35 ーシャドウ・プレイヤー ー
野崎研究室が持ってきた『フィルター』は、それまでの工藤の探索概念を大きく変えた。
工藤はこれまで、異常を発見するためにはプログラムの「その部分」を特定しなければならない、と思い込んでいたのだが、羽田が持ってきたのはそういうものではなく、ある種の傾向を数値化することで拾い出してくる——というものだった。
「それがどこにあるか」ではなく、「特定の傾向を持っているかどうか」だけを判断する、簡易なAIのようなもので、それによって探索スピードを驚異的に速くすることができる。
いくつもの『フィルター』を通すことで、精度を上げたり、拾い出す「事象」の抽出基準を変えたりできる。
場所の特定は、絞り込んだ後でやればいい——ということになる。
つまり、一言で言うなら「異常があるとすれば、そのエリアにあるはずだ」ということが分かる——というツールとして使えるということだった。
なるほど。こういうやり方でなければ、本来雑多なものでしかない「現実の事象」や「NETの情報」を数値化して、その分布を調べる——などということはできなかっただろう。
竹内は、羽田や工藤の作業を見ていて、その新しいアルゴリズムの概念に刺激を受ける思いがした。
彼は直ちに、その刺激を経営者としての思考へと発展させた。
このアルゴリズムの使用権そのものを、買ってもいいんじゃないか。『ヴィータウン』に新しい機能が追加できそうだし、広告のターゲティング精度も上げられるんじゃないだろうか。あとで岡田と話し合ってみよう。
工藤は、羽田がクリップアーツにもたらした新しい技術に、すぐ馴染んだようだった。2日目にはもう、羽田の助手のようにして「実験」のスタッフになりきってしまった。
「工藤さん、優秀ですねぇ—。思ったより早く実験結果まとめられそうです。」
デリバリーで取った弁当を竹内たちと一緒に飲食コーナーで食べながら、羽田が誰に言うともなく言った。
「これは、野崎先生には結果をメールで送って指示を仰ぐ形になりそうですね。」
野崎がクリップアーツにやって来たのは、3月も第2週に入ってからだった。
それまでに羽田が送った実験データで、フィルターはわずかな手直しをするだけで仮想空間内でも有効だということは確認できていた。
だから、野崎が来るまでに、羽田と工藤はすでにTデータの抽出や、ヴィータウン内の歪みの検証に取りかかっていた。
「まるで優秀な助手が1人増えたみたい。」
岡田や竹内と一緒に作業スペースに入ってきた野崎は、開口一番、笑顔で工藤にそういう言葉を投げかけた。
工藤は驚いたような表情を見せてから、わずかに頬を染めた。
「こんなに早く進むとは思っていなかったわ。ヴィータウンはどう、羽田クン?」
「まだ途中経過ですしサンプルも少ないですが、出てますよ。思いっきり。他の2つの最高値を塗り替えてます。」
羽田が、工藤が向かっていたパソコンの画面を野崎に見せた。他の2つとは、もちろん『新宿の眼』と『実証実験』のことだ。
「ここまでは、想像してた通りね。」
「その歪みやTデータは、うちのサーバーに有ったものでしょうか?」
と竹内が聞いた。
「場所を特定するためのフィルターを、今、私が組んでいますので・・・。Tデータの抽出と歪みの検証作業は工藤さんに任せて、私はこっちにかかり切っています。」
羽田が竹内に答えると、すぐに野崎も続けた。
「焦らなくても大丈夫です。少なくとも現時点では、外部からの侵入の痕跡は現れていませんから、基本的にはこちらのサーバーの中に有ると想像はできますが、まだ断定はできませんし、するべきでもありません。」
野崎は、研究者らしい落ち着きを見せて竹内を見た。
「羽田クンがフィルターを組み上げさえすれば、場所の探索自体は30分もかかりませんから。」
それから羽田の向かっているパソコンの画面を覗き込んだ。
「わからないこと、ある?」
「大丈夫です。先生の指示通りのやり方で順調に組み上がってます。あとは工藤さんが抽出してくれるデータのサンプルが増えれば、精度が上がっていきます。」
「よろしくねぇ。」と、野崎は工藤の方を振り返った。
「うちの研究室に欲しいわぁ。でも、きっとこっちの方が給料はいいわよね。」
すぐ後ろで、岡田のクスッと笑う声が聞こえた。
田県は再度、佐々木無文に会ってみることにした。政治家の周辺を洗うのもやってみるつもりだが、その前に、浜中や佐々木にインスピレーションを与えたものが何なのか、を知っておきたいと思ったのだ。
その取材方針の修正は、例の『給仕術』がヒントになっていた。
超能力や魔法にしか見えない現象が、タネを明かせば単純な手品であるように、この事象もNETを使った意外にもアナログな『手品』なのかもしれない。
そうだとすれば、そのタネか仕掛けは、浜中や佐々木の発想部分、または発信部分に手を伸ばしているだろう。
田県はそんな風に考えたのだ。
浜中はまだ少し先にならないと時間が空かないようなので、先に佐々木にアポをとった。
ざっと書き上げたドキュメンタリー記事に目を通してもらいたいのと、佐々木さん自身についてもう少し補足取材したい——という口実にした。
実際に原稿は書いているし、これ自体はどこかの週刊誌か新聞社に売り込むつもりでもいる。
NPOの高橋には、まだエージェントの影は掴めない旨を電話しておいた。
「電話でこういう話はしない方がいいんじゃないか、田県さん?」
と、高橋は心配してくれたが、田県は『盗聴』も想定している。
むしろ、テキが田県の動きを察知して、彼の周囲に何らかの行動を起こさないかと期待を込めた罠を張ったつもりだが、田県の周辺には何の変化も起きなかった。
それはつまり、今の田県の取材が「的外れ」であることを意味しているのかもしれなかった。




