第143話 1536年「宝船」
松平氏の現状に鑑みれば徳川家康はたぶんもう世に出ない。
織田信長は生まれたとしてもまだ赤子。その父・信秀は西尾張に押し込めた。
豊臣秀吉は生年が信長・秀吉・家康の順とするとまだ生まれていない。元の苗字が木下だとして、仮に木下何某を見つけても秀吉の父かどうかもわからない。
駿河今川家も甲斐武田家も斜陽。
堺には自身が幼い時分に見た夢では覚えのない幕府もどきもある。これが史実の三好長慶政権なのかもしれないが、三好家現当主・利長はまだ若者。彼が長じて長慶となるのか、子が長慶なのか。
こんな世の中でいったい誰が戦国の世に終焉をもたらすというのだ。
鈴木重勝はどちらかというと後ろ向きな考えから、とはいえ「ありうる可能性を排除してから」という彼らしい手順を踏んで、自身がその使命を負うべきであるとの信念を抱くようになった。
しかしそのためには、三河の領国を拡大する以外にもやるべきことはあるはずだ。領国の拡大は息子に任せて、自身は自身の得意で使命を果たすよう努めていくべきではないか。
◇
鷹見新城の大広間。
遠江の攻城戦に従事する者以外では手透きの部将のほとんどが集まっている。
大勢の武人を前に上座には鈴木重勝とその嫡男・重時の姿があった。
重時は父から話し出すものと思って静かにしているが、重勝はどこか気の抜けたような様子で諸将と息子を見ていた。
そしておもむろに口を開いた。
「1人目の甚三郎は足助鈴木の嫡流でもない木っ端者。吉田郷阿寺の2、3か村から始まった。」
大半の人々はこれから何が起こるのかを聞いているわけではないが、みなすでに察しており、息を呑むように主君の姿を見守っている。
「2人目の甚三郎はどうだ。初めから2、3か国。これは大変ぞ。よいのか?」
「……ああ。ああ!」
重時は喉がからからに乾いていて最初は声が出なかったが、柔らかい表情を浮かべる父を見ながら力いっぱい返事をした。いっぱいいっぱいなのか、口調は親子間の砕けたものになっている。
「俺は兄者の心を受け継いで、親父の治をもっと広めてみせる!考えてきたんだ!見てくれ!」
順天丸は側近で義兄の松平親乗から大判の紙を受け取って父に見せる。
「権道覇業!やり方はどうでも、最後にはよい世の中にする!親父はそうやってきたんだろう!」
権道覇業とは『太平記』に出てくる言葉である。書物を読まない重時であるが、兄の遺言を受けていくらか読書に励んだらしい。
すると、重勝は「クククッ」と楽しげに小さく笑って言った。
「たわけ!それはいかんやつだ!最初から道に外れるのを目指してどうする!」
口では叱る重勝だが、長男の辞世にあった「大道」に至るすべを次男坊が自分なりに考えたことは、何よりも喜ばしいことと思っている。しかし、まだまだだ。
「善人は善行を積み続けねば善人とはみなされぬ。」
重勝はここに至って初めて重時を未来を語り合うに足る相手とみなし、今まで誰にも語らずに内心で抱えてきたものを吐露し始めた。
「他方、一度でも悪行をなせば、そは悪人たりうる。善道は息苦しく利もなく、世は正直者が馬鹿を見るものである。であればこそ、王者は易きに誘われいつでも覇者となりうる。
さらに『覇業は已に煙燼に随いて滅ぶ』という。覇者は容易く道に迷い亡者たりうるのである。おぬしこそは父に似ず、仁義の王となるべし。君主たる者、まずもって王者たるを心がけねばならぬ。」
王者は徳で人を感化し、覇者は武を以て率いる。
しかし、後者はその徳が人々を従えるに足りないから武に頼るのであり、それを最初から本義としてしまっては、今度は何の拍子にか徳の代替のはずの武を振るうこと自体が主となりえて、あとは堕落の一途である。
重勝はそれを曾鞏の『古文真宝』所収の「虞美人草」を引いて述べた。「虞美人草」は漢を建国した劉邦と争って滅んだ項羽の衰亡を詠んだ漢詩である。
文を疎かにし武に偏重して滅んだ項羽にようにはなってくれるな、ついついあくどい手を取ってしまった己のようにもなってくれるな、というのである。
「仮に覇者の道に落ちるといえど、己が王者の道を逸れたと常に覚悟せねばならぬ。」
「親父殿の弁はわからぬ。それは結局、覇道を進むのと変わらぬ。気の持ちようにすぎぬではないか。」
「そうさな、それがしは、結局は覇道を歩むといえども、途中で余計な事ばかり考えるで、こうしていま早々とおぬしに座を譲ることとなった。それでよいのかと思うであろうよ。しかし、それがしは信じておる。その『気の持ちよう』のところで料簡のあるなしは大きいとな。」
重勝は重時の言葉を引き合いに出して続ける。
「おぬしは『最後によい世の中に』と言うたが、『よい世の中』とは何なのだ。」
重時が答えられないでいると、父は一段と優しい声音で呼びかける。
「それがしも徳云々はわかったようでわからぬと思う。なれど……。
政をなすにおいて、これは徳にかなうかかなわぬかとよく料簡すること。
武を用いて天下を平らぐるはこの乱世では仕方のないこととはいえ、そはあくまで手段にして、その先に何を見るのか。王者の道の先にあるものを、覇者の道から伺うこと。こういうことかと思う。
勝太郎の言うた『大道』、あるいはそれこそ『よい世の中』なるものは、この王者の道の先。それがしが思うのは……いや、これはおぬしが己で考え――」
「そこまで言うたなら最後まで言ってくれ!」
いい感じで締めようと思っていた重勝は「えぇ?」と思わず零したが、ここで突っかかってくるのも次男坊らしくて愛らしい。
「うむ、よかろう!それがしが思うに、これすなわち『天下為公』なり。天下を私するを打ち払いて、天下を公のことわりのもとで動くように整うることだ。」
重勝は『礼記』を引いて答え、さらに禅問答の『無門関』の一節を手前勝手に解釈して続ける。
「とはいえ、大道無門。門は何人にも閉ざされぬとはいえ、この大道にたどり着くは容易くあるまい。なにせ大道には、入口を示すようなわかりやすき門はないというのだから。
父と兄は細い関道で往生しておった。そんなそれがしが言うものが是とは限らぬ。やはり、大道に至る小路はおぬしが自ら見つけねばならぬのであろう。とはいえ――」
重勝は息子の方ばかりを見ていた顔を広間の向こうへと向ける。
ほとんどの武将は初めて主君の信念を聞いている。彼の心の内で何度も叩いて鍛えられた将来や天下に対する強い思いは、彼らを教化するのに十分だった。
「おぬしにはこれだけの者が手助けしてくれるのだ!」
そう言うや、重勝は板間の一段高いところに仁王立ちして人々を見渡す。
己を見つめる八百の瞳には確かに希望が宿っている。
それを見て取った重勝はむんずと己の髻をつかみ、懐の短刀で切り落とした。
そして、バサバサと頭を振って宣言する。
「今はここまで!彼岸此岸のすべての者らに、これを以ていったんの容赦を願う!」
最後の最後で呆気にとられる人々を残し、重勝はその場を後にした。
その後には、熊野からやってきていた鳥居伊賀守忠吉と鷹見修理亮が付き従った。
◇
天文5 (1536)年。
三河の大大名・鈴木重勝が隠居した。すると、次のような噂が立った。
彼は隠居に際して髷を落としたが、これは遠江での乱暴狼藉を詫びるため。とはいえ、その非道は今川家に長男の命を奪われた怒りによるもの。それを九英承菊禅師の末期の説法が改心させたのだ。
実際の出来事の順序からすればあり得ない話である。しかし、世の民にとってはわかりやすい話であり、そもそも細かいことは知らないから誰も疑問に思わない。
しかも、跡を襲った鈴木重時は若いが父と亡き兄の仁徳を引き継いだ好人物にして、「父の隠居を以て手打ちとしよう」と掛川の将兵に呼び掛けているという話である。
「あの法螺吹きめはやってくれたな!かくなっても意地を張っておっては、それがしは単なる頑固・愚昧にして、たちまち人心を失うだろうよ!」
掛川の瀬名陸奥守氏貞はそう叫んであたりの物を破壊して回る。
そして、あらん限りの大声で、それこそ喉奥から血潮が飛び出すかのような激烈な叫び声でわめき散らす。
「だからッ!だから言うたのだ!あれを早くに押し込めねば、こうなるとッ!!!」
そして瀬名はそのまま崩れ落ちて慟哭した。
やがて涙も枯れると、怯える息子に太刀を持たせ、その介錯で自刃した。
鈴木家に服従した者を除き、朝比奈泰能以下の少なくない将兵は駿河に去った。
遠江国はそのすべてが三河鈴木家のものとなった。
すべては一国人の東三河への移住から始まった。
多くの出会いと別れを経て、様々な苦しみに耐え、辿り着いた東海の雄の地位。
三河から外へ外へと出て東尾張・東美濃・遠江。
海を越えて紀伊国熊野に和泉国堺、そして伊豆諸島。
石高は土地だけでも70万石を超え、水運の利も含めれば東国一、二の大大名。
道半ばで当主の座を退いたとはいえ、もはや鈴木重勝はこのまま歴史に埋没していられるような存在ではなくなった。
外れた道行、その彼方にあるものは――
◇
船べりから三河の岸辺を見やりながら、鈴木重勝と松平久の夫婦は話している。
側室の奥平もとと娘・松子は三河に残り、松子が成長するか隠居先が安定したら合流する予定だ。
「お前様は結局、出家はなさらないのですね。」
「ああ、出家はちとな。」
重勝が髷を落としても出家しないのは、出家すると妻帯できないと僧侶に聞いたからだ。無論そんなことを気にしない者も多いが、気にするのがこの男である。
妻の視線は夫の頭髪に向いている。
「頭が気になるか?」
「いえ?」
「これから向かう八丈島はだいぶ南にあるで、さぞや暑かろう。髷では蒸れて鬱陶しいで、これでよいのだ。ほれ、よく風が通るわ。」
海風に吹き荒らされてボサボサの髪で笑う重勝。
目的地を八丈島とするまでには、なかなか準備が大変であった。
島はしばしば罪人が送られる。世俗の罪を悔いたという形で引退したにしろ、隠居所をそのような島にするのはいかがなものかと主君を敬愛する者たちが文句を言ってきたのだ。
重勝が「片手間では難しくなってきた遠洋航海の支度を整えるのだ」と説得してようやく理解を得るに至ったが、今度は「自分も隠居して随行する」と希望する者が後を絶たない。
しかし、これは腹心の鳥居忠吉と鷹見修理亮、そして「隠居する、する」と言いながら諸人に引き留められて未だ現役の熊谷実長が、そろって引退しないという姿を見せたことで、家中の隠居熱は次第に静まっていった。
こうした説得と東遠江攻めの裏で、重勝は島への移住の手筈を整えてきた。
島行きをただの隠居でなく海事に専念するための方便とするなら、当然、仕事をするために必要な少なくない人員を連れていくことになる。
そうなると、ただでさえ水不足や野分、疫病で飢饉になりがちな島暮らし、第一に食料生産の安定に気を配らねばならなかった。
北条氏から奪った伊豆諸島のうち三河に一番近い神津島。ここは川・池・湧水があり、南海行きの主拠点とされた。次は淡水のある御蔵島を避難港として整備。そしてようやくの八丈島だ。
火山由来の島々では農業は困難だが、渇水対策でため池を作って農業用水を確保し、畑作を前提に滞在人員を賄える農地を維持する。
これが半年ほどで成し遂げられたのは、まずは100人かそこらの移住者を養うのでよいという程度問題もあるが、ひとえに重勝の官吏としての適性ゆえだった。
「あら?あそこのお舟も帆を張っておりますよ。ほら、あそこも。」
「うん?おかしいな。」
久が言うように、重勝の乗船を追いかけるかのように中小の船が出港している。
その帆には大きく「宝」とか「御万歳」などと書かれている。
岸辺にはわらわらと人が集まってきて、「武運長久」「極楽安養」「大大大吉」「満作御礼」などと書かれた、つたない筆によるものから立派な装いのものまで様々の旗を掲げて手を振っている。
どこから持ってきたのか風流笠(傘鉾)もちらほらと見え、それを上下する者に続いて人々はどうやら踊り始めたようだ。
人々はどんどん増え続ける。
甲高い鉦の音とどこか調子の外れた鼓の音も聞こえてきて、声聞師あたりが正月も過ぎたというのに万歳祝言の芸を披露しているのかもしれない。
何を言っているかわからないながら、人々の温かい歓声が重勝夫妻の耳に届く。
「お前様。」
久が涙声で呼びかける。
「ああ。」
「これが……、これがお前様のなしたことですよ。」
「ああ、あぁ……。」
はたしていつ振りに流れたか。
重勝の頬を伝う大粒の涙は風に乗って空へと昇っていった。
◇◆◇
『戦国の鈴木さん』第1部・完
2024年2月8日 capellini
――第2部予告――
領国を次子に委ね、隆昌殷賑の三河を去って南海新天地へ旅立った鈴木重勝。
東海の覇者たる彼の瞳に映るのは、もはや四海の内の波飛沫ばかりにあらず。
乱世の終焉。これを望んだその先に、いかなる未来を描くというのか。




