第110話 1534年「蓋」
美濃守護・土岐頼芸が動いた。
その知らせを受けて、堺方、特に鈴木家への治罰を自由に認めるとの御内書を将軍から受け取っていた面々は、重い腰を上げた。その中で一番腰が軽かったのは伊勢国司・北畠晴具だった。
◇
異変にいち早く気づいたのは、紀伊国東部の尾鷲に「今長篠城」を築いて三河国長篠への望郷の念を紛らわせていた長篠(菅沼)左馬允元直である。
「やはり動いたか!ぬしらの魂胆なぞ、この左馬允にかかればお見通しよ!」
元直が与力として支える熊野の鳥居忠吉は、西紀伊の守護・畠山稙長と一応の和平に至るにあたって、戦争中だった紀南の諸勢力とも和睦していた。
忠吉の「熊野別当」称号に反発していた米良氏は「那智別当」の称号と那智社の支配を認められていち早く和睦し、孤立した潮崎氏は壊滅。残る色川氏は那智山のさらに奥に追いやられた。
こうして東西紀伊は1国全体でかろうじて表面上は同じ堺方でまとまっていたから、熊野の鈴木勢力は仮想敵を北畠家に定めて牙を研いでいた。
特に元直は尾鷲から北畠の様子を伺っており、彼らが領境の長島城を強化しているのを知っていた。一応は同盟を結んでいながら熊野方面以外に進む先もない砦を増強するなど、あからさまなことよ!
「者ども、安易に約定をたがえればどうなるのか、その身に刻み込んでやれ!」
彼は子飼いの兵50で領境の熊野古道・始神峠に潜伏し、長島城に集結しつつある北畠軍を捕捉すると、これに張り付いて情勢を逐一正確に把握し続けた。
熊野古道沿いの山中にはいくつも山伏と共用の隠し拠点がある。これらに徐々に集まってくる兵を加え、元直は総勢300ほどで、北畠軍の攻撃を待つことなく先制奇襲攻撃を仕掛けた。
◇
「御所様、大河内御所様(頼房)よりまたもや兵糧の相談が来ておりまする。」
「またか。あれがかように戦下手とは思わなんだが、それとも熊野が一枚上手とでもいうのか。」
弟の大河内頼房から兵糧の催促が来ると、不機嫌に国司・北畠晴具は吐き捨てた。
志摩海賊を被官化し、北勢でも多くの国人を傘下に収め、全部で45万石か50万石かに至った北畠家からすれば、たかだか5万石ほどの熊野は十分に小勢力。晴具の不満も仕方なかった。
しかし、側近の山室式部少輔は報告だけすると、返事もせずに硯で墨を作っている。
その澄ました様子が何だか非難しているかのように思えて晴具は山室に声をかけた。
「おい、式部!」
「墨は南都が一番にございまする。」
山室はもともと鈴木領を攻めることに懐疑的であったから、含むところがあるのだろう。
その様子を見ているのは、鳥屋尾豊前守。彼は対長野戦中に鈴木家から借り入れた兵糧の対応を含め伊勢大湊方面の事柄を所管している。
今回の熊野攻めについては、くだんの借財の返済が思わしくないため開戦して踏み倒そうと賛成に回った。しかしいざ戦が始まると、熊野勢は執拗に小荷駄隊を襲撃してきており、上方の度重なる戦災で米価が高騰して外から兵糧を集めるのも難しいところであるから、嫌な予感を覚えていた。
「確かにあちらは熊野の山伏を味方につけて山中から神出鬼没にございまする。されど、これも長島での支度が整うまでの話。かように姑息な手に出るのは、所詮は小勢であるがゆえにございまする。ここは何卒ご辛抱いただき、ご舎弟様をお支え下され。」
山室に代わって鳥屋尾が頭を下げる。
「……いま集まっておる者は誰そある。」
「野呂の手の者がおりまする。」
「かの者らに兵糧を運び込ませよ。さらにもまた国衆に参集を呼び掛けておくのだ。」
頭を下げ続ける鳥屋尾の額には汗がにじんでいた。
◇
俵を背負った駄馬が栃古川の岸辺に幾頭も立ち止まっている。
人夫たちは川から水を飲んで休憩しているようだ。
しかし、熊野兵に対する警戒は厳しくなってきており、護衛は抜かりなく周囲に気を配っている。
「荷を奪うのはもう無理だな。されど、最後に邪魔だてだけでも。よいか、なるたけ煙を立てるなよ」と愛洲兵部大輔が手下にこそこそ話しかける。
「……用意はできたか?まだ待て、あっちに石を投げる。それで、そこなる兵がそっぽを向いたらば」と言いつつ愛洲は石を高く遠く放り投げる。
「よしっ!いまぞ、放て!」
愛洲兵部大輔が合図をすると手下は一斉に火矢を放った。
背中の俵に火がついて驚いた馬が逃げようとするのを、人夫らが面繋をとって何とか宥める。
一方、喧騒を脇目に国司の兵はいっせいに矢の来た元へと駆け寄る。
「それ逃げろ!」
愛洲らは敵の方を見向きもせずに一目散に山へ駆け戻り、西の尾根を越えた先の修験者の拠点・百宮寺(有久寺)で一休みする。
「こう何度もやっておっては、ここもじき見つかるだろう。そろそろ潮時か。」
口をへの字に曲げた愛洲は拠点をたたんで、長篠元直が陣城を築いている一石峠を目指した。
峠は唯一の進軍路でありながら、大きな切通しがあるため、封鎖してしまえば突破は容易でない。
元直はこの地に野戦築城して兵の屯所まで設けており、長期戦の構えである。
「おぉい、おぉい!」
「おう、何かと思えば、兵部殿(愛洲)か!山伏かと思うたぞ。」
「いやはや左馬允殿(長篠元直)、もはや荷駄を襲うのは諦めた。敵は本腰を入れてこれを守りに来ておる。長島の兵も入れれば、3000か4000はいくのではないか。」
「4000とな!ずいぶんと集めたことよ。されどこの切通しよ。いかに大軍とはいえ、否、大軍であればこそ、引っかかって通れまい。」
元直の自信ありげな様子に愛洲は安堵し、その後は陣地構築と物資の運び込みに協力した。
◇
いよいよ北畠軍も準備が整って、600に数を増やした元直隊と国司軍先鋒800は峠で接敵した。
長島から2刻ばかりかけて険しい山道を進んできた国司の軍勢は最初から疲れており、それしきの攻撃では峠の陣城はびくともしない。元直も陣城の内から一歩も出てこないから、付け入る隙もない。
とはいえ、熊野勢も特段糧食に余裕があるわけではなく、早くに決着がつくならその方がいい。
そこで、元直は尾鷲と始神峠の間にある引本浦・矢口浦・島勝浦の海賊砦に対して軍船の派遣を要請し、国司軍が駐屯する長島浦を脅かした。
国司軍は食料を浦で獲った魚で賄っていたから、鈴木方の海賊に舟を焼かれるなり沈められるなりされると、峠に張り付いている以外の兵で兵糧輸送を再開した。
「海賊か。ならばこちらも志摩衆をぶつけてやれ。」
北畠晴具の命令で鳥羽(橘)忠宗は諸家の関船をかき集め、志摩半島を回って長島を目指した。
忠宗は鈴木家に属する小笠原水軍が1000石を超える大型船を運用していることを知っている。
しかし、こういう大船は鈍重であるから、取り囲んでしまえば何とかなるだろう。
「小笠原の海賊衆は大船を持つで、まともにやり合っては勝機はない。速さを活かして回り込め!」
小笠原水軍は3隻の大型船を3隻の関船と20足らずの小早で囲んでいた。
関船の数はまだあるが、乗り手が足りず留守番をしている。
対する志摩方は関船10と小早20ほど。
大型船こそないが、腕のいい海賊が集まっている。
志摩方の関船・小早は大型船より先に取りまきを削ろうと敵の関船・小早を狙うも、小早は逃げるばかり。兵数に不安のある鈴木方は、接舷して乗り込まれるのを嫌っているのだ。
しかし、そうはいっても潮目や風向きで接近を避けられないときもある。
すると、接近した熊野船は奇妙な火矢を放ってきた。
志摩方の水夫は、それを最初は普通の火矢かと思ったが、油壷らしきものが落下すると弾けて大きな音を立てて強い炎を吐き出すのを目の当たりにして、どうも勝手が違うと悟った。
志摩方・越賀氏の関船は苛立ったか、散らばって相手にしづらい敵小早を無視し、関船を脇に従える敵大型船に組み付こうとした。
しかし、背の高い大型船から打ち下ろすように例の壺を浴びせられると矢倉が炎上。船は放棄された。
火矢の効果が高いのは舷側に矢が刺さったときではなく船の上面に落ちたときである。そのため、背が高い大型船は遠距離から効果的な攻撃が可能だった。
しかも、大船は船体が大きくて多少は揺れに強いから命中精度もよく、そもそもこの焙烙火矢は爆発力よりも燃焼力を優先した組成の火薬を使っている。
「ありゃあ近づかれぬぞ!数発もくらっちゃあ仕舞や!」
「周りのも妙な壺を射かけてきよるで!乗っとるのは九鬼の野郎どもや!」
僚船の船頭である田城左馬や小浜将監が、叫びすぎて調子の外れた胴間声で呼びかけてくる。
「敵は油に細工でもしたんか」と忠宗は思案しかけたが、今は考える暇はないとばかりに、
「ええい、せんかたなし!者ども、一気に詰めて乗り込め!」と率先して敵の大型船に接近した。
「わはははは!俺らの方が背が高いで、うぬらの火矢は簡単には刺さらんぞ!それそれ、焙烙をお見舞いしてやれ!」
新造船を任されている熊野方の若き船頭・九鬼重隆は自ら弓を引き絞りながら配下を鼓舞する。
しかし、彼の乗船に接近するのは忠宗の関船だけでなく、大将に倣って他に2隻あった。
忠宗船は矢倉に火の手が回り始めて消火のために櫂を止めたが、2隻の僚船のうち1隻は潮の流れに乗って火を噴きながらそのまま近づいてくる。
もはや火の手を押さえられないのか、兵は櫂を捨てて海に飛び込む。
「げげっ!まずい、まずいぞ!おい、しっかり漕げ、ぶつかるぞ!おい、待て、やめろ!ああ、ああ、俺の船がぁあ!!!」
それ自体が燃え盛る巨大な火矢となった関船は鈍重な大型船に追いついて体当たりし、重隆乗船は異音を立ててひしゃげ、浸水を始めた。
最新鋭の、しかも初めて任された船を失うことに耐えられず、重隆は悲痛な声で絶叫する。
そのさなかにも船を脱出する人々を拾うために味方の小早が危険を顧みずにやってくる。護衛の関船は、これらを守るように志摩方の船を威嚇しながら、つかず離れずを保っている。
やがて、叫び疲れて呆然としている重隆を年嵩の水夫が担いで寄せてきた小早に投げ落とした。
貴重な新造船を失い動揺する鈴木方。
しかし、この時点で志摩海賊の関船は、炎上して放棄されたものが3隻、消火中に流されて戦場から外れたものが2隻、消火中に乗り込まれて制圧されたものが2隻で、戦っているのは3隻だけだった。
これ以上はしようがない。
沖合に流されていた忠宗は、味方がやられるのを遠巻きに見るしかなく、無念を噛み殺しながら撤収を始めた。敵船は足の遅い大型船を放置して追撃するわけにもいかないから、幸い逃げるのは難しくない。
忠宗はこれからのことを考えながら志摩に戻ってきた。
しかし、どうも浦の様子がおかしい。
「ちくしょうめ!村が燃えとる!そうか、三河の船があったかっ!」
志摩海賊が戦ったのは、小笠原水軍全体の四分の一か五分の一ほどの規模の船団でしかなかった。
琉球、和泉、紀伊、三河、これらの海域での警固にそれぞれ1船団が割り当てられているのだ。
憤懣やるかたない志摩海賊衆は、鈴木方の小早を制圧して生け捕りにした捕虜を何人かなぶり殺したが、そういえば味方も捕虜になっていたことを思い出し、北畠家に人質交換を依頼した。
◇
「まったく、九鬼の若造はすっかりしょげてしまいおって。」
「まあ、船手の方はあれの兄がおるで問題ないようだが。」
長篠元直と愛洲兵部大輔は平気な風で話しているが、実のところはかなり追い込まれていた。
一石峠も次なる防衛線の三浦峠も失陥し、100ばかりの兵が死傷している。兵を追加で集めて1000近くとなっているものの、疲労は蓄積し、今は最後の防衛線である始神峠にまで押し込まれていた。
あまり新宮から兵を引き抜くと色川残党や、それこそ配下であるはずの堀川党まで何か悪いことを考え出すかもしれないから、あと1000かそこらの動員が限界である。
北畠軍も数倍の出血を強いられ士気は低いが、最初から4000もの兵がいるし、足りなければさらに数千は集めることができるから、替えの兵は十分ある。
長く険しい山道を行軍してきても、熊野勢は陣城からほとんど出てこないし、道が狭くて一度に全軍は戦えないから、攻め手の後ろで入れ代わり立ち代わり休憩することができた。
また、確かに長島浦には小笠原水軍が跋扈しているが、彼らは内陸の輸送路まで手を出してくるわけではないため、人手を増やせば兵糧の維持は可能だった。
倉が次々空になるその勢いに山室や鳥屋尾ら奉行人は顔色を青くしていたが。
「九鬼らはちゃんと三浦を襲っておるのよな?」と心配げな愛洲。
「そのはずだ。されど、水軍衆は人も船も数に限りがあるゆえ、無茶はできぬ。」
九鬼海賊は始神峠の海側、島勝浦からたびたび出撃して三浦を襲撃している。
三浦を通る道は海から直に乗り付けて攻撃が可能であるため、そこで荷駄を襲っているのだ。
「向こうも苦しかろう。長引けば多くの兵を出しておる伊勢が先に音を上げるはずだ。」
「だとよいのだが。」
◇
「やはり海か。」
北畠晴具は失敗の原因を端的に述べた。
彼は海賊衆の大事さを痛感し、もはやこれに関しては鈴木家にかなわないということも理解した。
「答志島・菅島を獲られてよりは、神宮や神人らが『和睦、和睦』とうるさくなってきており申す。越賀の手の者も人質となっておるようで。」
伊勢大湊の声を直に聴く立場の鳥屋尾は疲れた様子で応じた。
答志島は志摩と渥美の間の、沿岸航海をする上で重要な立地にある。
九鬼重隆が志摩海賊と戦っている間に、三河の船大将・稲生重勝らは志摩半島の浦や沖の島々を略奪して回り、知多や渥美の兵を拾って答志島と隣の菅島に運び入れ、占領していた。
越賀氏は海戦で捕虜となったが、略奪時に連れ去られた者も少なくない。
大湊にまで海賊が略奪に来るようになると、神宮とその門前町の宇治・山田の諸役人は、普段はいがみ合うくせに今は団結して取次の鳥屋尾に三河との和睦を求めてきていた。
彼らは商人としての顔も持っているから、鳥屋尾は兵糧の調達で彼らに協力を頼まねばならない都合、主君に和睦の要望を伝えざるを得なかった。
「そして例のごとく、三河からは文が来ておりまする。」
「どれ」と晴具は手紙を受け取り、目を通しながらちらっと山室に視線をやってため息をつく。「まあこれで、舅殿への義理は果たした。もうよかろう。」
彼は亡き岳父・細川道永の縁で幕府を支援していたが、その死後、六角定頼主導となった幕府では北畠家の扱いについて何か利になるような話も聞こえてこない。
一方、今回で伊勢は、三河と紀伊にまたがる大きな蓋を簡単には打ち破り得ないとわかった。
義理さえなくなれば、後の進路は決まったも同然だった。
「もうよかろう、とは?」
不穏な響きに鳥屋尾は尋ねたが、晴具は黙ったままで、
「筆も奈良に限るというわけでござる」と山室が答えた。
◇
鈴木家と北畠家の衝突。
これを注視するのは、西尾張の雄・織田信秀と駿河今川の知恵者・九英承菊であった。
【コメント】火器を使った大船が近づかれなければ有利というのは、1578年の木津川口の戦いで九鬼の6隻の大船が大砲で敵を寄せ付けず、毛利の数百隻を撃退した例があります。数字は胡散臭いですが。
【コメント】本作での北畠家は志摩・北勢まで勢力を伸ばしています。内部には鈴木家と親しい伊勢神宮がありますが、南と西は攻め込まれにくい山道で、東国船に対する海の玄関口でもあり、穀倉地帯の伊勢平野の多くの部分を押さえる強国です。防衛時は兵2万近い動員が見込まれます。東三河からは海路を使えば尾張よりも近いです。伊勢湾という自然国境もあり、領土を削るのは大変です。なので、主人公はこれまで下手に出て不戦を維持してきました。




