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戦国の鈴木さん  作者: capellini
第9章 決裂編「やたけ心は張り詰めて」
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第117話 1534年「分別」◇◆

 東三河の攻防が本格的になる中で、志摩国答志島の防備も徐々に固まってきていた。

 和具浦など島の北東部にある集落を制圧している鈴木家は、水源を囲んで砦を設け、島の中ほどの海沿いの山に見張りの烽火台を用意し、続々と材木・矢束・食料を運び込んでいる。

 守備には陸を守る松平二郎右衛門重吉のほかに、小笠原水軍から10隻の中小の船をまとめて船大将・佐治上野介為貞が入った。

 北畠家傘下の志摩海賊衆も座して見ているつもりはなかったが、知多からの船団は十分な護衛を伴っており、なかなか手出しできなかった。島の南西の浦に上陸した者たちもいたが、その動きは事前に察知されており、島の奥を抜けて忍び寄っていた松平の手勢に捕縛された。

 北畠晴具は鈴木重勝に、長年のつきあいに鑑みて善意でほぼ無条件の和睦案を示したつもりだった。しかし、その返事は島々の割譲を求めるというもので、現に島を返す気はさらさらないとばかりに晴具の目と鼻の先で好き勝手をしている。

 晴具は激怒した。

 再び熊野を攻めるか。しかし、集めた兵はいったん村に返しつつあるし、上方で病が流行っておるのが気になる。次にまた兵を集めるとすれば、病の様子を見てから。おそらく収穫後の冬となろう。

 それまで三河を攻めるか。渥美は混乱しておるというから、寡兵でも送れば得るものがあろう。我らが流した血を代価に今川と土岐が土地を得るなぞ業腹。取り分を確保せねば。和睦はそれからだ。

 されど、兵数はともかく、いかんせん船数が足りない。いかでか三河の戦船を余所に動かしむるか、数を削るかしたいものだが。


 一方の鈴木家も、大兵力を擁する北畠家と陸で戦うつもりはないから、向こうが船に兵を載せてのこのこ沖に出てきてくれるのを待っているのだが、そう都合よくいかない。


「待つしかないか。」


 鈴木家稲垣半六郎はそう独り言ちた。

 稲垣は元は牧野家の家老の出であるが、今やすっかり鈴木家の奉行である。

 彼は西三河の大浜湊(知多半島の付け根の東)で物資や人員を集め、知多の先の水軍拠点との間で船を往還させて、島の防衛戦の後押ししていた。


「殿が気にしておられた堺の船は、今のうちに三河に呼び寄せておくべきであろう。秋には熊野の干鰯が要るし、かの地に食い物を送ってやらねば。それがしの手には負えぬで鳥居殿にお頼み申そう。」


 稲垣は熊野を差配する鳥居忠吉に宛てた手紙を用意し始めた。

 あとは僚友の船大将・稲生肥前守に、熊野とやり取りするための小船団の支度を頼めばいいだろう。

 するとそこへ家人が慌ててやってきて来訪者の存在を知らせた。


「殿!寺津の大河内殿のもとより小見殿なるお方が参られ申した。」


 寺津はここ大浜の称名寺から東に行った場所で、大河内と言えば吉良家の重臣である。


「ふむ、何用でござろう。ひとまず、白湯と漬物を。」

「なにやらお急ぎのようでござい申したが。」

「であらば支度は任せるで、それがしは先に話を聞くとするか。」


 寺の入口の方まで行くと、袈裟のようなものを着た男が会釈してきた。

 坊主という風体ではないので、変装してきたのかもしれない。


「貴殿が小見殿で?」

「いかにも。大河内孫太郎殿(信貞)からの言伝のために参った次第。なにとぞ、これから申すことを岡崎や東三河におられるご主君にお伝えくだされ。驚かれませぬよう。」


 小見がひどく緊張した様子で小声で言うものだから、稲垣は何事かと身構える。


「吉良様が戦支度をしておられまする。」

「……戦、支度?」

「左様。詳しく申さん――」


 ◇


 朝比奈泰能率いる今川軍4600は駿河から取り急ぎ2000の増派を得て、二川の防衛線に2度目の強攻を仕掛けたが、今回も守備方は大きな損害を出さずに守り切った。

 しかし、今川方も楯持ちと弓持ちを増やして対応し、初戦ほどの被害を出さずに城柵に取り付くすべを学びつつあった。

 朝比奈泰能は、鈴木家がこの梅田川南の陣城からは兵を出すつもりがないと看破すると、これに休む隙を与えず数百の兵に輪番で攻め続けさせた。

 そうして守備方の注意を梅田川南の陣地に引き付けると、匂坂六郎五郎長能に兵を預けて梅田川の北の陣地を急襲させ、また同時に飯尾豊前守乗連を中心に海側に潜む騎馬隊を探して回らせた。

 騎馬隊はうまく逃げ回っていてまだ被害はないし、南の防備は鷹見の懸念に配慮した鈴木重勝が本坂峠の守備隊から300の兵を回して防備に充てているから、しばらく持つだろう。

 一方で、北の砦は抜かれ、いくつかの柵も放棄された。

 しかし、今川軍が増援を待って南陣地を攻めていた間にも、鈴木方の陣地は内側に向かって拡大している。兵数さえ保っていれば、防備は十分に厚い。

 柵を越えても延々土塁や空堀が待ち構えているのに今川方の兵は士気を下げたが、朝比奈は長期戦を覚悟して原村の拠点を付城に拡張し、雲谷村跡地にも付城を普請するなど、まだまだやる気である。


「朝比奈というたら、身内のようなものであろうになあ……。まあ、言うても詮方なきこと。」


 胡坐で座る鈴木重勝がぼやくと、腕の中の娘・松子が不思議そうな顔で父を見返した。

 総大将の朝比奈泰能は別流ではあるが、重勝の亡き妻・朝比奈つねの血族である。


 松子の双子の妹・鶴子が死んでから松子にべったりの側室・奥平もとが、「もう十分に抱っこしたでしょう」とばかりにそわそわと重勝に近づいてくる。

 重勝は娘の視界に母親を入れるように向きを変えた。

 松子は笑顔を浮かべて手足をバタバタさせ、重勝が脇に手を入れて立たせてやると、飛び跳ねるようにして母親の腕の中に収まった。


 彼らはいま、鷹見修理亮が作り上げた豊川中流域西岸の鷹見新城の御殿の奥にいる。

 一時的に戦局が落ち着く中、重勝はここに移って内向きの仕事に従事していた。それに際してはあちこちから使者が来るため、それを軍事機密まみれの嵩山城で出迎えるのは望ましくなかったのだ。

 それに、初めて産んだ娘を喪って消沈しているもとを励ましてやりたかったし、長らくほったらかしだった次男・順天丸や異父弟・興津紅葉丸、継子・松平親乗の様子も気になっていた。

 子供たちはひとまとまりで主に酒井忠尚のもとで見聞を広めているところであるが、嫡男の勝太郎(瑞宝丸)ほどあれやこれやを詰め込む形ではないようだ。

 現に、三男の松平竹千代は母親の松平久のもとでゆっくりと過ごしていた。


「しかし、やはり南は狙われるか。東観音寺の兵はひとまず増やしたが、足りぬであろうな。」


 竹千代が手に「角」の駒を握っているのを見ながら、重勝が言った。

 竹千代は数え7歳。床には地図が広げられていて、彼が持っている角は元は東観音寺のところにあった。この子はどういうわけか、重勝が考え事をしながら地図上に置いた将棋の駒を直立させようとしているが、床が畳なので難しいようだ。


「伊勢街道。今川軍がこれを通って攻め来たることは確かにあるやもしれぬ。与次郎がうまくやってくれるのを待つのみ。」


 渥美半島の東岸を伊勢に向けて走る街道は、半島の奥に入るには役に立つが、重勝の見立てでは、豊川沿いの鈴木家本拠地を攻めるうえではあまり意味がない。

 しかし、それを放置したときに次に何が起こるかは彼には全く予想できなかった。わからないなら、二川が十分に守れていて前線から兵を引き抜く余裕のある今の内にこそ手当てすべきだ。

 鷹見の訴えを容れた重勝は、奉行・熊谷与次郎正直を送って東観音寺を中心に陣城を広げさせ、その背後、つまり西のどこかにも1つ砦を作らせ、そして、策源地となる雉子山城自体の拡張とともに物資と兵力の集積を命じていた。

 このまま守備に人と物を使い続ければ、田畑は荒れ、飢餓と疫病が流行り、建材を切り出され続ける三河の奥山は禿山になってしまう。しかし、それと焦土戦法とはいったい何が違うのか。

 何をどうすべきか。頭の中が渦を巻いているような定まらなさに、眩暈を覚えた重勝は、どうでもいいことを声に出して自分をごまかす。


「この方面は騎馬を多く使うから、できれば途中の道も均しておいてほしいところなれど、そこまで人手が足りるだろうか。」


 渥美半島の情勢は、半島先端の畠湊を鈴木家の小笠原水軍が押さえているが、田原を中心とする中部が戸田家の勢力範囲に収まっている。遠江側の海沿いにある厳王寺は戸田家現当主・戸田政光が建立したものであり、早々に戸田方に付いた。

 その範囲内にある長興寺は、鈴木家の庭野学校に教師や学生を出していて親鈴木勢力の筆頭だったが、いかんせん戸田氏の本拠地である田原城に近すぎて、その軍門に下ったと報せがあった。

 使者の僧侶によれば、戸田氏は食料の準備が足りていなかったようで、かなり強引に兵糧を村々から集めて回っており、その不満は連れてきた荒くれ者を使って抑えつけているそうだ。

 戸田氏の勢力の北端は長仙寺あたりのようで、この寺からの便りはないが、その東の海沿いにある畔田(くろだ)城はまだこちらの手中にあり、後詰の準備を尋ねる使者が東観音寺に来たという。

 戸田もそれ以上は動く様子がないため、今川とつながるのを待っているのか、単純に自力でこの地域を支配するために足元を固めているのかもしれない。


 しかしこうなると今川軍は当分、二川から西には進めないから、三河で蜂起した諸勢力への後詰はしばらく見込めない。

 それを知った今橋城は、結局、特に何もできずに開城することとなった。

 合流するつもりだった鵜殿家が、目の前であっさり負けてしまったのが痛かった。

 答志島に入るために近くの湊で兵を集めていた松平重吉が、鵜殿軍の進軍路にある鈴木家臣・岩瀬氏の中島館に拠って守ったため、北の新城方面からの援軍が間に合い、多勢に無勢で降伏したのだ。

 今橋城方は牧野田蔵の妻子を人質に開城の条件を交渉しており、鈴木家からは宿老・熊谷備中守実長が直々に説得に出て、本多や野々山ら主だった者の助命を鈴木重勝の名の下に約束した。

 重勝は確かに鈴木家として彼らを処刑することはなかったが、開城するやいなやその身柄を牧野家に与えた。結果、即日に本多と野々山の一族郎等は生き埋め鋸引きの刑になった。

 牧野家は家中取り締まり不備ということで従属大名の地位を失い、名実ともに鈴木家の家中に組み込まれ、重臣の能勢家・稲垣家は鈴木家に直臣として仕え、港湾・街道警備の強化の任に就いた。


「なあ。」

「なんですか?」


 不安ゆえか、浮ついた感じが消えない鈴木重勝は、正室の松平久に声をかけた。

 久は教本『玄々碁経和解(わげ)』を片手に囲碁の勉強をしていたが、夫の問いかけに本を置いた。この教本は明から輸入した『玄々碁経』を庭野学校で和文に直したものである。


「吉良はともかく、鵜殿あたりはいかなる分別で決起したのであろうか?」

「鵜殿家ですか。吉良家と同じく今川の頼みではないのですか?」

「だとしてもだ。せいぜい、10か20の村を領しておるだけであろう?」

「10も村を持っておりましたら、なかなか侮れぬかと思いますれども。」


 重勝は妻が「10もの村」と言ったところに引っ掛かりを覚えた。


「なるほどのう。己も偉くなったものだ。」

「いかがなさいまして?」

「確かに村が10もあれば、なかなかよなと思うてな。」


 重勝は自分が「10しか村を持っていないのに」と考えるようになっていたところに驕りがあると気づいた。


「それで引っ込みがつかなんだか。されど、わからぬものか?兵数の差は明らか。今川の助けがあるというても隣国。数日どころか、せめてひと月持たさねば潰されよう。かようなこと、特段に調べて案じずともわかろう?」

「こうして盤に石を並べていって30も40も置いても、わらわはわらわが勝っているのか負けているのかわかりません。されど、名手はそうではないと聞きますよ。」

「ふうむ。」


 重勝はしげしげと妻の顔を見つめた。

 三河では水銀や鉛の入った白粉を使うことは禁じてあるから、いま彼女が使っているのは米や粟で作った粉を使ったもので、白さは淡い。それゆえに人気がない。

 下向してきた徳大寺実通と吉田敬子の夫婦もこれを使うように求められて、最初は敬子の方が「白みが足りない」と嫌がったが、環境が変わったのがよかったのか、移住してすぐに懐妊した。これにかこつけて、子宝に恵まれる白粉とかなんとか適当な題目で広めていると聞こえる。

 それはともかく、何とはなしに妻のそばへ行こうと思った重勝は、立ち上がろうかと畳に手をついたが、しかしなんとなく立ち上がることはできずに、そのままで続けた。


「等しく石の一つ一つを見ておっても、見えるものは違うか。一を聞いて十を知る者は名手。等しく聞きても、知らぬ者はさらに知るべきを知らず、されど己の知りたる限りにては、その者は全知。聞き知りて何かをわかるとても、それは元より知りたる内のことに過ぎず。」


 人は知れば知るほど、己が知らぬことを知る。己の世界の外に大いなる無知の世界が広がるのを前にしたとき、人は分を知る。

 そして、この分というのは、厄介なことに、決まったものではない。そこが己の分だと思ってしまったところが分なのだ。突き詰めれば、知らぬ者の分は限りがない。

 その点、未来の世界を生き終えた重勝は何事をも知り過ぎていた。多くを知るがゆえに己の矮小さを知り、これくらいが分相応ではないか、これ以上は高望みではないか、と引き際を考える。

 彼は自分のそんなところが好きではなかった。だからだろうか、彼はそういう窮屈さを感じさせない次男・順天丸を特別な目で見ていた。

 松平家を滅ぼすのだと息巻いていた10代の頃の自分は、ちょうど今の次男坊のような存在だった。いかに夢で多くの知識や複雑な思考を身に着けたとはいえ、その智は己を縛るものではなかった。

 捕虜となった鵜殿家の当主も、ただの無知だとか、そういうことではないのだろう。すべては先へ進むという意志。自分だってここまで至ったのだ。甘く見ては足元を掬われる。


 そういう感じで頭の中で話がまとまりかけたとき、妻は夫がまたあれこれと深く悩みすぎているのだろうと思って、言葉を発する。


「とは言いましても、さすがに鵜殿家が兵を起こしたのは無謀と言うほかございませんよ。」

「え?」

「そうでしょう?かの家が兵を起こしたときには、すでに当家は今川の数万に備えて東三河だけでも日々数千を動かしておりました。当家がまだ兵を集めておらぬならともかく、その中で数百を集めたとて明日にも滅ぼされましょう。それくらい、わらわでもわかります。」

「……。」


 やはりそうなのか。妻の言葉に重勝は頭が真っ白になった。

 仮に鵜殿家が今川家の二川攻めの最中に蜂起したとしても、短期間ならば鈴木家は後背地から1000か2000を集めることは可能。集めて鵜殿家の城を落とすにも数日あれば十分。

 確かにうまくすれば攻め寄せる今川軍を援けることになっただろうが、今回は時宜が悪かった。

 時宜?今川家には例の賢僧がいるではないか。それがこんな不手際をするだろうか。もしや本多も鵜殿も戸田も勝手に蜂起したのだろうか。だとすれば余計にわからない。

 鵜殿家とはそれなりにうまく付き合ってきたし、当家に臣従を誓った当主の叔父兄弟もそう思っていたようだ。現状の何が不満かも理解できないし、このような形で蜂起する意味もない。


「それでも武器をとったということは、当家が弱いと見たか、よほどの恨みがあるかにございましょう。」


 なるほど、恨みの方は今橋城の本多縫殿助や戸田家の者たちがそうだろう。

 であれば、鵜殿の当主は勝ち筋を見たということか。


「それは――」

「されど、どちらでもよいのです、お前さま。」


 久は強い瞳で重勝を見ていた。


「よいですか、お前さま。これは、そういうものなのです。」


 久が近づいてきて、重勝の手に自分の手を重ねた。

 何かと理由を探して自分なりに理解しようとする生真面目な夫。

 それに対して妻が伝えたのは、世の常をただ受け入れるということだった。


 誰もが同じように物事を見て考えるわけではない。

 わかり合おうとしても、わかり合えるわけではない。

 まして、己の半分はこの戦国の世とは別の世で生きてきた半端者。

 受け入れがたくとも独りでは変えようのない世の習い。

 これを受け止め、それでも己と己を慕う者を守ることを望むなら――


「お前さま、どうか強く、強くあられませ。」

挿絵(By みてみん)


【コメント】米などで作る白粉は古くから日本にあり、オシロイバナという白い粉が作れる植物は作中時期にはまだ日本に入ってきていないそうです。

【史実】1555年に今川義元に対して支配下の吉良家が反乱を起こしますが、1か月少々で鎮圧されます。その頃に義元は「なにが不満だったの?」と吉良家中の荒川何某に手紙を送ったそうです。こうした内通や蜂起の連鎖は1550年代後半の三河、1560年代半ばの遠江でありました。

【史実】本作で今川に義理立てして敗北した鵜殿長持は、本作では今川氏親養女を娶りましたが、今川家との婚姻関係は実際は不詳です。また、今川家に反旗を翻した徳川家康は1562年に今川に従い続けた鵜殿家と戦い、長持の孫たちを捕虜とし、自身の妻子と人質交換しました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] おお、連続更新スゴイ!! [一言] 鈴木は自分の視点から見れば地図もあるし、収支も把握してるしで自領の大きさを他家と比較してわかるでしょうが、この状況で蜂起するような輩がそれらすべてを認識…
[良い点] 連続更新嬉しいです! [気になる点] えっ!?花倉の乱がクライマックス!?失礼かもしれませんがもっと続けてほしいです。 [一言] この世界での吉良家の鈴木家への攻撃の理由にはほぼ間違いなく…
[一言] ここまで100話以上書かれている作者様にこの言い方は失礼かもしれませんが、よくこの時代をここまで素晴らしくお書きになられますね。 初期から読んでますが、ここ数十話の感想が 「(作者様)やば…
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