4 ー環境アートー
東日本大震災で「孤児」となった七海を引き取ることになった竹内一歩。
新進気鋭のアーティスト佐々木無文。
新たな登場人物を得て、この物語はどこへ行く?
佐々木無文は新進の現代アートの作家だ。横浜トリエンナーレ、愛知トリエンナーレなどに出品し、このところ注目を集め始めている。
歳はまだ30代になったばかり。
そんな若手作家である佐々木に、本人が驚くほどの話が舞い込んだのは1年前のことだった。
新宿の高層ビル街の一角に、佐々木の作品を作ってほしい、という。依頼者はビルのオーナー企業で、都も一枚咬んでいた。
佐々木の年齢からすれば、破格のビッグチャンスと言っていい。
話は1年前に遡る。
佐々木は足場の上を慎重に歩きながら、用意してきたオブジェを、周りの草をできるだけ傷めないように土に埋めていた。
オブジェは触手の無いイソギンチャクのような形をしており、FRPでできている。全部で8つあり、それぞれ少しずつ形が違った。
FRPとはガラス繊維で補強したプラスチックで、住宅のベランダの防水などにも使われるが、型を使えばどんな形の物でも作ることができる。ユニットバスやカーネルおじさんの人形などがそれだと言えば、イメージしやすい人は多いだろう。
佐々木のオブジェは、粘土で元の形を作り、石膏で雌型を取ってその内側に2種類の原液を混ぜたものを塗りながら、ガラス繊維のネットを貼ってゆくという作業で作られていた。当然、中は空洞である。
イソギンチャクの口に当たる部分には、眼のように見える半球状のプラスチックカバーが付いていて、その下にカメラが仕込んである。
土に埋められるとそれは、まだ未発見の大きな蟲か何かの頭のように見えた。
佐々木が作業をしているのは、30平方メートルほどの草地である。自然に生えている草を傷めないように、最低限の支えを除いて、足場は地面の上30センチほどの空中に浮く形で設置されていた。
草地の外側で、その作業を目を細めるようにして眺めながら、造園家の栗田信一がふわふわと漂うような足取りで歩き回っている。
栗田は60代の造園家で、庭師というよりは芸術家に近い。ごま塩の短髪で、同じごま塩のあご髭でやや細面の顔の下半分を飾っている。
五月の若葉の間を抜けてゆくそよ風のような、あるいはゆっくりと漂う千切れ雲のような飄々とした物言いは、まるで彼の中の時間だけが自然の草木が育つ時間スケールと同期しているような印象を与えた。
都市に藪を作る——と、彼のパンフレットには書いてある。
その言葉どおり、彼が造る庭は、まるで初めからそこにあったような、あるいは大地がそこに生やそうと思ったものが生えてきたような——そんな作為を感じさせない自然さがあった。
それは栗田が植えたものか、それとも後から勝手に生えてきた雑草なのか、素人目にはほとんど区別がつかないだろう。
もちろん、栗田は「無作為」に植えているのではない。むしろ作為を極めた結果、傍目には見分けがつかないほどに自然に「擬態」する技術を会得したのである。
栗田は彼独特の方法で、小枝1本の方向、葉1枚の向きまで緻密に計算しながら「素材」の位置と向きを決めてゆく。そうして、そこにあたかも初めからあった自然のような植物空間を作り出すのである。
彼の手にかかるとマンションの玄関先の小さな緑地でさえ、それの方が先にそこに在って、そこを残したままマンションが後から建設されたかのような錯覚を人々に与えた。
おそらく、彼のような技術と空間造形感覚を持った造園家は、他にいないのではないか。
佐々木が栗田に出会ったのは3年前。個展で作品を買い上げてくれた人の家に作品を納めに行って、その家の「庭」が小さな自然のビオトープになっているのを見たのが縁の最初だった。
「こんな都市の中にいい場所が残ってたんですね。」
と、何気なく話しかけた佐々木に、その家の主人は少し得意そうな微笑を見せて
「ここは以前は倉庫だったんですよ。この庭は1年前に栗田さんという造園家が作ったものです。」と言った。
これに衝撃を受けた佐々木は、早速この造園家を紹介してもらい、すっ飛ぶようにして、自分の作品とコラボしてもらえまいか、と頼みに行ったのだ。
栗田の自宅は東京都内にあり、街の中にそこだけまだ小さな自然が残っているような雑木林の中にあった。もちろん、栗田が作ったものであろう。
ごく普通の大きさの敷地で、普通の住宅であるのに、居間に通されると佐々木はまるで武蔵野の森の奥に居るような錯覚をさえ覚えた。
栗田は、その独特なリズムの話し方で、ほぼ二つ返事で佐々木の提案を「面白いですね」と言ってくれた。
佐々木と栗田の最初のコラボ作品は、佐々木の馴染みのギャラリーの駐車場の一隅に、佐々木の作品展の開催に合わせて作られた。
佐々木が作った「未来の機械」を思わせるオブジェが、コンクリートを割って地面から出現し、そこにかつて在った草地を時間を超えて復活させた・・・。そんなイメージを抱かせる作品になった。
これが評判を呼んで、その後いくつかの同種の依頼が舞い込んだ。商店街のモニュメント、商業ビルの中庭・・・等々、これまでに5つの作品が完成している。
都市のコンクリートの中に、突如として栗田の「自然」が出現し、その中に佐々木の造る異世界の何ものかが潜んでいる。
この、「オブジェ」は、その辺りの都市空間をこれまでには無いエネルギーで変質させた。
「面白いよねぇ。」と栗田は言った。
「佐々木さんと出会って、僕も今までにない世界が開けちゃったよ。」
今回、この地方都市のアートフェスに招待作家として呼ばれたのも、栗田とのコラボによるこれらの作品が評価されてのことだった。
会場となる地方都市はやや不便な場所にあるが、市内に県立の美術大学があることから、8年ほど前から市をあげてアートフェスを毎年開催してきた。
路上や民家や文化会館など、市内全域に会場が散らばり、基本、全てが入場無料となっている。美術大学の学生やOBに「メジャーへのステップ」として利用してもらうと共に、市の活性化も企図しているのだ。
市内は山里の風情と、まるで不釣り合いなオシャレな新興の街並とが入り混じる不思議な空間になっていた。
文化会館の「なんちゃって前衛風」のお世辞にも品があるとは言えない建築が、この地方美大の実力を物語っているな——と佐々木は思った。
同時に、こういうカオスなエネルギーが新しいものを生み出すかもしれない、とも。
3ヶ月前、佐々木は新幹線の駅を降り、ローカル電車に乗り継いで、さらにバスに乗ってこの市の中心部にやってきた。
レンタサイクルを乗り回した結果、この草の生えた小さな空き地を「作品の場」として借り受けたいと、同行した実行委員に打診したのだった。
佐々木は作品や素材を持って行く時以外、基本的に公共交通やレンタサイクルを利用する。車では見逃してしまう「風景」を見つけるためだ。
佐々木の作品は、周囲の風景と響き合って初めて完成する。場合によっては訪れる人も取り込んで、時々刻々変化してゆく。
常に開いたまま「作品」として閉じない。それは学生時代から一貫する佐々木の創作姿勢だった。
環境アート作家としての佐々木の成功は、才能よりもむしろ、そういう感性や姿勢の方に依るところが大きいかもしれない。
「栗田さん。もう、かかってもらっていいですよ。」
佐々木が足場の上に腹這いになったまま、首だけを栗田の方に捻じ曲げて言った。
「場所は決まったんで、あと、埋める作業だけですから。できるところから・・・」
「わぁかりました。」と、例の喋り方で答えると、栗田はそのゆったりとした話し方とは裏腹に、間を置かずに7つ8つのポッドが入った籠を持って足場の上に上った。
外から佐々木の作業を眺めながら、あらかじめ何を何処に植えるかを考えて選んであったのだろう。栗田は一見無造作に見える動作で、ポッドをひょいひょいと佐々木が大地につけた傷の痕に置いていく。
それから一旦足場から下りて、ぐるぐると周りを歩きながら、時おり足場に上ってポッドの向きを少しずつ変えた。
すぐには植えない。
その状態のまま、佐々木がオブジェの埋め込み作業を終えると、そこにまた同じようにして苗のポッドを配していく。
佐々木が最後のオブジェを埋め終わるのと、栗田が苗のポッドを配し終わるのの時間差は、ほんの5分程だった。
その後の方が長い。栗田は30分近くも周りを例のふわふわとした足取りで歩き回りながら、佐々木が何もしていない草地の部分に5つばかりのポッドをおいて、向きの微調整を行なっていた。
「うん。いいですよぉ。植えましょう。」
栗田のGoサインで、佐々木は栗田と手分けして、ポッドの苗を正確に栗田が置いた向きのままで、その場所に植えていった。
足場が外れて「作品」全体が姿を表したのは、初夏の陽がそろそろ夕陽になりかかる頃だった。
「ポストサピエンス」は、多くの登場人物が入れ替わり立ち替わり登場してきますが、1つの物語です。
それぞれの登場人物の「日常」に、少しずつ混ざり込んでくる「何か」・・・。
飽きずに読み進んでみてください。




