29 ー見えない闇ー
田県のひととおりの説明を聞いた高橋は、意外にも怪訝な表情を全く見せなかった。田県は『新宿の眼』については話さず、この実証実験の関係のデータだけの話をした。野崎のこともぼかしておいた。
それでも高橋は不満そうな顔は見せず、むしろその表情には「納得」したような景色が見えた。
それどころか、高橋が最初に口にした言葉に、田県の方が驚いてしまった。
「やっぱり、そうか・・・」
田県は高橋の顔をまじまじと見つめてしまった。
「オレも変だとは思っていたんだ。」
田県は勢い込んで訪ねた。
「何か、思い当たることがあったんですか?」
高橋は、そこに田県がいることに今初めて気がついたような顔をしてから、やや苦笑いに似た笑みを浮かべた。
「いや、思い当たることは無いんですがね。ただ・・・無いからね、変なんです。」
冷めたお茶を一口含んでから、高橋は落ち着いた声で話し出した。
「だってね・・・。こういう話にしちゃ、話が早すぎるんですよ。私の経験からするとね——。私も最初は、何か大物の利権を疑った。私や浜中クンはそれに利用されてるんじゃないか、とね。・・・しかし、何も出ませんでしたよ。白石さんも、北山さんも、彼らが中心になって上を動かしています。
いや、こういう話に関しては私は鼻が効くほうでしてね。バックがいれば、まず分かります。」
高橋のカンの鋭さに関しては、田県も先ほど経験済みだ。
「動いてきた政治家3人も、——与党が2人に野党が1人ですが——まあ、もともと環境問題への取り組みを『売り』にしてるような連中ですからね。特にバックがあるという感じじゃありませんでしたよ。むしろ、話が急激に進展したことに喜んじゃって・・・」
高橋は、フッ、と鼻で笑った。
「自分の手柄みたいな顔をしたがっていますよ。・・・ってことはね、彼らのバックには彼らに指示を出したような大物はいない——ってことですよ。いるんなら、そんな簡単に『自分の手柄』にはできない。」
それから、急に真顔になって田県の顔を見た。
「あんたの話じゃ、このプロジェクトを動かした何者かは、NETの書き込みを利用して関係者を誘導しているということだが・・・。つまりそれは、それほどの超高度な技術を使える連中がウラにいると?」
「そういうことになります。」
「その大学の先生ってのは、信用できるのかね?」
「取材源についての詳しい話はできませんが、信用できます。」
高橋は声を低くして田県に顔を寄せた。
「その書き込みのデータというのは、私は見せてもらえますか?」
「ええ、データだけなら。今、持っていますから。」
そう言って田県は、カバンからクリアファイルに入ったプリントを取り出した。これは野崎にも許可を得ている。
高橋はそれを手にとってしばらく眺めていたが、やがてテーブルの上にポンと放り出した。
「本当にバラバラなんですな。」
「ええ。」
「これで、どうやって人を誘導するんです?」
「今のところ全く分かりません。——ただその先生の推測では、この情報をインプットすることで特定の条件下にある人間に、心理学的、生理学的影響を与えているのではないか・・・と。」
田県は、院生の羽田ではなく「大学の先生」の見解にしておいた。それでもこれは少し胡散臭い話に聞こえたのではないか、と心配したが、高橋はそういう反応は全く見せなかった。
「そんなことが本当にできるものかな・・・? もし、そうだとしたら、それをやっているのは、田県さん・・・その見えない相手は、我々が手を触れることができるようなものじゃないかもしれませんぞ。」
田県は感心した。この高橋という環境運動家は、ただの純粋な運動家というだけではないようだった。
「そうです。だから、最初は、この話をするのを避けようと思っていたんです。」
一呼吸おいてから、「しかし・・・」と、田県は続けた。
「仮にそうだとしても、NETの情報だけで関係者を動かすということに、私は懐疑的なんです。どこかに必ず、接触しているエージェントがいるはずだと・・・。」
「うむ・・・」
高橋は腕組みをして宙を見つめた。
「あんた、危険かもしれんぞ——。」
言いながらも、高橋は田県を見てはいない。
「その大学の先生も——だな。・・・・深入りしない方がいいんじゃないか?」
「そいつは私も分かっていますので、慎重にいきます。とりあえずは、まず不自然さのある登場人物を見つけないと・・・。深入りするどころか、入り口すら見えませんからね。」
苦く笑った田県に、高橋もつられるようにフッと笑った。
「そう言いながら、オレもこのままじゃ気持ち悪いしな。・・・深入りはしたくないが、ぼんやりとした全体像だけでも知りたいもんだな・・・。」
それから少し目を宙に漂わせた。
「浜中クンはまず違うな。彼はもともと、これをやってたわけだしな・・・。可能性があるとすれば、白石さんか北山さんか・・・・その周辺だろうな・・・。いや、こうなると民自党のあの2人も、野党のあいつも怪しいか・・・。」
「一度、私も当たってみます。とりあえず、今は誰にもこの話はしないでいただけますか。」
高橋は鈍い眼光のまま、にっと笑った。
「私はこう見えても、秘密にすると言ったことは墓場まで持って行くよ。」
田県は礼を言って、取材を切り上げた。
もちろん、田県は浜中も取材するつもりでいる。高橋の眼力は評価はしたが、田県は自分の鼻で臭いを嗅いでみたかったのだ。
田県はとりあえず、浜中、白石、北山の3人にアポを取るためにそれぞれ高橋から聞いた連絡先に電話をかけたが、連絡がついたのは白石だけだった。白石は、来週なら時間が取れると言う。
浜中は大学教授だから、たぶん野崎と同じように今は大忙しだろう。一応言付けを頼んだが、返事はいつになるか分からない。
北山に至っては「取材は広報を通してほしい」でおしまいだった。一応広報に申し入れてみるつもりだが、年度末に近いからたぶんこっちもダメだろう。
高橋からは「自分の名前を出してもらっていい」と言われていたので、それは最大限利用させてもらったが、なにぶん時期が悪い。
冷たい風に身を縮こめながら田県が自分のオフィスに帰ってみると、パソコンの方に羽田からメールが届いていた。
携帯のショートメールに書いてあった「もう一つのノイズの大きい事象」についてだった。オンラインゲームのシェアに関するものだったが、Tデータの多いのが『ヴィータウン』というオンラインゲームであることが分かった——というものだった。
抽出したTデータもファイルで添付されている。開けてみると圧倒的に画像が多い。「遅くなってもいいので研究室に電話をください」と記してあったので、田県はスマホで野崎研究室をタッチしてコールした。まだ8時前だから、羽田は確実に研究室にいるだろう。
はたして、3回目のコールで羽田が出た。
「はい、野崎研究室です。」




