37 ーシャドウ・プレイヤー ー
もう一度、矢ヶ崎に会うことになる田県。胃液が逆流しそう・・・?
翌日、受付ロボットの呼び出しで野崎がクリップアーツの応接スペースに出てみると、田県が憔悴した顔つきで立っていた。
彼のこんな顔は初めて見る。よほど、田県の言う「足で稼ぐ取材」が空振りに終わっているんだろう。
野崎の後ろから、竹内と羽田も出てきた。
「田県さんの方は空振りみたいね?」
野崎が、わざと軽口のような話し方で田県に声をかけた。
「正直、行き詰まってますよ。」
田県は竹内がいるので、いつものタメ口は遠慮した。
「こっちは凄いことになってるわよ。」
「プリントしたものです。」
羽田がテーブルの上にグラフを何枚も広げた。
それは、これまでに見たことがないほど、踊るように荒れたグラフだった。どれがピークかも分からなくなりそうな。
「ヴィータウンは、Tデータとそれによる歪みの巣窟ですよ。今、これらの歪みがどこにあるのか、探索ソフトを起動させてます。」
そう言う羽田の表情は、しかし、暗くはない。
「私はね・・・」と野崎が言う。
「ヴィータウンは実験場だったんじゃないか——って思うの。」
「シリアルキラーが、初め動物でやるみたいにか?」
言ってから田県は「しまった」と思った。竹内が露骨に嫌な顔をした。
「他に言い方ないの?」
野崎が田県を叱ることでフォローしたが、あとの祭りだった。
田県さん、かなり疲れてるな・・・と野崎は思った。
「仮想空間の・・・」
と、田県が言いかけた時、中から野崎たち3人に来てほしいという工藤の要請がアナウンスされた。田県は、ちょっと救われたような顔をした。
「ちょっと待っててくれる?」
そう言って、野崎たち3人はまた中に入っていった。
田県は独り取り残された。
3人が工藤のいるデスクまで行くと、工藤が厳しい顔で待っていた。
「どうした?」
竹内の問いに、工藤ははっきりした口調で答えた。
「サーバーの外にもあります。」
竹内の表情も厳しくなった。
ところが、なぜか野崎だけは、むしろ微笑を浮かべているようにさえ見えた。
「やっぱりね。」
「やっぱりと言うと?」
竹内が怪訝そうな顔で野崎を見る。
「もし、社内サーバーの中だけにしかなかったら、私は社内に不届きものがいる——と考えたでしょうね。・・・でも、そうじゃなかった。」
野崎の声は明るい。
「社内サーバーの外にも有ったのなら・・・あっ・・・外で話しません? 田県さんも聞きたいでしょうから。」
田県は、独りぽつんと応接スペースに残されたまま、受付のロボットを見ていた。このロボットは、いかに外見が可愛らしく作ってあっても、中身のAIは産業用ロボットと変わりはない。
今のところ、AIはまだ人間が設定した作業を「いかに最適化して行うか」ということだけを自律的に考えるだけの補助的機械だ。
しかし、もっと自律的に思考できる機械へと進化するのは時間の問題で、そうなれば「人間の領域」へと侵入してくることになるだろう。
この先ロボットと人間が共存するような社会がやってきたら、人間はロボットをちゃんと受け入れられるんだろうか——いや、それ以上に、人間を凌駕したロボットは人間をどう扱うのだろう?
田県が、そんなとりとめもないことを考えていると、野崎たちがまた中から出てきた。今度は、工藤も一緒だ。
「お待たせ。田県さん。こっちで説明することにするわ。」
他の3人が着席するのを待って、野崎は口を開いた。
「出たのよ。サーバーの外にも、歪みやTデータが・・・。」
「野崎先生は、それをあまり深刻なことだとは受け止めていらっしゃらないようですが・・・」
竹内の少し不満げな言葉に、野崎はきっぱりと言い切った。
「そうです。私は不正アクセスは危惧していません。」
それから、野崎はちょっと考え込むように中空を見据えてから、
「・・・これはまだ、仮説に過ぎないんですが・・・」
と前置きして、まっすぐ竹内の方を見た。
「ヴィータウンのアルゴリズムは開放系です。コアな部分を覗いて、プレイヤーの参加によって形や序列を変えてゆく部分が大きい。——そうですね?」
「その通りです。」
と竹内が答える。
「そうすると、何万というプレイヤーがそこにつながることで、メタアルゴリズムとでも言うような構造が生まれる可能性があるんです。」
工藤の顔が真っ赤になった。目だけが光っている。
「これは、私たちの『ビッグデータ活用ツール』にも通じる概念なんですけど。——つまり、参加プレイヤーも含めて、ヴィータウン自体がメタアルゴリズムとして動き出した——という可能性です。」
竹内も表情を変えた。
七海は、なんて言った?
ヴィータウンそのものが作り出した———
「でも、それだと『新宿の眼』や『さいたま市実証実験』の説明がつかないです。」
羽田が冷静に指摘したが、野崎は意にも解さないふうだった。
「ヴィータウンのカラクリが解明できれば、その応用編で残り2つも説明できる可能性はあるのよ。」
野崎には何か、考えるところがあるようだった。
「オレは・・・会ってみたい人物ができた・・・」
と田県が言った。なぜか、顔は苦虫を噛み潰したような表情をしている。
「ほんと言うと、会いたくないんだけど・・・・。でも、この件は・・・あいつの意見を聞く価値があると思う。」
野崎が不思議そうな顔で聞く。
「誰なの、それ?」
「ホームレスだよ・・・。」
田県は、げっそりした表情で答えた。
野崎はそんな田県を面白そうに眺めていたが、やがて、実験の指示をするみたいな口調で言った。
「私も、その人に会える? どういう人なの? 田県さんが意見を聞こうと言うほどだから、ただ者じゃないんでしょ?」
しかし、田県はまだゲンナリした表情で口ごもった。
「頭はいいんだ。3年以上前に、トランプの登場や北朝鮮の動向を予言したようなヤツだから。・・・ただ、性格が・・・その、なんと言うか・・・人を傷つけてもなんとも思わないような・・・・。」
言いながら、田県はその両眼から気力が失せてゆくのを懸命に押しとどめようとしているようだった。
それから、目の下に一気にクマができたような顔で野崎を見た。
「先生はNETカフェとか、行ける?」
「あ、僕、よく行きますよ。マンガ読みに・・・。」
羽田が「何が問題?」という顔で言うと、竹内と工藤が「えっ?」というような表情を見せた。
野崎が笑いながら2人に解説した。
「名古屋圏の漫画喫茶はイメージ違うのよ。東京だと少し『いかがわしいところ』ってイメージがあるけど、喫茶店文化の強い名古屋圏ではファミリーで行けるような明るいところが結構多いのよね。」
竹内と工藤が「ええ!?」と意外そうな顔をする中、羽田は「うんうん」と頷いている。
「そういえば以前、仕事で名古屋に行った時だけど、あっちの人って、仕事前にまず喫茶店に入ってコーヒー飲むのな。」
田県は矢ケ崎の話を放っておいて、軽い話題の方にスライドした。
「そうですね。名古屋圏の『モーニング』って、すごい豪華なんですよ。」
と、羽田もそれに合わせる。
「そうそう。あの『モーニング』がショボい喫茶店は、すぐツブれるのよね。競争が激しいから。」
野崎も笑いながらその話題に乗った。
田県の顔に、少し力が戻ってきた。
竹内と工藤は面白そうに聞いている。彼らには完全に異文化の話だ。
「オレなんか、コーヒー頼んだら味噌汁がついてきたことあるんだぜ。どーしろってんだよ、って。危うく味噌汁にミルク入れるとこだったぞ。」
田県の漫談に、羽田が笑いながら補足説明を入れた。
「あっちは赤味噌ですからねー。コーヒーと見分けがつかない(笑)。」
ひとしきり、名古屋談義で盛り上がってから、田県は、ふうぅー、と大きく息を一つついた。
「まずは、オレ一人で会ってくるわ。」
意を決した、という顔つきだ。
「ホームレスだから、どこのネカフェにいるか、場所もはっきりしないし・・・。向こうの指定した時間と場所に行くだけになる。先生との科学談義は、また改めてセッティングしますよ。」
「私もそれに混ぜてもらえますか?」
横から竹内が口を挟んだ。
「ここ、使ってもらっても構いませんから。」




