第111話 1534年「鐚」◆
「なんとかならぬでおじゃりまするか?あないな破れた家では暮らしていけませぬ。」
「義姉上のお頼みとはいえ、そのう……。」
三条西実枝(実世)は京の屋敷で客を出迎え、煮え切らない態度で答えた。
彼の前でうなだれているのは、嫁の姉・吉田敬子である。
「夫君はどうしておじゃりまする?」
「越中に下向しようとお考えのようにおじゃりまするが、越中は本願寺が……。」
「ううむ、先の騒乱を見ますれば、ご不安もわかりまする。」
敬子の夫は徳大寺実通。正三位権大納言と高位の公家である。
しかし、先の上方の大乱で彼らの屋敷は近くの火事に巻き込まれて大変なことになっていた。
徳大寺家は越中国に荘園があるが、一向衆は盛んに北陸の荘園を押領して回って勢力を拡大しており、しかも上方の教団本部は何やらきな臭く、敬子は下向に反対だったのだ。
さてこの敬子。父は吉田兼満、三河鈴木家に寄寓して外交を担うも先ごろ亡くなった人物である。
この三河鈴木家とのつながりが彼女を厄介な立場に追いやっていた。
彼女の嫁ぎ先の徳大寺家は天皇家とも深く結びつく名家で、特に実通の叔母・徳大寺維子が将軍・足利義晴の義母として近江幕府内で大きな権力を振るっており、一見すると隆盛を極めていた。
しかし、実通・敬子夫妻はその中に含まれていなかった。実通の母は紀伊畠山家の出で、敬子は三河鈴木家に親しい吉田兼満の娘。そう、この夫妻は実家がそろって堺方なのである。
敬子はこの義叔母が苦手で、その界隈とは付き合ってこなかったから疎遠だったが、情勢からしても近づきづらくなっており、そんな中で困窮して急にすり寄るというのはあまりに惨めだった。
もっとも夫は最初から下向する気で、越中国が嫌ならば義母の実家である紀伊畠山家に行くしかないと敬子に伝えたが、敬子は姑の実家に行くのは絶対に嫌だった。
そこで最初は同父姉の婿である四条隆重に支援を願ったが、早々に断られてしまっていた。
隆重は鈴木家と険悪な今川家親族の中御門家からきた養子・隆永の子であり、彼はその縁で中御門家やこれと親しい山科家とともに京での地位を高めつつあったから、邪険にされたのだ。
焦った彼女は妹婿の三条西実枝に支援を求めた。三条西家は文芸で名声を博しており、東海の騒動に限っても鈴木家とも今川家とも縁を繋いでいて、絶妙な立場を維持していた。
しかし、その三条西家も余裕があるわけではない。当然相応に裕福ではあるが、明日にはどうなるかわからない不穏な世の中で他者を援けていられるほど心にも財にも余裕がなかったのだ。
「越中がどうにもということでおじゃりますれば、そのう、危うさで言えば同じくらいでおじゃるが、亡き義父殿のご縁で三河というのは?」
「三河は今川に攻め込まれるとの噂におじゃれば、どうして行かれましょうや。父にも困ったもので、おかしな縁を残したばかりにわらわがこうして苦労します。」
「……当家に出入りしておる一閑紹鴎なる者、実は三河の手の者にておじゃれば、麿はかの家のことをそれなりに知りておじゃりまする。」
敬子の憔悴した様子を見かねた三条西実枝が声を潜めて伝えてくると、彼女は驚いた。
一閑紹鴎とは連歌師の武野新五郎が出家してからの名乗りで、彼は当代随一の文化人で実枝の祖父の実隆に伺候し、乱世の中でも盛んに芸事に励み、連歌会や茶会を催して名が知られるようになっている。
それが三河の紐付きであったとは。
「あの振る舞いを見れば、三河はなかなか力があるとわかりまする。能ある鷹は、ということなのか、あるいはただ立ち回りが下手なのか。世評で思われておじゃるよりは、麿の知りたるともがらの間では、かの家の力は高く見られておじゃりまする。あるいはこたびの危難すらも……。」
それを聞いた敬子は、かつて父からもらった「何かあれば頼るがよい」との文をどこにしまったか思い出そうとうんうん唸りだした。
その様子をぼうっと眺める実枝は、祖父・実隆が紹鴎から明のものだと眼鏡なるものを贈られて「近くがよう見える」と大いに喜んでいたのを思い出していた。
祖父はたびたび武野から金品を受け取っているが、これは三河鈴木家の賄賂に違いない。今川とのことで肩を持ってくれということなのだろう。秩序の乱れを嘆くばかりの祖父はどこまでわかっているのか。
従弟の九条稙通は、自分と同じく祖父の薫陶を受けながらも、九条の家柄を尊重しながら支援をしてくれる鈴木家に好意を示し、本願寺からも支援を引き出そうと動いている。
己はどうしよう。従弟殿のように片方とばかり縁を結んでよいのか。義姉夫婦を送り出して三河との縁は整うから、駿河との縁を求めるべきか。
実枝は先の見えない世情を恨めしく思った。
◇
鈴木重勝は天文3 (1534)年の年始から再び人前に姿を現すようになっていた。
それまでの1年少々は休養中とはいえ、惣奉行・鷹見修理亮と部下の酒井将監と諮ってなにやら熱心に細工をしていた。別の仕事を用意しなければ本業から離れられないのは、しかも別の仕事で英気を養うとか言っているのは、もはや依存症である。
今やようやく自らが手出し口出しをせずとも何とかなることを体感できたのか、仕事量は減ってきたが、ときどき不安に思うのは変わりないようだ。他者への根本的な不信が心にあるのだろう。
また、尾張・美濃・紀伊での戦において諸将がむしろ生き生きとしているさまを見て、重勝は自分が極端に戦を避けていたのは見当違いであったのかもしれないことを理解した。
鈴木家は三河と尾張の一部を合わせた本拠地においては、いうなれば軍管区制を敷いており、兵の定期的な訓練と緊急動員、および農地の集団的な管理が行われていた。しかも、兵団を指揮する古参の部将は、重勝が小笠原長高や山本菅助とともに練り上げた軍学を伝授されていた。口伝で伝授された内容はほんの3か条。兵の動員を隠すこと、敵の小荷駄を襲撃すること、要害を守って敵兵を削ること、これだけである。それに加えて他勢力にとってはまったく未知の兵器、手銃と焙烙玉もある。
これらはすべて重勝が極度に敗北を恐れて手配りしたものであったが、結果として周辺国とは隔絶した安定性を持つ軍事集団が生まれていた。もちろん、紀伊は国人領の解体が進んでおらず、和泉では雑兵主体でやっているから、三河のみの話ではあるが。
しかし、今回のことで鈴木家の弱点もわかった。外交である。
これはこれまでは勢力拡大に結び付く長所だったが、今や短所になっていた。本来は今川家と1対1の話だったものが、複雑な上方情勢に巻き込まれた結果、制御不能になりつつあったのだ。
まず、対応できる人材が足りない。
故・宗長の後継として鈴木家の外交僧となった武野紹鴎は茶会に明け暮れている。出費を気にする鳥居忠吉や鷹見修理亮は苦言を呈していたが、お茶仲間の熊谷実長がなんとか庇っていた。
重勝が期待を寄せたのは宇喜多常玖入道もだった。しかし彼は重勝が仕官をねだって彼の帰国を妨げたせいで本領と嫡男を失う羽目になり、復権を支援するという約束を交わしたものの信頼関係は不十分。
それでも「とにかく頭数を」ということで堺に人を集めて回しているが、鈴木家は復興された堺の町にとって以前よりはるかに大きな存在になり、新しい堺方諸家の連合の中でもこれまでと違って中枢に近いところにいる。
ちょっとやそっと人材が増えたくらいでは、やるべきことすべてに対処するのは困難。
それゆえ、当主の仕事を再開した重勝が最初に行ったのは、堺がらみのことだった。
◇
この話は美濃・紀伊に敵国が攻め込む前のこと――
「五郎兵衛(森豊後守)、堺の様子をつぶさに知らせてもろうて、いつも助かっておる。中条殿と丸根殿は逝ってしまったが、そなたには日根野のせがれ殿(中条常就)を盛り立てていってほしい。」
「旧主の家名に恥じぬ大人へと至るよう、力を尽くしてまいりまする。」
堺雑掌の故・中条常隆の被官だった森豊後守は、旧主の死後、重勝の直臣となった。今回は当主に復帰した重勝が堺の様子を直に尋ねたいということで、三河に召し出していた。
中条の仕事ぶりを知る数少ない実務者である森は、若くして堺の諸将の相談を受けるような立場になっており、同時に中条の名跡を継いだ日根野徳太郎(中条常就)の傅役となっている。
「うむ」と重勝は言葉を切り、少しして「そうだ、くだんの松永なる者はどうであるか。よく働くか?怪しいところはないか?」と問いかけた。
「怪しいところにございまするか?間者ということはないと思いまするが。」
「いや、そうではないが……。扱いにくいとか、そういうことはないか?」
「ああ」と森は心当たりのある様子で「あれは相当な切れ者にございまする。中条様と丸根殿亡き後もなんとか上方諸家とうまくいっておるのは、かの者がよく取り成しておるからでしょう。そういうことでは、それがしには扱いきれませぬ」と言った。
「ほう」と重勝は額を撫で上げ、
「それほどか」と言いながらペシンと一つ叩いた。
重勝が懸念しているのは松永久秀についてだった。
松永が仕官していたと知ったのはごく最近のことで彼は大いに驚いたが、しばらく様子を見ていた。
重勝はこの人物を「茶釜を抱いて爆死した梟雄」としてしか知らない。梟雄というからには危ういところがあるのではないか。しかし、森の話を話を聞く限り結構な能吏のようだ。これは早めに信頼関係を築いておくべきだろう。機会があれば三河に呼び出すか。
頭の中であれこれ考えていた重勝は、意識を完全にそっちに持っていかれて無意識に額を叩いたのだ。
森は主君の奇妙な振る舞いを見ても努めて表情を変えないようにしていた。
「しかし、一条様に徳大寺様も、文が来たときは冷やかしかと思うた。徳大寺様は侍従殿(吉田兼満)の娘婿というし、その奥方が京の暮らしに参っておったようであるから、しばし三河で休まれるがよいな。これで京との縁が増えたで、悪いことではなかろう。」
「まことに。土佐一条のお家の方は、権中納言様(房冬)は堺南宗庵の宗亘和尚様に帰依しておられるとか。『利をともにせん』との願いはまことのものでございましょう。」
「うむ。堺との縁をお望みとあらば、おかしな二心もなかろう。大船についてもご満足いただけたようであるし、悪くない。」
「はい。近く堺に人を置くとの相談もいただいておりまする。」
鈴木家の小笠原水軍は船数に見合った人手が足りていないが、船を作らねば熊野の大工衆に銭が届かず、利を与えて住民を直接掌握しようとしている鳥居忠吉の邪魔になってしまう。そのため、熊野の船大工には船を作らせ続けて、使わない分を土佐に売ってしまうことにしたのだ。
琉球交易も利益が大きいとはいえ独力でずっと維持していくのは困難である。しかし、堺に集まる諸家は上方の情勢次第で敵に回る可能性もあるため、少し離れた土佐に味方ができるのは大きかった。
土佐を拠点にできれば、琉球とのやり取りをめぐって関係がこじれている島津氏と敵対しても、船を逃がす先ができて航路はより安全となるだろう。
「頼もしきかな」と重勝は満足げに言うと、小さく「そうだ」と呟いた。
彼が声を漏らしたのは、「一条様と九条様と徳大寺様とで朝廷に口を利いてもらって、瑞宝丸のことをどうにかできぬか。あれは九条の婿になるのだし」と考えてたからだった。
しかし、彼の小さな呟きは誰にも聞こえておらず、
「されど、大船を他家に渡すのはいかがなものかと……」と、重勝と森のやり取りを聞いていた酒井将監が割って入って懸念を述べた。
重勝は腕を組み、難しい顔をして、
「うむ、おぬしの案ずるところはよくわかるが、当家は味方を増やさねばならぬ。大船は焙烙玉と合わせて真に脅威となるで、船だけ渡す分にはまだ何とかなろうと思うのだが……」と言う。
彼もこの措置にはあまり自信がないようだが、続けて言うには、
「いずれにせよ、堺の周りで左馬頭殿(足利義維)や細川の味方ではなく、当家の味方となる者をこそ得ねばならぬのだ。これは間違いなきこと。」
「理屈はわかりまするが……」酒井は疑問が残るようだ。
堺は火薬製造に必要な硝石を輸入する拠点で、これから周辺国と戦い続けることが予測される鈴木家にとっては生命線である。これを守るためにできる限りの手配りが必要だった。
しかし、三河周辺では一頭地を抜く鈴木家も、万単位の兵を平気で動員する上方諸勢力から堺で身を守るのは無理である。そのためには壁がいる。堺に集まる摂津細川家、和泉細川家、阿波細川家、阿波三好家、河内畠山家、紀伊畠山家。これらはみな鈴木家にとっては壁だった。
壁は厚い方がいい。
堺には法華門徒も住み着いている。
根来寺はもともと紀伊畠山家の所領を一緒に奪う約束で連携していたが、鈴木家が畠山家と勝手に和睦したことに不満をこぼしており、何とか宥めすかしているところだった。
そして、一向一揆の暴走で自らも大きな打撃を受けた本願寺教団では、門主の証如が諸勢力との関係修復を望んでおり、鈴木家にも手紙が届いていた。
ただし、このとき本願寺教団の指導部は混乱していた。実質の最高指導者だった蓮淳が近江から戦火を逃れて伊賀へ脱出する道中で落命し、後継者争いが生じていたのだ。
第一の候補は蓮淳の子で三河の一揆を指導した実恵だったが、そのときの振る舞いから指導力不足が疑われていた。
証如のそばには近江幕府との和睦を主導した実従や下間頼慶がいて、証如は穏健派の彼らを頼りたかったが、実恵の立場が決まらないうちに北陸で門徒を指導していた蓮淳の婿の実顕や実玄が戻ってきた。
北陸では本願寺教団内部の争いの結果、一揆衆が教団に直属する結果になっていた。それを主導した実顕らは蓮淳によく従っていた上に、加賀の直属化という功績は大きく、蓮淳の後釜の座を狙おうというのはもっともな話だった。
実顕らは派閥の強化のために、先の大戦で証如を監禁して実従に排除された下間頼秀・頼盛兄弟を呼び戻した。この兄弟は実顕らと加賀で共闘した仲だった。そのうちに、どちらの派閥からも疎まれた実恵が骸で見つかると、教団は自然と二分され、直属したはずの北陸教団は自立していくことになる。
ともあれ、鈴木家にとっては本願寺が敵にならないならば、それで十分だった。
しかも堺には加賀国で蓮淳に討伐された彼の弟・蓮悟とその養子・実悟が潜伏している。彼らと縁を結んでおけば、何かの役に立つだろう。いっそ東海で教団を分派させてもいいかもしれない。
紀伊守護・畠山稙長も本願寺との縁を重く見て、弟を教団に入れたという。
稙長は鈴木家への敵意を抱いているが、国衆の反乱に悩まされて国内が安定せず、いまは一時的に大人しくしている。しかし、いずれは熊野に攻めてくるかもしれないし、長年対立してきた同じ堺方の新河内守護・畠山在氏と戦端を開くかもしれない。堺方内部で争っては確実に近江幕府に潰される。
重勝は何とか両家の目を外にそらそうと、堺に隠れる実悟の弟で大和国本善寺の住持である実孝と連絡を取って、両畠山家の大和国進出を後押ししているところだった。
これらの間でのかじ取りは難しい。どのつながりがどういう騒動に展開するかも、どの勢力が優位にあるかもまるでわからないのだ。
こうなっては大事になるのは信頼関係だろう。ただの壁ではなく確かな友を作るのだ。確かな友はいまは信濃小笠原家のみだが、鈴木家は案外、細川諸家とは関係がよい。また、この時点では重勝は北畠晴具と友になれると思っていたが……。
ともかく、それゆえ彼は土佐一条家には友としての間柄を望んでいた。この家とはこれまで何の関係もないから克服すべき軋轢もない。さあ、商売仲間から始めよう、というわけだ。
「銭座のことも、堺衆との誼のためにございまするか?」と酒井が尋ねる。
銭座とは、堺の町を再建するにあたって作られた私鋳銭の工房である。
堺の町の再建は鈴木家の奉行が主導していたが、銭の私鋳について「もうちょっと質の良い銭を作るように」と要請して、種銭の調達や鋳型の定期的な交換を監督する座を作らせたのだ。
この座を介して私鋳銭を製造・流通させるわけだが、名目上は「琉球を介して輸入した銭を管理するため」としており、堺公方・足利義維に本所になってもらって、座役を納める形を整えた。
その代わり、町衆の希望に合わせて堺の自治を認めさせた。彼らは鈴木家の奉行職を排除しようというつもりはなかったから、実質は鈴木家が町奉行の職を独占することになる。
とはいえ、重勝は付き合いのある和泉守護・細川九郎と摂津で暗殺されかけて逃げてきた細川尹賢に名目上の代官を出してもらって、町衆からは彼らに適当に上りがいくようになっている。
一方の奉行は町衆に運上を課すのではなく琉球派遣船団の収益を使って動いており、ぱっと見は利権としての価値が低いから、両細川家が了承したことで堺方諸家からも異議はなかった。
「左様。西国では、新しく見ゆる明銭(永楽銭)は、私鋳の鐚がごときものとして宋銭より好まれぬが、東国では通用する。『琉球よりの銭』と装って堺が永楽銭を作るならば、伊勢・尾張あるいは東国と売り買いしたかろう。それには間にある当家の助けが欲しいはず。
当家にしても、この永楽銭を堺の諸家にばらまいておけば仲を深められるし、かの家々がこの銭を使えば『永楽10文で1文』などという使われ方もせぬであろう。」
「なるほど、みな受け取った銭はどうにか高く、ともすれば1文として捌きたくありましょうな。」
「左様。堺で仕入れたという名目で、三河で作った永楽銭を外にても高値で使うこともできよう。当家の船がいつ何をいかほど運んでおるかなぞ他国にはわからぬからな。」
「銭への信も高まるし、益はあると。」
「うむ。町衆とも一蓮托生でやっておるうちに信を結びて互いに助け合う間柄となろうて。」
「まあ、上方で付き合いが一番長いのは堺の商人どもなのは確かにございまするが。」
「そうであろう。かの者らは当家に害をなしたことはないぞ。」
鈴木家はかつて三河の名を冠した私鋳銭を作ってみたものの、国内でしか使うことができず、火薬兵器や武具の増産に金属や技師の人手が必要になると、製造を止めてしまっていた。
とはいえ、すでに流通している型の銭を作るのならば、同量の金属に比べて貨幣の方が多少は価値が高いし、私鋳銭を普段の取引に回せば良銭は贈答用に備蓄できる。
「三河の蔵本と堺の町衆とで帳面の書き換えや手形の交換でうまいことやり取りしておるようだ。深く結び互いに信を置き合わするによって、わざわざ堺と三河の間で重い銭を船で運ばずとも銭なしで物の売り買いができるとなれば、船荷にも余裕ができるし、海難の心配も減るし、よいこと尽くしである。」
「……毎度、毎度、殿と商売の話をいたしますれば『なんだかそれも正しいやも』と思えてくるのが不思議にございまする」と言う酒井は何とも言えない表情をみせる。
「こんなのに煙に巻かれておってはいかんぞ」と重勝は小さく笑った。
酒井は主君が以前の調子を取り戻してきているのを確かに感じたが、ここ1年ほどで準備してきた秘め事の中身を思って内心に複雑な気持ちを抱えるのだった。
【史実】徳大寺実通が1534年に下向したのは史実通りですが当然三河ではなく、また、徳大寺家内の権力バランスも吉田兼満の娘の名前も創作です。実通は本来、1545年に越中で殺されます。
【史実】本来、中条常隆は織田家に降伏して老後は森豊後守の世話になって家が途絶えます。作中の日根野徳太郎(中条常就)は史実の日根野弘就です。
【史実】銭座は江戸期にできるもので、ここで出てきたのは名前だけ借りた別物です。当初、明銭は価値が低かった一方、国内でかなりの量が私鋳されてもいたようです。史実では東国を中心に普及したようですが、本作では堺公方公認の1文相当の銭となっていくことと思います。




