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戦国の鈴木さん  作者: capellini
第10章 獲麟編「愚者と憤怒と悔恨」
145/173

第133話 1535年「立烏帽子」

 天文4 (1535)年。

 新年を迎えた駿府今川館には、多くの人々が参府していた。

 先ほどまで諸将は驚くべき知らせを聞くや大いにざわめいていたが、今や神妙な面持ちで眼前の儀式を見守る。


 神主の装束をした久野三郎左衛門が、丸の内に二つ引きが大きく染め抜かれた大紋を着る今川彦五郎のよく伸びた髪を小刀で整えた。

 彦五郎の身を包む緋色の鮮やかさは、来たるべき彼の初陣と、それに向けた今川重臣団の闘志を諸将に訴えかけるかのようである。

 久野から(たこうな)刀を受け取った三浦上野介は櫛(きん)で拭って片づけ、落ちた髪をいくらか集めて真っ白な紙に載せて久野に渡す。

 久野が浅間社の社人である奈古屋榊大夫らにこれを差し出すと、社人らは柳筥(やないばこ)を下から突き出して受け取った。


 その様子を見やる諸将の中には朝比奈丹波守俊永がいた。鈴木重勝の先妻・つねの父である。

 彼は凛とした居住まいで新たな主君の晴れ姿を遥拝しつつ、頭ではあれこれ考えを巡らせていた。

 若武者の髪は浅間社に運ばれて祈祷されるが、これを執り行う社人の中でも榊大夫が目立つ風なのは理由があった。

 榊大夫は富士詣の先達を統括するが、九英承菊は鈴木家の影響を受ける熊野山伏に対抗しようと富士先達を強力に保護するようになっており、両者の関係はことさら密になっていたのだ。

 かの禅師の手配りは細やかでおよそ常に不備はないが、そうはいっても万全ではない。

 榊大夫の伸長を快く思わぬ村岡大夫などは寿桂尼を慕っていたが、彼女はしばらく京から帰ってきていない。このようなわだかまりは、そこかしこに見え隠れしている。


 かつて重臣団の一員として今川家のために粉骨砕身だった朝比奈であるが、婿と主家の狭間で揉まれて心身をすり減らすうちに、主家を見る目は内からでなく外からのものとなりつつあった。

 今川館の権勢を増すべく尽力する禅師と瀬名陸奥守は互いを信頼していたが、駿府から一歩外に出れば古くからの血縁・地縁に囚われた者たちがいて、ものの見方の違いや主家との一体感の有無の差が立ちはだかった。

 だからこそ「大事は駿府で決める」のが肝だった。しかし、上洛後の上方事情、対三河戦、そしてこたびの家督相続のように、すべて秘してしまってよかったのか。

 三河に引き留められている各和や庵原の人質については、両者が今川本家に親しく特に庵原は禅師の実家であるから、理知の僧侶は「身内びいきはせぬ」として彼らを捨て置いている。

 しかし、その思いははたして諸将に正しく伝わっているのかどうか。寿桂尼が駿府にいれば、広く人々の声を拾い上げ取り成してくれたものを。


 黙して思案にふける朝比奈の目の前で、儀式は粛々と進んでいく。

 一宮出羽守宗是が差し出す泔坏(ゆするつき)から久野はさねかずらの汁をとって(もとどり)を整え終え、これを縛った。

 満を持して進み出た幕府の使者である進士国秀は、京で仕立てられた立派な立烏帽子を正使・斎藤基聡に恭しく委ねる。

 斎藤は諸将を見渡すと、一拍おいて一段と清涼になった空気を厳かに震わせて言った。


「かのはかなくなりし仁君(今川氏輝/義輝)のお跡目を彦五郎殿が継ぐこと、公方様(足利義晴)は大いに頼もしく思召されておりまする。

 そしてまた民部大輔様の徳は室町のみならず洛中洛外に広く知られ、人々はその慈悲に触れて大いに心を安んじ申した。これをもって主上は民部大輔様に正四位を追贈し、彦五郎殿を治部大輔に任ずるとお決め遊ばした。」


 諸将は思わず野太い感嘆の声を上げたが、斎藤はさもありなんと泰然として受け止め、やがて再び静かになると言葉を続けた。


「さても、ここからが本題にございまする。

 先の民部様に寄せたる公方様の信は格別に深く大きく、やがて生まれ来たる御自らのお世継ぎに『輝』の一字を受けるとお定めになり、また、彦五郎殿の烏帽子親として一字を許し『義国』の名を案じ、先君と同じく四守護職と屋形・塗輿諸々のお扱いをお認めなさるとのことにございまする。

 公方様はことのほか今川家中を慮って、この老骨めにかくのごとき仕儀を記した御内書を託し、また僭越ながら公方様に代わりて加冠の大役を司るようお命じになられてございまする。」


 斎藤は再び諸将がうるさくなるのを意に介することもなく、声を張り上げる。


「いよいよもって彦五郎殿は今川ご家督をご相続なさり、これよりは『治部大輔義国』をその新たなる名乗りとなさるること、室町・宮中方々に代わりてそれがしより寿ぎ申し上げ、めでたき新年の門出を恭賀いたすところにございまする!」


 そうして彼が畏まって彦五郎の頭に立烏帽子を載せると、諸将は怒声のごとき歓声を上げて新たなる主君の元服を祝い、若き新当主への忠誠を口々に叫んだ。


 ◇


 その後の新年の宴では、今川家と幕府が昵懇なのを好意的に捉えた者たちが、安心からか声高にあれやこれやと噂をしていた。

 特に薄々事情を察していたか、縁あってそれを知りつつもきつく口外を戒められていた者たちは、水を得た魚のように噂話に興じていている。


「先代様は京ではその人徳により、それはそれは多くの方々に頼られ、しかしそれがゆえにご無理がたたって夏頃にお倒れになったとのこと。」

「京の夏は厳しいと聞く。」

「うむ、もともとお体の丈夫なお方ではあらせられなんだ。さぞかしお辛かったであろう。」

「公方様のお手配りで御医の板坂法眼殿(惟順)にみていただいたとも聞いておる。」

「さまで丁重なるお扱いを賜ったとは。公方様のお世継ぎに一字をお渡しになるとか、四位追贈とか、大いなる誉ればかり。これよりは、彦五郎様を盛り立てゆかば、家運のますます高まること相違なし。」


 徹底的な権威づけのおかげか、表だって今川義輝(氏輝)の死の隠匿を非難する声もないし、新当主への不信を述べる声もない。

 今回の家督相続の何が喜ばしいのかといえば、長らく駿府を留守にしていた当主が望ましい形ではないものの戻ってきたこと、そのものにある。

 逆に言えばそれだけであるから、宴席での賛辞も空虚に堂々巡りしていた。宿に戻った人々の口を突いて出てくるのは疑念も少なくない。

 

「彦五郎様は幼名からすでに名を変えておられたではないか。これは二度目の元服となるか?」

「どうであろう。先には幼名を彦五郎と改められたにすぎぬということか。」

「なんにせよ、京にて先の御屋形様のお隠れになったは誠に痛恨。上洛などせねば……。」

「彦五郎様まで召し出されては困るで、次は我らもお引止めせねばなるまいが。」

「とはいえ、四国守護に加え、次の公方様に一字お授けになるなど烏帽子親も同じ。かばかりの誉れは上洛あってこそぞ。」

「これもまたかの禅師の采配であろうか。」

「とはいえ、三月、四月ばかりも隠してあったは感心せん。」

「支度の整わぬうちに世に知られでもしてみよ。美濃も兵を引っ込め、尾張も三河と和睦し、などということもあったやもしれぬ。」

「あるいは、御屋形様にお子の『ありなし』を探っておったのやも。駿府では女を避けておっても京に移って妾の1人2人持っておってもおかしくなかろうし、ご正室(三条の方)もおられたし。」

「まあ、そも彦五郎様の支度も時を要したろう。」


 あるいは、遠江について血気盛んな声もある。


「しかし、家督交代に手間取りて遠江はこの有様か。」

「遠江はいかがしたものか。三河がここまで乱暴とは思わなんだ。ついぞ人質を捨てたか。」

「とはいえ、押領するでもなしに乱妨取りに終始するは、やはり尾張に後ろ髪引かれて専心できておらぬのであろう。」

「『二川抜くことあたわず』の見立ての覆らぬところとなりて和睦の話もあったれども、かくなっては人質を殺し『参った』と言わしむるまで叩くしかあるまい!」

「左様!御屋形様も駿府にましませば、いったん京は忘れて心置きなく遠江に入り込みたる鈴木めを叩き返すことできよう!もしや勢いままに三河を平らぐることもあるやも!」


 血気盛んな者たちに対して、疑問の尽きない者たちも。


「ずいぶんと盛り上がっておる者らもおったが、実のところどうか。」

「二川はなかなか揺るがぬで、彼我にて流した血の差あり過ぎると禅師が言うておったが。」

「失いたるはわずかに遠江の奥山のみ。湖北に井伊もおるし、湖西も朝比奈の……紀伊守(泰長)であったか、ほれ十郎左衛門(親孝)の弟の。あれが守っておるのであろう。無理は禁物。」

「そもそもは遠州人が采地を寄こせと言うから戦になったのではなかったか。それで三河を攻め切れぬで逆に押し込まるるは、やつばらの勇み足よ。それを指摘して黙らせ、かくて遠州国人の勢い削がれたる隙に、我らで甲斐を押さえ込めば、一気に他国支配も確たるものとなろう。」

「それはまことか?奥遠江は三河と通じておった者どももおったとか、遠州人は兵を出し渋っておるとか聞いたが。井伊もどうかしらん。放っておけば斯波より得たる浜松荘まで失うやもしれぬぞ。」

「兵を渋るは甲斐ではあるまいか?」

「いや、甲斐は検地ままならぬで段銭御免を求めておったのでは?」


 ◇


 諸将が裏で好き勝手に言っている間も、新当主・今川義国は人々の挨拶を受け祝いの品に返礼をするなど忙しなく働いた。

 入れ代わり立ち代わり人がやってくるとなると、どこに刺客が紛れているかわかったものではない。

 特に武田家督を有する今川分家ら甲斐からやってきた集団や、北条家との国境にあって駿府とは心理的にも距離的にも隔たりがある松平家の使者の扱いには細心の注意が払われた。

 新当主・義国の身に万一があれば次こそ家督継承に難が生じる。それゆえに警戒しきりだった今川館も、とはいえ、睦月も半ばに差し掛かると難所は越えたとばかりに落ち着いてきた。


 一方、元服の儀を終えた幕臣の斎藤と進士は新年の宴席にだけちらほら姿を見せると、「仕事は終わった」とばかりに早々に出立の支度を整えて上方へ帰っていった。

 彼らが駿府に来てからすでに数か月が経っており、その間に遠江や河内で変事が生じたことから、上方や帰路について心配が募っていたのは仕方ないと言えるかもしれない。

 しかし、朝比奈は使者たちの振る舞いを伝え聞くと、なんだか薄情な気がしてならなかった。


「それでいて『領国が定まりて後には再び上洛を』と言うのだから、なんとも……。」


 朝比奈は孫にあたる鈴木勝太郎が、礼装の支度を整えているのを見ながら嘆息した。

 てんてこ舞いだった今川館で、このたび九英承菊禅師が彦五郎義国を相手に孝経を講じて読書始をするというので、弟子たる勝太郎と吉良家の嫡男・三郎も同席するよう求められたのだ。

 朝比奈は勝太郎が寒さで体調を崩していたから断ろうとしたが、当の本人は参加すると言ってきかず、彼の付家老・安藤太郎左衛門も「ああなってはなかなか頑固ゆえ」と諦め顔である。

 勝太郎は今川家臣相手に弱みを見せることをひどく嫌って常に気を張っていて、このことについては頑ななのだ。

 あるいは物事が大きく動く中で渦中の人である承菊禅師に会って感触を確かめたいのか、あるいは単に駿府で唯一心を開きかけている禅師に会うのが内心の望みなのか。


 安藤やそのほかの付き人に囲まれて準備に追われる勝太郎。

 その足元には彼の幼い従弟――すなわち朝比奈俊永の嫡孫――がうろちょろしており、勝太郎はその肩を押して祖父の方に追いやる。

 勝太郎の目配せを受けた祖父は幼子をあやしながら在京の息子・親徳の嫁を呼び出して預け、ついでに持ってこさせた白湯をすすりすすり、古なじみの鈴木家在駿雑掌・神谷喜左衛門に話しかけた。


「家督の相続はおそらくは禅師の手配で上方より様々の後押しを得てまことつつがなく済んだが、これを機に和睦という話にはならぬものかのう。」

「どうでございましょうな……。それがしとしては、遠江のことあってもこの首がまだ繋がっておることに驚いておるほどでござれば、瀬名殿も和尚殿も心中に和睦の意ありと思いまするが。」

「甲斐が厄介だで、上方に遠江にと手を伸ばしてばかりではおられぬはずよ。」


 今回の遠州からの撤兵は、今川氏輝(義輝)の死を受けて万が一にも家督を有する者が完全に不在であることが知られて騒動が起きないよう、駿河の守りを固めるためだった。

 警戒先は、甲斐に分かれ今川・武田・福島の血筋を集めた守護代・武田氏信(玄広恵探)である。

 もちろん、何事もないように振る舞うことで疑念を生じさせないことも検討されたが、もとより秋の収穫と作付けのために兵を返す必要もあったから仕方のないことだった。

 特に武田氏信は甲斐国人の棟梁を気取るか、「戦乱の相次いだ甲斐は貧しく何が何でも人手を使って作付けを増やさなければ飢餓の恐れがある」と強硬に主張したのである。

 駿府としても、一昨年あたり関東からも西へ米穀が流れていたらしく、盟友・北条家からの食料調達に限界があったのは確かであり、結局、撤兵となったのだった。


 駿河と三河の両方の事情をそれなりに知っている朝比奈は内情を正しく推察している。


「三河と戦になったのも渥美で本多や戸田の者らが勝手をしたがゆえと聞いておれば、もともとやりたくてやっておるのではなかろう。」

「とはいえ、こたびの遠江の討ち入りは刑部少輔様(鈴木重勝)がいよいよお心をお決めになったものともっぱらの評判にござる。今川が和睦を求めたとて、話をお聞き入れになるかどうか。」

「だからこその勝太郎であろう。おそらくは新年の諸々が終わりて後には帰国という運びになるのではないかのう。刑部殿が遠州より大勢人を連れ去るのも、各和・庵原では人質の交換に足りぬと思うてのことではないのか。」

「それがしどもは、もはや満足に三河と音信できておりませんで、なんとも……。ただ――」


 神谷は言葉を切って思案すると、

「三河では子が多く生まれており、これが育つまであと数年は世話の人手が足りぬとかつて聞き申した。当家の営む講も村に住みつかぬ人手をよく使っておるとかで、こたびの人さらいはかような不足を補うべく講の被官衆とするのではありませぬか」と私見を述べた。

 朝比奈は神谷の考察を聞くと、難しい顔をして長いことうんうん唸っていたが、勝太郎らが朝比奈屋敷を出ていくのを見送った後、隣の神谷に聞かせるでもなくおもむろに口を開いた。


「なるほど、名子取りは土地より先に人をとったやもしれぬが、その者どもは人質の代銭がごとく扱いうる。しかし、これらが遠州に戻れば、恨みを持つ者がかの地に多く住むことになろう。思量の深き婿殿のこと。これを案じておらぬこともなかろうが、あるいは間者を仕込む寸法か。ううむ……。」


 何度も何度も手紙のやりとりをするうちに、婿である鈴木重勝の考え方に感化されつつあった朝比奈は、とりとめもなく考えを巡らせていた。

【注意】元服式の細部は創作です。鏡で本人に烏帽子姿を見せる段もあったかもしれません。今川彦五郎は本作では氏輝(作中では足利義晴から一字もらって義輝)とともに寿桂尼の実子、玄広恵探・今川義元は彦五郎の異母兄という扱いです。義国という実名は先祖から「国」の字をとった創作です。

【メモ】本話に関連するのは第84・122・124・129話などです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] むむむ、この時点で今川が義輝を名乗るとなると、来年生まれる義晴の息子はどうなるんだろう? 元服時の義藤のまま行く事になるのかなー そもそも今の情勢だとこのまま義晴の息子が10数年後に無事に…
[良い点] 更新ありがとうございます! [一言] ひょっとするとと思いましたが氏輝病死ですか 家中の動揺や甲斐の状況を考えると 今川家は遠江方面に大きな動きはできないんでしょうね ただ、今川家は大動…
[良い点] 更新ありがとうございます!! [気になる点] い、今川義元 誕生せず……!! しかし鈴木くんの部下たちはイケイケな感じでどんどん攻め込もうとしてますけど、今川くん視点だとちょっと気楽そう…
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