第128話 1534年「蛮勇」◇
尾張兵を主体とする三河鈴木軍と美濃土岐軍は庄内川北岸で戦端を開いた。
戦が始まった初日の晩、岡田与七郎と下方弥三郎が100の兵で守る吉田城は、日が暮れても休むことなく攻めたてられ続け、いよいよもって落城間近に見えた。
重勝は渡河しての夜襲を考えたが、近習・菅沼新八郎は「この兵の練度では水死が怖い」と控えめに諫言した。
岡田与七郎の息子で重勝の護衛に抜擢された岡田与九郎も「父のためにそこまでする意味はない」と申し入れ、重勝は夜襲を諦めることになった。
重勝たちが対岸から切歯して見続ける中、やがて吉田城は陥落した。
捕虜の引き取りの交渉はなく、主だった者は滅ぼされたと思われた。
「……これでようやく1日。明日にはこの兵が上条城に寄せると思うと、あちらも厳しいか。」
朝になると吉田城の北東にある上条城への攻撃が再開された。
しかし、攻め手は1000と少々で前日と変わらず、2500少々の兵は本陣1000を残して東に展開し、大留の西郷・青山隊を迎え討つそぶりである。
「されど昨日の渡河が効いたか、こちらに1隊を回してきよった。200はおるな。炊事煙を見て我らの数を見誤ったに違いない。西郷のもとには1000の兵があるで、よき勝負となろう。」
重勝は西郷の方から使いを出すのは大変だろうと、自分の方から使番を走らせて、大留で輪番で休んでいた小坂孫九郎から戦況報告を得た。
「ふむ、西尾何某を討ち取り、兵数十を討ち捨て。対してこちらは兵20ばかり。よくやっておる。よし、再度、渡河のそぶりを見せておくか。」
重勝が出撃の支度をしていると、大留の小坂から使いが送られてきた。
「ご注進!朝宮の敵本陣、北東へ動いておりまする!」
「なにっ!?もしや小里の者らが討ち入ったか?」
重勝は素早く頭を巡らし、配下の兵300に呼び掛ける。
「敵本軍は北東に動くとの由!北東といえば艮すなわち鬼門、美濃者は鬼に魅入られた!この戦、我らに天運あり!これより渡河し、敵の気を散らさん!」
先頭に川に慣れた者を立てて進む。彼らは楯を持っており敵の矢を防ぐのが仕事だ。その腰には縄が巻かれていて、溺れにくいよう簡易の兵装をまとった兵たちがこれを頼りに川を渡る。
重勝は危険を顧みず、具足をつけたまま愛馬・伯楽号で川に踏み込む。
伯楽号は大柄で、おかげでなんとか溺れずに渡り切ると、敵兵の槍を必死で楯で受け流す兵たちの助けに入った。ひとまず数人の楯兵を確保すると下馬し、彼らを横一列に並べて内から弓を射かける。
「それがしが来たからにはもう安心せい!射ては取り、突いては取りよ!」
やがて矢が尽きるころには、辺りに集まる兵は50を超えていた。
時間をかけた割に兵が少ないのは、おそらく怖気づいて渡河せずに逃げた者が多いのだろう。
いつのまにか菅沼新八郎の姿もある。
「殿!無茶をなさいますな!」
「ここで死ぬならそれもまた天運!」
そうは言う重勝だが、当然、彼の周りには阿寺党の護衛兵が付いている。
少し下流には流された者たちを集めて同じように群れをつくって守る岡田三兄弟らもある。
敵方は本陣後退の知らせをすでに受けていたのだろう。ここで粘ると本軍に置いていかれてしまうため、陣を払って後退を始めており、川べりまで進出してきた兵は多くなかった。
敵が弱腰なのを見て取った重勝は攻勢に出ることにした。
「よし、これより突撃を仕掛ける!ついてまいれ!」
少し休んで回復した愛馬に再度またがった重勝は、その蛮勇に鼓舞された兵たちに守られて一丸となって敵将目指して突き進む。
鈴木方の士気の高さに、敵農民兵は「他国にまで来て、こんなのに押しつぶされてはかなわぬ」と道を空けるように後退していく。横には岡田隊も勢いだけで駆けてくるのが見える。
2隊はやがて横並びになり、敵将の兜の鍬形もよく見えるほどの距離となる。
「追いついた!敵将、見えたり!くらえっ!」
重勝は馬の背に体を寄せて敵の攻撃を防ぎ、周りを必死で走る味方の兵に守られながら、前進を続ける。そして、十数人のまとまりで敵将を囲う兵たちにぶつかった。
敵将の突き出した槍の柄に自らの槍を沿わせて払い、隙を作ると、馬を左手にして自らは右に飛び降り、敵将を守る左半分の兵からの攻撃を遮断した。そして叫ぶ。
「ここまでぞ!それがしは鈴木刑部少輔重勝なり!その方、死ぬか降るか、選べ!」
重勝の名乗りを聞いた途端、敵兵は「敵大将の首をとって褒美を得よう」と目の色を変える。
相対するは立派な老将だった。
「儂は市橋七郎利信!よもや総大将自らのお出ましとは驚いた。長く生きておれば、かようなことにも出くわすか。清和源氏が裔にして陸奥国より至る――」
「長いっ!」
長話に付き合ってなどいられない。
重勝は問答無用で老人の首元に槍を突き立て討ち取った。
これを見て、大将首を前に舌なめずりの者らも己が窮地にあるのを思い出し、勝鬨をあげる鈴木方を尻目に逃げ散った。
渡河せずうろうろしていた味方が合流し、重勝隊は上条城の救援に向かった。
◇
攻め手は東西から鈴木兵が寄せてくると、城攻めを止めて整然と移動した。
「なんとか敵を追い出すことがかなったか。」
城門も城壁もあと少しで破られるといった見た目の上条城で鈴木方1300が合流していた。
「城方の生き延びたるはまこと霊妙にして、おそらくは出羽(伊庭貞説)の……。」
死者の加護とでも言おうとしたのか、重勝は口をつぐみ、生き残った城兵を眺めた。
守備隊100のうち、生き残ったのは30人ほど。あと一歩で壊滅するところだった。
伊庭党の犠牲は大きく、近江譜代では九里采女とその親族数人のほかは、新参の伊庭半三と配下の服部党少々、伊庭貞説の格好をしていた愛智源助が生き残るくらいである。
当主も失った中では、再起には時間が必要だろう。
「敵本陣は大草の方へ向かい申した。上条城を攻めておった軍勢は代わって朝宮にとどまり我らを迎え討つつもりかと。」
「弾正左衛門か、まことにご苦労であった。敵は我らと小里方を隔てたままにせんというのであろう。」
小里から多治見を通ってやってきた味方は山間から突如として分け出て、少数の兵が置かれるだけだった大草城を奇襲し、これを奪還していた。
美濃軍はその知らせを受けて後背を遮断されることを恐れていったん退いたのだ。
しかし、小里の兵は最大でも800か900。迎撃に向かった敵軍は1500ほどで、彼我は倍ほどの差があるだろう。こちらはこちらで朝宮の敵軍は2300ほど。やはり、こちらの倍だ。
「双方で同数が削れたとて向こうは元が多い。小里の兵を加えても差は大して変わらぬか。」
「でありまするなあ。」
しかしもう夕暮れ。これでまた1日。
これだけの兵があれば野戦で惨敗ということはないから、明日1日くらいは稼げるだろう。
「打つ手なし。今日はもう寝よ!」
◇
翌日。
大草方面では城を中心に防衛をするようで、敵に城攻めを促すような布陣をとっていた。
そのあからさまな様子に、いつかの奇天烈な兵器の使用が頭をよぎった美濃軍は城に取り付くのを嫌がり、睨み合っている。どうやら、小里勢は1000の守備兵のほぼ全部の900を連れてきていて、1500の美濃軍としては戦力差が小さいため慎重なようだ。
一方の庄内川の北では鈴木方1300と各務盛正・揖斐光親を頭とする2300の兵は朝から激突した。
少数の兵をやりくりしている鈴木方は相手方よりも個々の兵の休憩が取れておらず、昨日よりも確実に動きが鈍っており、犠牲が出始めた。
「右翼にて八国殿、お討ち死に!」
「同じく猪子隊崩れ、弥兵衛殿、行方わからず!」
報告する使番に指を順々に向け、重勝は言い放つ。
「おぬしは青山にいったん下がるよう伝えて来よ!そっちは大須賀隊に伝えよ、『青山のさらに右に出て、飛び出した敵の側面を脅かせ』と!」
あたかも身心脱落の境地がごとき精神の重勝は、青山が指揮する右翼が崩れたとの知らせにも動揺少なく、そのまま下げて整理することを意図し、支援の一手として本陣周りの大須賀隊を送り出した。
この頃には、伊庭貞説が死んだことが全軍に伝えられていた。上条城で戦死したことにしたのだ。伊庭・岡田・下方らの死は英雄の死として褒め称えられ、士気は保たれている。
しきりに増援の可能性も言い聞かせているし、尾張兵にとって、これは地元を守る戦いなのだ。
「三河からの増援はまだでしょうか。」
「わからぬが、急ぐだけ急いで来られても、くたびれて戦場で槍も持てぬようでは困るでな。大事なのは塩梅よ。」
菅沼新八郎の不安な声に重勝は超然として答えた。
やがて、報告を聞くに、青山の右翼の立て直しが難しそうだと判断した重勝は、全軍をやや右回転させて交戦面を斜めにし、無理やり青山隊の正面が中央と左翼の正面と揃うように調整した。
これで重勝のいる本隊は中央の真後ろできちんと守られるから、もう少し兵を引き抜いて右に送ってやることができる。
「右を抜かれては背後までこられてしまうほどに、少々無理をしたが、何とかなってよかった。しかし、あのまま左翼を伸ばして敵本隊に食いついておれば、どうなっておったろうな。」
重勝はおそらく菅沼に話しかけたと思われるが、菅沼はこの右回転の間に物見が右翼苦戦の報を続々と伝えてきたあたりで顔に血の気が失せており、返事はなかった。
鈴木方が持ち直すと、しばらく双方ともに動きはなく、重勝は耐えきったのを悟った。
「潮時か。引き法螺を。」
やがて示し合わせたかのように双方から法螺や太鼓の音が聞こえ、また1日が過ぎた。
◇
翌日は鈴木方に勢いが出てきた。続々と三河から増援が到着したのだ。
最初はここらで協力姿勢を見せておきたい親鈴木・吉良被官衆を代表して冨永氏の数十。
次に西三河の三宅氏・鈴木氏からも数十の兵が送られてきた。三宅氏は小里に、鈴木氏は東三河に兵を出しているから、これが精いっぱいだった。
兵力差は変わらないが、これから鈴木方は兵を増すだろうという空気になって、美濃方は焦りを覚え始めた。今頃は増援の手配をしていようが、その前に一時的にでも鈴木方の兵力が美濃方に並べばさしあたって十分である。
大草城では城攻めが始まったようだが、鈴木方の城兵は数丁の銃筒で敵将を狙撃して攻め手の警戒心をあおり、城外に出してある数百の兵でも攻め手を牽制攻撃して、本格的な戦闘を避けた。
庄内川の北では、前日の合戦で疲弊した双方は1日空けて再度の戦を期した。
さらに翌日。
東三河から待望の援軍があった。
「おお、よく来た!これで存分に動けるようになる!」
「遅参まことにかたじけなく。」
本命の東三河守備隊から宇津忠茂の嫡男・左衛門太郎忠平の700が合流すると、鈴木方3200に対し美濃方3750とほとんど差がなくなった。
もちろん、美濃方は道中に残してきた城の守備兵や小荷駄隊を入れれば4500を超える。しかし、それらを編入するにはいったん後退して部隊を整理する必要があり、上末城に戻った。
鈴木方は大草と上条を繋ぐべく篠木に拠点を作り始め、上末城に睨みを利かせるべく南の伊多波刀神社に進駐して陣を敷いた。
いよいよ決戦か。
しかし、翌朝になると美濃方が忽然と消えていた。
「どういうことだ?」
「皆目見当もつきませぬ。有利な側が詭計なぞするでしょうか。」
「いや、あの新九郎とかいうのはやりそうなものだが。」
「……ですなあ。」
重勝と西郷が気の抜けたやり取りをしているのを見て、青山忠教は敢然と主張する。
「ここは一気に進み、美濃勢を尾張より追い出すのでござる!詭計なにするものぞ!」
戦意が衰えないどころか昂っている諸将は青山に続いて「そうだ!」と気勢を上げる。
重勝はその勢いに負けてひとまず楽田城まで進出した。
しかし、何もない。
続いて北の羽黒城まで進出した。
しかし、何もない。
「帰国したのか?」
訝し気な重勝だったが、ここでようやく答えを持つ者が姿を現した。
南信濃を領する小笠原長高の配下を名乗る使者が、智将・山本菅助の書状を持ってきたのだ。
「なんと!小笠原勢・木曽勢数百が小里まで出てさらに西進し、美濃守護方の拠点としておった明智荘まで攻め寄せたそうな。やったぞ!かくなっては土岐も攻めあぐむに相違ない!」
木曽家当主・義在とその家臣・千村備前守家晴からなる木曽兵と山本菅助・柴田政忠・西郡式部(旧名・大井)ら小笠原兵の計700が明智長山城を急襲。それを知った美濃土岐軍は急ぎ戻ってこれを追い払ったのだ。
東美濃を支配する信濃勢にとって今回の土岐氏の動きは他人事ではなかった。小里の鈴木方は信濃へ援軍要請を出しており、それが功を奏した。尾張攻めの妨害という目的を果たした信濃勢はあっさり多治見に退却した。
主君のこの言を聞いた諸将は雄たけびを上げて喜び、援軍到来の話はいつのまにか味方勝利と誇張されて兵たちの間に瞬く間に知れ渡った。兵から民へ、噂は北尾張に広まっていった。
一方の美濃土岐軍は明智長山城を中心に、南の羽崎城、東の久々利城、さらに尾張との国境に近い室原の山と多治見方面に進んだ大森の高地にも兵を配置。
そのうえで東の多治見で拠点らしい拠点もなしに駐留する小笠原軍700を攻めたが、小笠原勢はまたもや潔く鈴木家の拠点である高山城に後退した。
木曽川上流から多治見までを守らねばならなくなった土岐軍は兵の分布が薄くなり、必然、攻勢戦力の抽出が困難になる。それこそが小笠原軍があっさり動いたわけだった。
その隙に北尾張の羽黒城から進発した鈴木方1500は山地を越えて美濃国に入り、室原に陣取る敵軍を見てそれと相対する土田城に城の明け渡しを交渉した。
この城を有する土田氏は鈴木家臣・生駒氏の親族で、当主が戦死した生駒氏は土田氏から養嫡子をとろうとしているから、敵対してはよくない。
とはいえ、土田氏は木曽川中下流域で利権を持つ織田信秀に正室を出しており、ある意味、鈴木家の敵だった。しかも、土田夫人はつい先ごろ男児を生んでいる。
こじれそうだと思った重勝は、城の明け渡しを諦め、せっかく来たのだから生駒氏に入れる養子を見繕ってほしいと頼んだが、相手はこれを人質要求とみなして態度を硬化させた。
埒が明かない上に、うろうろしているところを土岐軍に攻められては困る。今は圧をかけて美濃方を可児郡に押し戻したいのだから、ここで負けては最悪である。
重勝は兵1500を峠に戻して尾張入りを防ぎつつ、休戦には押しが一手足りないと判断して、木曽川を渡って直接に土岐氏支配地を荒らすことを企図した。
後備の三河勢500は木曽川の向こうに拠点を確保するべく羽黒を発ち渡河を試みた。
すると、川沿いの岩山の上から矢が飛んできた。
「なにやつ!?」
大将・青山忠教は渡河を中断し、様子を窺う。
元は楽田の住人である梶川平九郎が助言する。
「青山殿、あれは鵜沼の大沢家にござろう。」
「厄介なところにおる。誰ぞ、あれを説得して渡河の邪魔をせぬようにできぬか?」
しかし我こそはという者もなく、青山が遠くの大沢和泉守に大声で呼びかけるが、うまくいかない。
無視してもいいのだが、いったん気になってしまった青山はここで兵を損ねたくはないと渡河を渋る。
そうこうするうちに、対岸に現れたのは関が原を越えて各務野を東進してきた今川軍1500であった。




