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戦国の鈴木さん  作者: capellini
第1章 自立編「東三河の鈴木家」
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第8話 1515年「商人」◆

 源七郎はさらに問いかけた。


「ところで、殿。いい加減、城の名はお決めなさいましたかな?」

「うーむ、それなのだが、どうしたものかと思うておる。」

「お得意の漢籍で何やら縁起の良い言葉でもつけてはいかがですかな?」

「いや、そうは言うてもな……。おお、漢籍と言えば、字書が手に入ったのは実によかった。『字鏡集(じきょうしゅう)』とかいうが、とんでもない値であったな。」

「なんでも最近に写しが作られたとかで、所在を突き止めることができたとか。持ってきた浜嶋には宇利の方でも関銭も役も免除していただくことをお願いして、その上に自前の舟まで用意してやる羽目になり申したが。」


 源七郎は当初「銭の無駄だ!」と、書物を買うのにも浜嶋なる商人に舟を与えるのにもかなり怒っていた。

 しかし、この浜嶋何某がどうも目端が利くようで、甚三郎の漢籍かぶれを触れ回ってうまく人の気を引いたらしく、この話に興味を持った堺の野遠屋(のとや)・阿佐井野宗瑞(そうずい)という豪商と伝手ができた。

 また、舟を用意してやるにあたり、鈴木氏の故地である熊野の繫がりにこじつけて、元は熊野水軍で今は同じ今川方の鵜殿氏に頼み込み、川でも使えるイサバ船を中古で買うことができた。

 これらを思えば、この大商いもなかなか良い結果をもたらしたようだ。源七郎は今となってはそう考えていた。


 浜嶋は岡崎の大店の次男坊ということだったので、甚三郎はこれを独立させて御用商人とし、浜嶋新太郎と名乗らせた。

 新太郎は、当然すぐには字書の代金を用意できない中で、吉田の材木を担保にあちこちから金を借りて用立ててくれた。

 甚三郎はそれ自体もさることながら、新太郎の如才なさにも感心していた。

 借財をして回る過程で新太郎は今回の大商いをあちこちで宣伝し、吉田鈴木家の宣伝も交えて自身が舟を得るに至ったことや堺と伝手ができたことなどを売り込んだのだ。


「まあまあ。次は農書を探してもらうよう頼んであるからな。これが見つかったときに銭がないではいかんから、どんどん開発して蓄えねば。」

「……殿。その話は聞いておりませんな。次の書物を注文したのですかな?」

「え?ああ、いや、ははっ、……左様。」


 源七郎の殺意が込められているかのような眼光にひるんだ甚三郎は、挙動不審になりながらも言い訳を述べた。


「……字書が手に入った。では今度はそれを使って読むものが要る。何がよいか。農事に役立つものがよい。ほれ、よくよく考えた上でのことよ。」


 源七郎は口と態度では窘めはしたものの、「自分のことにあまり頓着しない主君が望む唯一のことでもあるし」と内心では甘いことを考えていた。

 そうと気づかない甚三郎は立ち上がって何気なく突上戸(つきあげど)の下の隙間から部屋の外を見ると、「あ!」と声を発して、こう言った。


「そういえば、縄張りのとき柿の大木を城内に残したな。ほれ、あそこの。うむ、立派な柿の木だ。これにちなみて、この城は『柿本城』とせん!どうだ、いい名ではないか?」

「そんなことではごまかされませぬが、名としてはいいでしょう。次の評定で告げるのがよろしいかと。」


 うまいこと話を逸らすことができたと笑顔で振り向く甚三郎にすっかり絆された源七郎は、ため息をつきながら、小姓に白湯の替えを持ってくるように言いつけた。

 次の評定では、大判の紙に「柿本城」と書いたものを掲げた得意げな甚三郎の姿があった。


 ◇


 和泉国堺野遠屋(のとや)


「ほう、三河の一国人なれど、(から)文字の字引を探しておると。」


 豪商の阿佐井野宗瑞は甚三郎の書状をたたみながら、平伏している商人に声をかけた。

 この商人こそ、甚三郎から「新太郎」の名を与えられた浜嶋であった。

 これは彼が新たな名を賜る前の話である。


「ははっ!左様にございます。あっしはかれこれ3年近くその命を受けて手を尽くしてまいりました。野遠屋様ほどの大店(おおだな)にお声がけいただくに至り、恐悦至極に存じまする。」

「ふむ、書状を見るに、『からぶみ』に多少の心得があるのは確かにてあるようで。よろしい、わたくしも字引は持っておりますが、これを機に探してみましょうぞ。

 されど、用意できたとて、お代の方は大丈夫なのでしょうか。とてもではありませんが、数ヶ村を領する程度の一国人がたやすく賄いうる額ではありませんよ。」


 胡散臭そうな声色で問いかけられた浜嶋は冷や汗をかいたが、なんとしてもこの大商いを成功させて立身するのだという強い打算に突き動かされ、大言を吐いた。


「そこは大丈夫にございます!殿は太鼓判を押すがごとくであられ申した!」

「ふうん、まあ、信をなすにはまだまだですが、わたくし自身のためにも集めることとしましょう。」

「ありがたき幸せにございます!」


 阿佐井野宗瑞は豪商でありながら、医学と儒学に精通する知識人としても名を馳せる人物である。

 彼は、甚三郎が書状で風流よりも漢学、それも特に大陸由来の実学に重きを置いていると述べた語り口に、内心では強い興味を覚えていた。

 件の商人を下がらせた後、宗瑞はひとりごちた。


「面白きものを見つけました。三河ですか。伊勢を通りて……、ふむ悪くはない位置ですね。」


 こうして甚三郎は本人の与り知らぬところで、ことによると将来の協力者となり得るような人物と縁を結んでいたのである。


【史実】『字鏡集』は鎌倉時代に成立した漢和字書で、1508年に7巻本の写本が作られました。

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