三、待合室
俺が学生時代に使っていた最寄り駅は、相変わらず変な噂が絶えない不思議な場所である。
◇
「うっわ、懐かしー!」
大学を卒業してから東京に出ていた俺は、仲の良かった友人達と集うプチ同窓会ついでに頭不知駅に立ち寄っていた。
懐かしいといっても、まだ社会人二年生だけども。
それでも四年間、毎日通っていた駅だ。
テンション上がるに決まってる。
集まるのは頭不知ではないが、約束の時間までまだまだ余裕がある。
今日は友人の親戚の家に泊めて貰う予定だし、存分に思い出に浸るとしよう。
夏休み、万歳。
盆休み、万歳。
そんな事を考えながらボロいホームを歩いていると、高校生であろう男子三人がアイス片手に談笑している光景が目についた。
良いなぁ、アイス。
俺も買おうかな……
「はぁ~、やっぱ噂はしょせん噂って事だなぁ」
「いやどんだけ期待してたんだよ」
「アツシって昔から怖い話とか好きだもんねぇ~」
何だ何だ?
また変な噂話か何かか?
ホント相変わらずだな、この駅は。
そういや俺も変な体験したっけ……位の気持ちで彼らの会話に耳を傾ける。
危ない噂だったら知っておいても損はないだろうし、盗み聞き位は許して欲しい。
誰にともなく脳内で言い訳する俺の事など気にもとめず、彼らの話は続く。
「っつーかよぉ、失敗したのって絶対お前らが真面目にやらなかったからだろー!?」
「いやぁ、だって流石にあのクソ暑い待合室で『何もせず十五分』ってのはなぁ……」
「ちょっと長いよねぇ。せめて何か飲むか座りたいよ~」
失敗?
何かの願掛けか?
彼らの言う待合室とは、恐らくこのホームにあるオンボロ休憩室の事だろう。
俺達の居る場所から十数メートルしか離れてない近さだし、昔から冷房壊れてるし。
もしかしたら他のホームの可能性もあるが、汗だくの彼らの様子からして多分ここだと思う。
「ったく。五分もしないでスマホ弄りやがって……あ~あ、見てみたかったんだけどなぁ~、優しい美人」
「アツシだってずっとソワソワキョロキョロしてたじゃんか。いかにも『美人待ってます!』って感じじゃ、何もしてない訳じゃなくね?」
「だよねぇ。でも暑いの我慢したおかげでアイスが美味しいよ~。えへへ、ボク三本も食べちゃった」
「「ムグはアイス食べ過ぎー!」」
まるでコントのような三人組のやり取りにほのぼのする。
要約すると、恐らくこういう事だろう。
・待合室で何もせず十五分過ごす
・座ったり飲み食いしたり、スマホを弄ったり、ソワソワしてはいけない
・優しい美人が現れる?
何と言うか……若いなぁ。
肝試しというより美人を見てみたいという欲求に素直な所が実に微笑ましい。
おまけにただの美人ではなく「優しい」が付く辺り、ポイントも高い感じがする。
「あ、電車来る。ちぇっ、せっかく来たのになぁ~」
「まぁまぁ。居るか分かんない美人なんて忘れて、カラオケ行こうぜ。あそこのカラオケの店員も結構可愛いじゃんか」
「えぇ~、ファミレス行こうよぉ」
彼らは最初から最後まで賑やかなまま電車に乗り込んで行く。
青春してんなぁ。
「美人、ねぇ……」
下らない噂だと思う反面、「美人」というワードに惹かれてしまうのも事実である。
俺だって男だから仕方ない。
集合時間までどうせ暇だし……と、俺も彼らの遊びに混ぜてもらう気持ちで待合室に向かった。
「うわ、汚ね……」
知ってたけど、いざ入ろうとするとドン引くレベルのボロさだ。
傷だらけの硝子張りの壁に、触るとガタガタ弛いドアノブ。
おまけに古いポスターやら日焼けして読めない貼り紙やらがあちこちに貼られていて視界が五月蝿い。
入り口の上に扇風機が設置されているが、壊れていて動かない。
というかデカいクモの巣が張ってる。
八人がけの椅子も色褪せているし、小さなマガジンラックにはビロビロに広がった週刊誌と少年漫画が無理やり納められていた。
一体何年前の雑誌だよ、誰か捨てろよ。
換気も行き届いていないのか、ホコリとカビ臭さが鼻につく。
サウナのような熱気の中、俺はクシュンとくしゃみをしてしまった。
「あっつ……」
この灼熱地獄に十五分?
マジかよ。
しかも水分も取れず、手で扇ぐ事も出来ないのか。
なんてレベルの高い我慢大会だ。
高校生なんかに負けてられるか、なんて変な対抗意識を燃やしつつ、俺は時計を確認した。
14時16分。
ここから十五分か……
スマホでタイマーをセットし、俺は待合室内の出入り口の横にジッと立ち尽くす事にした。
とりあえず頭を空っぽにしとこう。
──ジリジリ、ジリジリ
──ミーンミンミン、ミーン、
「…………」
──ガタンゴトン、ガタンゴトン……
──ミーンミンミンミーン、ミーン、
「…………」
──ジリジリ、ジリジリ
──ミンミンミーン、ミーンミンミン
「…………」
いや暑いわ!
っつーか何やってんだ、俺。
何一人でこんな訳分からんチャレンジしてるんだ。
よく考えてみれば美人が出た所でフツメンの俺に何が出来る訳でもないだろうしな。
ギブアップして外に出るか……
「あの、大丈夫ですか?」
「…………え?」
「汗がすごいですけど……」
幻聴か?
一瞬、暑さでおかしくなったのかと思ったがそうではなかった。
声の方に顔を向ければ、若い女の人が「ギギギィ」と建付けの悪い音を響かせて待合室の扉を閉める姿が見えた。
やべ、いつの間に入って来てたんだろ。
このクソ暑い中でただ棒立ちしてるとか、俺ってば超不審者じゃん。
女の人はチラリと壊れた扇風機を見上げてから、再度俺に目を向けた。
気遣わしげな視線に思わず息を飲む。
だって め っ ち ゃ 好 み の 子 だ っ た ん だ も ん 。
え、何この子、凄いタイプなんだけど!
線が細くて色白で、可愛い系の美人。
背中まで届くサラサラの黒髪に、麻っぽい生地の涼しげなワンピース。
歳は俺とそう変わらなそうだ。
彼女は困ったように眉をハの字にして小首を傾げた。
「ここ、扇風機動いてないですね……今日はすごく暑いし、座って休むとかした方が良いですよ」
「あっ、はい。そうですね、そうします」
見ず知らずの俺を心配してわざわざこんな暑さ極まる待合室に来てくれたのか。
優しすぎるだろこの子!
天使かよ。
……と、ここで俺は大変な事実に気付いてしまった。
汗やべぇ!!
シャツが汗で物凄い模様を描いてるのが自分でも分かる。
むしろ絞れそう。
こんな魅力的な女性の前で汗臭さを振りまくとか笑えない。
しかし彼女は汗臭い俺に対して嫌悪感を微塵も感じさせない素振りで近付いてきた。
え、何?
「えっと、本当に大丈夫ですか? もし良かったらこれどうぞ」
スッと頬に向けて伸ばされたのは白いレースのハンカチだった。
彼女の流れるような一連の動作に目を奪われるも、僅かに残った理性が「汚してはならない」と判断したのか、一歩引く事が出来た。
この美しいハンカチに俺の汗を吸わせるとか恐れ多すぎる。
「ぇ、あ、いやそんな、悪いです、悪いです!」
「ふふっ、どうぞお気になさらず」
彼女はクスクスと上品に笑いながら「ハンカチは使う為にあるんですよ?」と俺の左頬の汗を撫でるように拭った。
ドキリ、と胸が高鳴る。
結局彼女の善意に押しきられる形でハンカチを借りてしまった。
何かフローラルな良い匂いがする。
一度使ってしまえば遠慮も何もないと、俺は出来る限り丁寧な所作で額や首筋の汗を拭う事にした。
彼女はニコニコと微笑みながら俺を見上げている。
長い睫毛──
黒目がちの大きな瞳──
プルプルの唇──
やばい、これは落ちる。
「あ、あの、何かお礼がしたいんだけど、良かったら連絡先を──」
ヴーッ、ヴーッ、ヴーッ
「あ、俺のだ」
ここから良い所ってタイミングでスマホが振動してしまった。
そういやタイマーしてたっけか。
何も今鳴らなくても……早く止めよう。
「ちょっとごめん」と言ってスマホを取り出せば、タイマーによるバイブではなく、友人からの着信だった事に気が付いた。
うげ、面倒くせっ!
どうせこの後会うってのに何の用だよ、全く……無視だ、無視。
「ごめんごめん。それでさ、もし良かったら……あれ?」
着信をスルーして顔を上げると、待合室には誰も居なかった。
嘘だろ!? もしかして帰っちゃった!?
ギギッ! と力任せに扉を開いて待合室を飛び出す。
慌てて周囲を見回したが彼女の姿はどこにも見当たらなかった。
「……マジかよ……最っ悪……」
はぁぁ~と深いため息と共にしゃがみ込む。
さらば、俺のひと夏の出会い。
すっかり消沈しながらいつまでも鳴り止まない電話に荒々しく出る。
「はいはい、何だよ」
──何だよじゃねーよ、お前今どこいんだ!?
「どこって頭不知だけど」
──そこまで来てんなら早く来いや! 皆待ってんだからよ!
「は? 皆って……」
時間には早くね? と言おうとした所で言葉を失う。
空が眩しいオレンジ色──夕方の色に染まっているのだ。
慌てて時計を確認すると時刻は約束の18時を過ぎていた。
「な、な……」
何でだよ!
14時16分からいきなり18時!?
そんなに長い時間をあの暑い待合室で過ごした訳がない。
第一、セットしたタイマーだってまだ鳴ってなかった位だし、実質待合室に居たのはせいぜい十分程度だろう。
少なくとも俺の体感では十分前後といった所だ。
まるで訳が分からない。
早く来いと怒鳴る友人に口先だけで謝ると丁度電車がやって来た。
今行くからと通話もそこそこに大慌てで電車に駆け込めば、ヒヤリとした空気に目眩がした。
ガコンと閉まる扉の音を背に受け、フラフラと力なく座席に座る。
体が、頭が、とにかく暑い。
なのに汗が流れない。
混乱する頭で「これは熱中症かもしれない」と長時間あそこにいた可能性を認め始めていた。
ドッドッドッと主張する心音に焦りつつ、どうにか約束の駅で降車する。
うぅ、気持ち悪い……
まるでゾンビのような足取りで改札に向かっていると、誰かの驚く声が聞こえた。
「なっ、お前どうした!? 大丈夫かよ!?」
「何があったんだよ!」
「……は、はは……」
駆け寄って来てくれたのは友人達だった。
どうやらもうじき到着するであろう俺を出迎えに来てくれたらしい。
一人じゃなくなった事で一気に気が抜けてしまい、その場にへたり込んでしまう。
「おいおい、ほんとお前、どこで何してたんだよ……」
「だから、頭不知っつったろ……」
頭が痛い。
皆は立てずにいる俺を戸惑いがちに見下ろすばかりで誰も手を貸してくれない。
流石にちょっと薄情すぎねぇ?
とか思ってたらやっと友人の一人が肩を貸してくれた。
「……頭不知で何してたらこんな事になるんスかねぇ?」
「は? こんな事って……」
皆の視線がおかしいと気付き、何となく自身の体を見下ろした俺は盛大な悲鳴を上げた。
「なんっじゃこりゃあ!?」
俺の全身、ホコリや土だらけだったのだ。
しかもフワフワした灰色タイプのホコリではなく、カビ臭くベトベトに湿気った黒いホコリである。
慌てて頭を触ってみると、髪にもホコリやらクモの巣やら小さな枯れ葉なんかが絡み付いているのが分かった。
気持ち悪ぃ!
そりゃ皆手を貸すのに躊躇するわ!
ベンチに座り、何人かに手伝って貰いながらバッバッと体を振り払っていると、誰かが水を買ってきてくれた。
これは有り難い。
体が求めるがままに一気に水を飲み干せば、ようやく生き返った心地がした。
「っは~~~、うめぇ~~!」
大袈裟なと苦笑はされたものの、皆俺の身に何が起きたのか気になって仕方ないらしくソワソワしている。
話すか、話すまいか──
良くて馬鹿にされるか、悪くて頭がおかしくなったと思われるかもしれない。
結局俺は軽く笑いながら「いや~、美人と話してたらなんかこうなってたわ」とだけ答える事にした。
案の定「何だそりゃ」と笑われ、冗談だと思われたまま俺がはぐらかした感じで話は流れた。
トイレで替えの服に着替え、予約していた店に三十分遅れて入店する。
待たせたお詫びにと俺だけ多めに支払う事になってしまったが、これは仕方ない出費である。
「ところで」
「ん?」
酒を自重して唐揚げを頬張っていると、肩を貸してくれた友人が俺の腰元を指さしてきた。
「さっきも思ったけど、お前何で雑巾なんて持ってんスか?」
「はぁ? んなもん持って……る、な……」
元は白かったであろうドロドロ、ボロボロの薄い布が俺のポケットからはみ出していた。
俺、さっき着替えたよな?
何で着替えた筈のズボンのポケットにこんな汚ないもんが入ってんだ。
入れた覚えは勿論ない。
「これ俺のじゃねーよ」
更に言うなら雑巾でもない。
あまりに汚すぎて分かりにくいが、これはレースの……
声が震えないよう精一杯強がってそれを端の方に置けば、友人は「そうスか」とだけ呟いて酒を煽った。
ちなみにこの日以来、俺はあの駅には行っていない。
<了>
《あとがき》
「最寄り駅の怪」をお読み頂き、誠にありがとうございます。
このあとがきでは物語本編でのちょっとした補足と裏話をさせて頂きます。
読まなくても全く問題ないですが、ご興味ある方はどうぞお付き合い下さい。
<作品について>
・夏ホラー企画という事でテーマは勿論「駅」です。
そして個人的裏テーマは「匂い」でした。
あまり活かせなかった上、全体的な恐怖度も微妙になってしまい、作者の力不足が窺えます(無念)
・頭不知駅のイメージモデルは四駅あります。
全てS玉県内の駅です。
<一、駅弁>
謎肉の話。
店員さんに財布事情を把握されてたら嫌すぎですね。
ちなみにチラッと出てきた主人公の友人は同作者の別作品に出てくる勘の良い悪人面の人です。
<二、トイレの先>
書いたは良いものの、後から「ありきたりなネタだったんじゃ……?」と(作者が)怖くなった回。
もし先人様で同じようなネタを書いてる方がいたらわざとじゃないのでユルシテ……ユルシテ……
ちなみに少年は人間です。
やはり同作者の別作品に出てくる勘の良い子(小学生時代)です。
<三、待合室>
いきなり数年後展開の巻。
美人の正体は結局謎のままです。
イタズラな狸に化かされたのかもしれないし、本当に美人の霊だったのかもしれないし、待合室自体が化けた付喪神的なヤツだったのかもしれない。
更に言うと悪気(悪意?)があったのか、無かったのかも謎です。
皆様のご想像にお任せします。
ちなみに高校生三人組は同作者の別作品に出てくる小学生の成長verです。
こんなんばっかりか。
以上、蛇足でした。
最後までお付き合い下さり、誠にありがとうございました!