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戦国の鈴木さん  作者: capellini
第9章 決裂編「やたけ心は張り詰めて」
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第121話 1534年「赤羽根の戦い」◇◆

 渥美半島の東岸、崖上から海辺を見通す畔田(くろだ)城。

 この城に入って戸田家に目を光らせているのは、このあたりの土豪で雉子山城に詰めている畔田惣五郎の一族の者だった。

 彼は伊勢街道を駆けてくる200の騎馬武者にただただ驚いていた。


「これはいったいいかなる仕儀で!?」

「見よ!あれなるは今川の戦船!あれを追いかけてきたのだ!」


 騎馬隊の将・加藤駿河守虎景は荒々しく指1本で後ろの方を示した。

 騎馬隊は東観音寺の陣城では常に臨戦態勢だったから、今川船を発見後すぐに駆けだしていた。

 大船団は半刻(1時間)で1里半足らず(約5km)進むくらいだったが、馬は倍の速さで走ってもそこまで疲れないから、加藤隊は船団にだいぶ先行していた。


「なんと、いずこに!?」


 畔田何某が遠くを見やると確かに海原にぽつぽつと船らしきものが多数見えた。


「気づいておりませなんだ。」

「なにをやっておるか!ともかく、おぬし、あれが向かう先に心当たりはないか。兵を浜に揚げるのだろう。戸田の後詰やもしれぬ。」

「ふうむ……。」


 畔田はこの先の地形を思い浮かべる。

 この辺りは海辺は砂丘が広がるが、その背後、つまり陸地の奥へ向かう向きに進むと崖が切り立っており、揚陸しても半島内部へ入るのは容易ではない。

 加藤は当初は船団が東観音寺から少し西に行ったあたりですぐに兵を陸に揚げ、東観音寺の陣地を背後から襲うのだろうと思っていたが、船団にはそんなそぶりはなく、すでにだいぶ西に来ていた。

 これより先は戸田氏の勢力範囲。

 彼らと合流してから二川・東観音寺の後背に迫ろうというのか。


「であれば、赤羽根のあたりにござろうか。」

「赤羽根?」

「左様、かの地は浜から丘に上がりやすくなっておりまする。」

「そこぞ!」


 加藤は馬を休ませた後、手勢に出立を触れて回り、赤羽根への後詰が必要になるかもしれない旨を言い含めた使者を雉子山城に向けて走らせた。

 また、彼は畔田何某に道案内をねだった。この城で馬を持つのは彼くらいで、道案内をするにしても騎馬隊の速度についてこられる者でなければならないからだ。


「おい、おぬし!道案内を頼む!」

「それは無理にござる!それがしはこの城を任されており申す。戸田の動きをよく見張っておかねばならぬところなれば!」

「いまはそんなことを言うとる場合にあらず!」

「言うとる場合でござろう!ここを守っておかねば、その今川兵が浜から北に攻め来るを、いずこにて待ち受けん!」

「だから、浜に揚げぬようにすると言うとる!」

「いや、しかし戸田のこともある!」

「ええい、ああ言えばこう言う!こうしてくれるっ!」


 しかし、畔田はここの守将を任されていると言って渋ったために、加藤はこれをガツンとやって黙らせ、無理やり連れて行った。


 加藤隊200は船団に1刻(2時間)ほど先んじて赤羽根にたどり着く。

 浜の近くに戸田方の厳王寺があるとかで、彼らはこれを急襲。

 不届きな坊主どもを切り殺して寺を占拠した。

 赤羽根やその西の若見の集落からは「陣笠をかぶって浜辺で突っ立っているだけでいいから」と言い含めて農民を集めた。

 無理やり連れてこられた畔田何某だったが、それでも加藤の必死な様子に、己にもできることはないか考えて、あることを思い出した。


「加藤殿、渥美の先にはまだ水軍の押さえている湊があるはずにござる。」

「まことか?」

「ここからであれば、徒歩で駆けても1刻かからずといったところかと。畠という湊にござる。」

「そこから兵を引っ張ってくるか。ともかく今は1騎でも味方が欲しい。畔田殿、使いを頼めるか。」


 畔田は加藤駿河守に頷いた。

 ところが、騎馬隊の副将・生駒蔵人は深刻な顔で話しかける。


「いやそれよりも、駿河守殿、あの今橋回りで知多に走らせた使者にござるが。」

「弥右衛門か。それがいかがした。」

「あれは今川の船が今どこにおるのか知らぬし、実のところ我らも今川方が本当に赤羽根に目をつけておるかは知らぬ。弥右衛門がいかに急いで水軍衆のもとにたどり着いたとて、正しく今川の船団のもとへ案内できねばどうにもならぬ。」

「ううむ……。」

「そこでだ、その畠なる湊から舟を知多に出してもらおうぞ。」

「それでどうにかなればよいが。」

「わからぬが、やらぬでおくわけにはいくまい。兵を呼ぶのも急がねばならぬが、沖の様子を見て今川方の所在を確かめてより畔田殿に何騎か付けて送ろう。」


 かくして、加藤らは厳王寺を拠点にできるだけの備えを整える。

 そうこうするうちに、いよいよ船団が見えてきた。

 船団が沖合で停泊するようなのを見て、畔田は畠湊に馬を走らせた。


 ◇


「じい、鈴木の水軍は強いらしいな。」

「彦九郎様。こたびは上総介に任せて兵を置いて帰るのみ。船戦にはなりませぬ。また、上総介の武威あらば、渥美郡はたちまち今川の手に落ちましょう。」


 渥美半島の沖を西に進む船上で、若武者とその傅役の男が話していた。

 若武者が総大将・北条孫九郎為昌、傅役が大道寺駿河守盛昌。

 大道寺が期待するのは北条家当主・氏綱の覚えめでたい福島上総介(後の北条綱成)である。

 当主・氏綱は関東上杉氏の猛攻を凌ぐ際によく助けてくれた今川家との関係を非常に重く見ており、その要請に応えて、子・為昌の旗下の玉縄衆を三河国に派遣した。

 為昌はまだ数え15歳だが、大道寺の補佐を受けて立派にやっており、将来を嘱望されている。

 玉縄衆には間宮豊前守信元・鈴木兵庫助繁宗・山本太郎左衛門家次ら有力な海賊衆が属している。


「そういう話にあらず。先を考えて鈴木の海賊衆のことを知っておきたいのだ。これほどの大船をいくつも持っておると聞くぞ。」

「ふむ、なるほど。」


 彼らが乗っている船は鈴木家から奪った熊野新造と呼ばれる大船。

 北条家は鈴木家と今川家が開戦すると、鈴木家に賃貸ししていた伊豆大島と八丈島の拠点を襲撃し、そこにあった人や財を奪っていた。その中に、この1艘があった。

 鈴木家は三河屋に海図と方位磁針を使った遠洋航海の訓練を任せてきて、これら2島はその拠点だった。機転を利かせた駐在員はこれらの秘密を処分したものの、船はどうにもならなかった。

 しかも、根こそぎやられたから誰も本国に危機を知らせることができていない。

 鈴木重勝も2島のことはすっかり忘れており、小笠原水軍に船や人手を徴発されて三河屋もてんやわんや。誰も気づいていなかった。

 この大船に火薬兵器が積まれていなかったのだけが幸いであった。


「こたび我らは100の戦船を仕立て申した。これを漕ぐ水夫は2000、載せておる兵も2000。今川より岡部家・興津家の船40、里見家は安西式部の20。残るが当家にござる。」


 三河を攻めあぐねる今川軍は、戦場を大きく見渡す九英承菊の奇策を容れて、搦手を突くべく二川の背後に兵力を押し込もうとしていた。

 戦場が陣地正面に限られるから大兵力を活かした包囲ができないのであり、あの頑強な防衛線も全方位から攻撃を受ければさすがに持たない。そのうえで1点でも穴を穿てば崩せるのだ。

 しかし、今川家単独では兵を運ぶ船の数が心もとなく、関東の海賊衆を頼ったのである。

 為昌はうなずいて先を促す。


「鈴木が三河から紀伊にかけて動かしておる戦船は50とも100とも、大船は10とも20とも。大船の漕ぎ手だけでも1000は下らず、総じて我らと同じほどの水夫がおるでしょう。船数は我らが勝るやもしれませぬが、大船はこの1艘のみ、また、これは三家集めてようやくのこと。」

「それほどか……。」

「堺から三河まで、あまねく海賊衆をかき集めておるとか。」

「それでは海では勝てぬか。」

「難しいでしょうな。しかも、北畠は三河船は妙な火矢を使うと知らせてきておりまする。」

「志摩海賊を手玉に取ったとかいうやつであるな。大島では手に入らなんだか?」

「かようなものがあったとは聞いておりませぬな。」


 為昌は考え込む。


「なあ、じい。鈴木と争って当家は本当に大丈夫であろうか。」

「御父君(北条氏綱)の心をそれがしが察するはおこがましけれども、きっとかのお方は伊勢の間に立ちはだかる鈴木家を疎ましく思うておられましょう。」


 今川船と北条船はこれまで鈴木家の支配する海であっても伊勢まで通ることは容易かった。

 それは鈴木家が両家に配慮しているからだ。

 しかし、鈴木家も何もせずに彼らを通しているわけではない。

 何らかの陰謀が海路で企まれないように、あるいは鈴木家による海の支配を人々に印象付けるために、鈴木方の小笠原水軍は両家の船でも必ず臨検していた。

 これはひたすら鬱陶しかった。この水軍がなければ、本来、北条船は伊豆大島を回って伊勢に好きに入ることができるのだ。


「であればこそまずは叩き、今川家を勝利に導いた暁には、鈴木方の海賊衆の力を弱める形にて手打ちとしたいのでしょう。」

「海賊衆を伊豆や相模に引っ張るということか?」

「そうなれば一番でしょうな。」


 為昌はそれならば納得だった。

 2人があれこれ話しているうちに、だんだん船足が遅くなってきた。

 そろそろ上陸ということか。


「駿河守殿、孫九郎様。間宮によれば、よさそうな浜が見えてきたものの、何やら兵の姿が見えるとかで、船足を落として調べたいとのこと。」


 福島上総介が報告してきた。

 大道寺駿河守が問う。


「戸田の兵ではないのか?」

「旗は明らかに九曜にはあらずとのこと。」


 九曜とは黒丸が花のように並ぶ戸田家の紋。

 鈴木家の紋は基本、稲や穂をかたどるから、その手の者たちが旗を掲げているとすれば、視力自慢の物見が見間違うはずはない。


「であれば鈴木か?」

「そう見えなくもないとか。いかがいたしましょう。見えておるだけでも数百はおりまする。」

「数百が待ち構えておっても、こちらは水夫も入れれば4000。どうとでもなるのでは?」


 上総介は主君に判断を請うたが、為昌は短慮せずにまずは尋ねる。


「水夫は全部を降ろすわけにはまいりませぬし、船が大きいほど浜には近づけませぬから、小舟が先に浜に向かいまする。順繰りに兵を下ろしていくとすれば、はじめは数百と数百の戦いとなりまする。」


 上総介の答えを聞き、為昌は配下の2人の将の顔を見やる。

 どちらも「やれと言われればやる」という目だ。


「戸田兵を呼びだすことができれば挟み撃ちであるな。」

「先に余所で兵を陸に揚げると?」とは大道寺の言。


 その場合、船団の大半をここにとどめて上陸の準備をしておき、少数の船を動かして別の浜から兵を揚げて田原城の戸田氏に接触することになる。うまくいくだろうか。


「あるいは、無理をせずに田原に回り、兵を降ろすか。」


 渥美半島の先を回って戸田方の田原湊に行けば、浜よりも設備が整っているし安全である。


「三河の海は鈴木の膝元。時をかければ、かの海賊衆が出張ってきましょう。」


 一方で上総介が懸念を述べる。

 ここから半島の先を回って田原に行くには数刻かかる。

 今はすでに昼過ぎだから、そのまま行けば夜中も移動し続けることになる。

 とはいえ、夜間航行は危険だ。慣れない三河沖、しかもこの数の船団である。

 夜は船を泊めて船上で1夜明かした方がよい。


 しかし、そもそも目の前で鈴木兵が備えているのはおかしい。

 このあたりは戸田の支配下と今川家からは聞いていたのに、すでに前提が違っている。

 もしも鈴木家が戸田家と戦ってすでに目の前の浜まで取り戻しており、それを今川家が知らなかったとなれば大問題。

 ここで上陸しても拠点もなしに続々と集まってくるだろう鈴木兵と戦わねばならない。


「されど、田原はさすがに落ちておらぬであろう?」

「わかりませぬが、落ちておったら三遠の国境でもっと動きがあっておかしくなく、そうなれば今朝我らが遠州を出る前に知らせがあったでしょうな。」


 大道寺が田原城健在の可能性を述べる一方、福島上総介は慎重だ。


「ここに兵がおるということは、我らのことを伝える使者が走っておるはず。どこで知られたかはわからねど、先に鈴木の海賊衆に話が伝わっておるやも。」

「そうなると、ここで陸揚げしておっては、鈴木の海賊衆に横腹を突かれるのではないか?」


 為昌の鋭い指摘に上総介は黙る。


「陸揚げの最中に襲われてはかなわぬが、沖であれば100の戦船あらば海戦にも耐えうるのではないか?鈴木が来るにせよ、先に聞いた大船もすべてが出てくるとは限らず、知らせを受けての押っ取り刀。支度が間に合わなくば、そも手を出してくるとは限らぬやも。」

「ふむ、つまり田原に回るのがよいと?」

「それがひとつよ。」


 為昌はもうひとつの可能性も考える。


「あるいは、ここでしばらく様子を見、浜の鈴木兵を見つけた戸田兵が集まってくるようならば、兵を降ろして加勢する。攻めてこぬならば、ここで待って沖で鈴木の海賊を迎え討ち、明日、兵を降ろす。いずれがよかろう?」


 為昌は限られた情報を基によく推理し、適切な2択を得た。

 それに感心しながらも、大道寺は田原へ回る案を、上総介はここで様子を見る案を支持した。


「ここは天運に任せん。」


 為昌の言葉に両将は頷き、易者が呼ばれた。


 ◇


 占いの結果、沖で様子を見ることにした今川・北条・里見の船団。

 船団の半分は陸揚げに備えて碇石を海に落として停泊し、兵を小舟に積み替えたり荷船から楯や矢束を多目に持ち出したりして支度を整える。

 残る半分は鈴木方の戦船を警戒して沖合を周航している。

 そのまま1刻半(3時間)が経ったところで状況が変わった。


「見よ!あれこそ戸田兵なり!」


 赤羽根の浜に並ぶ加藤隊、馬は厳王寺に置いてきて今は徒歩が大半だが、彼らの後ろに戸田兵が姿を現したのだ。


「者ども支度せい!」


 大道寺の号令で総大将座乗の大船では、人々が慌ただしく動き始めた。

 大船から近くの船に上陸の指示が大声で伝えられると、準備を済ませていた小早が続々と浜へ近づいていく。指示の届かない船もこれに倣った。


「む?あっちの兵はなんだ?」


 とある物見が浜の向こうから別の兵団が寄せてくるのを見つけた。

 これは小笠原水軍の押さえる畠湊からの兵。畔田ら数騎に従って50が戦場に現われた。

 加藤が集めた地元民は200に及んだため、一時、数においては鈴木方が有利だったが、急遽集めた農民たちは武装が不十分。案の定、浜に今川兵が舟で乗り付けると早々に崩れて逃げ惑い、加藤はなるべく彼らを回収したが大半が散り散りになった。

 加藤隊は矢の尽きるまで上陸する兵を射ると反転し、様子を見ていた戸田兵に猛撃を加えて崩した。そして、そのまま突き抜けて畠湊の兵を回収した。全部でせいぜい350。

 戸田方はごろつきが大半で事情もよくわからず、不意を突かれて混乱したが、数は300ある。


「浜の兵は見せかけでござったな。庵原殿もようやっておられる。」


 福島上総介は自身も上陸しようと大船から上陸用の船に乗り換えて様子を見ていた。

 船団の総大将は北条為昌だが、上陸する北条軍1000の大将は福島上総介なのだ。

 残る1000の今川兵を率いるのは庵原忠職、九英承菊の近親である。

 庵原が先に上陸して采配を振るっているが、目立った混乱もなく、いくらか損害は出たものの500ほどが上陸を済ませていた。小舟で数十隻分といったところだ。


 ◇


 上陸後しばらくして落ち着いた今川方は攻勢に出て、押し負けた鈴木方は厳王寺に逃げ込んだが、殿を務めた生駒蔵人家宗は激戦のうちに命を散らし、虎の子の騎馬隊は半壊した。

 陸揚げを始めてからすでに1刻半が経ち、もうすっかり辺りは暗い。

 戸田兵は内陸に陣を張り、今川兵は舟を立てたり楯を並べたりして簡易の陣地を作った。


「浜では我らの有利は覆らぬであろうし、夜に無理をしてはかえって危うい。今晩は荷船をいくらか浜に揚げるにとどめ、残りは沖で1泊するべきであろうな。」


 福島上総介はそのように考え、自身が浜に上陸するのは明日にすると決めた。

 総大将の北条為昌も後見役・大道寺盛昌も同意見だった。

 船団の過半は海中に杭を落として係留しているが、念のためいくらかの船は灯火を絶やさずに鈴木方の船の襲撃に備え、見張りの任に就いている。

 そんな見張り船の物見の目は、月明りを映すだけの水面に赤い点が並ぶのを見つけた。


「海上に灯り?鈴木の海賊衆か!?おい、鐘を鳴らせ!夜襲だ!」


 陸での戦が終わってから半刻後。

 突如、海戦が始まった。

 互いの位置も様子も、数も距離も、よくわからない。

 船を固定している今川方の船は慌てて碇石と船体を結ぶ綱を切るが、船頭によっては夜に船の固定を外す方が危険と判断して綱を切るのをためらう者もあったから、船団の動きは鈍い。

 鈍足な鈴木方の大船は、ぽつぽつと海に浮かぶ灯火を頼りににじり寄り、2町か3町か(200-300m)、そろそろ矢戦の距離というところで火矢をめくら撃ちし始めた。

 今川方も同じく火矢を撃ち返したが、最初は互いに全然届いておらず、多くの矢が海面に落ちた。

 しかし、小笠原水軍はこの火矢を攻撃のつもりで放ったのではなかった。


「あのあたりに火がともったな。」


 船大将・稲生重勝は自ら船団の先頭にいる。

 この距離では敵は矢を射るしかできないが、背の高い大船を前面に立てる自軍は、背の低い敵方から攻撃を受けてもそれほどの被害はないはず。

 そう見込んだ稲生は盛大にかがり火を焚かせており、そうして味方同士の衝突をできるだけ避けながら、船団全体でゆっくりと火矢が多く刺さったあたりへ進む。

 そして、稲生は頃合いを見計らって己の乗船の兵に命じた。


「焙烙を撃ち込め!すべて燃やし尽くせ!」


 波音ばかりの夜の空に破裂音が響くと、大将船が焙烙を撃ち出し始めたことはすぐに僚船の知るところとなった。

 小笠原水軍の大船20と数隻は、火矢を撃ったときの様子を目安に、焙烙をまき散らし始めた。

 これらの焙烙は小さく作ってあり、矢につけて撃ち込むようになっている。

 鈴木船はそれ以上は決して近づかず、敵方からの接舷攻撃を受けないように気を配った。

 動く人馬ならともかく、相手は大きな船。遠くから射て狙いがぶれてもさほど問題はない。

 勇猛果敢に前に出てくる敵船には、これでもかと焙烙を上から撃ち下ろして滅ぼした。


 月夜とはいえ足元の見えにくい中、今川方の消火活動は難航し、ついに船の上部を覆う惣矢倉が炎上する関船が出てきた。これでは目印である。

 今川船の中には鈴木船とは逆方向か沖の方へ逃げていくものもあったが、まとまっていてなかなか動けずにいた船も少なくはなく、この目印の周りの船は焙烙の集中攻撃を浴び、次々炎上していった。

 混乱した敵が反撃どころでなくなると、鈴木の軍船は矢戦の距離を保ったままほぼ動かなくなり、届く距離にいる今川船を焙烙が尽きるまでひたすら燃やしていった。


 ◇


「信じられぬ……。こんなことが……。」


 具足を捨て去ってずぶ濡れの福島上総介は、赤羽根の浜にへたり込んで沖合を見ていた。

 夜明けとともにだんだん周りが見えてくるようになると、沖に浮かんでいるのは鈴木の大船ばかりなのが嫌でも分かった。

 あたりには流れ着いた兵の遺体が横たわり、先に上陸していた今川兵はこれを集めて埋めているが、みな顔面蒼白で戦意のかけらもない。

 戸田兵は今川方の惨状を見て動揺し、陣を引き払って田原へ帰ったらしい。


 水夫2000、陸に揚げる予定だった兵2000のうち、生きて浜の砂を踏みしめたのは500人と少し。この500人は昨夕に上陸していたから、やられた船に乗っていて無事だった者はほとんどいない。

 船が沈むかその前に海に飛び込んだ者たちは、真っ暗な夜の海で方向感覚を失い、あちこちで船が沈んで渦のような流れが不規則に生じている中では、助からなかったのだ。

 もちろん、この海域を脱して無事に逃げた船も少なくない。

 遠江国には半分ほどの船が帰ってきたから2000人足らずは無事だった。

 しかし、それは1500人が喪われたということでもある。

 その中には総大将・北条為昌とその傅役・大道寺盛昌、彼らの乗船で指揮を執っていた船大将・間宮信元も含まれた。


 鈴木船はやがて沖に残っていた今川・北条・里見の船をすべて無力化すると、水夫の半分近くの1000と数百を小舟で陸に運んだ。

 庵原・福島の両将を含む士気阻喪の今川兵・北条兵は抵抗虚しく捕虜となり、鈴木兵はこれを大船に分乗させて赤羽根の地を去った。

 半壊した加藤の騎馬隊は徴兵に応じた地元民に褒美の執り成しを約束し、陸路で畔田城に帰った。


 二川・東観音寺の背後を脅かすという今川方の企みは潰えた。

 もはや鈴木方が固く守る防御陣地を正面から攻め落とすほかない。

 あまねく天下のまさに炎暑に移らんとする頃のことだった。

【史実】生駒家宗は本来あと20年は存命ですが、本作では幼い嫡男のみ遺して亡くなりました(嫡男の生年は不明で適当に設定しています)。本来は娘もいて織田信長の室になりますが、本作では生年を1538年頃としたので、生まれないことになりました。

【コメント】一連の時系列です:

6:00:今川船、遠江を発つ。

8:00:今川船、東観音寺沖で捕捉される。

10:00:鈴木弥右衛門、犬飼湊を出る。

11:00:加藤騎馬隊、赤羽根に到着。

13:00:今川船、赤羽根沖に到着。戸田方田原城、加藤隊の侵入を知る。

14:00:畔田、畠湊に到着し羽豆へ舟が出る。弥右衛門、羽豆岬に到着。

15:00:小笠原水軍、湊を出る。

16:00:小笠原水軍、篠島周辺で畠湊舟と接触。戸田兵・畠湊兵、赤羽根に到着。今川方、上陸開始。

19:00:日没後、今川船は赤羽根沖に停泊。

 ※1555年の厳島の戦いで夜は停泊して上陸は翌朝というのを参考にしました。

20:00:小笠原水軍、赤羽根沖に到着。夜戦開始。

挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 海戦大勝利!これまでの戦いで今川方は4桁の死者数を出してますし、男手が生産力に直結するこの時代、上層部は青い顔してそうw 守りを固めて味方の損害を押させ、殺れるところで人を削っていく鈴木方…
[一言] 更新ありがとうございます 今回のお話も面白かったです 今川、北条の連合軍を一蹴するとは 鈴木家の水軍今や日本一かもしれませんね 今川家としては北条家を援軍に呼んでこの負け方は相当痛いです…
[一言] 援軍となった北条家の将などの討ち死にはかなり影響が出そうですね。 当時の超接近戦が主流の戦いでは足も遅く小回りが利かない大型船はその大きさも含め目につくので半分が逃げ切れた戦いでも被害が集中…
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