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戦国の鈴木さん  作者: capellini
第1章 自立編「東三河の鈴木家」
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第11話 1515年「朝比奈」

 面会の場には駿河の重臣たちが列席していた。

 彼らに挟まれて委縮している甚三郎と源七郎は、氏親らの訪れを告げる言上を受けて平伏した。


(おもて)を上げよ。その方、三河は足助鈴木の流れとな。」

「はっ!鈴木甚三郎重勝と申しまする。」

「うむ。皆の衆、この者、甚三郎殿は菅家(かんけ)の字書を余に贈ってきたのよ。実に珍しき贈物、感謝するぞ。この宗長が褒めておったわ。」

「ははっ!ありがたきお言葉にございまする!」


 甚三郎は僧服の老人に向けても頭を下げた。

 それを受けた宗長は、すました顔で甚三郎を見定めていた。

 諸将も氏親の説明で甚三郎に興味を持ったようで、彼をじろじろと見ている。


「してその方、齢はいくつか。」

「13にございます。」

「ほう、まだ若いの。その方は学問の道を歩むつもりはないのか?」

「やつがれは学問の志あれど、それのみにあらず、学びしことを暮らしに役立てたく、それがために武家として生きるを望みており申す。」

「左様か。であらば、この字書を使いこなすまでよく励め!それから、続きを()()るように。」

「ははっ!励ましのお言葉を賜り、ありがたき幸せ!」

「うむ……。」


 ここで氏親は顎髭を絞りながら虚空を見つめ何か考えるようなそぶりを見せ、一つ頷いて家臣を見渡すと、朝比奈丹波守俊永に目をとめた。

 朝比奈丹波守は、駿府で今川家の領国経営に携わる重臣である。


「ふむ、丹波、その方、娘はおるか?」

「はっ。おりまする。歳は合いましょう。」


 氏親の問いかけに、その意図をすぐに察した朝比奈丹波守は短く答えを返した。


「よかろう。甚三郎殿、そこの朝比奈丹波の娘を娶り、これを父と思うて頼りにせよ。」


 朝比奈氏の別流は掛川に拠って遠江・三河に睨みを利かせる存在であり、氏親はこのことを念頭に置いて人選したのだった。


 駿府の目下の関心としては、一族を統一した武田信直(後の信虎)が甲斐の国人に対する圧力を強める中、今川を頼る国人勢力を後押しして武田を牽制することだった。

 その一方で氏親は、二転三転する京の情勢を背景に遠江守護職を得ており、その後も京との連携を欠かさないように気を付けていた。

 しかしそのためには、西遠江と尾張を押さえる斯波氏が邪魔であり、西三河で敵対する吉良氏や松平氏も目の上のたん瘤だった。


 京との往来は、陸路で言えば三河から山がちな信濃経由の路をとるか、海路なら東三河で牧野氏に守らせている今橋から海に出て伊勢に向かう必要があった。この海路は尾張・斯波方の海賊衆の襲撃を警戒せねばならず、このような現状では京への献上品を運ぶのに支障が出ていた。

 駿府の目下の関心はあくまで甲斐であるため、遠江と三河に直接手を出すような余裕は今のところなかったが、不信を覚えて成敗した牧野氏が弱体化した結果、三河の安定にも気を配る必要があった。

 そうした思いから、氏親は宗長に才を認められた甚三郎を抑えとして使って、労せず東三河の安定要素を積み立てようと考えたのだった。


 これに対して、甚三郎はこの急な婚姻を聞いて、小心者ゆえの猜疑心に囚われていた。

 確かに珍しい贈物をしたが、この婚姻は身の丈に合わないのではないか。

 将来的に何かよくないことに繫がるのではないか。

 少なくとも近隣の三河・遠江の国衆から特別扱いとみなされれば、隔意を抱かれかねない。

 そう考えた甚三郎は咄嗟に自らの立場を一つ下げる提案をすることとした。


「ははっ!格別のご高配、恐悦に存じまするが、それに報いるすべがそれがしにはございませぬ!さすれば、我が母を駿府に住まわせ、それがしの誠意を示したく存じまする!」


 そう大声で言い切って甚三郎は再び頭を下げた。

 氏親はこれをじっと見据え、「よかろう」と答えて勢いよく立ち上がって去った。

 瀬名陸奥守は最後にちらっと甚三郎を振り返ると、そのまま足早に主君の後を追った。


「お屋形さま、丹波殿の娘をお与えになるのにも驚き申したが、かの者、よもや母を質に差し出すとは思いませなんだ。」

「うむ。宗長の言うようになかなかに目端が利くようだ。あそこで遮られなんだら甲斐攻めの軍役を申し渡そうとしておったが、言い出しづらくなってしまった。

 ……才気あれば野心あり。こたびはひとまず取り込むべく手を打ったが、滅ぼすか否か、見極めねばならぬ。」

「滅ぼすか、にござりまするか。」

「陸奥、かの者に関する噂を集めよ。」

「ははっ!」


 その後、駿府の重臣たちは、控えていた甲斐への遠征の後に甚三郎の婚儀を執り行うことを決め、彼の一行はそれを聞くと三河に帰っていった。


 ◇


 瀬名陸奥守は甚三郎に関する市井の噂を集めた。


「ふむ、この者、漢籍を好む数寄(すき)者で、熊谷氏をよく助けて『吉田奉行』と親しまれ、その熊谷氏は東三河の動揺を憂いておる、と。まあ特に新しき話はないな。

 熊谷は尊氏公に任じられた八名の地頭のお家柄。三河守護がおらぬ中で勝手する国人の振る舞いを疎ましく思うておるのやもしれぬな。」


 これらの噂を播いた者こそ甚三郎の命を受けた浜嶋新太郎だった。

 甚三郎と新太郎は、珍しい贈物をすれば目に留まって贈り主がどういう人物か情報を集めようとするだろうから、自分たちに都合のいいような噂を事前に広めておくことを計画したのだった。


 もっとも、急な思い付きだったことや、人手がなかったことから、その計画は必ずしも思い通りにいったわけではなかった。

 甚三郎は、例えば「野田菅沼氏が冨永氏の所領を押領したことを熊谷氏が問題視している」という噂を今川家中に拾わせて、次なる戦の正当化工作をしようと考えていた。

 しかし結局、噂が陸奥守の耳に噂が届く段になっては中身は曖昧になっており、そもそも駿河の民にとってさほど面白い話題でもなかったことから、この工作はあまり効果はなかった。

 とはいえ、駿府で熊谷家・鈴木家の野田菅沼に対する野心が広く知れ渡ることの方がよくなかっただろう。それを菅沼氏が伝え聞くことがあれば、警戒されてしまったかもしれないのだから。

 その意味では瀬名備中守が噂に大した関心を抱かなかったことも含めて、このくらいでむしろよかったかもしれない。


 ◇


 永正12(1515)年、武田氏に圧迫された穴山氏と大井氏を援けるために、駿河勢主体で今川氏の甲斐遠征が行われた。

 熊谷・鈴木の両家はそれをしり目に勢力拡大を企むのだった。



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