張者の縁者である。山内は、鈴木重勝が名前が気になって信秀との和睦時に身柄を引き渡させた者で、岩倉織田伊勢守家の旧臣だった。

 しかし、伊勢守家は解体され、山内家も失領した。頼みの妻の実家は、東尾張の羽黒城主・梶原家というが、この城も鈴木家により対美濃戦のために接収されてしまった。

 一方の馬奉行は熊谷直安と生駒家宗が務めたが、直安は将として栄転し、家宗は幼子を残して戦死したため、仕事はその幼子の後見人で美濃出身の土田甚助に集中していた。

 土田は織田信秀の正室の親類であり、これを雑に扱ってはまずいと、織田家と縁があって折しも所領も不定の山内党が馬奉行付として呼び寄せられたのだ。

 信晴を深尾と会わせたのも、縁を結んでおけという鷹見の計らいだった。


 岡崎城で宇津忠茂に挨拶をして、城下に割り当てられた自宅で少し休んだのち、信晴は早速、奉公人を雇うために紹介状を片手に岡崎の町奉行を目指した。

 町人に「奉行所はどこか」と聞きながらやってくると、鷹見新城の町で老人が言ったように、奉行所の門前には老人がいて券を配っていた。

 これに「吹挙(すいきょ)の書状がある」と告げるも、文字の読めない老人はしどろもどろで話が先へ進まず、外で仕事を済ませた雑人が戻ってきてようやく取り次いでもらえた。


「これは口入目付の小島様のところにございまするな。」


 小島は名を源一郎正重といい、かつて岡崎の奥地の蓬生などの土地を巡って粟生将監なる土豪と相論をおこした人物である。

 本貫地の召し上げと俸禄支給に抵抗する粟生と違い、小島は禄を受け取って官衙講関連の仕事をこなし、順調に出世して岡崎町奉行で要職に就くに至っていた。

 口入屋は奉行の下請けとして渥美や知多の開墾の人手も集めて年々規模が大きくなっており、その監督ともなれば付け届けもかなりのもの。

 小島はそれを元手にいつか自分でも何か商売をしようと思っている。請人宿を持ってもいいだろうし、食多右衛門とかいう商人が始めた御師の案内付きの伊勢・熊野詣の手配業もよさそうだ。

 どちらも銭を出して初めに建物・舟・世話人などを用意してしまえば、あとは途切れることなく人が集まり銭が入ってくるに違いない。


「――いかがか、必ずうまくいくと思うが。」

「はあ。」

「気乗りなさらぬか。」

「いや、なぜにそれがしは貴殿より、かような話を聞いておるのやら。」

「それは、ひとりでは踏ん切りがつかぬし少々銭も足りぬで相伴を探したのだが、奉行所の面々は嫌がり申してな。禄もあるのに勝手に利得まで求むるはどうかというて。」

「まったくその通りにござろう。そも、それがしも移ったばかりで銭はありませぬ。」

「だからこそでござる。まだ鈴木様より禄を受けて日も浅く銭もない。今のうちに誘えば、やがて同心してくれるやもと思うたのだ。心にとどめてもらえばよいでござるよ。それでええっと、なんだったか、ああ中間のことか。」

「あと、女中も頼みまする。」

「女中はすぐにも当てがあり申すが、中間となるとなあ。留守居ということで、武働きも勝手方もとなるわけよな。」


 そう言って小島は手元で人相まで記された人物帳をめくり、思案する。


「貴殿は鷹見殿のお引き立てと聞くほどに、ご出世なさろう?」

「いやあ、どうでござろう。」

「渡りの者とは違うが、お外の人でしがらみもござらぬとなれば、黒柳がおりまする。黒柳の家は応仁の大乱よりも昔に公方様に手向かい、先には土呂の本宗寺門徒として当家とも争った。門徒に顔が利くで今は奉行の手伝いなどしとりまする。

 中間扱いを嫌がるかもしれませぬが、佐久間殿が早くに出頭しようと言えばなびきましょう。譜代もお連れでないわけで、うまくやれば家老まであると仄めかしてはいかがか。」

「ふうむ、ひとまず女中と併せて我が家に送ってくだされ。会って決めまする。」

「そうでしょうとも。」


 ◇


 かくして信晴は黒柳何某と自宅で面会した。

 2度も反乱を起こした家の者というので身構えていたが、武張った風でもなく、仕官はすぐに決まった。信晴は早速、黒柳に町の案内をしてもらっている。


「ほう、三河の門徒衆がそのようなことになっておるとは知らなんだ。」

「ここ数年のことにござれど、帯刀と徒党の禁止さえ守れば普通に暮らしていけまする。本證寺の和尚様(源正)がお心を砕いて『王法為本』と説いて回っておられて、人心も定まりてございまする。」


 王法為本とは、仏の法と大名の法のどっちが上かという話につき、世間で生きるなら大名の法に従え、というものだ。


「鈴木殿は宗門にはもっと厳しいと思うておった。」

「僧が戦をすな、ということでございました。むしろ、そのお心は慈しみが深くてありまする。勝手(生計)の苦しい者が物貰いとならぬよう宿を営み、膝行(いざり)(下肢不随者)には手仕事を与え、皮多(かわた)(屠畜・皮革業者)には町の外にお堂や風呂の付いた仕事場を設け、町の神人・法師により毎日不浄を落とすべくお取り計らいなさり申した。」

「ほう、それは仁君であるな。」


 などと言いながら2人は樽を担いだ頭巾の一団とすれ違う。

 珍しく思った信晴は黒柳に問うた。


「あれは?」

「あれは町雑色ですな。奉行の命で便所をきれいにして、閑所にて下肥を作っておるそうで。」

「下肥か。商人が集むるのでなく、奉行の手下がやるのか?」

「はい、そのようで。先に申した法師や皮多も奉行の下で町供御人として働いておりまする。」


 糞便は郊外の人気のないところで発酵させるが、そこで作られるのは堆肥だけではない。

 極秘で硝石も作られていた。

 硝石は小便塩ともいい、古い便所の周りの土から取れるため、町の小便小屋から集めた小便を肥溜めのそばで土に撒いているのだ。

 最初こそ塩づくり同様、乾けばすぐ得られるだろうと見込まれたが成果はなく、数年試して近頃ようやく塩を煮出すことができるようになった。単純に塩が育つのに数年かかるようだ。

 なんにせよ、軍機にかかわるこの雑色たちは、不満から裏切ることのないよう武士並みに厚遇されるが、やはり武士並みに厳しく身元が管理されている。

 皮多も、弓弦・矢羽のほか鉄不足を補うための革具足の素材などいわば軍需品を作るから、同じく半官半民の立場にある。

 一方の法師は町内で亡くなった者の遺体を片付け医者と協力して疫病の蔓延を防ぐ役割があるが、その身元を管理するのは、流れの高野聖など他家の間者となりうる者を自由にさせないためでもあった。


「ああ、その話で言えば」と黒柳は皮多が肉を用意するのと絡めて思い浮かべる。

「この町では冬は飯屋で薬食いが出まする。そろそろ霜先(旧暦10月)なれば、もうやっておるやも。干鮭に鴨もありまするぞ。」

「薬食いか。それがしは好かぬが。」

「値も張りまするし、無理にとは申しませぬ。とはいえ、見るだけどうでござろう?」

「まあ、見るだけなら。」


 そう言って茶屋の通りに近づくと、いい匂いが漂ってくる。


「ああ、もうやっておりまするな。ほれ、あの幟がそうでございまする。」


 黒柳が指し示した幟には「諏訪法性大明神」と書いてある。


「なにゆえ諏訪大明神とな?」

「諏訪大明神のお計らいで、『業尽有情(ごうじんのうじょう)雖放(はなつといえども)不生(いきず)(ゆえに)宿人身(じんしんにやどりて)(おなじく)証仏果(ぶっかをしょうせよ)』と唱えれば神仏は薬食いもお許しになるそうです。」


 獣は食べられた人の身に宿るから、その人が善行を積めば一緒に成仏する、というような意味の呪文である。


「そうなのか。」

「あとは和尚様から聞いた話では、『今昔』の餌取法師なる話では、肉を食った法師であっても往生できるのだそうで、親鸞聖人もそういう者どもの往生まで案じておられたとか。」

「へえ、知らなんだなあ。」

「ええ、そういうわけでして。まあここはよいとして、ではあの煮売屋でも――」

「そこなお侍様方。いかがです?」


 そんなことを言っていると、飯屋の女が声をかけてきた。

 女は細面で色が白く、口の小さいたいそうな美人である。

 信晴が足を止めたため、黒柳は「ここは高いですよ」と耳打ちするが、信晴はもらった支度金の残りを思い浮かべ、「まあ、いっぺんくらいはな、いっぺんくらい」と言って飯屋に入った。


「そちらにおかけになって。お2人とも、鴨汁でようございますか?」

「ああ。」

「煮しめはお付けしますか?」


 黒柳は追加で銭を取られるのを気にして信晴を見、視線の合った信晴はすぐにそれを察して断る。


「あぁええっと、いや、なしでよい。」

「はい、承りました。」


 食事を待ちながら見回すと、他の客は身なりの良い商人らの1組だけだった。

 女は彼らと少し話をしている。


「へえ、カチョですか?」

「イエにイと書いて家猪(豚のこと)というらしい。はたして猪と同じか違うか。大明国の役人のもてなしで供するものとかで、件の琉球のご領地から持ってきて育てることになったと伯楽(ばくろう)(家畜商)から聞いたよ。亭主に吸い物にでもしてもろうたらさぞかしよかろうなあ。」

「うちにまで流れてきましょうかねえ。」


 やがて、鴨肉とねぎの味噌汁に強飯(こわめし)が出てきた。

 信晴と黒柳は肉、ねぎ、肉、ねぎと順序良く食べ、飯に残りの汁をかける。

 汁かけ飯をかっこんだ両人が満足してまったりしていると、女が1杯の抹茶を出してきた。量はほんの少しだ。


「頼んでおらぬが。」

「こちらも含めてにございますよ。なにしろ薬でございますから。」


 と女は袖を口許に持ってきて目じりを下げて言う。

 冬を乗り越える薬として鴨も茶もご賞味あれということらしい。

 女の柔和な顔に見とれた信晴と黒柳はぐいっと茶を飲み干すと、女は袖で隠した口から「お勘定はふたつでございます」と言った。

 信晴はとっさに意味が分からないが、黒柳は「2疋でござい」と耳打ちする。

 20文!なかなかの出費であるが、やむを得まい。

 その後、信晴は女と黒柳に倣って先の呪文を唱えると、焼売屋で妻子への焼き餅を買って帰った。


 三河を包むつかの間の安穏であった。

【メモ】佐久間信晴の長男は織田信長に折檻されて出奔した佐久間信盛です。山内盛豊は『功名が辻』で有名な山内一豊の父ですが、彼の妻が梶原氏かどうかは不確かです。本話に出てくる浄土真宗の和尚の源正は、第52話などに出ています。


【作者用の備忘録】佐久間氏は現惣領が幼い与六郎家勝(?)で、久六盛次・大学允盛重が引っ張る時期。信晴は移住先で落ち着いて1538年に次男を得る。

 本證寺の8代住持・源正は、三河の戦乱後に心を入れ替え、難民・被差別民の暮らしに真摯に向き合った。高齢ゆえに後継のあい松(玄海)を教育中。史実の玄海は後に加賀で戦没。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 食事もある程度詳しく書かれているのは面白うございます。 [気になる点] >しかし補陀落渡海は死ぬのと同義 渡海を実行した者には、有名なところだと、僧に限らず、武家にも平維盛なんていましたな…
[良い点] あちこちで重勝が蒔いた種が芽吹いて庶民の生活が豊かになっていくのを見るのは良いですね。 薬食いでも名目つけて庶民が肉食をとれるようになれば、日本人の体格も改善に向かうのかな? [気になる点…
[一言] 戦国時代の価値観だと土地に紐づいた人材ばっかりだから人の確保というより報酬関連がちょっと面倒なとこありますなー あと重勝が作った内政組織、割といろいろ慈善事業なんかもやってるけど武張った鈴…
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