序 後編 1543-44年「火葬」◆
私は迫り来る船隊を見るや、すぐさまその船の持ち主がこれまでの原住民とは異なる酋長、もっと言えば、異なる国に属することを理解した。
1隻は我々のサン・フアン号に比するほどの大きさで、横幅はそれより大きくすらあった。随伴する2隻はサン・クリストバル号とほぼ同じで、櫂を持つガレー船のようであった。
大船は香辛料諸島で見たものに近いかもしれないが、その周りの小さな船は現地人が「カヌー」と呼ぶ小舟に見える。フェリピナスのモーロ人(イスラム教徒)の大酋長が大洋の真ん中までやってきて島々を支配したとでもいうのか。
しかも、甲板に見える人影からして、ほとんど最低限の船員しか積んでいない我々に比して、敵方の戦力が大きいことは明らかである。そのため、ベルナルド殿は賢明にも戦闘を選択しなかった。
我々はかの者たちの先導で北緯26.5のあたりにある島に向かった。そこで原住民は「サン・クリストバル号だけを置いていけ」とでも言うかのように、我々を分断した。
やむを得ず本船はかの船と分かれ、さらに北の北緯27の原住民の本拠地らしき島に向かった。
◇
翌朝、上陸が許されたのか、件のガレー船が近づいてきて乗り移るよう身振り手振りで指示をしてきた。乗員35名のうち、船長や私を含め20名が上陸し、ガスパル・リコ殿は留守を預かった。
島の南側はほとんど自然のままだったから、北の港が見えたときには我々は驚きを隠せなかった。港は信じられないほどよく整備されていたのだ。
いったいどこから集めたのか、入り江の入り口は一部が巨岩で蓋をされており、その奥にはいくつもの細長い家屋があった。家屋は我々が他の島々で見たのとは全く異なる見た目であった。
港にはパイク兵(!)と軽装歩兵が数十人、そして、三角の奇妙な被り物をして騎乗する戦士が待ち構えていた。
なんと奇妙なことか!これまで島民はほとんど裸同然で金属もほとんどなかったのに、彼らは甲冑を身にまとっているのだ。
やはりモーロ人の本国がどこかにあるのか、ことによるとすでにポルトガル人と長い付き合いがあるのかもしれない!私は一層、警戒心を強めた。
こちらを威圧する原住民は、しかし攻撃をしてくるそぶりはない。
「あなたがこの島々の知事か?」
我らがベルナルド船長は果敢にもとよく通る声で問いかけた。
例の騎士らしき者は、船長の問いかけに答えるかのように馬を降りて護衛の兵士を伴って前に出てきた。船長も心得たもので、ガラス玉などの献上品を持たせた者らを伴い前に進み出る。
「偉大なる酋長よ、我々は争いを求めているのではない、少しの水と食料を求めているだけなのだ。そして、代わりに我々はこの財宝をあなたに差し出そう。」
騎士は対話の意志があるのか、十分に船長たちに近づいているが、差し出された献上品は一瞥するだけで受け取ろうとしない。
しかし、口を開いて出てきたのは驚くべきことに我々の言葉だった!
「イスラス、ゴベルナド?」
騎士は他にも何か言っていたが、現地語で私にはわからなかった。ここに通訳のマルティン・デ・イスラレスがいないのが悔やまれた。
我々の言葉になじみがあるということは、やはりポルトガル人がすでに接触している可能性が高い。
「我々の言葉がわかるのか!?あなたはキリスト教徒か?」
船長は興奮して尋ね、騎士は船長を指さしながら「クリステ」と答えた。
「そうだ!我々はキリスト教徒だ!あなたもそうなのか!?」
船長は自分を指さして「キリスト教徒」と言い、相手を指さして「キリスト教徒」と言った。
騎士も同じ仕草をしたが、自分を指したときには「クリステ」と言いながら首を横に振った。
首を横に振る仕草が否定を意味するだろうことは私には直感的にわかった。
「そうか、あなたはまだ改宗していないのか。」
船長は落胆したようだが、この島の支配者が少なくともキリスト教を知っていて、我々に敵対的でないというだけでも、かなりの好条件だ。
それから騎士は我々の船を指さして現地語で何ごとかを言い、指を遠くに向けたり、地面を向けたりした。どちらに行きたいかと問うているのだろう。
「我々はしばらくここに滞在したい。水と食料を分けてもらいたい。それから、我々の同胞がここに再び立ち寄るのを認めて、次も友好的に接してほしい。」
船長は立て続けに言うが、それでは騎士には伝わらないだろう。
騎士は再び地面を指さして何か言った。滞在するかどうか確認したいのだろう。
「そうだ、我々はここにとどまりたい。」
船長も最低限の要求を伝えると、騎士は両手を集まっている我々の方に向け、それを分けるような仕草をし、そのあといくつかの家屋を指さした。我々は分かれて居住するのを認められた。
◇
我々は居住を認められたものの、扱いは軟禁だった。
騎士は狡猾で慎重であり、兵士を使って我々が武器を手放すよう脅し、しかも団結できないよう我々を港の各所にある建物にばらばらに押し込めた。
彼は銃が武器であることを見抜いており、これを隠そうとした船長を打擲しようとしたが、船長は渋々詫びを入れて銃を差し出し、事なきを得た。
病人や怪我人はひときわ離れた建物に押し込められ、若い船員は武装した兵士に連れられていった。
私は見ての通り髭が白いので老人と思われたのか、そうした者たちだけを集めて小ぢんまりした建物に入れられた。
中には私とともにかつてマゼラン提督の探検に同行したマエストレ・アンネスがいた。彼はドイツ人で少々気難しいが、卓越した掌砲長である。
しばらくすると、船長が件の騎士を伴ってやってきて、私とアンネスを連れだした。
船長は「どうもこの者たちはマラッカとつながりがあるらしいから、君たちの知識が役に立つかもしれない」と言った。
騎士は私とアンネスが武器を持っていないことを手下に確認させると、我々を自宅に招いた。
「カステラノ?」
船長とはすでにいろいろ話したようで、騎士は主に我々に尋ねる。
私は自分を指して「私はカスティーリャ人だ」と答えたが、アンネスは「アーヘンの生まれだ」と答えた。騎士は「アーヘン?」と問い返し、首をかしげる。
私は騎士がアーヘンのことを知っているのかと思って、我々の言葉で「アクイスグランだ」と補足するが、「アクイス?」と再び首をかしげる。
アンネスはよもや騎士が故郷の名前に反応を示すとは思っておらず、興奮した様子でドイツ語で何かをまくしたてた。最後の方に連呼したのは、おそらく近くの町の名前だろう。
すると騎士は得心がいったかのように「ドイチュ?」と尋ね、思わずアンネスは騎士の手を取って「そうだ、そうだ!」と泣き始めた。
騎士は見るからに狼狽していたが、気難しい掌砲長の肩を叩いて慰めるようであった。
その様子を船長は厳しい表情で見ていた。
私もその気持ちはよく分かった。なぜなら、この騎士は我々の母国やその周辺についてよく知っているということになるからだ。
私は大泣きするアンネスをよそに、船長に「ポルトガル人が入れ知恵しましたかね?」と問うと、彼は「おそらくそうだろう」とうなずいた。
そして、意を決したように船長は騎士に尋ねた。
「あなたはポルトガル人とすでに取引をしているのだろう。正直に言ってほしい。あなたは我々を拿捕してポルトガル人に売り渡すつもりがあるのか?」
「ポルトガル?カステラノ?」騎士は船長を指して問う。
「違う、私はさっきも言ったが、カスティーリャ人だ。我々はモルッカ諸島の支配権をポルトガルに脅かされているのだ。我々はこれを何とかして取り戻さなければならない。」
「マラッカ?」
「違う!マルッコスだ!」
「マルッコス?」
「そうだ。」
「マルッコス、カステラノ。マラッカ、ポルトガル。」
「そうだ!マルッコスは我々のものなのだ!」
船長がイライラしている。
これは危険だと思って私は落ち着くように促し助言する。
「この受け答えなら、彼は我々とポルトガル人の区別がついていないのではないでしょうか?」
すると船長はハッとして「そうかもしれん」と唸った。
しかし、騎士は我々が思うよりも聡かった。
彼は「スペイン、ポルトガル」と言いながら手をクロスさせたのだ。私は直感的に、その仕草が槍を交えること、つまり戦うことを意味すると悟った。
彼は船長のポルトガルに対する怒りから、我々の対立関係を知ってしまったのだ!
しかし、アンネスは異なる反応を見せた。
「スペイン?」
そうだ、確かに、この騎士は「スペイン」と言った。
これはイギリス人(イングランド人)が我が母国を指して使うある種の言葉に似ている。
もしや、この騎士の本国に接触しているのはイギリス人だとでもいうのか?
「あなたはイギリス人を知っているのか?」と私が尋ねる。
「エングレンダー、あるいはエンゲルセンだ」とアンネスが畳みかける。
騎士は泰然としたまま特段の返事をしなかったが、我々は顔を見合せた。
◇
その後のことは思い出したくもない。
私はこの騎士を支援しているのがイギリス人であろうがポルトガル人であろうが妥協できるのではないかと思っていたが、船長の考えは違ったようだ。
確かに、私がポルトガルの捕虜となって故郷に帰還したときには、イングランドは我が母国と戦争していたし、イングランド王とアラゴンの王妃様(カタリナ)との離婚が噂になっていた。
しかし、イギリス人がこのような場所まで船を送り込み、現地人がこのような金属の甲冑を整えるに至るというのは、あり得ないと私は思った。
むしろ、ポルトガル人の船に乗っていたイギリス人から言葉や知識を得たのではないか。甲冑はモーロ人が作ってポルトガル人が運び込んだのだろう。
そうであるならば、この島はポルトガル人の支配下にあるわけで、もしかしたら近くポルトガル船が立ち寄るかもしれない。
この隠された拠点は、一度も我々の船が立ち寄らなかったおかげで、あるいはポルトガル人が油断して我々に対する攻撃を指示していなかったおかげで、我々に対して十分に友好的である。
であれば、我々はいっそこの島々に入植して支配を確立してしまうべきであり、そのためには司祭や修道士を使って島民の改宗を進めていくのが一番だと私は思った。
アントニア島に残る仲間たちもここに呼び出せば、ここからヌエバ・エスパーニャに増援と入植者の追加を求めつつ、ポルトガル船に対抗できるだろう。
そのためにも、現地人とはさらに友誼を深めなければならない。
しかし、そうはならなかった。
いくつかの不幸な理由が重なった結果、我々は血を見ることとなった。
最初は船長がサン・クリストバル号のことを執拗に騎士に尋ねたことだった。
騎士はこれを非常に不快に思ったようで、船長はもはや面会ができなくなった。
代わりにアンネスが我々と騎士との間の連絡係になったが、アンネスは船長を代弁して「船隊をアントニア島に戻し、仲間を呼び寄せたい」としきりに騎士に訴えた。
しかし、騎士はこれを許さず、船長は非常に焦った。
それどころか、警戒した騎士は停泊するサン・フアン号の臨検を行おうとしたため、アンネスは激しくこれに抗議して牢に入れられた。
臨検は強行され、主席水先案内人ガスパル・リコ殿は武力を以て抵抗した。
当然、数において不利な残留組は大勢の現地人に対抗できず、銃を使用した。
これが騎士をたいそう怒らせたらしい。
現地人から2、3人の死者が出たのに対し、残留組はほとんどが惨殺された。
これは悲しいことにしばしばあることで、先にもアントニア島で起こったことであるが、それとは異なって大いに深刻なのは、船が制圧されてしまったことだった。
騎士は戦士としては立派な部類にあって、戦死した者たちを陸に運んで弔おうとし、彼らの宗教の僧侶と、適切にも我々が連れていた助祭(本船には残念ながら司祭は乗っていなかった)に聖書を朗読する機会まで与えたが、そうまでしておいて、騎士は取り返しのつかないことを仕出かした。
なんと、彼は遺体を燃やしたのだ!
遺体を焼くのは、終末のときが来ても天界の魂が戻るべき拠り所を失うということだから、おぞましきことである。
キリスト教に改宗していない者たちであるから仕方のないことかもしれないが、これは拘束されたまま葬儀を見守っていた船長の気持ちを逆なでするに十分だった。
そして怒りに支配された船長は、同房の船員と決起して滅ぼされた。
その葬儀にあって、私は「遺体を燃やしてはならない」と件の助祭とともに強く訴えた。
このとき、私は驚くべきことを知った。
騎士はキリスト教徒が火葬をしないのを知っていたのだ!しかも、彼の国でも土葬は普通であるというのに、疫病を心配して火葬を執り行ったというのだ!
確かに、このような大海の孤島では疫病は大敵だろう。
しかし、そうとわかっていれば船長も無意味な蜂起などしなかったのではないか。それが悔やまれてならない。
◇
私とアンネスは生き残った者たちの長老として遇されるようになった。
どうも騎士は我々の連れていたアウグスティノ会の助祭を好まないようで、意識して彼を島民や自身から遠ざけているのがわかった。
彼がキリスト教を知りながら改宗しないのは、まだ改宗の手ほどきを受けていないからではなく、拒否しているからなのだろう。これは極めて厄介なことである。
かくして我々はこの騎士のことを知るとともに、彼は我々のことも知るようになった。
私は「間浦日根介」なる名で呼ばれるようになり、アンネスは「阿辺野半之助」なる名で呼ばれるようになった。
騎士は「ゴカイト」や「テニャク」という名に、「サマ」という我々の殿を意味する語をつけて呼ぶのが正しいという。
やはり騎士は貴族的な有力者のようでススキ族の長だという。彼の配下にはクキなる船長の家の者や、マッダイリャなる代官の家の者、ジーモンなる僧侶、イクータなる司祭などがいる。
この騎士は恐ろしく器用であり、薬師や医師の真似事もでき、会計士のように計算に明るく、水先案内人のように航海術に通じていた。
彼の支配する島々はここより南にも広がっており、なんと我々が盗人諸島と呼ぶ島々も含まれる。その地に住む者たちは別の部族だが、彼らはこの騎士を魔術師として敬っているという。
我々が散々に心配してきたサン・クリストバル号は、拍子抜けなことに、我々と異なってほとんど放置されていたがために原住民と軋轢を抱えていなかった。
ドン・ゴカイトはようやく我々の申し入れを受け入れてこの船をアントニア島に送り返すことを承諾した。1543年11月半ばだったと思う。
その後、島に残った我々15名――主にサン・クリストバル号の船員で、サン・フアン号の船員は先の戦闘の記憶から多くが帰還を願い出た――はクリスマスを祝うことを許された。
そして驚くべきことに、原住民は我々とほぼ同じ時期に新年を祝った。
◇
春になると島に奇妙なガレー船がやってきた。
我々はアントニア島の仲間が現地人の手助けで船を強化したか、あるいはヌエバ・エスパーニャからの新型の増援かと喜んだが、船から降りてきたのは騎士の配下の者たちであった。
この騎士は、我々を北の島に閉じ込めている間に、なんと我々のサン・フアン号やサン・クリストバル号の作り方を学び取ってしまい、複製に成功していたのだ!
それを見て私はこの騎士が島々とは別に、きわめて強力な本国を持つのだと確信した。
私が覚えたばかりの現地語を使ってドン・ゴカイトを問い詰めると、彼は笑って「我々を彼の本国に連れて行こう」というようなことを言った。
船上で騎士は「久しぶりのミカワだ」と言った。それが彼の本国の名前だという。
彼の船では船員がしきりに太陽を気にしていた。もしかすると、信じられないことだが、我々と同等(!)の航海術を持つ水先案内人がいるのかもしれない。
ドン・ゴカイトは私の問いに対してまともに答えようとせず、我々をそうした機密の扱われる部屋には決して近づけなかった。
とはいえ、恐るべきことに、私は船に我々のものでない大砲があるのを確認した。
大きさは小さめで、おそらくファルコネッテ砲に相当するが、間違いなくこの騎士の本国が周囲の諸部族とは異なって高度な技術を持つことを示していた。
ここまでくれば、さすがの私でもわかった。
この騎士は東方の大帝国、中国の提督か何かなのだろう。ポルトガル人は中国とすでに接触しているから、彼がいろいろと知識を得ているのも納得だ。
しかし、これは我々にとって好機である。
ポルトガルの干渉を受けずに、中国と直接の取引を行うことができるかもしれないのだ。
このことをルイ・ロペス・デ・ビリャロボス提督に伝えられないのが口惜しい。
彼らが無事にヌエバ・エスパーニャに帰還できていることを祈るばかりだ。
◇
懐かしいこの日誌は、私の最後の日々に、私の手許に返ってきた。
読み返して、あの頃の私が日本を中国と思い込んでいたのも無理からぬことと思った。
そして私は最期に――きっとこれも主のお導きなのだろう――ビリャロボス提督の船隊に乗っていた司祭コスメ・デ・トーレスと再会することができた。
コスメ司祭は戻ってきたサン・クリストバル号と合流したが、ポルトガル人の捕虜となり、ゴアでフランシスコ(・デ・ハビエル)師に出会って、日本に宣教に来たのだという。
司祭は、提督が我々と別れてすぐにアンボン島で熱病にかかって天に昇られたと教えてくれた。また、若かりしグイド・デ・ラベザリスやそのほか100名以上の乗員たちは無事に帰国したとのことで、長年の心のつかえがとれたようだった。
主よ、どうか勇敢なる船乗りたちに魂の救済を!
安らかに神の御許に召される幸せをもたらした我が慈愛の君に主のお恵みあれ!
【メモ】アンネスとヒネスの所在については物語上の脚色が入っています。船隊は北米への帰還路を探し出せずにフィリピンに戻り、飢餓や現地人・ポルトガル人との対立で衰弱。ポルトガルによる捕囚後、ヒネス以下数十人は現地で生きることを選び、残りが本国に移送されました。ビリャロボス提督の船隊に乗っていた司祭コスメ・デ・トーレスがモルッカ諸島でザビエルと接触したという話もあるようです。




