表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国の鈴木さん  作者: capellini
第9章 決裂編「やたけ心は張り詰めて」
127/173

第118話 1534話「誇り」◆

 三河国吉良家の領内では、進駐してきた鈴木家の兵をつかまえて農民たちが声をかける光景がしばしば見られた。


「女子供を持ってこられても困るわ。」

「なんとかならんか。戦場で女連れてくなぞ聞く話だがね。おんしに嫁がおりゃあ、代わりに村の若いのに嫁がせてくれんか。」

「それは御禁制だで。それに嫁取りはまだしも、さすがにその子供は無理や。」

「鈴木様の『コセキ』いうのに名をのっけてもろうたら、喰いっぱぐれぬのだら?こいつも連れてけれんかのう。」


 吉良家造意の知らせを受けて、岡崎で西三河の人・物の仕分けをしていた宇津忠茂や大給松平乗元・乗正の父子らは吉良家の主要な拠点である西尾城・東条城に1000の軍勢を急行させた。

 この1000の兵は岡崎から東西や志摩国に物資を運ぶために常時動いていた小荷駄隊だった。

 密告を聞いた重勝は、東で大戦をしているにもかかわらず周りが性急と思うほど吉良家討伐を急いだ。兵数も足りるとも限らなかったが、返り忠の大河内家が呼応すれば十分と強く命令した。

 そしてそれは、たまたま良い結果につながった。

 吉良家は東三河の動きに合わせて蜂起するかどうかで家中が紛糾しており、大河内信貞が伝えたのとは異なり、戦支度は始まってすらいなかったのだ。

 そのため、吉良一族はほぼ無抵抗のまま囚われの身となった。

 密告をした大河内氏は、鈴木家に属する常滑水野氏と婚姻関係にあり、彼らが上手くやっているのを知って、これを機に鈴木家に自家を高く売りつけるつもりで事を大げさに伝えたのだった。

 大河内氏は引馬荘(浜松)の代官を出していた家柄で、これを今川家に滅ぼされているから、もともと反今川の気があった。

 加えて、鈴木家で重臣となっている冨永資広の実家・冨永氏と、領民の流出をぼやいていた松井惣左衛門らが同心しており、彼らの協力もあって吉良領の掌握は迅速に行われた。


 そこまではよかったが、()()()()()()()()()()とはいえ、これまで治水工事に来ていた鈴木領民が自分たちの境遇を大げさに吹聴してきたために、鈴木領に入ることを禁じられて実態を知らない吉良領民の一部は、鈴木領が貧民を遍く受け入れて面倒を見ていると勘違いしていた。

 麦秋(卯月)の麦の収穫期を過ぎて食料の備蓄はあるはずで、飢饉の懸念があるとかでもないのに、彼らは女子供を鈴木領に嫁に出したり移住させたりしたいと望んでいた。

 鈴木領での方が幸せになれると信じて可愛い娘を送り出そうとする者もいれば、村で面倒を見るのが厳しい寡婦とその子供を厄介払いしてしまおうという者たちもいた。

 しかし、これは実質の人買いである。人買いは違法である。道徳的にも悪いものとされており、戦場の無法の他は、飢饉のときにやむを得ず行われることしか認められていない。

 しかも、戦の真っ最中の鈴木家としては戦力にならない女子供を送ってこられても困るのだ。

 仕方がないので、吉良領民の慰撫を兼ねて、備荒食料として作られている大唐米を配って農村で作付けさせるなどして彼らを宥めることにした。飢饉防止の保険である。

 しかし、それはそれでまた問題があった。


「聞いとるで。この赤い米、不味いんだげな。」

「なんやおんし。ほいで何が言いたい!」

「いやあ?しかし、『鈴木さま、鈴木さま』言うておった割には、大したことない思うてな。」

「なんだと!?」

「おい、やめとけ。そんな乞食の言うことなぞ真に受けるな。」

「なんだと!俺は乞食やありゃせん!」

「乞食だがね。おんしらは鈴木さまのご領地に攻め込まんとして負けたんだ。ほいだのに、俺らあはこうして種籾もってきてやっておる。これがどんだけのことか、考えてみん!」

「戦ったらどうなったかわからんかったが!」

「やる気か!?」


 吉良領民の中には、同じく鈴木領民を羨んでも結果は異なって相手を憎む者が少なくなかった。

 大唐米の配布・支配者の交代・諸々の禁制・今後の官衙講の設立などが主だった集落で通達されると、彼らはそのためにやってきた鈴木兵に食って掛かって喧嘩になることもあった。

 しかも、「鈴木領に連れて行く」と騙して女子供を攫って行く本物の人買いが出たというし、鈴木の支配に入ったら今川との戦に連れていかれるという噂も出回っているとのことだった。

 煽っているのは鈴木家への従属に反対する吉良本家系の家臣・土豪たちだろう。

 慌てたのは親鈴木派の諸家である。このまま農民が一揆でも結んで蜂起してしまってはたまらない。実際に兵を東三河に送って恭順の姿勢を示そうとしていた彼らは出鼻をくじかれた。


 とはいえ、吉良家の蜂起を未然に防いだことは何にも代えがたい功績である。

 後手に回っている渥美半島では、戸田氏の勢力範囲から流民が逃げてくるなど、問題が大きくなってきていた。流民かと思えば戸田配下のごろつきで、村を略奪しにきたということもあった。

 そうなると、流民のみならず元からの領民の保護もしなければならない。

 そもそも流民は着の身着のままであるから、養うのに食料がいる。人手が増えるのはよいことだが、1家族が移ってきたとして4、5人の食糧を用意して、得られる男手は1人。効率が悪かった。

 しかも、この中には間者が紛れているかもしれないし、もしかしたらすでに流民に紛れて今川軍へと走り渥美半島の様子を知らせた者がいるかもしれない。


 これらに対して、策源地として拡張中の雉子山城には、追加で中下級家臣の指南を務める松下長尹と、西三河鈴木家から長らく出向してきている熟練の奉行・鈴木高教が置かれた。

 彼らの仕事には、梅田川沿いの集落での井戸掘りや疎開も含まれた。二川では川を堀として攻防している都合、死体を急いで処理したとしても川が汚染される。そして、もう夏がくる。

 ひとまず奉行衆は川の水を使うときは煮沸するよう通達して薪を支給している。住民たちも自分たちの生活が懸かっているから反発も少なく井戸掘りや疎開に協力していた。

 渥美半島北東部は、かえって戦前よりも鈴木家の支配が浸透しつつあった。


 ◇


「ご当主殿にはまだ嫡男がない。そこで、貴殿を召し出したわけだ。」

「ははっ。」


 鈴木重勝の前で平伏するのは、東条吉良家当主・持広の弟で矢作川の治水に邁進してきた荒川義広。

 東条吉良家とは、いま駿府で高家として遇されている吉良本家からすれば分家であり、幡豆郡吉良荘の経営をする代わりに在駿府の者たちの生計を賄っていた。

 鈴木家が松平宗家と敵対した際に、持広は婚姻同盟として当主・松平信忠の娘を妻に迎えていたが、まだ嫡男に恵まれていなかった。

 持広本人を東三河に召し出すこともあり得たが、反鈴木の吉良本家勢力を抑え込んで不安定な幡豆郡をまとめてもらうためにしばらく頑張っていてほしいから、呼び出せなかった。

 そこで代わりに連れてこられたのが、弟の荒川であった。


「もしこのまま世継ぎが生まれねば、貴殿の子を養子にとってもよいであろう。あるいは、信濃の小笠原右馬頭殿はご存じか?かの御仁は奥方が駿府吉良家先代の娘御なれば、かの家から子を迎えてはどうかと思うておる。いずれにせよ、駿府の吉良家と縁が切れても安心。」


 荒川はいまいち話の要点がわからない。

 しかし、重勝があっさりと続けた言葉を聞いて息をのんだ。


「あるいはそちらが絶えても気にせんでよい。」

「……。あ、いや、その……、お心配りかたじけなく思いまする。」

「うむ。ともかくも貴殿は人質ということになる。なれど、それがしとしては、このまま当家に仕え治水を進めてほしいと思う。大河内・冨永・松井らに手伝わせよう。」

「……はあ?」

「人足の扱いが雑であるが、堤のできはよいと聞いておる。」


 混乱する荒川をそのままに、重勝は手元の帳面を確認して言う。


「さらには貴殿、小手先ではなしに、矢作川を大きく西に切り開きて新たな流路を造らんとしておるとか。川の流れなぞ神の思召すまま。これを動かすとは、人の身で神の御業に挑むということ。

 当家は戦のさなかゆえ当分貴殿の仕事はないが、新川を開きて後にいかに田畑を広げるかよくよく考えておかれよ。いくら支度したとて必ず綻びが出るからには、支度に限りはないのだ。」


 重勝はそこで言葉を区切って荒川の顔を見る。


「不可思議という顔をしておる。」

「……いえ。」

「正直、貴殿があれほど手早く堤をいくつもこさえるとは思うておらなんだ。下流で新田をいくつも開くならば、吉良家は海にも面しておって周りに敵もないところでは、大いに力を伸ばすと思うておった。それは当家にとって危うきこと。ゆえに我らは貴家を干上がらせるよう努めた。」


 吉良家は家格も高く、所領は平らな地も広く、三河湾に矢作川と水運の利も大きい。そのうえで、荒川は鈴木家からの借財を返すために、急いで多くの堤を作り後背に農地を広げつつあった。

 流路が変わって予想外に水害が生じたり、無理な作事で農民への負担が出たりはしているものの、あと十数年もすればその努力は実り、吉良家の経済力は倍になったことだろう。

 当然、鈴木家としてはそれを許すつもりはなく、どこかでその実りを収穫するつもりだったが、今回の騒動で予想外にそれが早まった形になる。


「水害は治水の失敗だと噂を流したのも我らだ。貴殿はそれでずいぶん苦しんだろう。当家に身を寄せるのが我慢ならぬならば、小笠原家か細川家か、一筆認めるゆえ、あちらに仕官するもよかろう。」

「なぜそのようなことを……。」


 荒川の言葉は消え入るように小さい。

 なぜそのようなことをしたのか、と言ったのだろうか。

 あるいはなぜそれを伝えるのか、と聞いたのだろうか。


「駿河と尾張がどうにかなれば、貴家を押し潰すは容易きことであった。貴殿が出てこなくば、それまでは本当に何もするつもりはなかった。それで楽に勝てたはずなれば。されど、こたびのきっかけに飛びついた。なぜにか?」


 いつの間にか荒川と重勝は互いの目を見ていた。


「我らは恐れたのだ。貴殿を。」


 荒川はこの数年の苦しみを思い返していた。

 莫大な借財の利子を返すために多くの年貢をつぎ込んだのは確かだが、己がいかに熱心に治水に励んでも、家中では家政を傾けていると陰口を言われ、領民からは水害の元凶のように指さされてきた。

 鈴木家に早くに従属した牧野家が東で栄えているのが聞こえてくると、従属に反対して治水事業を打ち出した荒川は肩身が狭かった。そういう話を伝えてくるのは流れの商人だったが、彼らは生意気にも足元を見てきた。今思えば、それも鈴木家の差し金だったのかもしれない。

 それでも、近頃はようやく水害が減ってきていたのだ。


「あと少しだった。あと少しで、万事がうまくいくはずだった……。」

「左様。だからこその邪魔なのだ。当家も豊川の治水に努めておれば、貴殿の仕事が実りつつあるのがわかったゆえな。」


 いよいよ嗚咽を漏らし始めた荒川を見ていると、重勝はつられて目頭が熱くなるのを感じた。


「いかがいたす。貴殿は人質なれど、ここで去るとても貴家に累は及ぼさぬと誓おう。」


 しかし、いつ荒川が激昂して暴挙に出るとも限らない。重勝は息が詰まるような同情を覚えながらも、彼の挙動を一瞬も見逃すまいと瞬きせずにこれを見つめる。


「されど、貴殿がこのまま治水を進めるというのであれば、それは何よりも心強い。当家が東でやっておるのは川そのものをどうこうするのでなく、ため池や引き水をしておるだけ。新川の開削に手を付けた貴殿は一歩先を進んでおる。その力、どうか当家で役立ててほしい。」


 重勝は己の言葉が荒川の心を逆撫でするものであることはわかっている。

 しかし、望みが薄くとも、彼の力を見込んでいるという本心を伝えねば話は始まらない。

 万一彼が仕官の頼みを受け入れた場合、いずれ己が裏であれこれ邪魔だてしていたことは知れるだろう。かつて松平宗家の面々を暗殺したのが松平旧臣に知られているように。

 内に抱えた後に知られる方が危険。であれば、先にすべて伝えておくべきだった。


「……それがしは」荒川は鼻水を垂らしながら、かすれた声で言葉を発する。

「はじめて堤ができたときの気持ちを今も覚えておりまする。」


 目をつむる荒川の瞼の裏には、濁流に耐え溢れた水を後ろへと捌く堤の頼もしい姿が浮かんでいた。


「貴殿を主君としてお仕えすることは出来かねまする。されど……。」


 荒川は続く言葉が出ない。

 自分が今何を話しているかもよくわかっていない。

 目の前の男は、己の苦しみのすべての元凶であったが、それと同時に己のなしたことを最も高く評価している。

 心が全く定まらない。

 しかし、この男の言葉で確かに一つのことが思い出された。


「されど、それがしは己の仕事に自負を有しておりまする。これにかけて、それがしは一生のうちに矢作川を支配してみせましょう。それまでばかりは、この身をお預けいたしまする。」


 ◇


 重勝が治水に関心を寄せるのには理由があった。


 三河では母子院で乳幼児や妊婦が保護されて、赤子の生存率が増した。

 まともな医学書に基づく薬師・医師の育成により、怪我の治療に小便をかけたり馬糞を食ったりするような理解不能な医術は排除されつつあり、傷病による死者の数も少しずつ減ってきている。

 さらには他国からの流民も受け入れたから、元が20万人少々だった人口はここ十数年で5万人も増えていた。

 既存の村には住み切れず、数十もの開拓村がうまれた。それに伴い建材や薪も不足してきており、近頃はだいぶみすぼらしくなった奥山に、増えた分の人手を使って植林が行われている。

 農地開発は人口増加を上回る規模で進んでいるとはいえ、このままの割合で人口が増えていけば、開発用地の不足に行き着き、やがて食糧難となる。

 重勝が今のうちからあまり品質の良くない大唐米を作らせているのは、万一に備えてである。


 将来の食糧難を防ぐには、同じ面積の農地からより少ない人手でより多くの作物を得る必要がある。その方策としては、作物の品種改良や農具の改善がある。

 しかし、品種改良には数十年が必要だ。なにしろ、実りの良かった作物から採れた種を育てて掛け合わせていくのだから、よくても年に2、3世代しか改良は進まない。そして、改良後の品種に元の何倍もの収量が見込める――というほどでもないだろう。

 一方、農具の改善は、動力を持った機械はなく、結局は人と家畜の力しかない以上、早くに頭打ちになる。すでに千歯扱きは作られているが、脱穀が楽になった分で浮いた人手は救貧院や母子院の手伝いで消えてしまっている。

 鈴木家では、何らかの理由で耕作が困難になった農民の土地を収公し、細切れで所有権が錯綜する農地を交換で大農場に作り替えているし、老いたり配偶者が死んだりして生計が成り立たなくなった者たちも引き取って仕事を割り振っている。

 しかし、こうしたやり方に不満を持つ者も少なくないから、進みは遅々たるものである。


 そのほかには、人口増加そのものを制御する必要があるかもしれない。

 世代間の大きな人口格差は社会の破綻をもたらす。とはいえ、間引くとかいう話ではない。

 人を外に送って植民するのだ。これは勢力拡大にもなる。

 また、長い目で見れば、教育環境が整い、農業以外の仕事が増えて、士農工商などなしに国内を移動し職業を選ぶことができるようになれば、自然と晩婚化・少子化するのかもしれない。

 今後しばらくは戦での人死には減らないが、平和になるころには気をつけねばならないだろう。


 そして何よりも重要なのが、治水である。

 これにより農業用地そのものを拡大し、人口増加を支えられるだけの農地を増やすのだ。

 治水なしでの猶予は、はたして何十年あるのだろうか。治水後も農業生産はいずれは頭打ちとなろうが、その頃には子孫たちが工業的な解決方法に手を届かせているかもしれない。


 気になって戸籍をちまちま確認している重勝は、このような先行きを見ていた。

 彼はその見通しを時折、家中の者たちとの談義において口にする。

 主君の頭の中に広がる世界を漏れ聞く家臣たちは、そんな主君を誇りに思っていた。

【史実】吉良家は三河に攻めてきていた織田家に近づき反今川家で蜂起します。当時の東条吉良家当主は作中で駿府にいる方の吉良家から入った養子で、両吉良家の対立もあったらしいです。1549・1555年に蜂起して鎮圧されます。蜂起の中心勢力が大河内氏と冨永氏でした。1563年には徳川家康に対しても蜂起し、敗北して完全に勢力を失います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 更新速い! やったー! [一言] 結構民衆の状況が出てきて鈴木のやってることの良し悪しがわかってきた感じですかねー。 いろいろと良い感じにやってるかと思ったらやっぱりもともとの領主じゃない…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ