39 ー最終章・都市(シティ)ー
ホームレスが喝破した「謎」の正体。
全員が着席すると、野崎がまず口火を切った。
「早速ですけど、矢ケ崎さん。私の論文を1分そこそこで読破して理解しちゃったんですってね。——その上で、このヴィータウンの現象は、ヴィータウンそのものが起こしてるっておっしゃったとか?」
矢ケ崎は、オレの頭なら当然だ——という、いつもの矢ヶ崎らしい表情を見せた。
「先生も同じ意見だっていうじゃないですか。」
「いえ、・・・私のはまだ、その可能性がある——という段階です。」
「まあ、研究者としてはそうだろうよ。検証なしに軽々と断定はできんわな。」
「矢ヶ崎さんは、どうしてそういう結論に至ったのですか?」
矢ケ崎は自分の頭を指さして
「オレは、『勘』という総合的演算装置を使った。」
と言って、にやりと笑った。
「えーっとな、先生。」
矢ケ崎は、テーブルの上に広げられた分厚い資料の紙の束をパラパラとめくりながら、数枚をずらして全員に見えるようにした。
「この数式の、βとθとυ、それにこれだ。ここに本来入るはず数値のの逆数を入れてみな? たぶん、解が『∞』になっちまうはずだ。もちろん、それで『立証』できたわけじゃないが、少なくともヴィータウンの現象はヴィータウン内で起きている——ということの説明にはなるはずだ。」
目を見開いたのは、野崎だけだった。他の皆は、理解の時間が足りない——という顔をしている。社長の岡田と高校生の板垣は、初めっから諦めた顔をしていた。
「七海・・・」と言いかけて、竹内は言い直した。
「板垣さんも『ヴィータウンがやった』と言ってたよね・・・。」
「いや・・・あたしは、ただ・・・なんとなく・・・」と言う七海の顔を、矢ケ崎がまじまじと見つめたので、七海はちょっと後ろに引くような動作を見せた。
「お嬢ちゃん、あんた・・・・」
と、矢ケ崎がひどく大真面目な顔つきで口を開いた。
「天使だね?」
「はい?」
始まった・・・。と、田県は思った。
この男の話は、時々、周りを放っぽりだして独りで走って行ってしまう。頭の回転が速すぎるんだろうが、聞き手がいることを意識しろ!——と田県は思う。
「これは、『郡脳』の仕業だよ。」
皆は、矢ケ崎が何を言い始めたのか、理解できなかった。
「『群脳』は都市の意識だ。」
矢ケ崎はそう言ってから、皆が彼の言っていることを全く理解できていないことに気がついたようだった。
「すまない、話が跳びすぎた。——『群脳』は、オレが前から考えている1つの概念だ。インターネット、特にパソコンのような端末が普及した後のインターネットは、個々の人間の脳の思考を高速でつなげて、あたかも大きな一つの脳のように働くことを可能にした。」
矢ケ崎にしては驚くほどに聞き手を意識した喋り方だ。田県は目を見張った。何がこの男をここまで変えた?
「いや、あたかも、どころじゃない。単細胞や小動物の個体が群れて『群体』ができるように、人間の個々の脳も端末やサーバーやAIというアルゴリズムと絡み合って、一つの大きなアルゴリズム——『群脳』になった。この現象はそれを裏付けている。こうして都市に『意識』が生まれたんだ。」
「メタアルゴリズム・・・」と、野崎が呟いた。
「そうだ。先生もそう考えたか。」
「ちょっと待ってください。」
と竹内が割り込んだ。
「それが『都市の意識』だなんて・・・、いくらなんでも飛躍しすぎていませんか?
どうやって検証したんです?」
野崎も同調した。
「そうです。まだ、何も検証できてはいませんよ?」
「ああ、それはこれから先生がやればいい。科学はまず、仮説。それから実験と検証だろ? オレが言ってるのは『仮説』の段階だ。———そうであるなら、このヴィータウンという世界の現象をヴィータウン自身が作っていると言うのは、全くおかしいことじゃない。仮想のアバターの1つや2つ、生まれて当然なんだ。何しろ、現実世界にまで影響が及ぶようなものができ始めているんだから、ヴィータウンのような開放系のアルゴリズムなら、その進化はもっと早い。」
工藤が目を輝かせた。それこそが、工藤があの時思いついた「可能性」だったからだ。それにしても、この人は断定しすぎじゃないだろうか?
「そんなことが・・・本当に起こるのですか?」
という工藤の質問に、今度は野崎が答えた。
「可能性は十分にあります。私が考えていた仮説も、矢ケ崎さんとほぼ同じです。もちろん、検証はまだこれからですが・・・。時間も相当かかると思いますけど、立証できると思います。」
竹内が何か言おうとしたが、その前に矢ケ崎がまた話し出した。
「この『群脳』は、都市の意識だ。どの程度の広がりを持って、どういう重層構造を持っているかまではわからんが、間違いなく個々の人間の脳とは別に、次元の違う『意識』が生まれている。——そうでなければ、ここのサーバーの外にも『歪み』があることや、『新宿の眼』なんかの現象の説明がつかないだろ?」
野崎が、忙しくテーブルの上にあった資料をめくっている。おそらく、彼女だけが矢ヶ崎の言っていることの科学的裏付けの手がかりに気がついているのだろう。
「都市インフラの全ては、人間も含めて、『群脳』の身体だよ。都市ってのは、既に新しい知的生命体だ。」
「ヒカリゴケみたいな!?」と、今度は板垣七海。
「そうだ! お嬢ちゃん、さすがだな。」
矢ケ崎は、笑顔と言うには奇妙な表情でこの少女を見た。
「オレたちは知らないうちに、新しい生命体の中に棲んでたんだよ。岡田さん、竹内さん、心配するこたぁない。これはセキュリティの問題なんかじゃない。むしろ、この現象はヴィータウンがオンラインゲームの中では最も進んだアルゴリズムだ、という証明みたいなもんだ。」
「まだ、証明できたわけではありませんよ。」
野崎がクギを刺したが、矢ケ崎は気にした様子もなく、羽田と工藤をそれぞれ一瞥した。
「そこにいる優秀な若い連中がすぐやってくれるさ。さっきの数式に逆数を代入してみな。」
羽田がすぐに席を立った。
「計算してきます。」
羽田が出てくるまでの数分の間に、まだ要領が呑み込めない——といった表情の皆に、矢ケ崎が追加説明をおこなった。
「解が『∞』になるってことは、探索がヴィータウンの中で無限ループしちまうってことだよ。野崎先生はわかるだろ? つまり、歪みの原因は、大きな意味でのヴィータウンの外にはないってことだよ。」
「概念としては分かりますけど、そう断定するには、サンプル数を増やして実際にやってみないことには・・・」
「はいはい。研究者としてはそうですな。サンプル数は少なくても、今、若い人がやってるから、とりあえずそれを見てみてくれるか?」
ほどなく、羽田がプリントされた紙を数枚持って、応接スペースに出てきた。
「出ました! 歪みの大きなケースを3つやってみたんですが、本当に全部『∞』になりました。サンプル数が3つだけなので、なんなんですが・・・」
矢ケ崎が「ほらな?」という表情をして見せた。岡田と竹内には畏敬の表情が浮かんでいる。
「ちょっと待ってくれよ。」
と、この日初めて田県が口を挟んだ。
「それは、人間をはるかに上回る知的生命体が生まれた——つまり、人間は生命の進化の頂点から滑り落ちたってことか?」
「田県さん、あんた、頭が1世紀古いぞ。」
矢ケ崎の目にまた、あの人を見下したような色が宿った。
「生命の進化は、頂点とか底辺とかいうもんじゃない。複雑化と多様化だけだ。それによって、生存確率を上げてるだけだよ。たしかに都市はホモ・サピエンスをはるかに凌駕する知的生命体だが、その共生体として人類が存在する限り、都市は人類の脅威じゃないと思うぜ。」
「だけど・・・」と田県は食い下がった。
「現実に改変を加えてるんだろ、この知的生命体は? 俺たちの意識を操って——。平気なのか、みんな?」
岡田や竹内、野崎など、ある程度年齢のいった者たちは、ちょっとハッとしたような顔をしたが、羽田と工藤と板垣は、きょとんとした顔をしている。
「NETから影響を受ける——という意味では、僕たちはずっと影響を受け続けてますけど?」
この世代からすると、そういう感覚なのかもしれない。一瞬、言葉に詰まった田県に、矢ケ崎が追い討ちをかけた。
「あんたが言ってた『給仕術』な? あれで意識を料理に向けられて、あんた何か不都合あったか?」
「そ・・・それとこれとは、別だ。得体の知れない『知的生命体』に、いいように動かされて・・・、人間の尊厳はどうなる?」
矢ケ崎が笑い出した。野崎が慌てて間に入った。
「田県さんの気持ちはわかるけど、矢ケ崎さんの言うのもわかる。都市に意識があるとして——現実に干渉してるんだから、あると思うけど——今のところ、私たちに害意があるとは思えないわ。」
「今のところ無くても、将来はどうだよ? 人間は猿をどう扱ってきた?」
田県もムキになっている。
「人間と一緒にするな。思考の次元が違う。」
矢ケ崎がすぐに田県に反論した。
「田県さんよ、あんたの脳細胞はスパークしてるが、あんたが何を考えてるかなんて、全く理解などしてない。それと同じだよ。オレたち1人1人の脳の思考が集まって、『群脳』の意識を生み出すが、それが何を考え、何を感じているかなんて、オレたちのレベルでわかるはずもない。」
「だからこその危機感じゃないか。」
と、田県も反論する。
「人間の脳が都市の身体である限り、心配は要らんと思うぜ。あんたは、あんた自身の脳細胞で生体実験をしようなんて考えるか?」
田県は何か言おうとして口を開けたが、言葉は出てこなかった。彼は一度唇を舐めてから、一同を見回して言った。
「オレは・・・このことを記事にする。あんた方が、どれほど能天気に構えていようとな・・・。」
「わが社の機密に触れるようなことは・・・」
と、岡田が言いかけたのを田県はさえぎった。
「わかってますよ! 私だってバカじゃない。だが、岡田さん。これは、そういうレベルの話じゃないですよ?」
それだけを言うと、田県は椅子を蹴って立ち上がり、エレベーターの方へ歩いていった。後ろも振り返らずに——。
気まずい空気が漂う中、野崎がことさら明るい声を出した。
「田県さんの言うことも分からなくはないです。・・・だからこそ、続けましょう! 研究。
『群脳』を追いかけるわよ、羽田クン。——岡田さん、竹内さん、引き続きご協力お願いします。」
それから、矢ヶ崎の方に屈託のない顔を向けた。
「矢ケ崎さん、うちに来ませんか? 矢ケ崎さんさえ良ければだけど・・・。」
矢ケ崎は驚いた表情と共に、ものすごく珍しいものを見るような目で野崎を見た。
「いいのか? 先生。オレはこんな人間だぞ?」
「そうよ。すっごい頭脳じゃない? 今年は大学の人事が決まっちゃったから、嘱託——つまりアルバイトだけど、来年には正式に研究員にするから。大した給料は出せないけど。」
そう言って、ちらとイタズラっぽい目で岡田の方を見た。岡田が笑い出した。
「野崎先生に先を越されました。矢ケ崎さん、そっちで人間関係悪くなったら、ぜひうちの門も叩いてください。給料はいいですよ。」
「手放すもんですか! 一緒に『群脳』を研究しましょ。すっごいテーマだわ!」
「都市が何を考えてるかなんて、捕まえられるもんじゃないぞ。」
「わかってるわよ。でも、『意識の分布』や流れくらいは追いかけられるでしょ? 私たちのツールを使えば・・・。面白いと思うんですけど?」
野崎は子どものように目を輝かせた。
「オレは、眼だ。」
矢ケ崎は突然、脈絡もなくそんな言葉を口にした。
「それ以外の何もかもが欠落している・・・。こんなオレを必要とするような社会はどこにもない——オレは世の中に必要ない出来損ないなんだと——オレの居場所なんかどこにも無いと・・・ずっと思ってきた。・・・でも、あったんだな・・・。先生の論文が、オレの檻を破った・・・。」
矢ケ崎の目が少しだけ潤んでいるように見えた。
「こんなオレでもよかったら、役に立ててくれ・・・先生。」
次回で最終回となります。
どうぞ最後までお付き合いください。




