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戦国の鈴木さん  作者: capellini
第10章 獲麟編「愚者と憤怒と悔恨」
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第138話 1535年「首ひとつ」◆

 相模国北条氏、甲斐国郡内小山田氏、駿河国駿東郡葛山氏。

 小山田氏は北条氏と同盟関係にあり、葛山氏は北条氏現当主・氏綱の弟が入って跡を継いでいるから、これらは現状すべて北条陣営と言ってよい。

 それに囲まれる深沢の城には、10年前に三河を追放された松平宗家がいる。

 現当主は鈴木重勝に暗殺された松平信定の嫡男・次郎三郎孝定で、まだ少年の年頃である。

 三河での激闘で多くの将が落命し、生き残った者も10年のうちに代替わりが進んだ。先の大戦を終結に導いた宿老・本多助豊も世を去り、その子・平八郎忠豊が家中を牽引していた。

 その本多は、繰り返し言っていないと自らも忘れてしまうかのように、ことあるごとに「三河帰還」を口にしていて、ほかの者たちはそのたびに身内や地財を失ったことを思い出させられていた。

 言うなれば、駿河松平家中は10年前から時が止まっていた。


「右近将監はまだ戻らぬか。」

「武田によい扱いを受けておればよいのですが。」


 今川館に年始の挨拶に送った石川右近将監忠成の安否を気にして、松平孝定は本多に話しかける。

 石川と同道した家老・渡辺氏綱が討ち死にしたことは深沢の地にもすでに伝わっていたが、石川は武田無人斎(信虎)と一緒に甲斐に移ったきり消息不明。

 両名は本多に並ぶ有力な将であり、2人がいないというのは目下の危機にあって痛手だった。


「鈴木の嫡男を討ち取ったとか。右近将監が戻ればこれを大いに褒めてやらねば。」

「右近将監殿はどこまで深くかかわっておったのやら。それがしは承知しておりませぬが。」


 讐敵に痛打を与えたと喜ぶ幼当主に対し、本多は内心で訝しんで言った。

 先の騒動は本多の知らないところで仕組まれていた。それがこの幼君の意志によるのかどうか、彼は慎重に見定めている。


「(本多)平八郎殿も武田や福島と結ぶことには前向きであられたでしょう。その行き着く先がよもやかようなことになろうとは、誰も思いますまい。」


 口を挟むのは竹谷松平氏の玄蕃允孝善。その父で今は亡き親善は、孝定の祖父・広忠に従って熊谷氏の宇利城を攻めた部将である。

 石川と渡辺が消えた今や、允孝善は本多に次ぐ地位と言える。

 しかし、本多には孝善の立場はいまいちよくわからない。

 他の武将が深沢を仮寓の地とみなして地方(民政)に熱心でない中、孝善はまじめに仕事をこなしていて、目立つのは仲の良い長沢松平氏・平右衛門信重を幕府に仕えさせようと主張したことだけだ。

 いま、その松平信重は、永正頃まで幕府に仕えた松平親長の後任として、政所執事・伊勢氏の被官のような立場にあるという。

 幕臣の立場を確かめることで三河の本貫地を追われ今川の手下となった屈辱をごまかそうというのか、あるいは単に情勢柄、室町との縁を重視したのか。


「だからと言うて、誰がいかなる目論見で何をなしたるかわかり申さぬでは、身の振り方を考えるにも手掛かりがない。当家は北条方に囲まれておるほどに、これと歩みをともにするほかなかろうも。」

「されど、それでは三河は遠のくでしょう。北条が三河に入ったのは宗瑞殿の頃のことにござれば、豆相(伊豆相模)を領国とする今や、もはや次はないでしょう。平八郎殿ですぞ、平生『三河三河』と口に出しておられたのは。」


 孝善は本多のことをよく見ていた。

 しかし、こうして本多を批判するようなことを言うのは今が初めてだった。

 真面目で大人しい人物と思っていた孝善がそんな風に言ってくるとは本多は思っておらず、少々面食らって言葉もない。

 とはいえ実際、本多の振る舞いは、口では何と言っても、深沢で地歩を固めることに資する動きが多かった。

 これまで本多は立地からして北条家と仲を深めるのを良しとしていた。

 北条との橋渡しの地位を以て今川家中における自家の力を強め、三河攻めやその後の復領において重く扱われようとしたのだ。

 これに対し、家中には今川にも隔意を持つ者たちが少なくない。

 そもそも松平と今川は西三河で何度もやり合った間柄。鈴木と今川の仲がこじれたのは大永末期で、逆に言えば松平との対決時は鈴木はまだ今川の手先であり、彼らはその対決の背後に今川の影を見ていた。

 親善はどちらも道理と見た。

 しかし、消えた石川や渡辺は本多や親善とは思いを異にしており、どちらかと言えば幼き主君の支持を得ていたのは石川らの方だった。


「左様、北条では不足よ。駿府は軟弱な坊主の差配するほどに、すっかり腑抜けて遠江もあのざまよ。父上の無念を晴らすには、我らで甲斐今川を導かねば。当主不在の駿府に五郎殿(玄広恵探/今川氏春)が入りて後には、当家もおのずと重んじられよう。」


 父は鈴木と一向宗に殺されたと思っている孝定は大の坊主嫌い。宗門は違えど九英承菊のことを毛嫌いしており、ゆえにこそ今川館に参府するのを何かにつけて避けていた。


「それで、玄蕃(松平孝善)。室町から何かないか。」

「ございませぬ。やはり、道中がこうも混乱しておっては文も容易に運べぬでしょうから。」

「武田からもまだ?」

「甲斐には三浦やら由良やら駿府の手の者らが粘っておりまするで。」


 当初こそ奇襲的に駿河東部に進出した甲斐今川氏(福島氏)と武田氏は、速戦により駿河国富士郡で井出神左衛門らと富士大宮司家を滅ぼしてここに空白地帯を作った。

 しかし、甲斐国内に親今川の将兵を放置してきており、疾風迅雷で駿府に攻め入る算段が九英承菊の捨て身の献身で潰えると、国内の掌握が急務となっていた。

 甲府盆地東部には三浦元辰、三浦平五、由比助四郎らが粘っていた。

 甲斐今川氏の目付である彼らは、甘利虎泰ら一部の甲斐国人を優遇して与党を持っており、対今川戦で当主を喪って幼い後継者しかいない秋山家や、武田無人斎(信虎)に父を殺された工藤昌祐・昌豊兄弟らの助力を得ていた。

 一方の今川氏春(玄広恵探)と武田無人斎の陣営には、福島党の斉藤四郎衛門のほか、飯富虎昌・昌景兄弟、その被官・三枝虎吉、今井信元、室住虎光、小畠虎盛らが与している。

 また、西北部の北巨摩には――山本菅助と今川氏春の密約で()()()()()手を出さないはずだったが――親鈴木の諏訪氏が入り込み、在地の教来石景政らの服従を取り付けている。

 ここに親駿府の北条、親武田の関東上杉氏らの動向もかかわってくる。

 事情をよく知らぬ本多の目には、自家は「動かない」ほかに選べる手がないように思えた。


「まあ、おかげで小山田も当家を気にしておる暇もなく、三浦どもを助けて手一杯。良し悪しですな。」

「よくはないぞ!」


 急に激昂する孝定を孝善は「これはこれは」と慇懃に宥めている。

 それを見ながら本多は思う。

 今川館の変事には殿の意向を受けた石川と渡辺がかかわったのだろうが、殿は詳しいことは知らず、松平の家自体も蚊帳の外。その後もなんの報せもない。

 未来はわからぬとはいえ、福島(甲斐今川)と武田も一枚岩ではなかろう。甲斐を望む武田が福島の駿府入りまで面倒を見るかどうか。武田が再び一国を得れば、駿府との手打ちを望むであろう。

 なるほど、かくなっては石川の首が役に立つというわけか。手許に留め置いた石川、ひいては何も知らぬ当家に先の陰謀の責をすべて押し付けてしまうことができよう。


「当家は方便扱いということか……。」


 主君と孝善の無意味なやり取りを漠然と視界に収めながら、本多は自家が都合よく切り捨てられる可能性を正しく推察するや虚無感を覚えた。

 しかし同時に、湧き上がるやり場のない怒りは大国の都合に屈してなるものかという反骨心をもたらした。三河帰還、その言葉に本多自身の本心がようやく追いついた。


 ◇


「まことにお受け取りにならない、と?」

「みなまで言わねばわからぬか?」

「いえ……。されども、まことに――」

「さすがにくどいぞ。」


 今川家の使者は書状を懐にしまい、黙したまま辞した。精一杯の不満の表明だろう。


「思い切ったことをなさいましたな。」


 鷹見修理亮が鈴木重勝に声をかけてきた。


「そうであろうか。かの書状はそれがしを宛名とするが、送ってきたのは三浦上野介という。これは今川の宿老だったかと思う。」

「でありまするな。」

「いま、今川は遠江の東半と駿河の西半を有するのみであるな。」

「甲斐を失ったと見ますれば、ただいまにあっては。」

「これはおおよそ一国大名と同じ。それがしは控えめに見ても一国大名であろう。」

「一国数郡でありますれば、二国と見てもよいでしょうか。」

「ならば、おかしかろう。」

「まあ、そうではありまするが。」


 鷹見は苦笑する。

 主君は、目下の力関係で、今川重臣・三浦何某の書状を受け取るのは「礼が薄い」と使者を追い返したのだ。彼としては自身でなく側近の鷹見などに宛てた披露状の形をとるべきと思ったのだろう。


「根に持っておられまするな?」

「なにをか?」

「尼御台様(寿桂尼)との文をくだんの僧侶に邪魔だてされたことを、にござる。」

「……。」


 かつて、重勝は寿桂尼と直接に文通をしていた。

 しかし九英承菊は、彼女に重勝が余計なことを吹き込む可能性を危惧し、なおかつ家中の反鈴木派の溜飲を下げる目的もあって、彼女との直接の手紙を「礼にかなっていない」として差し止めた。

 鷹見は、重勝がそれを恨んでいると指摘したのだ。


「しかし、西遠江は落ちたな。堀越殿にはしばらく辛抱を強いるが、堀江城はよく粘っておるから無理攻めして万一があってもいかぬし、飢え殺しがよかろう。」

「いかにも、万一があってもいけませぬからな。」


 露骨な話題そらしであるが、鷹見からすれば、この話も重勝の内心が透けて見えるものだった。

 というのも、この堀江城攻めには嫡男たる次男・鈴木甚三郎重時が初陣で参加しているのだ。

 重勝は息子を送り込むまでは奥平勢に普通に城攻めをさせていたが、息子が着陣するや、兵糧攻めに切り替えさせていた。

 今川本家が行動不能のいま、急いで攻める必要がなくなったため、ここで万一兵を損ねて反撃の隙を与えてしまわないように、という措置なのだが、鷹見は重勝が息子の身を案ずる気持ちを表向きの理由で飾っただけだと見抜いていた。


「引馬は二転三転であるな。」

「吉良、今川ときて、当家に移って参りましたな。」

「あまり信は置けぬか。あるいは機を見るに敏というべきか。」

「飯尾殿には浜松荘を任せ、他国から遠ざけておけば差支えないでしょう。」

「うむ……。」


 西遠江の獲得を重勝が確信したのは、この飯尾氏の転向が大きかった。引馬城が味方ならば、それより内側では自軍の行動がかなり自由になるからだ。

 この飯尾氏、元は吉良氏の被官で、永正年間に引馬を獲得した今川氏親に鞍替えして浜松を保った。それがここにきて、一戦も交えずに寝返ったわけである。

 とはいえ、これには調略の妙があったのも確か。

 尾張情勢の変化で、有効な伝手ができたのだ。鈴木家の勢力下に入る形で織田家から犬山城を乗っ取って自立した佐々成宗の縁である。

 彼の舅は堀場与四郎宗氏というが、その弟が飯尾配下の森川日向守定兼という武将だった。森川は飯尾氏の陣代として三河国二川砦の攻略に参加したが、そこで痛い目を見て攻勢に否定的になっていた。

 だからこそ鈴木家は彼の積極的な協力のもと、飯尾氏には浜松荘の安堵、この地に逃げ込んでいた秋葉天野氏には十分な禄を出して召し抱えると伝え、懐柔できたのである。


 ◇


 それから数日。

 鷹見新城の鈴木重勝に、遠州の仕置きを行っている設楽三郎清広からの急使が、駆け付け早々大声で用件を伝えた。


「殿!今川家の九英承菊禅師が遠州二俣のあたりまでいらしておりまする!」

「なにっ!?」

「禅師は容体が大変に悪く、(設楽)三郎殿は『殿におでまし願って、吉村郷(気賀)あたりで会談を支度することかないませぬか』とのことにございまする!」

「まったく迷惑な坊主だ!」


 口では悪態をつきながらも、重勝はこの僧侶が死去した嫡男とともに服毒したのを知っていたから、急ぎ出立する。使者を出迎えに来てほしいなどとは、本当に一刻を争うのだろう。

 結局、承菊禅師は二俣城から動くことはできず、かの城で面談が持たれることとなった。この城の主郭陣屋は鈴木家が爆破したままであるから、会うのは他の建屋である。


「来たぞ!」


 何もかもが急ごしらえの中で重勝が建屋に入ると、老人のように見える袈裟姿の人物が、顔面を板間に押し付けて平伏するような格好で、前に出した骨と皮の両手に書状を載せて絶命していた。

 重勝は姿こそ変われど眼前の人物が九英承菊だとすぐにわかったが、よもやもう死んでいるとは思わない。


「おい!来たぞ!おい!」


 部屋に入っても何の反応もないことに訝しんで、何度か声をかけるが反応はない。

 重勝の大声に驚いて、禅師をここまで運んできた今川家の者たちは、鈴木方の護衛の制止を振り切って彼のそばに駆け寄る。

 そして、この賢僧が息絶えているのを確認すると、ある者は慟哭し、ある者は彼の最期の務めを引き継いで、書状を重勝に献上した。

 なんとも表現しかねる渋い顔で重勝はこれを受け取り、その場で立ったまま読み始める。


「勝太郎のことは己の不徳。怒りを鎮めて天竜川を境に停戦せよ。新当主を京から迎えた後に当家の威信を敬う、か。」


 現状のまま停戦し、新たな当主を立てて今川家は東遠江・駿河を保って従属する、というのがこの僧侶が最後に持ってきた和睦の条件であるようだ。


「クククッ。」


 何が面白いのか。さっきまで泣いていた今川方の中間小者らも重勝の反応を息をのんで見守る中、一切の音のしない室内で、重勝は含み笑いを漏らした。


「己の不徳とのたまうか、この和尚は。いまもこうして己が身を投げうって和睦を願い出てきよった。なるほど、『己が動けば』ということなのであろうな。クククッ、いやあ、傑物であるな。」


 人々が怪訝な顔をする中で、重勝は久方ぶりに心に熱い火がともるのを感じた。

 それはたちまち大きくなっていき、炎となって彼の身の内を焼いた。


「どうぞこれで怒りを鎮めてくれ、か!フハハハハハハッ!己が首ひとつにどこまでの値を認めておるというのか、この坊主は!ここしばらく、かくも笑わされたことはない!」


 重勝は笑い続ける。

 彼の身の内に渦巻くのは怒りなのか。

 そうだとて、それはこの哀れな僧侶に向けられたものなのか。

 人々は絶句して身じろぎひとつしない。

 しかし唯一、禅師に心酔する若武者が手打ち覚悟で行李を披露する。


「あ、あの!こちら、禅師が刑部少輔様に、と。ご嫡男様のお持ち物と伺っておりまする。」


 重勝はそれを聞くとスッと無表情になって籠のふたを開けた。一目で勝太郎の筆による書き物があるのがわかって、重勝は全身にまとっていた殺気を霧散させ、若侍に名を聞いた。


「おぬし、名は?」

「神尾長五郎と申しまする。」

「長五郎、おぬしはその行李をそれがしの手の者に渡し、この不遜なる和尚殿をしばし守っておれ。」


 言うが早いか重勝は建屋を後にし、残された人々が呆気にとられてそのまま待っていると、少しして座棺を配下に持たせて戻ってきた。近くの寺から取ってきたのだろう。


「少々造りは荒いが、ひとまずこれでよかろう。和尚殿の身柄は三河が預かった。伝え聞くその献身に比して、この憐れな末期。瀬名殿には『うぬにはもったいない』とでも伝えるがよい。さて、帰るぞ。長五郎は供せよ。」


 九英承菊の亡骸とともに三河に帰る重勝は、終始無言であった。

 今川家に全身全霊を捧げた賢僧は、最期の最期、まさにその死に姿を使ってまでも、お家のために誠意を見せた。しかし、この僧侶がこうまでしても、今川の家が安泰である保証はない。

 家のため領国のため命を削って励み、定めなき俗世を駆け抜け、後に残ったのは枯れ木のような抜け殻のみ。重勝は己の至る道の一つの終点を見たようで、虚しさとも怒りとも言い難い強い苦しみに心を締め付けられていた。


 ◇


 大沢氏が籠っていた堀江城は、やがて兵糧攻めに耐えかねて開城した。

 当初、重勝は、いくら承菊禅師が命を懸けて停戦を持ち掛けたといっても、それで西遠江が鈴木領となるなら、どのみち反抗する城主は誅滅するべきだとして兵糧攻めを続けさせていた。

 実際、鈴木家を頼りに蜂起した堀越氏を助けるまでは、矛を収めるわけにもいかない。

 とはいえ、これは体裁の話であったようで、しばらくすると、わざわざ「初陣を立派に遂げた嫡男・甚三郎重時の進言を容れて」という前置きで、大沢氏の臣従を受け入れた。

 ただし、籠城方の小野和泉守が臣従を拒む者を代表して駿河への移送を求めると、予想に反して交渉なしに処刑された。それを見て世を儚んだ父・兵庫助も後を追った。

 さらに重勝は停戦条件として、堀越氏の鈴木家に対する従属の許可と所領安堵、そして、これに味方した板垣氏と長坂氏の身柄を求め、自家が捕虜とする今川方将兵の返還に3000貫文を要求した。

 それでいて承菊禅師の葬儀は盛大に執り行われ、嫡男・重時が喪主として祭文を読み上げた。

 こうした措置はあたかも父と子の姿勢の差を鮮明にするかのようだった。


 そのような対応を前にして、掛川と駿府の今川重臣たちは、はたして鈴木家が本当に停戦をする気があるのか、判断に悩んだ。

 とはいえ、判断に困っているのはむしろ鈴木家の方だった。今川家に対する信頼などもう全くない。そんな相手が停戦を言い出したのだから、こうして相手を試すのは必然なのだ。

 かくして、九英承菊の遺言ともいえる停戦案は、「相手がそれを受け入れるのか」を鈴木・今川の両家が互いに信じられないせいで、放置された。

【メモ】飯尾氏配下・森川何某は第115話に登場しました。

【史実】本作で寝返った奥山・松井・天野・堀越・井伊・飯尾らは1560年代の徳川家康の遠江侵攻時にも反今川で蜂起したり家中が分裂したりしました。

 九英承菊は本作では太原崇孚と名乗ることはありませんでした。また、本作では吉良持清ないし松平清康の「清」をとった命名が成立せず、史実の松平清定・清善が孝定・孝善となっています。

 鈴木重勝を継いだ鈴木重時の実名は史実通りですが、生年・仮名はそうではなく、また本来は30年以上未来に徳川家康が遠江に攻め込む際に堀江城攻めで戦死します。神尾長五郎は息子の嫁が徳川家康側室の才女・阿茶局です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公もいい年だから今川滅ぼした後はどうなることやら。
[良い点] いやはや見事なグチャグチャですなあ。スポーツなら一位二位接戦、3456混戦、プレーオフでどうなるか。しかも負けたら首が物理的に離れるし。鈴木さん地は海と交易マネーあるけど維持費に外交にてん…
[良い点] 西遠江は制覇しましたか。このまま東遠江、駿河と行きたいところですが、今川の本貫地の駿河となれば抵抗も激しそうですし、武田、北条も介入必須となればここで一度停戦して尾張に再進出するのも良さそ…
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