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ポストサピエンス  作者: Aju
24/40

24 ー新宿の眼ー


 野崎から田県に連絡が入ったのは、鏡開きも終わった冬晴れの午後のことだった。

「出たわよ、田県さん。『新宿の眼』。メールでグラフ送ろうか? もちろん極秘扱いになるけど。」

 野崎は開口一番、いきなり分析結果の話をした。

「いや、どこで漏れてもいけないから、オレがそっちに行くよ。」

「えっと、明日は講義もあるし、ちょっと時間が取れないから明後日でもいい?」

「オレは構わない。今んとこ、急ぎの仕事はないから。」

「じゃ、明後日。・・・あ、そういえば・・・言ってなかった。明けましておめでとうございます。」

 田県は苦笑しながら返した。

「オレも言ってなかった。明けましておめでとうございます。今年もヨロシク!」

 平成最後の年。

 世の中はそんな話題が増えてきている。新しい元号はまだ分からない。

 田県も、そっち系の記事で少し稼がせてもらうつもりでいる。


 研究室には野崎と羽田がいた。

「あ、明けましておめでとうございます。」

 羽田が少し口ごもるようにして、ぺこりと頭を下げた。

「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」

と、田県は相手が年下であることを意識して、あえて丁寧に応えた。

「正月もやってたの?」

「いや、データの持ち出しは厳禁なんで。三が日はお休み。4日からここ開けてもらってやってるけど。羽田クンは7日から手伝ってもらってるわ。コーヒーは?」

「ああ、ください。」

「羽田クン、お願い。この先はゼミの試験や学生の成績評価、大学全体の受験準備やらで忙しくなるのよ。こっちに割いてる時間が減るから、本当はもっと人手がほしいんだけど・・・。」


 羽田が田県の前にカップを持ってきた。

「ありがと、羽田クン。この前の田県さんの話を聞いて、関わる人、あまり増やさない方がいいかな・・・って。」

 野崎は羽田の方をちょっと振り返って、

「ごめんね、羽田クン。巻き込んじゃって。」と冗談めかして言った。

「かまいませんよ、僕は。ていうか、すごく興味のある話ですからね。」

 羽田は奥のデスクからパソコンを持ってきて、テーブルの上に置きながら笑った。

「出たって電話で言ってたよね?」

 田県は本題を切り出した。

「出ましたよぉ。面白い結果が。」


 野崎は田県の方にパソコンの画面を向けると、田県の隣の椅子に座って同じ画面を見る形になった。

 田県の鼻孔を少し甘い香りがくすぐった。使っているのは何かな、とちらと思ったが、野崎が画面を開いて話し出したので、田県もそれに集中することにした。羽田が立ったまま、傍から覗き込んでいる。

「まず、Tフィルターでの抽出データを少し見て。」

 そう言って野崎がスクロールして見せたのは、実に雑多な言葉だった。中には言葉になっていない文字列や、一文字だけ、というものもあった。

「文字だけで5751単語。これを『単語』って言っていいのなら、だけど。」

「これ、いったい何なの?」

「情報。」

と、野崎が、くりっとした目をむいて言った。

「何だか分からないけど、『新宿の眼』の社会的事象にバイアスをかけている情報。1文字だけのものも含めて。」

 野崎は別のファイルを開いた。

「そして、こっちが画像情報。」

「画像もあるのか?」

「画像の方が多いわ。1万以上出てきた。」

「佐々木無文の作品の画像もあるな。当然と言えば当然だが。」

 野崎は軽くため息をついた。

「でも、これは役に立たないのよ。たぶん何らかの画像改変がTフィルターに引っかかってるんだろうけど、元データがないと比較のしようがないし・・・。で、とりあえず文字だけで数式に当てはめてグラフ化したものが、これ。」


 野崎がまた別のファイルを開いた。

「これが『新宿の眼』に関係する情報の元グラフ。大きなノイズが出てるでしょ? で、これがTデータだけのグラフ。」

「見事にノイズだけが出てるな。」

「そう、そして・・・」

と、野崎は別のグラフを指し示した。

「これが、引き算をやった結果。」

 それは、ピークの位置も形も、元グラフとは大きくズレていた。

「相当ズレてるな。」

「そう。・・・で、これが画像だけのTデータグラフね。」

 野崎が示したグラフは、ノイズだらけのグチャグチャなグラフだった。ただ、こちらには、元グラフのピークに近い部分にも大きな山がある。

「これが、こんなふうにノイズだらけになることから、私たちは『画像改変』ではないか——と推測してるの。まだ結論を得るには、科学的にはデータが足りなさ過ぎるから、もっと事例やデータを集めなければ、だけどね。」


 科学者の仕事というのも根気のいる仕事だな・・・、と田県は感心しながら話を聞いている。こういうめんどくさい作業に情熱を傾け続けられる、というのも一種の才能なんだろうな——と田県は思った。

「そして、これが、文字と画像、全部のデータを引き算したグラフ。」

 田県は目を見はった。

 それはもう、元グラフとは全く違うグラフだった。

「で、次にね。私たちはこれの逆算をやってみたのよ。」

 野崎が田県の表情を確かめるように、彼の顔にちらと目をやった。

「つまり、このTデータがNET上に無かったとしたら、現実の社会事象はどうなっていたか——というのを粗々に出してみたというわけ。」

 野崎はここで、大きく息を吸い込んで吐いた。

「どうなったと思う?」

 田県は、分からないという意味で、首を軽く横に振った。

「起用される作家どころか——」

野崎は一呼吸置いてから続けた。

「三丸パークの改修工事自体が、始まってすらいない確率が70%を超えたのよ!」


 田県は、乾いた口の中を湿らそうと、コーヒーを一口すすった。

「それは・・・つまり、三丸商事がこのデータを仕込んだ——ということか?」

 野崎は軽く首を横に振った。

「早まらないで。私たちはもう1つの事例——ノイズの大きい事例を探し出して、同じことをやってみたの。」


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