5 ー環境アートー
「作品」はやや歪な四角形の草地の周りを、白っぽい耐火煉瓦を敷き並べた通路が取り囲んだ形になっている。
その通路の一箇所から対岸の通路に向けて、杉の足場板を2枚接ぎ合わせた「橋」が斜めに架けられていた。この橋と通路だけが人が立ち入って良いスペースになる。
二方を住宅、一方を駐車場のフェンスに囲まれた「作品」は、その唯一の出入り口の側にモニターの埋め込まれた説明板(板というよりは、下に行くほど厚みを増す三角形のBOX)が設置されている。
オブジェに埋め込まれたカメラで撮影された映像は、このモニターに一定間隔をおいて順に映し出されるのだ。
一方、オブジェには短距離の発信装置がそれぞれ付いていて、専用のアプリを入れたスマホで、最も近くにあるオブジェが「見た」映像を受信することができる——という仕掛けにもなっている。
アプリは説明板のQRコードを読み込めば入手することができ、鑑賞者がスマホを持って周囲の通路や橋の上を歩き回ると、受信するオブジェが変わり、見える映像も変わっていく——というわけだ。
オブジェの「眼」はほぼ上を見ているので、映像は、風にそよぐ草の葉を空を背景に見上げるものになった。
それぞれの画面にそれぞれの草の葉が、画面の端から中央に向けて伸び上がるようにしてゆらゆらと揺れ、その奥の青空を雲がゆっくりと泳いでゆく。時おり、通路にいる人影が画面の縁に入る。
「面白いねぇ。」
と、栗田が通路をゆっくりと歩きながら、スマホの画面を眺めて言った。
ヒトの視点ではまず見ることのない空の眺めだった。地面を這う蟲になったら、世界はこんな風に見えるだろうか・・・。
モニターは、スマホを持っていない人のために佐々木が用意したセカンドビジョンだ。オブジェの映像と共に、右上にオブジェの位置を輝点で示す作品全体の図が表示されている。
このセカンドビジョンは「少数者」を無視しない佐々木ならではの気配りだった。スマホ受信の方が、鑑賞者の動きを作品に取り込むことになり、作品としてはメインの表現になる。
佐々木がしゃがみ込んでモニターとオブジェとの接続と調整をしている横で、栗田が作品の説明書きを読んで、くすりと笑った。
栗田の笑いを誘ったのは、最後の注意書きの部分だった。
「草地には入らず、通路の上からだけ鑑賞してください」
これはいい。そのあとのカッコ書きの部分だ。
(特にスカートの女性は絶対に入らないでください!)
佐々木は真面目そうな顔をして、時々こういうお茶目を混ぜてくる。どこまでが本気で、どこからが冗談かわからないようなところがある。
「佐々木さん、ほんとは入ってほしいんじゃないのぉ?」
栗田が例の飄々とした物言いでからかうと、佐々木はしゃがんだまま
「強く禁止されるとやってみたくなるのが人間のサガってやつですからね。」
と、受けて返した。
佐々木は最後に、用意してあった長いアルミ製の移動足場(瓦屋のハシゴを改造したもの)を通路から通路に渡し掛け、その上から水やりで付いたオブジェの眼の汚れを丁寧に拭き取っていった。
このメンテナンスは期間中ずっと必要になる。佐々木は開催期間中、ずっとこちらに留まるつもりだった。
2週間という展示期間の中で、夏草はしゅんしゅんと音を立てるように伸びるだろうから、「眼」が見る風景も日に日に変わっていくはずである。
それを、佐々木自身も「見たい」と思っていた。
もともと佐々木の姿勢としては、こういうインスタレーションは、その展示期間中ずっとその場に居るのが基本だ。
訪れる観客の反応を眺めるのも、時には見ず知らずの人と会話するのも、彼にとっては「創作活動」の一部なのだ。
佐々木はこの作品に「大地の眼」というタイトルを付けた。少し大袈裟かな、とも思ったが、まあ、これくらいの方が見る者の意識を地面の中に引きずり込みやすいだろうと考えたのだ。
翌日、アートフェスは開幕した。




