第115話 1534年「落とし穴」◇
東三河沿岸部の西郡を領する鵜殿氏は、犬飼湊の上がりと村々から5000石の収入を持つ。出自は鈴木家や宿老・鳥居家と同じ紀伊国熊野の出である。
三河湾から西の海は鈴木家の影響下に置かれており、紀伊国に住む鵜殿氏はすでに鈴木家に臣従しているが、三河の鵜殿氏は三河国内では吉良家に並んで独立を保っていた。両家は今川家と強く結びついていたから、鈴木家から敬遠されてきたのだ。
しかし、吉良家に比べて支配する土地が小さく海運に頼る比率が大きいため、三河湾を支配する鈴木家との関係をなおさら蔑ろにしておくわけにはいかなかった。
「三郎(鵜殿長持)は(九英)承菊禅師の誘いに乗るそうだ。」
「我らに対する当てこすりにやあらん?」
鵜殿家当主・三郎長持の叔父である又三郎長存とその弟・平三長景は小声で話している。
三郎長持は長兄・長将の嫡男だが、長将が早世したため、長らく次弟・又三郎長存が家督を代行してきた。家督は三郎の元服を機に返されたが、家中における又三郎の影響力は依然大きく、これまで三郎は己の権力を高めるように動いてきていた。
「いや、あれは頑固者というか、まだ若いのだろう。忠義やら正義やらに殉じてしまおうと思うておるのやもしれぬ。」
「駿河よりの室に毒されましたか。」
「どうであろう……。」
又三郎は三弟のトゲのある物言いに惚けるようにして答える。
かつて東にある今橋城の帰属が牧野家と戸田家の間で行ったり来たりしていた頃は、鵜殿家は駿河の今川家が西の海に繋がるために大事な窓口となっていた。
しかし、三河で鈴木家が急速に台頭し、今川家先代当主・氏親がこれを三河の旗頭に任ずると、牧野家もその傘下に降り、戸田家は追い出され、今橋城周辺は鈴木家の掌中に収まった。こうなると今川家は西方とやり取りするのに鈴木家を使えば事足りるようになり、鵜殿家の価値は下がった。
これに焦ったのが三郎長持だった。叔父から家督を得た若い三郎は、叔父たちより上位に立ち、隣り合う大国の鈴木家に張り合うために、今川家から嫁を貰おうと頑張った。それで得たのが最晩年の今川氏親の養女として送られてきた娘だった。
そうした経緯から、三郎は自家が独立を保っていられるのは鈴木家が今川家の権威を恐れているからだと信じており、また、今川家への忠義なるものを貴きものとも信じているようだった。
「あるいは、鈴木の力を単に見誤っておるということもあるやもしれぬ。かの家は甘いところがあるでな。」
「それは兄上が当家との間をうまく取り持ってきたからにこそ。それがわからぬわけでもありますまい。」
「わかっておってくれればよいがのう。あるいは、それを踏まえてなお禅師の話に利ありと見たのか。」
又三郎長存は鈴木家とつるむことの実利をよく知っていた。
彼は家督を代行していた頃から鈴木家と取引し、船を融通しあったり自由通行権を得たりしてきて、長持が当主となった後もそれを続けていた。そうしなければ干上がってしまうのは自家だからだ。
又三郎は家督とともにその交渉役の任も三郎の手に委ねればよかったのだろうが、欲や自負が邪魔をしたのか、それができなかった。彼は自家が享受してきた豊かさは鈴木家との友好あってこそと考えており、自家の富の核となる交渉事を若輩の甥に任せるのに不安があったのかもしれない。
互いに不信感を覚えたまま数年が過ぎ、やってきたのは駿河からの蜂起の要請だった。
三郎の目には、叔父たちは今川家と対立しがちな鈴木家に内通しているように見えていた。
それでも駿河の賢僧・九英承菊のはかりごとを叔父たちに知らせたのは、血族としての最後の良心ゆえだった。己の差し伸べた手を取るのかどうか、そう問いかけたのである。
「旨味がないとはいえませぬ。されど、それを得るのにいかほどの苦労を背負うことになるのか。」
「そうよな、その天秤よな。」
「兄上は心をお決めになられましたか。」
「いや……、いい加減、答えを返さねばと思うておるのだが。」
「……。」
平三長景は兄の優柔不断なさまに内心で苛つきを覚えた。
彼はそれを口には出さなかったが、荒々しく立ち上がって部屋を出ていった。
又三郎は「ままならぬものだ」とため息をついた。
平三は承菊のはかりごとを鈴木家に伝えて利益を引き出そうと主張していたが、それは今川家とのつながりに固執する三郎を排除することに繋がりかねず、又三郎は決めかねていたのだ。
それから数日。
今日も悩みながら一日が終わるのか。
又三郎が漫然とそう考えていたところ、兜と胴丸だけを身に着け槍を手に持った平三が血相を変えて又三郎の屋敷に駆け込んできた。
「兄上、逃げるぞ!三郎めが攻めて来よった!!」
「なにを、そんなはずが!?まだ我らは何も返事しておらぬぞ!」
「だからこそにござる!ぐずぐずしておったからっ!」
「くそたれ、短気者めがっ!しかし、逃げるというても、いずこへ!?」
「ひとまず五井の松平家へ!鈴木を頼るほかありますまい!」
◇
東三河の混乱を受けて、今川家は二川の防衛線に向けて兵5000を進めた。
これまでは双方ともに国境での小競り合いを続けており、鈴木家は国境の原村に陣を敷いて今川兵を見かけるたびに出撃していたが、今は今橋・田原・上之郷での蜂起を受けて撤収していた。
今川軍が原村についたとき、そこで見たのは何もかもが破壊された廃村だった。
農地も家屋もすべてが焼き払われ、今川軍が何一つ使えないように念入りに破壊されていた。
「よくもまあここまでやったことだ。」
「伏兵はございませなんだ。されど、やはり井戸も毒されており申した。」
総大将の朝比奈備中守泰能は、兵糧などの世話を引き受けている老将・長池六郎左衛門親能から井戸がだめになっていたことを知らされた。
「5000の兵を置けるようにするには、いかほど要すると見る?」
問われた長池は隣の僚将・小原兵庫頭親高を見やる。
小原は少し考えて答えた。
「10日ばかりあれば……。」
「左様か。」
朝比奈は表情を変えずに簡単に言葉を返したが、この10日はかなりの痛手だった。
この大兵力を集めたまま食わせておくのは簡単ではないし、そうこうするうちに鈴木家はますます防備を固めるであろう。
「先に船形山を叩いておくか。貴殿らはそのうちにここを使えるようにしておいてほしい。」
「心得申した。」
◇
「よいか者ども、それがしは尾張の生まれ、そっちのことはよう知っておる。鈴木はな、尾張でも敵を抱えておる。ゆえにこそ、兵の数を集められずにこうして穴倉に籠っておるのだ。
かような数も少ない腑抜けなぞ早々に踏みつぶして三河を得、我らでその財を奪い取るのだっ!よいなっ!」
「おうっ!!」
兵に気合を入れているのは、森川日向守定兼という武者である。
この者、もとは尾張国春日井郡比良の住人で、兄・堀場与四郎宗氏は尾張に残っている。
弟の日向守は東に流れて引馬(浜松)の飯尾乗連に拾われ、こうして隊を任されていた。
「いざ、進めっ!」
今川方の多くの諸隊に交じって森川配下の遠江兵も二川の鈴木家の防衛線に突撃した。
敵の防備は、丁字になっている川の遠江側の土地に乱杭を並べ間に縄を通して攻め手を防ぐように施されている。川の向こうが鈴木家の守備隊が詰めている砦になるのだろう。
乱杭地帯は丁字の川岸の南北方向に6町(約650m)、東西方向に3町半(約380m)も広がっている。
今川方の兵は勢いよく進んでいき、乱杭地帯はもう目の前というところ。
しかし、鈴木家からは矢の一本も飛んでこない。
「こんなに近づいても何もしてこやせんぞ、権兵衛どん?」
「なんだって!?」
「矢がこやせんな!!」
「ふんとに鈴木の奴らは腰抜けってことだら!!」
「ふんとかなあ?」
「なんだって!?」
弥七はボロボロの陣笠の裂け目から矢が飛び込んでこないか気になり、裂け目をちらちら見ながら権兵衛に話しかけたが、あたりは武具がたてる音や足音、人々の大声でうるさく、弥七の声はなかなか届かなかった。
この陣笠は権兵衛が戦場で拾ってきて、弥七がもらったものだ。権兵衛は村で一番の腕っぷしであり、弥七は彼に引っ付いていれば生き残れると思っていた。
権兵衛は森川の言うことを真に受けたのか、戦場の雰囲気で気が立っているのか、槍を抱えてずんずん前へ進んでいく。弥七の目にはもう森川がどこにいるかわからない。
「それ、掛かれぇえ!!!」
どこからともなく聞こえてきた命令に従い、権兵衛は目の前の乱杭の列に向けて駆ける。
弥七もそれに続くが、権兵衛は足が速く、離されてしまう。
「待ってくれ!権兵衛どん!」
「うがぁあああっ!!」
しかし、その瞬間、聞いたことのない絶叫を残して目の前から権兵衛の姿が消えた。
慌てて弥助が権兵衛のいたあたりにやってくると、彼は落とし穴に落ちていた。
権兵衛は落ちた勢いで中にあった杭に尻の穴を貫かれ、腸をやられてそのまま死んでいた。
迎撃がないことで気が大きくなって先頭切って走っていた者たちは、数十人が落とし穴に落ちていた。即死した者は少ないようだが、穴は人の背丈ほどもあり、なかなか上がってこれない。
そのすぐ向こうには乱杭が並んでいるが、あとからあとから人が来るから、前に進むしかない。
「おい、そこの!何しておる!はよう、縄を切らんか!」
「くそう!」
兜の武者にどやされた弥七は戻るに戻れず、杭の間に結ばれている縄を、短く持った槍で頑張って切りながら、杭の隙間を縫って前に出ようとする。
しかし、そこに次々に矢が飛んでき始めた。
「鈴木め、こすいことしよる!」
周りで何人かが倒れ、呻いている。
弥七は半泣きになりながら杭を抜けたが、その先には川があった。
向こう側の土手は高く積み上げられており、これを越えるのは簡単ではない。
戻っても矢が飛んでくるし、次々人が杭の隙間に入ってくるから、引き返せない。
破れかぶれになった弥七は土手をすべるようにして下り、川に入った。
季節は初夏。興奮して熱くなっている体には川の水が心地よかったが、今はそれどころではない。
「うわっ!」
矢が陣笠を突き破り、鏃が視界の隅に入ってきた。
驚いた弥七は転倒したが、槍を支えに何とか起き上がる。
そのとき、自分と同じく川を渡っている者たちの姿が目に映る。
自分は一人ではないのだと気づいた弥七は、わずかに残った勇気に火をつけて対岸の土手を見上げる。すると、土手の上の柵越しにようやく人の姿が見えた。
ここまで来たらやるしかない。
弥七はがむしゃらに土手を登り始める。
しかし、そこへ細い影が落ち、次の瞬間には脳天に衝撃が走った。
「うごっ。」
弥七は死んだ。頭が潰れていた。
3間(約5.5m)はあろうかという長槍が土手の上から振り下ろされたのだ。
長槍は根本も含めると4間(約7m)はあり、丸太を横軸にして上下に動かすようになっていた。
柵の内側の兵は槍の根本を2、3人で下に押さえつけていて、柵の間近で敵の様子を見ている指示役兼射手が合図をすると、それを離して攻め手の兵を叩き潰すのだ。
戦とはいえ、みな人を殺すのに抵抗がある。
しかし、これならば柵の内側で槍の根元を上げ下げするだけである。
数人がかりの作業だったが、効率は悪くなかった。
近づいてくる敵兵にむやみに矢を射ても簡単には当たらないし、当たっても殺しきることは難しい。だから足止めをする。止まっている敵を狙うのはまだましである。
一方で、矢は数に限りがある。鈴木家はこの防衛線で敵の数をとことん減らさなければならない。そうなると、ここで粘って長く戦うには、矢は節約しなければならない。
敵を引きつけてから身動きを止めて矢を放ち、主には壁に張り付いた敵を直接の打撃で倒す。
それが鈴木重勝が導き出した戦い方であった。
◇
その日、今川軍は1500ほどの兵を出して、300の死者を出した。
初戦ということで諸将は命令系統の馴らしのつもりもあったし、攻め始めた直後にいきなり退却を選ぶのは気が引けたこともあり、判断が遅れてこれほどの被害につながった。
そして何よりも、最初に迎撃がまったくなかったことで兵が深入りしてしまって、後ろの兵が戻り切るまでに前に出た兵が、柵の内側から出てきた三河兵にことごとく殺されてしまったのだ。
被害の多さに諸将や兵は動揺を隠せず、朝比奈は各所を回ってこれらをなだめることになった。
「こは難敵ぞ!いかがいたす、備中守殿(朝比奈泰能)!?」
「いや、落とし穴や杭の間の縄はこたびの攻めでつぶしたことになる。であらば、次はすぐさま柵に取り付きての攻防となろう。」
各和伊予入道(道空)が口から泡を飛ばして話しかけてきたが、朝比奈は冷静に返した。
とはいえ、それで納得できるわけではない。
各和と仲の良い孕石又六郎光尚が食って掛かった。
「されど、その柵に取り付くにも、杭を越えて川を越えて、人の背丈より高き塁を登りての話。」
「それでさらに数百を失いても、我らには万の後詰があろう。攻め始めたからには終いまで手を緩めてはならぬ。そうしたところで減った兵は帰ってこぬし、それどころか敵は砦を修築できてしまう。」
「されど、それではっ!」
孕石は各和に腕をつかまれてそれ以上を言うことはなかったが、各和の目も憤怒で燃えていた。
朝比奈の物言いは、実際に血を流す遠江国人には到底受け入れられなかった。
「相手がおぬしらだからこそ言うたのだ。御屋形様に忠義を持っておるとそれがしが確信しておる、そのおぬしらだからこそな。」
そう言われては各和も孕石も続く言葉がない。
「今は遠江だ駿河だ、国人だ家中だ、と言うておるときではない。三河の愚か者どもが勝手をして戦が早まったとはいえ、『支度がまだだから今度にしてくれ』などと言うてはおられぬ。『一旦なかったことにして、次もまた今橋の決起を待っておってほしい』とでも鈴木に頼むのか?」
今川家が準備不足なのは理由がある。
九英承菊が三河国内の国人とつながっていたように、鈴木重勝も遠江国内の国人と通じていた。
遠淡海(浜名湖)の北では後藤氏・奥山氏が今川家の命令を無視して兵を出し渋っており、その押さえとして今川家に忠実な浜名氏も身動きが取れなかった。
同じようなことはその東の井伊家中の内部でも、そのさらに奥の天野一族の間でも起こっており、遠江国人の兵を集めることに支障が出ていた。
それとは別に、松井氏でも家督相続予定の松井宗信なる者が駿府在番であることから、「駿河の下知に従う」と理由をつけて朝比奈泰能の動員命令に従っていなかった。
最後の松井氏は別にしても、割れているのは奥遠江の国人で、山中を通るか信濃を回れば今川家に気取られずに鈴木家から連絡が届く範囲にあった。
さらには全国的に、そして甲斐国では春から特にひどい疫病が流行っており、三河攻めに加わるはずだった甲斐兵がまだ集まっていなかった。
不安定な甲斐国人の兵を三河に送り出し、駿河の兵が三河に向かうときに背後で蠢く者の数を減らす算段だったため、駿河兵の動員はもっと先の予定だった。だから、こちらも支度は不十分。
全部で2万以上を三河に入れる計画だったにもかかわらず、今橋城で謀反が起きた段階で三河に出兵できたのは、主に遠江から集めた兵5000しかいなかったのだ。
もちろん、時間さえあれば2万の兵はやがて集まる。しかし、秋には収穫があり、収穫は決まった期間に急ぎでやらねばならないから、その期間は兵を村に返す必要がある。
5000ならまだしも、これから先、2万の兵を戦場においておける時間は長くはない。
「……では、また城攻めか?」
「それしかあるまい。ここを抜かねば、先にすすめ――」
朝比奈はそこまで言ってふと気づく。
「ふむ、先に落とした船形山はさほどの防備はなかった。さすがにどこもかしこもこれほどの守りというわけではなかろう。」
船形山城は元は廃城で、今川方の目を盗んで兵を潜ませていたから、大々的に防備は整えられていなかったし、兵も守将・石川又四郎の手勢100ほどしかいなかった。
今川軍が攻めてくると、石川は早々に防衛を諦め、1日だけ耐えてその夜中にはあたりに火を放って撤退した。火は山を焼き、広く燃え移って近くの普門寺が焼け落ちていた。
流れの変わった話に各和も頭を冷やして食いついてくる。
「抜け道を探すと?」
「船形山が北の守りであったらば、それが落ちた今、北が手薄やもしれぬ。」
「ふむう、なれば、それがしが見てまいろうか?」
「頼めるか、又六郎殿(孕石)。」
「であらば、それがしは南を見てまいろう。」
「うむ、頼もう伊予殿(各和)。」
どうもこたびの城攻めは思うておったのと違うような気がする。
朝比奈は内心で不安を覚えるも、他の将兵の様子を見るために各和と孕石の陣を後にした。




