7 ー環境アートー
佐々木と栗田は、資料の図面を手に、その空間を歩き回っていた。2000平方メートルはあるだろうか。
今も公園のような広場になっているが、場所に性格がなく、閑散とした中にどこかの偉い作家が作ったのであろう現代彫刻が寂しげに置いてあった。
ここに賑わいを引き込みたい。と言うのがジャクソンCEOの目論見だった。誘致するテナントには、ミュージックスタジオやミニシアターなども含まれているようだ。
計画する空間には、法規的に建築物は建てられない。イベント広場とモニュメントを中心に、これらのテナントの背景として都市の中に魅力的な「自然」を出現させることが要求されていた。
「佐々木さんの発想が頼りですよぉ。」
と、栗田が歩きながら言う。
「僕はそれに色付けしますから。」
栗田の歩調に合わせながら、佐々木も歩いていた。
佐々木の目が間断なく動く。どこかに焦点が定まっているというわけではない。どちらかと言えば、佐々木の目は何もない空間を見ていた。
栗田はどこか遠くを見るような目で、佐々木の隣を歩いている。
散歩でもしているようにゆったりと歩を運んでいながらも、2人の脳は凄まじい速さで回転している。
「栗田さん、やっぱりイベントスペースはここにこんな感じですね。」
佐々木がベンチの上に図面を開いて、サラサラとサインペンで描き込んだ。
「・・・で、このイベントスペースにも緑を侵略させちゃいましょう。」
佐々木はイベントスペースの中心に向かって、2本の直線的な「亀裂」を描いた。そしてその根元、イベントスペースの中心から見れば「先」の方に、大きな丸をぐるぐると描いた。
「これは、眼です。」
佐々木の目にはすでに、未来のある時点で「そこに在るはず」のものが見えているようだった。スケッチをする佐々木の手には、逡巡がない。
「今回は、緑と人工物の境界に『せめぎ合い』を演出したいと思います。自然の生態系って、調和がとれているように見えて、ミクロに見ると結構せめぎ合いなんですよね。栗田さんにお願いしたいのは、そういう『動いている境界』です。」
「そりゃあ、けっこう難しそうだねぇ。」
栗田が笑いながら言う。
口とは裏腹に、栗田はイメージが刺激されているようだった。
「初めにあった緑の中に人工物が侵略し、それをまた緑が侵略し返して・・・そして何が起こっているのか見ようと『眼』を創り出した——そんなストーリーでいきたいんですね。」
「大地の眼ですか。」
「ええ、そうなんですけど・・・。これはこの前のとはちょっと違う。」
佐々木は、丸の中に小さな丸を無数に描いている。
「こいつは複眼なんです。これは高層ビルを見上げてもいるし、それを真横からも見ています。人々も、その営みも・・・そこで起こっていることの全てを、複眼で捉えています。」
そう言って栗田を見て、一呼吸置いてから、
「その映像はNETの中に解放されます。世界中どこでも、誰でもリアルタイムで見ることができるんです。・・・そう、誰でも。」と言った。
「誰でも」の部分にやや力が入っていたような気がして、栗田は佐々木の方に顔を向けた。
佐々木の作品にはいつも、表面からだけではすぐに分からない複雑な寓意が含まれていることを、栗田はこの3年の付き合いの中で知ってきたからだ。
「誰でも——には『誰』を想定してるんです?」
佐々木はそれには特に答えないで、にっと笑っただけだった。出来てからのお楽しみ、ということだろう。
「天啓・・・か。」
佐々木が「ん?」と振り返ると、栗田は例の風が吹き抜けるような飄々とした雰囲気で、立ったまま佐々木のスケッチを見下ろしていた。
「そうかもねぇ・・・。」
この少し前、最上階のラウンジで会ったジャクソンCEOは、佐々木と栗田との出会いを「神の啓示」とまで表現していた。
自分はラッキーだな・・・と、佐々木は思う。
どんなにアイデアや技術があっても、人との出会いやその立場を得られないために潰えていった若い才能がどれほどあっただろうかと思うと、この若さでこんな機会に巡り会えるのは望外の幸運——たしかに、神の導きとさえ言ってもいいのかもしれない——なのだろう。
それに今回は特に、現地を見た直後から、まるで温泉を掘り当てた瞬間みたいに、ものすごい勢いでアイデアが湧き上がってきているのだ。
普段あまりスピリチュアルなことを考えない——どちらかというと避けている——佐々木も、ふと「この仕事は天が自分にさせようとしているのでは」と思いそうになっては、首を振った。
とりあえずは、この勢いと流れに乗っていこう。
なにより、面白い!
「昔、新宿西口の交番の近くにね、『新宿の目』ってのが有ったんですよ。佐々木さんは知らないと思うけど・・・」」
乱雑ながら、ひとしきり計画図が出来上がると、ベンチに腰を下ろして栗田が口を開いた。
「まあ、人間の目の形をした壁画ってだけなんですがね。よく待ち合わせ場所になったりなんかして・・・。いつの間にか無くなっちゃいましたけどね。」
栗田は遠くを見るように目を細めた。
「僕なんか、ほんとにそれに見られてるような気がして、ちょっと気持ち悪かったなぁ・・・。今度のはほんとに見てんですけどね。」
と、栗田は笑った。
「時代は変わったなぁーって。年取るわけだよねぇ。」
佐々木はそんな栗田の言葉をにこにこと聴いている。「ほんとに見てる」という部分が気に入っている。
そう。本当に見ているんだ。今度の「眼」は。
NET世界そのものが——。
ジャクソンCEOは55階のオフィスから佐々木の仕事を見下ろして、彼を選んだのは間違いではなかった——と、満足げな微笑を浮かべていた。
工事は1年以上かかる、と言われたときは、最初「何を言っているのか」と思ったが、彼の説明を聞いて納得した。
今、その「工事」が足元で始まっている。
「工事そのものがインスタレーションなんです」と、佐々木は言った。
佐々木がまず最初に造ったのは、テナントへの通路と工事スペースを仕切るフェンスだった。
フェンスと言っても、よく工事現場で見かけるあれではない。仮説パイプと白いテント生地で作られたそれは、蛇か水棲恐竜の背びれがのたうっているようなオブジェになっていた。それ自体がアートなのである。
フェンスは、工事エリアが変わるごとに位置と形を変えてゆく。まるで生きているように。
それだけではない。さらにジャクソンが感心したのは、その工程計画だった。
彼のオフィスから眺めていると、工事が進むごとに形を変えてゆくフェンスと工事エリアの生み出す造形は、一連の絵画シリーズを見るように、常に新鮮で美しかった。
なんという才能だろう!
「できれば、オフィスから毎日、工事の様子を写真に撮っていただければ・・・」と佐々木が言っていたことの意味を、ジャクソンは今こそ雷に撃たれたようにして理解した。
この写真集を販売するだけでも、投資に対して十分なリターンがあるのではないか。
この「ビルから見下ろす絵画」に気付いたビルの利用者たちがインスタに上げ始めたことで、まだ工事中にもかかわらず、三丸ビルにはすでに人の流れが生まれつつあった。
佐々木と栗田は、TVや雑誌のインタビューを受けるようにもなった。「工事現場」が観光スポットになるという、これまでにない現象が起きていた。
ジャクソンCEOの目論見は、予想以上の効果を上げ始めたと言っていい。ただ同時に、混乱を避けるための警備体制という、当初考えてもいなかったコストも発生するようになった。
「いや、この事態は全く考えていませんでしたよ。」と山下たちに言いながら、CEOは満足そうに笑った。
そんな頃、1人の男が佐々木と接触しようと試みていた。




