表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国の鈴木さん  作者: capellini
第9章 決裂編「やたけ心は張り詰めて」
121/173

第112話 1534年「松平重吉」

 近江幕府の発した堺方諸家に対する「御敵」宣言は、否が応でも彼らが互いに協力関係を結ぶことを後押しした。対立していた両畠山家は河内国内の幕府勢力の排除と大和国の再征服に向かうことになり、和泉・摂津・阿波の細川家・三好家は摂津の失地の奪還に向けて協力するらしい。

 その中で微妙なのは鈴木家である。和泉に詰める兵力は九条家の荘園を守る雑兵500。これでは堺の守備につくくらいしかできない。諸家は1国だけ本拠地が遠い鈴木家との距離をつかみかねており、紀伊畠山家は熊野の鳥居家を認めるわけにもいかずに完全に相互不干渉だった。

 そんな中で美濃守護・土岐頼芸と伊勢国司・北畠晴具が鈴木領に攻めかかると、鈴木家は彼らの支援なしにこの問題に対処しなければならなくなった。


 誤解とすれ違い、孤立と疎外、蓄積した鬱憤、長く続いた煩悶。心理的に強く抑圧された鈴木家は、追い詰められ、自己の存在が脅かされているかのような深刻な不安に囚われていた。

 無形の漠然とした集団的な恐怖は、近代戦争を無意識に戦いの標準形と捉えている指導者によって無自覚に誘導され、効率的な暴力性を与えられることになる。


 ◇


 東三河・嵩山城の大広間にて――


「どっこいしょ。」


 近くの重臣たちを集めた板間に鈴木重勝が入ってきて腰を下ろした。


「さても、美濃と伊勢のこと談合せん。」


「遠江の動きは放っておけませぬぞ!先手を打って湖まで一気に進むべきなり!」

「いや、今の当家には進むほどの余裕はござらん。されど、抗するのみならばまだなんとか。」

「いずれにせよ、全力を以て当たらねばならぬでしょうな。」

「しかり。ゆえにこそ、美濃も伊勢も早めに片を付けたきところ――」

「いや、美濃も兵を増やしておりますれば、熊野勢にはしばらく辛抱してもろうて――」

「否、否ぞ!熊野の者らは何とかなるとは申しておれど、厳しかろう!」

「左様。熊野に手伝いを送ることも考えねば。」

「それよりは、志摩の手当てを厚くし、これをもって熊野の助けとするがよいはず。」

「いや、今以上に尾張から兵を志摩に入れるのは――」


 諸将は不安からか矢継ぎ早に発言を始めた。

 集まっているのは、義弟の鈴木重直、惣奉行・鷹見修理亮、奉行の冨永資広・熊谷正直、小姓目付・奥平貞直、祐筆・西郷正勝、他家奉行衆の鈴木重吉・稲垣半六郎・菅沼定村ら。

 富永・熊谷・奥平は重勝の元小姓で若手筆頭。重吉は重勝の年上の従弟。稲垣は牧野氏被官で先代で故人の稲垣重賢の後任。数え14歳の菅沼定村の父・定則は旧野田城主で重勝に所領を奪われた過去があり、定則は不信を抱かれぬよう出家して嫡男を近習という名の人質として送ってきていた。


 武官としては、軍師役の宇津忠俊、隻腕の御用奉行・柘植喜楽斎(宗能)、鉄炮奉行・犬童重安、歴戦の物頭である林光衡、西三河の松平信長と能見松平重吉。

 その他に、重勝の手下として東三河の防備に奔走している分部光定と水軍衆の稲生吉重。分部は北畠家に滅ぼされた長野氏の分家で、伊勢から三河に逃れて鈴木家に仕官していた。稲生は、船大将・稲生重勝の兄でかつては志摩の住人だった。


「待たれよ、待たれよ!」


 思ったより話し合いが無秩序になってしまったため、重勝が止めに入る。


「諸将においては知ること知らぬこと様々であろう。一つ一つ問いて、確かめつつ進めていくのがよかろう。あー、五郎右衛門(宇津)。」

「承りてござる。我ら宇津党は尾張の面倒を見てまいったが、美濃と志摩には尾張から兵を送っておるゆえ、これらはひとまとまりと言えまする。東の話は西を落ち着けてこそ。」

「ではまずは、左様、志摩を片付けるためにいかがすべきか。これを話さん」と重勝が話題を絞った。


 宇津の目配せで若手武官の筆頭である松平信長が口火を切る。


「それがしは岡崎で小荷駄をまとめており申したゆえ、伊勢・紀伊のことはつぶさには承知しておりませぬ。熊野はよく耐えておって、水軍衆はいくつか島を奪ったと聞いておりますれば、国司はこのまま和睦しましょうや?」

「それがしから存念を問い質したところ、国司殿は流麗な書きぶりで『去にし人の縁が云々』と文をよこした。『去にし人』というのは前管領殿(細川道永)のことらしい。

 わかるようでわからなんだで、鳥屋尾に尋ねたるところ、前管領殿への義理立てで見せかけの戦で済ますつもりだったが、熊野勢に攻めかかられて後に引けなくなったとか。『すべて元に戻そう』とほざいておった。」

「なれば、和睦と?」


 宇津は、伊勢方面が早期に決着することに安心したような、それでいて釈然としないような、微妙な内心で問いかけるが、重勝は珍しく硬い態度で言う。


「ううむ、それなのだが。当家の危難に付け込みて兵を集め、不首尾となるとすぐに不戦を結び直し、当家の押さえた島を返せと言う。

 我らが心を配ってきたにもかかわらず、かような振る舞い。これは次もあるであろう。みなも上方の混乱を見たであろうが、諸家は右往左往。そこには確たる絆というものはなかった。」


 主君が、思っていたよりもはるかに北畠への不信を深めていたのを諸将は悟った。

 不信を除くのは難しい。自分から相手に対してのものも、相手から自分に対してのものも、そうである。重勝はこれまでの経験でそれをよく承知していた。

 それに彼は内心で、今川家や北畠家の態度は己の振る舞いのせいでもあると考えていた。

 権威を持たず武力のほども定かでない己が彼らを尊重するのは、彼らにとって当然であり、自分が謙虚にしたところで、その当然という思いが強まるだけなのだ。


「されど、そろそろ堺に琉球の船が帰ってくる。

 こたびたった2度の戦で焙烙や銃筒を多く使うてしもうた。かような戦を何度もするならば、堺から運ぶ『石』は何よりも大事。だのに、狭間の志摩で海賊が勝手をしよるは、全くもって許されぬこと。

 幸い、今や志摩に寄らずとも渥美と島勝浦(北紀伊の海賊砦)は直に行き来できるとか。そうであろう、肥前(稲生吉重)?」

「ええまあ」稲生肥前守が不穏な感じを察してためらいがちに答えた。

「であらば志摩の海賊はできれば滅ぼすがよいかと思う。」

「滅ぼす、にございまするか」と宇津はおうむ返しに言った。


 鈴木重直が周りを見渡してみれば、松平信長を除いて武官は「まあ仕方ない」といった面持ちで、奉行連中は軒並み「それはなかなか面倒そうだ」といった表情である。


「殿」と重直は義兄に呼び掛け、重勝が「うむ?」と促すと、

「滅ぼすというのが根切りのことであれば、手間がかかり過ぎまする。すべてでなく、例えば……海賊の船を奪いて水夫を磔にして送り返すとか、浦を1つ燃やし尽くすとか、それくらいにしておく方がよくはありませぬか?」と問うた。


 重直が策を案じるさまを見ながら、鷹見は微妙な顔をしていた。重直は1年以上も重勝に付きっ切りだったために、どうも考え方が似てきてしまったようだ。


「ああ、そうか。滅ぼすはわかりづらかった」と重勝は膝を打ち、

「いかにも、おぬしが言うように、戦をしようという気を起こさせぬほど叩いておくというのでよいと思う。されど、半端に見せしめをやって仇討ちだなんだとなる方が厄介ではなかろうか、と悩ましうてな。

 それに、当家にはもう志摩は要らぬが、他家の手にあっても益なきところ、つい滅ぼすと言うてしもうた」と重直の問いに答え、困り顔でさらに続ける。

「どうも近頃、先が見えぬことが多くてな。『これだ』と思うても、なんだかおかしなことになる。

 先が見えぬ中、人質のこともあって今川には迂闊なことはできぬ。されど、西で武威を示しておくのはよかろうし、伊勢に余計な気を起こさせぬは先々を見て大事。

 とはいえ、これでよいかは定かならずして、諸将の言を以てより良き思案に至ればと思う。」


 しかし、そもそもの話として周囲を敵に囲まれた鈴木家に志摩を叩いている時間と余力はあるのか。宇津は主君の話が腑に落ちず、問いかける。


「殿、志摩を叩きたいというのはそれがしも同じ思いなれど、それは難しいのでは?それとも、すでに殿のうちではやりようが定まっておられまするか?」

「ああ、いや、案はあるが、先に言うてはみなも意見を出しづらかろうと思うて。それに、志摩の地理が詳しくわからぬで、うまくいくかどうか……。」

「恥ずかしながら、それがしには何の案もございませぬ。殿の案をお聞かせ願いたく」と宇津は率直に述べ、諸将もそれに同意した。


「そうさな、いま当家が押さえておる答志島は知多や渥美のすぐそばにて、船で1刻、2刻らしい。もちろん志摩の陸地からの方が近いが、向こうもこの島に兵を入れるには船を使わねばならぬ。

 肥前よ、海では当家の方が有利と聞くが」と重勝は、志摩の元住人で小笠原水軍に属する稲生肥前守吉重に問いかけた。

「ははっ。熊野の水軍は志摩の南まではほぼ敵なしなれば、三河の水軍と合力することもできましょう。

 それに当家の熊野水軍は十分休めておりまする。熊野の南の小山党で当主が頓死し、幼き嫡男の先行きを案じた家老連中が当家の後押しを求めてまいりましたところ、これに『奪ったものは自由にしてよい』と伝えて志摩まで好きにさせておりまして。」

「うまい采配である。では、熊野と三河の水軍で挟めば志摩の海賊は抑え込めるか。」

「まず間違いなく」と同意した稲生肥前守が話を続ける。

「志摩は島七党あるいは十三地頭と申しまして、それぞれ戦船数隻を持っておりますれば全部で大小40か50あり申す。とはいえ、先の戦で関船・小早あわせて10、浦を襲うたときに10ほど奪うなどしたところ、残るは30足らずにございまする。」


 大小50の戦船を動かす水夫は1000人ほど。

 石高からすれば志摩の人口は2万に届かないから、50艘も動かすなら全力である。

 対する小笠原水軍の総数は、熊野新造20、関船30、小早100。半分以上が紀伊から三河の間で使われており、平時は帆走だが合戦では櫂を漕ぐから、その分で2000人以上が動くことになる。

 重勝は稲生の説明に満足して言う。


「というわけだ。島を城と見立てると船の城壁で守られておるようなもの。この地を守り、船にて来たる水夫や国司の兵をひたすら削っていけば、という話だ。守りの戦ならば、要害で敵をすりつぶすのが大事となってこよう。」


 すると「ちと、よろしうございましょうや」との声があがる。

 いかにも武人という風体の松平重吉からのものだった。


「その水軍のことでございまするが、先の海戦では焙烙玉にて快勝したと聞いておりまする。されど、焙烙は数に限りがあるとも聞いておりまする。

 志摩海賊を海戦で抑えるにも、焙烙は足りておるのでしょうか?相手は地元、地の利というのか海の利というのか、万一がございませぬか?」


 松平重吉からの鋭い指摘に重勝は「ううむ」と唸り、

「二郎右衛門殿(松平重吉)でよいかな、能見の」と話しかけた。

「この場にては、お初にお声がけちょうだいいたしまする。」

 松平重吉は、重勝が松平宗家を滅ぼした際に、頑固に降伏を受け入れなかった人物である。その後は信濃攻めの物頭をするなどして武功を重ね、今回初めて評定に呼ばれるに至っていた。

 重勝の記憶では、今日まではまともに話したことはなかったはずである。

「これまでの無音(ぶいん)を詫びたい。かような智将と巡り会うたを嬉しく思う。」

「もったいなきお言葉。」


「左様、そのあたりの仔細を詰めたきところなのだ」と重勝は腕を組みながら、

「船のことでもな、考えたることあり」と言う。

「熊野の海戦を聞いて思うたのだ。敵は接舷を第一としておるから、当家は近づかずにひたすら焙烙を投げておったら勝つのではないか?関船や大船を集めて高い櫓からひたすら投げ落とすのだ。」

「ふむ?」と宇津と松平重吉は困惑した声をあげた。基本的には諸将は海戦に詳しくないため、重勝が何を思い浮かべているのかよくわからなかったのだ。

 海賊衆の稲生と、湊で船を見慣れている稲垣は、情景が思い浮かぶようで目を閉じている。

「当家は船余りの水夫不足である。近づきて船を奪い捕虜を得ても自家の水夫は増えぬが、逆に捕虜を取らるれば水夫が減る。なんとか乗り込まれぬようにしたい。そのためには、左様、焙烙玉の数が死活を左右する。」


 そして、重勝は視線を犬童美作守重安に向ける。

 犬童は肥後の人で、三河に流れてきてからは火薬兵器の製造などを一手に引き受けている。


「今にも堺に船団が帰ってくるはず。『石』があれば焙烙はすぐ作れるな、美作よ。」

「はい、『石』以外の材料と焙烙はすでに支度が整っておりますれば。」

「であれば、水軍衆にはひとまずは東三河にある分を回す。運ばせよ。」

「今川が攻めてこれば、火薬なしで守ることになりまするが?」

 火薬の力を絶対視する犬童は「信じられない!」といった表情で主君を見やり、続ける。

「しかも、東三河にある分と申しても、海戦を1回か2回もすればなくなってしまうでしょう。」

 犬童はその程度の量を送るくらいならば、東三河の防備を優先するべきではないかと思ったのだ。

「今川が本腰を入れて攻めてきよるはいま少し先と思うが、志摩はその前に片づけたい。なればこそ、その1回か2回が肝要。それに、火薬は東三河で作っておるから、石さえ届けば真っ先に使うことができる。」

「左様にございまするが。」


 犬童は主君に畳みかけられて尻すぼみになった。

 重勝は犬童から反論がなかったため、問題はないと判断してどんどん早口になって話を進める。

 評定でのやり取りで何か見通すものがあったか、次々と案が出てくるのだ。


「二郎右衛門殿、これしかないが、なんとかならんか。」

「大きな船から順に狙って国司方の兵数を減らし、小舟はあえて島に漕ぎつけせしめ、予め島に兵を入れておいて討ち取るのはいかがにござろう。」

「うむ、そうだな。国司殿にはせいぜい大船に兵を満載してくれるよう、それがしの方から焚きつけておこう。おい、孫三郎、書状を作れ!これを以て二郎右衛門殿を志摩方軍奉行とする!」


 重勝は祐筆の西郷孫三郎正勝に快活な声音で呼びかけ、軍奉行の任命状を作らせる。

 松平二郎右衛門重吉はゆったりとした仕草で頭を下げ、

「過分のお役目、謹みて承りまする」と言った。

 重勝は「うむ」と応じ、頭では別のことを考えながら、書き物の支度をしに席を立った西郷孫三郎の背を目で追う。そして、途中で視線を戻して話題を変えた。


「それと、島であるが。島ゆえな、真水が乏しいはずだ。食い物も持ち込まねば足りぬはず。池や井戸を押さえ、あるいは敵兵が使うところに毒をまき、一方の当家は食い物を十分に運び入れ、これらを守って砦を築けば、自然と敵兵は干上がるであろう。」

「ごもっともにてございまする。であれば、兵は多めに500頂戴できますれば。荷運びに人手が要り申す。」

「うむ。材木やら米やらはいくらでも使うがよい。備荒の貯えがたくさんあるでな。吉良の備えに岡崎にいくらか兵もあるで、足りなばそれも使うがよい。」


 重勝が当主の仕事を義弟・重直に委ねていた間、鈴木家は食料の備蓄に努めてきたし、近頃は荒れ地で味は悪いが災害に強く収量も多めな大唐米を作らせており、少なくとも兵糧不足はありえない。


「あとは、大船のことで水夫の数が足りぬと聞くが、そういえば三河屋の者どもを使えぬか?あれの動かす大船はだいたい同じものであろう。」

「でありますれば」と稲生肥前守が口を開き、

「上部を守る惣矢倉を増やせば三河屋の船をそのまま使えるのではないかと」と意見を述べた。

「ふむ、そうか……」と重勝は宙を見つめ、「大船は伊奈と大浜あたりにあるだろうか。すぐにも湊で支度を始めるべきなれど、湊のことは……半六郎殿、案内を頼めるか」と口早に指示する。


 船の手配を命じられた稲垣半六郎は「承知」と一言言って一礼する。

 半六郎の父は牧野家から出向して鳥居のもとで奉行として働いていたが、父の死後に仕事を引き継いだ半六郎は、ほとんど鈴木家の奉行のような形で三河の湊の監督を任されていた。


「殿、書状と手形はこちらに。まだ乾いておりませぬが。」


 祐筆の西郷が書きかけの紙を寄せてくると、重勝は署名して返し、命を受けた諸将はあわただしく広間を後にした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 順当に考えれば勝ち勢力についてるからか、囲んでれば鈴木はそのうち音を上げて降伏するだろみたいな感じの幕府勢力に対して、鈴木家側の殺意が高すぎて笑えてきました。 全部終わったあとに幕府が頭抱…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ