第92話 1530年「家系図」
三河鈴木家。
その元は源義経に従った鈴木善阿弥なる者で、義経の奥州行に従う途中で三河に土着した。
その元は紀伊国新宮速玉社の禰宜・穂積国興の子、鈴木基行。これが鈴木の苗字の始まりだった。
つまり鈴木氏の元は穂積姓であり、その穂積氏は穂積真津が初めて名乗ったものである。
そして、その元はいよいよ饒速日命にまでたどり着く。
「ほう、上代まで遡れば、翁とそれがしも血縁ということか。よくもまあ調べたものよ。いや、よくも書き残したものだと言うべきか。」
「左様におじゃりまするなあ。」
六位外記・中原康友がホホホと笑った。
中原氏も遡れば饒速日命にたどりつく家系なのだった。
中原は、神道の名門・吉田家の出で鈴木家の外交顧問のようになっている三位侍従・吉田兼満に習って、近頃は系図の調査に手を出していた。そのきっかけは4年前にある。
故・今川氏親が幕府・朝廷から官職を引き出すことで鈴木家・北条家に自家の権威を見せつけようとした際に、重勝に三河にまつわる官職を与えるかどうかで話がこじれたが、そのとき鈴木家の系図を調べたのが中原だった。
吉田の娘婿の祖父で当代一の教養人・三条西実隆は、かつて皇室系図『本朝皇胤紹運録』の増補版を作成したが、そのように公家社会では血筋はいつでも大事とみなされ系図の整理も行われ続けてきた。
そのため、きちんとした家系図を持っておくことは、外交上の武器になる。そこで、中原と吉田は『紹運録』のほか『旧事本紀』といった氏族名鑑を取り寄せて鈴木家重臣の系図を調べていた。
特に中原は、三河の風土記を書き終え、庭野学校の和尚連中と協力して続けてきた式目の研究も成就させると、この仕事に専従するようになっていた。
というのも中原はすでに奉書掛、すなわち鈴木家中の文書を作成する仕事から引退していたのだ。
今の奉書掛は、孤児だった六位外記・高橋之職を筆頭に、尾張国大森に詰める西郷正員の一族・西郷正勝と、軍師・宇津忠茂の四男・忠員に代替わりしていて、田峯菅沼氏の当主・定継の弟・定氏が新たに見習に入っている。
中原は吉田や庭野の学僧とともに、高橋之職や鈴木家中の者に物書きの技術を長らく教えてきたが、そのおかげで十分に後進が育ったのである。
「そこまで遡れば三河国造のお家も血は繋がっておじゃりまする。次こそは『三河守』をたまわるべく調べておじゃりましたが……。」
「いや、さすがにこじつけが過ぎよう。それを以て『三河守』を願うわけにはいくまい。よいのだ、翁よ。それがしは誰が何と言おうと三河の国主。そは諸人の知るところにて、よもや朝廷も今さらおいそれとこの職を誰ぞにくれてやることはあるまい。」
また、重勝は内心で「はたしてそんな話が通るとは思えぬが」と前置きしつつ、口では「今川のお屋形様が三河守護となれば、守護代に任じてもらうよう働きかけるまで」とも言った。
中原は重勝の物言いは建前にすぎないのをわかっており、鈴木家の三河支配の正当性を早めに確保しておくべきだったと後悔してさらに述べる。
「それはそうでおじゃりまするが、せっかく『対馬守』を頂戴いたしておじゃったからには、時を待って位を上り、『三河守』をたまわるよう願ってもよかったではおじゃりませぬか?」
「もう返してしまったものは仕方ない。今さら言うても詮無きことよ。」
重勝は、和泉や紀伊での勢力の安定を図って、根来寺と友好関係を結ぶために少々無理な振る舞いをしたが、その幕引きとして、彼は朝廷の官職をあっさり手放していた。
一応は今も散位の「正六位上」であり、重勝はひとまずそれで十分と思っていたのだ。
しかし、この辞官については、家中で「もったいない」との意見が強く、不満とまではいかずとも疑問の声が上がっており、中原もこれに同調していたのである。
とはいえ重勝の目から見れば、官職返上は上方で自家の評判が悪くなるのを防ぐためには仕方なかったのであり、家中で近視眼的な意見が出回るのを苦々しく思っていた。
これを収めるには次なる官職を得ればよいのだが、とはいえすぐに「新しい官職をたまわりたい」と申し出るのはいかにもみっともない。
重勝は胃の奥になんだか不快なものが溜まるのを感じていた。
◇
「妙な書状が来たと?」
「はい、尾張大森に中野なる者から使者来りて、拳母の九里殿(浄椿)宛の書状を手渡されたとのこと。その九里殿から『仔細と他事はこちらに認めて候』と添え状も届いておりまする。」
重勝は疲れた顔で小姓の篠田少年(元服後は五郎右衛門貞英)から手紙を受け取った。
少年は三河宮口の住人・篠田友貞の嫡男で、この父子は近ごろ鈴木家に臣従したばかりである。
少し前に重勝と久との間に松平宗家の血を引く竹千代が生まれて、松平氏の菩提寺である大樹寺が復興されると、松平氏と親しかった三河の国人が徐々に鈴木家に仕官してきた。
篠田氏は特に松平氏と親しいわけではないが、「鈴木は所領を召し上げる」という話を聞いて他の土豪と同じく臣従を渋っていた。しかし、周囲が段々と鈴木家に臣従していくので、流れに乗ったのだ。
鈴木家は戦や外交の手はずをあれこれ活発に整えるにあたって、信頼できる連絡係の数が足りなくなっていたため、臣従した家々から小姓やら何やらを急ぎ取り立てた。
結果、小姓だけでも20人を数えるようになり、彼らを指導・監督するための役職として新たに「小姓目付」が置かれ、元小姓で重勝の側室・もとの弟である奥平久兵衛が任命された。
なお、奥平の同期には甲斐で負傷した鳥居忠宗、そして青山藤八郎がいるが、青山は一族の惣領として青山徳三郎忠教の後見のもと知立城に詰めており、忠教次男・虎之助が新たに小姓になっている。
「奥で休みながら読むとしよう。」
重勝は手に持った書状をじっと見つめると、そう呟いて立ち上がった。
急に増えた国人の扱いにつき、人事では熊谷実長が、所領管理では鷹見修理亮が指揮を執っており、2人は多忙を極めていた。さらに、吉田兼満は根来寺をめぐる上方でのやり取りを担当した後に疲れて寝込んでおり、いま重勝の周りにはほとんど相談相手がいなかった。
「久、すこし話し相手になってくれぬか。」
「どうされました、お前さま。」
「どうにも気合が入らぬでな。」
「まあ!……いろいろ大事が重なっているようですが、ここが踏ん張りどころですよ。」
「……それはそうなのであるがな。」
重勝は、久の励ましを微妙な表情で受け流すと、しかし、受け取った手紙をなかなか開く気にならず、久にさらに話しかけた。
「竹千代の様子はどうか?」
「元気でやっておりますよ。歯もだいたい生えそろってむずかるのも減ってきました。多治見殿の御弟子の園部殿が赤子用の食事を工夫してくれております。」
「ほう、そうか。もう歯が生えそろったか。」
重勝が少し晴れやかな表情になったのを見て、久もほっとしたようだった。
そこへ、奥女中が来て久に声をかけた。
「お方様、山新殿が贈物のことでお話をしたいとのことですが。」
山新とは果樹園などを監督する奉行の山田新左衛門の愛称である。
久は配下の家々との友好関係を維持するべく折々の贈物のやり取りを司っているため、山新は果樹園からとれる産物の扱いについて彼女に相談しに来たのだった。
彼らは重勝の手の届かないところを補ってくれているのである。
ところが、久は重勝のことを気にしてすぐには返事をしかねるようだったので、重勝は「行ってやりなさい」と言い、続けて「いつも助かっておる」と礼を述べた。
◇
久が出ていくと、一人になった重勝はごろりと横になった。
すると耳を付けた床板を伝って、小さな足音が聞こえてくる。
「ちちうえー。」
「おお、勝子か。」
小笠原長高の嫡男と婚約している重勝の長女・勝子がやってきた。
重勝は起き上がると、娘を膝にのせた。そこへ、側室のもとが慌てて追いかけてきた。
「ああ、こちらにおられましたか。よかった。」
「ははは、世話をかけるな、もと。」
重勝にようやく笑みがこぼれ、彼はもとに「勝子と遊んでくれておったのか?」と尋ねる。
もとは少しはにかんで「はい、お手玉を少し」と答えて手に持ったお手玉を見せた。
「どれ、それがしもやって見せよう」重勝はもとからお手玉を受け取って「勝子、見ておれ、父は器用なのだ」とお手玉を回し投げる。
「父上、すごい!」重勝の器用な様に、勝子だけでなく、もとも少し感心した風である。
気を良くした重勝は「こんな歌は知っておるか?」と言い、「あんたがたどこさ」と口ずさんで「はて、確か何人かで歌いながらお手玉を回す遊びがあったはずだが」と頭をひねっている。
「えい」そんな重勝をよそに、勝子は重勝の手からお手玉を取って、もとに投げた。
「これこれ、さがなきことをするな」そう言いながらも重勝は娘には甘く、
「そうさな、勝子、もと、いざかいもちいせん」と言った。
「かいもちい?」勝子は首をこてんとかしげる。
「『かいもちいす』とは、宇治大納言の物語にでてきて、『餅をこしらえ食う』ということだ。今は昔、比叡の山に――」
「餅!」
重勝は宇治拾遺物語の一節を話し始めようとしたが、勝子はすっかり餅に夢中で全然聞いてくれなかった。苦笑しながら、重勝は奥女中に「勝子のは小さく切ってくれ」と言って鶉餅(大福)を持ってこさせた。
「まったく、これでは小笠原の家に嫁いで呆れられてしまうのではないか?」
重勝がもとに微笑みかけると、もとは餅をほおばりながら「ふんふん」と返事をした。
重勝はその様子がおかしくて呵々とばかりに笑った。
すると今度はドタドタとうるさい足音が聞こえ、「俺にも餅をよこせー!」と次男・順天丸が部屋に駆け込んできた。
「おぬしは目ざといのう」と重勝が呆れるうちに、久の連れ子の松平親乗、本当は重勝の異父弟だが養子になった興津紅葉丸、そして、嫡男の瑞宝丸がやってきた。
結局、人数分の餅を用意させることになり、順天丸は餅を待っている間に重勝に話しかける。
「父上はもう槍を振るわんのか?」
「父はもともと弓の方が得意ではあるが、そうだな、もう槍は振るわぬかもな。今はもう数千の兵を動かすようになった。父が槍を振るうというのは、敵が本陣に攻め寄せたということ。されど、父は負け戦は大嫌いゆえ、そんなことは御免被る。」
「ふうん。」
「順天丸はやがて瑞宝丸の命を受けて万の兵を動かす総大将となるであろうが、まずは一隊の頭から始まるであろう。その時は槍を振るうやもしれぬな。」
すると瑞宝丸も近づいてきて、手に持っていた木の棒を見せた。
「おお、瑞宝丸は算木を使えるのか。」
「はい、父上」瑞宝丸ははにかむ。
重勝は、以前、明にまで漕ぎ出した山本菅助からお土産として3巻本の数学書『孫子算経』を受け取っており、これを庭野学校の学僧たちに与えていた。
中国の算術では算木を補助具に使うが、この頃の日本では算木は主に占いに使われており、算木を使った算術は学僧たちの興味を大いに引いた。彼らと親しい瑞宝丸も見よう見まねで勉強したのだ。
「天才だな!父は算木はわからぬのだ。」
「九九もだんだんと覚えておりまする。あ、そうでありました。筆算と〇の字の使い勝手に、庭野の和尚殿たちは大変喜んでおりました。」
瑞宝丸は学僧たちから重勝に伝えておいてくれと頼まれたのを思い出してこう言った。
重勝は「それはよかった」と瑞宝丸の頭を撫でた。
これが面白くないのは順天丸である。2人が話している事柄がこれっぽっちもわからないからだ。
この少年は餅を食い終わるといち早く立ち上がり、周りに呼びかける。
「いくぞ、源次郎(松平親乗)、紅葉丸!俺が木曽義仲をやる!紅葉丸は今井四郎、源次郎は敵役だ!」
順天丸が叫んだのは『平家物語』「木曽の最期」の配役である。ごっこ遊びをしようというのだ。
「勝子は?」なぜかその後に勝子がついていこうとするので、重勝は止めようとしたが、順天丸は
「勝子は……巴御前だ!いくぞ!」と言って、来たときと同じようにドタドタと走り去った。
「まったく、忙しない。」
重勝はもとに目配せして勝子の面倒を頼み、もとは頷いて退室した。
◇
「父上、その文は?」瑞宝丸は静かになった部屋で落ちている手紙に目をやった。
「ああ?ああ、そうだった。九里入道から手紙が来たのだ」そう言いながら重勝は中身を確認し始める。瑞宝丸は大人しくその横にちょこんと座っている。
九里浄椿入道の手紙を一目見た重勝は、少し寂しく思った。
この手紙の筆跡は入道のものではない。彼は近頃、手の震えが気になって書状を手ずから書くことをやめてしまったのだ。この手紙は入道の老いを物語っているのである。
重勝は、中身を読むうちに内容に興味を持ったようで、今や真剣な様子である。
「ふむ、大事のひとつは、丹羽氏清の一族・氏秀なる者が出奔した、か。信秀めの仕業だな。幸い、糧秣を少々焼かれ、馬を盗まれただけで済んだか。
そしてもうひとつは、那古野今川家を動かすに、この中野なる者を使うというのか。」
丹羽氏清は先ごろの沓掛出兵時に偽計で織田方の岩崎城を乗っ取った国人である。
氏清と氏秀は不仲であり、その隙を織田信秀に突かれたのだった。
いまや尾張は信秀と鈴木家の間の調略合戦の舞台となっており、伊庭・九里の力があってようやく臣従諸勢力を繫ぎとめている状況だった。尾張攻めの下準備を延々続けてきたのが功を奏した形になる。
重勝は今川家が甲斐を得た後は三河に攻めてくる可能性が高いのを承知しており、それを先延ばしにさせる策をすでに準備していたが、尾張攻めはその策がなった後にしか意味のない話である。
しかし重勝は、家中の好戦的な者たちの不満を抑え込むためにも、「己は尾張を攻め獲る意気込みがある」と示し続ける必要があったのだ。
そうこうするうちに尾張攻めの下準備はだいぶ進んだが、目下の一番の問題は、自家の世評を損なわずに、なおかつ今川家を刺激し過ぎずに開戦するための口実を探すことだった。
重勝はこれに長らく頭を痛めていたが、しかし、正月に重臣団で集まって協議した際、「那古野今川家をうまく使えないか」と熊谷実長が言ったことで軍略を司る面々は打開策を見つけたようだった。
那古野今川家を動かすにはどうするか。
問題が具体的な段階に移ったことで、あとのことは尾張の調略を担う伊庭と九里の領分となった。
そうした中で現れたのが、くだんの中野何某である。
この者は、清洲の織田守護代家に仕える愛知郡高畑村の住人で、又左衛門重次なる土豪である。
彼は守護代・織田達勝が織田信秀に敗戦したのを見て鞍替えを考えるようになり、九里入道の接触を受けて鈴木家に与すると決めた。
高畑村が那古野にほど近いこともあって、中野は救援のことを考えて、鈴木家に直接臣従するよりは、その友好勢力である那古野今川家に仕えることにした。
そして相談を受けた九里は、その判断を賞賛して、尾張の今川家を動かす手駒として中野又左を那古野城に出仕させたのである。
「そこでこの中野の書状か。」
重勝がもう一通の手紙の包み紙を開くと、中からは中野家の家系図が出てきた。
「中野の祖は紀伊の新宮に所縁の源行家の子、行家の母は鈴木重忠なる鈴木一族の者の娘とな?それが何だというのか……、ははあ、それゆえに中野を見捨ててくれるなということか。」
この中野又左、鈴木家が織田家と争うことになった場合には自領が最前線となりかねないため、これを何とか守ってほしいと思っていた。
しかし、那古野に仕えるとなれば、どうしても鈴木本家と縁が薄まるため、なんとかしようと考えて辿り着いたのが、自家が鈴木家と同族であるという主張だった。
「おや?系図では源行家の姉が熊野別当家の鳥居法眼なる者に嫁いで鳥居家の祖となっておる。なんだ、鳥居家も遠縁であったのだな。」
重勝はそんな嬉しい発見をしながら、父の仕事ぶりを楽しそうに見ている瑞宝丸の頭を撫でるのだった。
【メモ】「あんたがたどこさ」は幕末~明治初期の成立だそうです。「かいもちい」がでてくるのは『宇治拾遺物語』「児のそら寝」です。




