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戦国の鈴木さん  作者: capellini
第7章 埋み火編「甲斐の虎」
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第94話 1530年「青天の霹靂」

 紀伊国南の潮岬の西方、日置川に沿った安宅氏の治める地において。

 安宅定俊が数百の兵で籠る八幡山城は、鳥居伊賀守忠吉の軍勢に取り囲まれていた。


 享禄3 (1530)年、紀伊の安宅家では家督争いが生じた。

 安宅家の前当主には幼子しかおらず、その叔父にあたる安宅定俊が後見人となったが、彼は甥・安宅安定が元服した後も実権を手放すのが惜しくなって蜂起した。

 家臣や農民連中はすでに力を見せていた定俊を支持し、安定陣営は劣勢だった。

 安定陣営は、定俊の攻撃を受けて勝山城に逃げ込むと、家老・大野五兵衛が援軍を求めて東に出て、安宅親族の周参見氏、そして、さらに東の鈴木家に救援を要請したのである。


 鈴木家の軍勢が地元民を遠ざけて城を包囲していると、突然、大きな爆発音が何度か聞こえてきた。

 しばらくすると城の櫓に火の手が回り始め、良く晴れた日のこと、やがて火の粉は城内の小屋の屋根に飛び、火は広がっていった。


「おお!」


 鳥居伊賀守は純粋に感心して声を漏らした。傍らの長篠元直も感心している。

 火薬兵器の管理を任されている犬童重安が、城攻めの現場を見届けた後に、本陣の鳥居のもとに戻って来て、誇らしげに報告する。


「八幡山城は降伏いたして候。」

「これが焙烙玉の威力か。確かに城を落とす力があるとわかった。時もかからぬな。『隠さねば』と殿が考えたのも頷けよう。当家がこのようなものを持つと知らるれば、いたずらに周囲の敵意を買うことになる。」

「いかにも。半端に知られても、そもそも数が足りませぬゆえ、敵意だけ買って大損にござる。」


 犬童は残念そうに言う。鳥居が兵器の威力に納得する様に満足を覚えつつも、それを大々的に使えないこと、そして、そもそも備蓄が少ないことを惜しく感じたのだ。

 鈴木家が得た硝石は、領内で作った少量と山本菅助が琉球で買い付けた少量しかなく、しかも、火薬の製法を開発するのに大部分を使ってしまって、兵器としては焙烙玉が50発、手銃3門に弾・火薬は100発分程度しか蓄えがなかった。

 そのため、昨年には堺から琉球派遣船団が急いで送り出されたが、帰還が2年後とすれば、来年まで追加の硝石は得られず、それまでは火薬兵器の製造は打ち止めだった。


「して、これだけの火事にござれど、隠しておられましょうか?」


 犬童が尋ねる。今や城内の小屋を燃やした火は風に乗って周囲の森に飛び移っていた。


「……こたびはひとまず、落雷と噂を流しておくか。」


 鳥居はそう言って、他国に詮索されないよう、轟音と山火事の理由を落雷と誤魔化そうとした。

 しかし、長篠元直がぽつりと言う。


「……雲ひとつござらぬが。」


 彼の言うとおり、今日は快晴であった。

 犬童は腕を組み頷きながらしみじみと言う。


「なるほど、文字通り『青天の霹靂』でございますなあ。」


 ◇


 鳥居伊賀守は、父と主君の振る舞いを正しく学んだ大変優秀な執政である。

 水運という利と、菅沼に代表される武と、部外者ゆえの中立な裁定者の立場。この3つを駆使して、熊野の諸勢力との関係を構築し、その統治は安定を見せていた。

 熊野の西は紀伊守護・畠山稙長の支配地域であり、鳥居はこれを刺激しないよう、熊野から外には決して余計なことをしてこなかった。西の勢力と何かやり取りの必要があっても、紀伊の国人同士でやり取りをさせ、鈴木家は関わらないよう気を付けていた。


 しかし今や、畠山稙長は没落しかけている。

 堺公方の軍勢に、勢力を持っていた大和国を取られ、河内でも負け越している。それを見た紀伊西部の諸国人は怪しげな動きを見せつつある。特に三河屋から便宜を得ている湯川氏は活発だ。

 しかも、紀伊の西隣の和泉国の下守護・細川九郎や九条家、紀伊西端の雑賀鈴木氏や根来寺は同盟を組んでいるようなものである。やろうと思えば、湯川氏と紀伊畠山領を挟み撃ちできなくもない。

 それゆえ、鈴木重勝は紀伊で少々派手に暴れても何とかなるだろうと考え、熊野を自力で守り抜く力をつけさせるために、鳥居忠吉に熊野の完全掌握と勢力拡大を頼んでいた。


 そんな中での安宅氏の内乱である。

 鳥居は大々的に鈴木家の武威を見せつける方向に舵を切った。


「尾鷲から新宮までは我らの支配を受け容れぬ者はもはやありませぬ。」


 長篠元直は自信をもって反抗する者たちの討伐が完了したことを告げた。

 熊野海賊衆として海の支配に強い自負を持つ紀伊国衆たちにとって、鈴木家の小笠原水軍は、熊野の諸家が連合してやっと対抗できるかどうかという規模であり、大いに脅威だった。

 志摩で鈴木家の海上戦力の大きさを実感した九鬼氏と、この一族からかつて養子をとった宮崎氏は、いち早く鈴木家に臣従していた。

 これに加えて、紀伊での鈴木与党と言えば、堀内氏である。

 彼らは鈴木家が東三河すら支配できていない頃からの付き合いで、その勢力伸長を間近で見てきて、傘下に入った後に自家の勢力を伸ばそうと決めたのだ。

 堀内氏は新宮速玉社の社家であり、神主である宇井氏も鈴木家に結びつけた。


「熊野の鈴木のご同族と榎本には、琉球とのやり取りで不足した商人・商船の穴を埋めてもろうておりまする。」


 熊野で勘定方を任されて、商人の取りまとめ役にもなっている岩瀬造酒佑が言う。

 宇井氏と親しい熊野鈴木氏・榎本氏も、廻船業の保護の代わりに早くに従属していた。


「あとは、殿は甲斐と親しい御師のことを気にかけておられるが、そのあたりはどうか?」

「鵜殿はよく心得てくれておりまする。」


 鳥居の問いかけに、現地勢力の代表である堀内隠岐守氏定が答えた。

 速玉社近くには熊野鵜殿氏も住んでいる。この鵜殿氏出身の熊野御師は、甲斐武田家中の諸家と師檀関係を結んでいるため、鈴木重勝は特に彼らの移動を保護し、代わりに甲斐との橋渡しを頼んでいた。

 このほか、熊野本宮神職の熊野国造和田氏は大昔に鈴木氏に嫁を出した家らしい。それにこじつけて重勝は「遠縁の親族を保護する」と一筆を送り、鳥居はそれを理由に彼らを無理やり保護下に置いていた。


 つまり、紀伊国における鈴木家の影響力は、尾鷲から始まって、熊野三山のうち熊野川下流の新宮速玉社、そして上流の本宮にまで及んでいたのである。

 鳥居は、自家の熊野支配は安定していると判断して深く頷き、発言する。


「殿からは『今後、三河は東西の敵を片付けるため、紀伊に力添えできなくなる。和泉は手当てを済ませたが、伊勢と紀伊の諸事は熊野でよく扱い、今のうちに必要な助けを三河に求めよ』と言付あった。」

「伊勢よりの乱入を防ぐ手筈はそれがしが整えましょうぞ。」


 尾鷲以北、伊勢に近い地に顔が利く長篠元直が言う。彼に任せておけば、背後の懸念はないだろう。

 一方で堀内氏定が、熊野の諸勢力とのつなぎの役目を負う者として懸念を述べる。


「気がかりは南にござる。那智の者らは己の支配に横槍が入るを嫌っておるようにて。実報院の米良らはともかく、廊之坊(くるわのぼう)の重綱は勝山の城を増築しておって、争う気を隠しておりませぬ。」


 那智の御師は、米良氏の実報院や潮崎氏の廊之坊などを中心に組織されている。

 堀内は自分の勢力拡大にも余念がなく、すでに米良氏を自家に取り込もうとしていたが、こうした動きは敵を作ることにもなっていた。

 その代表が潮崎氏で、彼らは紀南・潮岬の西側にも勢力を持つが、鈴木家にとっても紀伊沖を回って堺に出る上では少々邪魔だった。

 堀内は紀伊南部への拡大を望むようだ。新宮で顔の利くこの男は、諸家に色々吹き込んで世論を作っているのだろう。しかし、これから三河の支援がなくなるというのに、戦を起こして大丈夫だろうか。


「那智の方から攻め込んでくるということはありうるか?」鳥居が尋ねる。

「さあ、ないとは言えませぬなあ」堀内の白々しい答えに鳥居はイラっとしたが、話を続ける。

「……まずは他家を味方につけるところからだ。安宅と周参見は当家に従った。これらと那智山の間には潮崎・小山・高川原・泰地・色川らがおるわけだが。」


 安宅氏と周参見氏は、争いごとを自力で解決できないのを世間に露呈した上に、安宅氏の堅固な詰め城(最後の砦)を丸焼きにした鈴木家を恐れて従順な様を見せている。

 その西の守護被官・山本氏は安宅氏と交流があるため、今回の仕儀につき問い合わせの手紙が届いた。

 守護の畠山氏にも今回の騒動は伝わるわけだが、はたしてどうなるか。安宅氏は元々は幕府直属で守護被官ではないと聞くから、重勝は知らんぷりを決め込むのだろうか。

 鳥居が思案する中、堀内は話を進める。


「それがしの覚えておるところでは、安宅家先代の奥方は那智の出にござる。安宅には『那智で味方になりそうな者を引き入れてくれ』と伝えておきまする。

 潮崎は那智廊之坊と縁が深く、争うは避けられませぬ。なれど、海沿いの小山・高川原・泰地らは、鳥居殿のお力で船や御商いの利を以て引き入れること、かないませぬか?」


 若当主・安宅安定の父・実俊の妻は那智実報院の別当家の出であり、ついでに言えば周参見氏も那智の御師と縁が深い。

 小山氏は守護被官であるが、東西を鈴木勢力に挟まれ、海まで小笠原水軍に押さえられては、高川原氏ともども、鈴木家との関係を疎かにはできないだろう。那智御師を輩出する泰地氏は、新宮にも縁がある。堀内はそれゆえ3家の懐柔を狙っていた。

 一方、堀内が名を挙げなかった色川氏は彼と仲が悪い。潮崎氏も敵に回ることは確実。

 鳥居は難しい顔で「三河に相談する」と短く答えたが、結局、堀内の誘導の通りに熊野新宮の社家勢力は潮崎氏・色川氏に対する派兵を求めた。

 そして出兵してしばらくの後、まず那智社が鈴木家の軍門に下ったのだった。


 ◇


 新宮本願所の比丘尼たちは、深刻な面持ちで額を突き合わせていた。


「三河鈴木は神職の出。やはり僧よりも社家(神職)に重きを置いているのでしょうか。」


 確かに鈴木氏の祖・穂積氏は熊野速玉社の禰宜である。


「那智は本宮や新宮と異なり社僧のまとめるところなれば、嫌われたのやも。先には三河で一向宗の根切がありましたし、しかも、鈴木のご当主様は師僧を持つのをお断りなさったのですよね。」


 彼女たちの気がかりは、熊野に蔓延る僧侶と神職の対立の延長として、鈴木家が神職優遇の家なのではないかということだった。

 熊野の御師や比丘尼は、他の武家がそうであるように、師僧(仏門の師匠)として御師を抱えるよう鈴木重勝に求めたが、彼は宗教に心を開いていなかったため、その提案を断っていた。

 それは御師・比丘尼たちにとっては不安を募らせる理由となっていた。

 本願所庵主の妙順尼は、眉根を寄せて困ったように首を振って言う。


「……確かに本宮の和田家、新宮の宇井家は鈴木に守られております。新宮社家の堀内家も。」

「鈴木家は『本願所を守る』とは言うてくれませぬ。あるいは、こうも急いで三山を支配しようというのは、我らを省いて三山を直に差配しようということなのでしょうか、庵主さま。」

「社家を側に置き、本願所とは話し合う場を設けてくださっておりませんから、そういうこともあるかもしれませんが、御師をよく保護していただいておりますし……」妙順尼は何とも答えづらい。

「天地の厄災によりていまだに多くの寺社が破れたまま。なんとかこれらを復したい。この願いを抱えて、我らはいかがすべきなのでしょうか。」

「……致し方ありません。わらわが鳥居の奉行様にご挨拶に参りましょう。」


 ◇


「なぜそんな話になっておるのか……」鳥居は困惑した様子で、大勢集まった尼たちを見て言う。

「一向宗につきては一言あり。というのは、根切はあくまで蔓延る乱暴者の成敗のためにござった。それがしは真宗の徒なれども一揆のときには改宗を求めらるることもなかったし、鈴木家は先ごろ九条様のお力添えで門主様(証如)とも和解しておる。これだけは含み置きたまえ。

 それはともかく、我らは『僧だ、社家だ』と分けて差をつくるつもりはござらん。」


「まことでございますか?」妙順尼が目をぱちぱちさせて問い返すと、

「いやはや、本願所と社家に諍いあるとは詳しく知らず、余計な心配をかけた」と鳥居は詫びた。

 しかしそうなると、尼たちは何のために直談判に来たのかということになる。

 お互い困惑していると、ドカドカと足音がして、堀内がやってきた。


「お奉行殿!尼僧たちに誑し込まれてはおられませぬか!?」

「なにをっ!」妙順尼の弟子の祐珍尼が怒って甲高い声を上げた。


 戦乱の世になり紀伊守護の支配が不安定になって、紀伊国中の熊野三山領から寺社造営の財源が確保できなくなった。そこで、御師や比丘尼が巡歴して勧進するようになったが、その大本が本願所である。

 本願所は当初は造営業務を補助するだけだったが、仏事・神事など熊野三山の運営自体にも介入するようになる。すると、従来それを担っていた社家は、本願所の横槍に怒って対立するようになったのだ。

 

「本願所は本来は造営の任のみ。なれど、熊野の諸々の催しの費えも結局は比丘尼らの勧進に頼っておるから、こじれておるわけだ。」


 険悪な雰囲気の中、鳥居は事情を聴くと、このようにまとめた。


「であらば、やはり本願所は造営より他の事からは手を引くべきでござろう。一方、社家が『我らが三山の諸事を司る』と述べるならば、自ら費えを用意するよう努めねばなるまい。」


 すっぱりと言い切った鳥居の物言いに、尼僧も堀内もすぐには返す言葉を見つけられなかった。

 彼らの胸中は同じであった。「そんな簡単な話ではない」と。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 何度みてもこの「青天の霹靂」が面白くて笑えます
[一言] 九鬼が配下に入りましたね。九鬼嘉隆が将来的に手に入るのはめちゃ嬉しいですが流浪を経験しない嘉隆なのでどうなるか未知数ですね。楽しみです
[良い点] 諸勢力の思惑が入り乱れて混沌としている感じ、とても興味深いですね! そりゃたしかに、地道に勧進を集めて財政を支えている立場なら「中枢に参画させよ」と求めるでしょうし、逆に社家のほうは「歴史…
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