31 ーゲームメーカー ー
横浜にあるその会社は、小綺麗なオフィスビルの2フロアを借り切っていた。受付カウンターには、高橋智隆のデザインと思しきロボットが座っていて、流暢な受け答えで名刺を受け取ると、傍の木製の名刺立てのスリットに挟んだ。
次の瞬間、名刺はシュッと吸い込まれて消えた。
「面白いですね。」と、羽田が無邪気な顔で言う。
新進のベンチャー企業らしい演出だな——と、田県は思った。
程なく若い男性社員が出てきて、2人を個室になった応接室へと案内した。この応接室は、一方が透明なガラス張りになっていて、姿は見えるが、音は遮断するようになっているらしい。
他に来客はいなかったが、ここに案内されたということは他聞をはばかる——ということだろう。
他の応接コーナーはオープンである。フロアは不透明なガラスで仕切られていて、田県たちがいる側には応接スペースだけがある。
基本、社員たちのいるワークスペースは見えない。応接コーナーとの間の唯一の出入り口である自動ドアだけが透明なガラスで、そこから社内の雰囲気を少しだけ覗くことができた。
田県がちらりと見た限りでは、なんだか大学のサークルみたいなくだけた雰囲気だったが、セキュリティだけはちゃんとしているようだった。出入り口のドアは、IDカードを持っていない人物は通れない仕組みのようだった。
そこから4人の人物が出てきたのは、給仕ロボットがまだ飲み物の注文を聞いているときだった。
皆、若い。しかも、1人はまだ子どもじゃないか?、と思うほど若い女性だった。
田県が名刺を出そうとするのを片手で制して、丸顔の人当たりの良さそうな人物が立ったままで口を開いた。
「いや、結構です。先ほどの名刺が社内で共有されますので。」
それから、自分の名刺を田県たちに差し出して名乗った。
「社長の岡田です。」
もう一人の男性も名刺を差し出した。
「常務の竹内です。技術部門も統括しています。」
「技術部の工藤です。」と、20代前半らしい女性。
最後に残った若い女性を、社長の岡田が紹介した。
「彼女は板垣七海さん。まだ高校生なので名刺はありませんが、企画部門のオブザーバーをしてもらっています。」
それを引き継いで、竹内と名乗った常務が言った。
「この子はゲームのプレイヤーでもあって、例の『オバケ』に3回ほど遭遇しているんです。それで、今日、同席してもらうことにしました。」
田県の方も、名刺のない羽田を紹介した。
「今、野崎准教授はちょっと遠方までは動けない状況なものですから、彼が代理ということで・・・。」
「ええ、野崎さんから話は聞いています。うちのゲームのプレイヤーだそうですね。ご贔屓ありがとうございます。」
と、岡田が笑顔とともにリップサービスを言った。
あらかたの話は野崎が通しておいてくれたので、6人はすぐに本題に入った。
「まずはこれを見てください。」
と、羽田が用意してきたタブレットを机の上に置いて指で操作した。例のグラフである。
グラフについて簡潔に説明してゆく。なかなか要領を得た説明だった。
そのあと、Tフィルターが拾い出した画像をスライドして見せた。ヴィータウンの画像もある。羽田のアバターの前に何もいない例のやつも混じっている。
「あ、これ私だ!」と板垣七海が画像の1つを指差した。
「相手が映ってない。」
羽田がすぐに反応した。
「本当?」
「うん。ここに間違いなく居た。なんで消えちゃってるんですか?」
「それが問題なんです。」
羽田は、研究室ではあまり見せない引き締まった表情を見せた。なるほど、なかなか「仕事」ができるな、この子は——と田県は思った。野崎が重宝するはずだ。
羽田は、例のグラフをタブレットの上で重ねて見せ、要領よく要点と疑問点を説明してゆく。
「つまりそれは、うちのゲームが外部からハッキングされているということですか?」
竹内が深刻な顔で口を挟んだ。工藤は唇を噛みしめている。目にやや殺気のようなものが宿っているのは、1年かかって自分がそれを捕捉できなかったのが悔しいのだろう。
「いや、まだそうなのかどうかは分かりません。そういう兆候があったのですか?」
「いえ・・・・、侵入の痕跡は見つけられませんでした・・・」
工藤が絞り出すように、か細い声を出した。
竹内が工藤を庇うように話を継いだ。
「工藤はうちの会社でもトップクラスのセキュリティの専門家です。あの都市伝説が出回った当初は、うちの技術部門をあげてチェックを入れたんです。その後、1年にわたってこの工藤が追いかけたんですが、何も見つけられませんでした。」
岡田が話に割って入った。
「いや、君たちはよくやってくれたよ。社長の私なんか、もういいよ——になっちゃってたのに・・・。これは、本当にハッキングなんですか? 画像の痕跡まで消してしまうような大々的な・・・。そんなことができるものなんですか?」
羽田は落ち着いて、片手をあげて制した。
「まだ何も分かりません。何が起こっているのかを知るためにも、うちの研究室のやり方での分析を進める必要があると考えたのです。野崎から話が出ていると思いますが、こちらのゲームのアーカイブやサーバーのデータにアクセスさせていただきたいのですが。」
「この画像は・・・」
と、竹内が羽田に尋ねた。
「うちのサーバーにあったものですか?」
「すみません。それも、まだこれからです。うちのソフトは、そのデータがどこにあったか——までは拾ってこないもので・・・。それ拾っちゃうとプライバシーの問題もあるものですから、今のところ拾わないように設定してるんです。あくまでも『ビッグデータの活用ツール』なので。」
田県がここまでのやり取りを見ている限り、この会社の幹部連中が何かをやっているわけでも、エージェントに接触されたわけでもなさそうだった。
竹内が工藤の方を見た。
「私は・・・この画像は初めて見ます・・・」
「とにかく、何が起こっているのかを知るためにも、できれば研究にご協力いただければ・・・。」
羽田はさらに踏み込んだ。
「セキュリティ上の問題があるのでしたら、私が大学からこちらに出向するような形で、御社の監視下で分析を進めても構いません。その点、野崎には許可を得てあります。」
田県は驚いた。
この話を聞いていなかったこともあるが、野崎のこの思い切った提案に対してである。(野崎さん、そこまで踏み込む気なのか・・・)
たしかにこのやり方は、クリップアーツ側にとってはセキュリティ面で一定の安心感はあるだろうが、野崎研究室にとっては、まだ未発表のフィルターや数式をITの専門家たちにさらけ出してしまうことになるのだ。
野崎は、会ったこともない彼らに裸の姿を晒してしまうほどのリスクを冒してまでも、この謎に迫ろうというのか?
「そこまでの話になるのでしたら・・・」
と、岡田が話を引き取った。
「正式に契約書を交わさないといけませんね。お互いの守秘義務について、ちゃんと書面にしておく必要があります。野崎先生からも『共同研究』というお話がありましたが、我が社としてもビッグデータの活用ツールに関しては少なからず関心がありますし。なにより———」
岡田は力を込めた。
「ゲームのセキュリティに不安があるまま、というわけにはいきませんから。」
羽田の顔がパッと輝いた。
「早速、野崎に連絡して、日時の調整に入らせていただきます!」
「ところで・・・」と、岡田は田県の方に顔を向けた。
「ジャーナリストの方は、申し訳ありませんが、中に入ることはできません。」
田県は頷いた。
「もちろん、わかっています。私は結果だけ分かれば・・・。私も同じ謎を追っていますし・・・、そのTフィルターって『田県フィルター』なんですよ。」
と、田県は笑顔を見せた。
「私も、知る権利はあると思います。」
羽田も続けて援護した。
「そもそも田県さんの協力がなければ『Tフィルター』は完成していませんし、これがなければ『ヴィータウン』の問題も把握できなかったと思いますから。」
「ところで」と、羽田が視線を変えて板垣に話しかけた。
「個人的な興味なんですが、板垣さんは3体もの幽霊をどうやって見分けたんですか? 僕なんかは、都市伝説をあらかじめ知ってて、それで『あれ? こいつ、なんか反応ヘンだぞ』って思ったんで、念のためにスクショ撮ったんですけど。」
「ん〜〜。私の場合もそんな感じなんですけど・・・。ちょっとボットみたい、っていうか、においが無いっていうか・・・」
「においが無い!?」
田県は思わず大声を出してしまった。少女がびっくりした顔で田県を見た。
「あ、いや・・・、すみません。・・・実は、私が『Tフィルター』の元になるデータを拾い集めたときも、『臭いが無い』がキーワードだったもんですから。」
田県は少しバツが悪そうに説明すると、改めて少女に問いかけた。
「板垣さん、具体的には『においが無い』って、どんなふうな感じなんですか?」
「いや・・・どんなふうって言われても・・・・。なんか中身が人間じゃないみたい
・・・っていうか、でも、ボットにしてはちゃんと反応してたし・・・・。よくわかんないです。」
オブザーバーの少女は、困った・・・という表情をしてから、少し伏し目がちにして自嘲気味な笑顔を見せた。
「すいません。ザッパな人間でして・・・。」
「いや、感覚的には私と似ていますよ。私は、記者としての勘で、人間が書き込んだにしては『臭いの無い』NET上の書き込みを拾い集めたんですがね。」
田県はちょっと少女をフォローするつもりで、そんなふうに言った。
「それはNETの特定のサイトですか?」
と竹内が横から口を挟んだ。
「いえ、バラバラです。あらゆる場所です。」
「すると・・・」
竹内はさらに深刻な顔つきになった。
「もし、これがハッキングだとすると・・・、既存のセキュリティシステムはほとんど全部、機能していない——ということになりますね?」
「まさか・・・・」




