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戦国の鈴木さん  作者: capellini
第8章 今川上洛編「風雲急を告げる」
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第99話 1531年「管領」

 享禄4 (1531)年。

 数年来、近江と堺には2人の公方が擁立されて幕府は分裂状態にある。

 正規の将軍である足利義晴は管領・細川道永に担がれ、近江守護・六角定頼や道永の娘婿の伊勢国司・北畠晴具などを支持母体に、全国的な権威を保持していた。

 一方で、次期将軍に与えられる左馬頭の職を賜った堺の足利義維は、義晴の異母兄弟で将軍たるに十分な正当性を持ち、それを支える細川六郎も管領の地位にふさわしい出自であった。


 堺公方を軍事的に支えるのは、丹波の柳本賢治や阿波の三好元長だった。しかし、彼らは細川道永に対する反発心だけでまとまっており、互いの利害が衝突してまとまりに欠けていた。

 現に、堺方は少し前に京を得るにまで至ったが、その後は内紛に陥り、肝心の三好元長が阿波に帰国しているありさまだった。

 その隙を突いた細川道永は、美作・備前・播磨に勢力を持つ浦上村宗の援軍を得て、一気に京と摂津を攻め獲った。

 この事態になって、さすがの堺方も内輪もめをしている場合ではないと、喧嘩別れしていた元長を呼び出し、近江と堺の両軍勢は南摂津で睨み合うのだった。


 ◇


「六角弾正も融通の利かぬ男よ。あと一歩で我らは天下を手中に収め、世は再び太平を享受しようというものを、『伊勢が、美濃が、浅井が』とせせこましい。

 しかもこの男、弾正を名乗って京の守護者を気取っておるかと思えば、序が何だ、和が何だと小うるさいだけで腰が重い。わしより10も若いとは思えぬわ。」


 淀川東岸の中嶋浦江城に陣をしいた細川道永がぶつくさ文句を言っていた。

 側近の新開宗源老人がうんうんと頷いている。

 六角定頼が名乗る弾正というのは京の治安維持を司る役職であるから、道永は、定頼が名乗りの割に京に向けての出兵を渋るさまを以てそう評したようだ。

 道永は自分の思うように動かせない定頼を嫌っている。いや、京のすぐそばに拠点を持ち、幕政にも関与しうる定頼を、己の立場を脅かしうる存在として警戒しているのかもしれない。

 いずれにせよ、道永は定頼にいまだに近江守護の職も正式に与えていないし、彼が仮名として名乗る弾正少弼の職を朝廷に働きかけて正式に賜れるようにも動いていなかった。


「こたびは浦上の助けでうまく京を取り戻した。弾正にもこれくらいはしてもらわねばな。序や和とかいうものは、力を振るった後にこそ得られるもの。じっと流れの定まるを待っておっては届かぬ。なによりもまず勝たねばならぬ。その途中を問うておる暇はないのだ。

 その点、浦上はよく心得ておる。あの今川も、よもや武田を滅ぼすとは思うておらなんだが、『甲斐守護職をくれてやる』の一声で散々渋っておった上洛をする気になった。これらの方がよほど時流を読み、世の中をよく見ておる。」


 道永は浦上村宗を気に入っていた。

 かつて足利義晴は将軍就任前の幼子の頃に、浦上の主君・赤松義村に拉致されており、道永と村宗は義晴を取り返す際に協力した仲だった。

 そのとき村宗は義村を暗殺しており、今はその遺児・赤松政村(後の晴政)を傀儡に仕立てていて、彼が己の立場を正当化するのに道永を援けるのは必然だった。下剋上は幕府のための振る舞いだったと世間に認めさせねばならないからだ。

 そして、彼は今回も美作・備前の本拠地から播磨に進出するにあたり、同じく播磨を攻めていた堺方の柳本を暗殺している。


 一方、六角定頼には、悪辣な手法を繰り返す村宗も、それを重用する道永も、気に入らなかった。

 彼は長らく道永の政治を見てきて、彼の金と名誉を使った即物的な人脈づくりに疑問を抱いており、いたずらに軍事行動を起こすところも認めていなかった。

 幼くして僧籍に入り、20年の時を過ごしたからだろうか。

 定頼は若い将軍を正しく導かねばならないと考えていたし、京や近江の安定は自分の双肩にかかっているという自負も覚えるようになってきていた。

 しかし、道永からすると、彼のそのまっとうなところが物足りないのであった。


「浦上の背後で尼子は内乱。それを見た大内は九州を攻めておる。これらに頼れぬのは歯がゆいが、この際、浦上のみでも十分。

 いや、尼子も大内も動けぬならば、かえってこれらを心配せずともよい浦上に後顧の憂いはなし。そして、丹波勢を率いる柳本はもうこの世にない。今こそ攻め時!だのにあの者はなぜ兵を出さぬのだ!」


 何度目かの癇癪を爆発させる道永を横目に、新開老人は使者とのやり取りを済ませ、主君に援軍の到来を報告した。それを聞いた道永は急に怒気を収めて返事をした。


右京兆(うけいちょう)入道様、お味方の赤松殿(政村)、ご着陣にございまする。」

「うむ、大儀。浦上はやはり主君をよく動かしておる。これで我らの兵は三好の兵を大いに上回ることであろう。しかも、かの者は戦上手。

 この戦を制すれば再び天下は定まり、公方をわしが、そしてわしに続く次なる細川の者が支え、泰平の世が訪れるであろう。惜しくもせがれは先に逝ったが、はたして次は何者に任せるべきであるか。弟か養子か、そろそろ決めねばならぬが、まあ堺を押さえてからでよかろう。」


 道永が皮算用をしていると、浦上の軍勢が何やら騒がしくなった。


「む?何事であろうか?」と彼がつぶやき、新開老人は「人を遣りましょう」と応じた。


 ◇


 三河でたっぷりと饗応を受けた今川上洛軍2000は、鈴木家の将兵の先導で瀬戸から美濃に入り、不破関から近江に入った。

 途中、今川家当主の氏輝は、瀬戸では尾張守護代・織田達勝の使者の挨拶を受け、美濃に入ってからは直々に土岐頼芸の挨拶を受けた。

 頼芸は長らく争ってきた土岐頼武を追い払って、現状は単独の美濃守護となっており、その立場を世間に知らしめるためか、上洛軍に200の兵を供出した。

 順調に近江に入った今川軍であったが、六角家と約束してあった案内の部隊がいつまでたっても不破関に現れなかったため、勝手に進軍をはじめた。


「左京進(岡部親綱)、六角からは誰そ来たか?」と今川氏輝が輿の簾を上げて尋ねた。行列にはもう一つ輿があり、これには彼の母・寿桂尼が乗っている。

「小谷の京極殿(高吉)よりのお使者はござれど、かの方も何も聞いておらぬとのことで。」


 北近江の小谷城には六角家の支援を受けた京極高吉が入っており、美濃から軍勢が現れたとの知らせを受けて接触してきたのだった。

 京極氏はお家騒動と浅井亮政の下剋上で崩壊したが、六角定頼の支援で北近江に復帰し、定頼が浅井氏との決戦で傷ついた自家を立て直すまでの間、北近江の掌握を任されている。


「ふむ、ひとまず湖まで出てみるか。」

「そういたしましょう」と岡部は困り顔で応じ、軍勢を進発させた。


 やがて上洛軍は佐和山の城将・小川左近太夫に招かれてこの地で様子を見ることになり、そのうちにようやく六角定頼からの連絡が来て、一行は彼の居城・観音寺城に入った。


「いやはや、摂津での混乱ゆえにやむを得ぬこととはいえ、我らの不手際でご不便おかけ申した。されど、今この時に2000の援兵を得られたはまことに心強く、感謝申し上げたい。」


 定頼は平静を装っていたが、今川氏輝に話しかける口ぶりはやや早口であり、焦りが滲んでいた。

 氏輝は詳しい状況は知らないでいたが、どうも幕府軍が摂津で堺方に大敗したらしいということだけは聞かされており、白磁のような顔色で、

「今ひととき間に合わずして管領殿の助太刀かなわぬは無念の至りにございまする」と思い詰めた風に答えた。

「よもやかような事の運びになるとは何人も思い浮かべてはおらなんだところ、そのお気持ちばかりで十分にござろう。今は何よりもこれからを考えねばなりますまい。」


 平静を失いつつあった定頼は、この貴公子の純真なさまにいくぶんか心を和らげてため息交じりで言い、

「公方様はぜひとも貴殿にお会いになられたいと仰せなれど、なにぶん坂本より急ぎ移られたばかり。少々お時間のかかることでしょう」と続けた。


 将軍・足利義晴は管領・細川道永の上洛に合わせて近江北西の朽木から京の北東の坂本まで南下していたが、幕府軍潰走の知らせを受けて六角家に身を寄せ、今は観音寺城の近くの長光寺に滞在していた。 


「公方様の御身に何事もなかったは何よりでした」と氏輝は少し安堵した様子でそう言った。

「まことに左様でございましょう。」


 連れ立って歩く2人と随員たちのもとへ、六角家重臣の馬淵山城入道が近寄ってきた。


「どうした」定頼が素早く尋ねた。

「伊勢の国司殿(北畠晴具)が参られました。御屋形様に急ぎ知らせねばならぬことがおありとかで。」

「なに!」定頼は隣の氏輝をちらりと見て「貴殿も同席なさるか?あるいは駿河よりの長旅ゆえ、しばし休まれるのもよろしいでしょうが」と尋ねた。

「いや、この流れでの国司殿の訪れとなれば、おそらく幕府にかかわる大事にございましょう。それがしも話を聞いておきたい。」

「では」と定頼は一言だけ言って、馬淵に視線で指図して北畠晴具の待つ部屋まで案内させた。


 瞑目して厳しい顔で座っていた晴具は、外から声がかかると即座に入室を許可し、パッと顔を上げて部屋に入ってきた者たちを見た。


「おお、弾正殿。」


 定頼を見た瞬間に晴具はやや安心したような声をあげたが、それでいて表情は不本意なようにも見えた。

 北畠家と六角家は伊勢の長野氏を一緒に討伐した仲だったが、協力関係というよりは競い合って滅亡寸前の家を削っただけであり、国司の晴具からすれば、北勢に六角家が入り込んでいるのは面白くなかった。

 とはいえ、近江幕府を支える身としては今や2人は近畿で最大の勢力であるから、それが無事に合流できたことに安堵を覚えたようだ。

 しかし、晴具は定頼に続けて入ってきた若者を見て、一大事と伝えたのに事前に知らされていない人物が同席することに不信感を覚え、むっとした様子で言った。


「して、そちらは?」

「申し合わせもなしに急なことですまないが、こちらは今川家当主の民部大輔殿だ。集まった兵を見たであろうが、あれは民部大輔殿の手勢。今この時分には頼もしいことだ。」

「おお、そうであったか。」


 晴具は定頼の説明を聞いてすぐに警戒を解いた。今川上洛の話は三河から聞いていたからだ。


「摂津のことで何か知りえたか?」定頼はいきなり本題を切り出した。

「うむ、先ごろ堺方からの急使が伊勢まで来たのだ。三河の……船でな。」


 晴具は途中まで早口で言うと、しまったというような感じで口ごもり氏輝の様子を見た。

 今川家と三河鈴木家の微妙な関係を知っているからでもあるが、曲がりなりにも主君である今川を差し置いて鈴木とやり取りをしているのを気にしたのだ。

 氏輝も晴具が何に気兼ねしているのかはすぐにわかったが、彼の中でも鈴木家にどのように接するべきなのかいまだに掴み切れないでいるため、何とも答えようもなく曖昧な笑みを浮かべて頷き、先を促した。

 しかし、晴具はいったん口を閉ざしてしまったせいか、嫌に重苦しい様子で先を言いよどんでいる。


「それで使者は何と?」定頼は堪え切れずに問うた。

 それを受けて晴具は瞳にやや逡巡の色を残したまま、やけくそ気味にぼそりと言った。


「……残兵なし、管領殿ご自害。」


 定頼は目をつむり、天を仰いだ。


 ◇


 南摂津で幕府軍と三好元長軍が対陣していたところ、幕府方の援軍として現れた赤松政村が突如、父の仇である浦上村宗軍に攻めかかり、この機に乗じた三好軍によって幕府軍は全滅させられた。

 管領・細川道永は尼崎まで逃げたが、元長は先代・之長の仇である道永を執拗に追跡させ、捕らえて自害に追い込んだ。享年48。遺言は娘婿の北畠晴具に三河屋の早船で伝えられた。

 長らく続いた細川京兆家当主の座と幕府管領職をめぐる争いは、道永が権力を確立して収束するかに見えたが、彼に後継者はなく、幕府は再び混乱に陥ることになる。


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― 新着の感想 ―
[良い点] これは良作! ややッ!!匂う!!これは氏輝若干の間生存ルートの匂い!! 雪斎&四男を京へ追放!!義元復讐の権化!!ラスボス化!! ウルトラCで山城で今川幕府爆誕!!
[一言] 中央政局はここからがまた混沌なんですよね...今川まで来たから混沌がもっと酷くなるかも知れないですね。
[一言] >あの今川も、よもや武田を滅ぼすとは思うておらなんだ そういえば、分家に当たる安芸武田氏あるいは若狭武田氏の反応も気になるところですね。
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