24 ー新宿の眼ー
野崎から田県に連絡が入ったのは、鏡開きも終わった冬晴れの午後のことだった。
「出たわよ、田県さん。『新宿の眼』。メールでグラフ送ろうか? もちろん極秘扱いになるけど。」
野崎は開口一番、いきなり分析結果の話をした。
「いや、どこで漏れてもいけないから、オレがそっちに行くよ。」
「えっと、明日は講義もあるし、ちょっと時間が取れないから明後日でもいい?」
「オレは構わない。今んとこ、急ぎの仕事はないから。」
「じゃ、明後日。・・・あ、そういえば・・・言ってなかった。明けましておめでとうございます。」
田県は苦笑しながら返した。
「オレも言ってなかった。明けましておめでとうございます。今年もヨロシク!」
平成最後の年。
世の中はそんな話題が増えてきている。新しい元号はまだ分からない。
田県も、そっち系の記事で少し稼がせてもらうつもりでいる。
研究室には野崎と羽田がいた。
「あ、明けましておめでとうございます。」
羽田が少し口ごもるようにして、ぺこりと頭を下げた。
「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」
と、田県は相手が年下であることを意識して、あえて丁寧に応えた。
「正月もやってたの?」
「いや、データの持ち出しは厳禁なんで。三が日はお休み。4日からここ開けてもらってやってるけど。羽田クンは7日から手伝ってもらってるわ。コーヒーは?」
「ああ、ください。」
「羽田クン、お願い。この先はゼミの試験や学生の成績評価、大学全体の受験準備やらで忙しくなるのよ。こっちに割いてる時間が減るから、本当はもっと人手がほしいんだけど・・・。」
羽田が田県の前にカップを持ってきた。
「ありがと、羽田クン。この前の田県さんの話を聞いて、関わる人、あまり増やさない方がいいかな・・・って。」
野崎は羽田の方をちょっと振り返って、
「ごめんね、羽田クン。巻き込んじゃって。」と冗談めかして言った。
「かまいませんよ、僕は。ていうか、すごく興味のある話ですからね。」
羽田は奥のデスクからパソコンを持ってきて、テーブルの上に置きながら笑った。
「出たって電話で言ってたよね?」
田県は本題を切り出した。
「出ましたよぉ。面白い結果が。」
野崎は田県の方にパソコンの画面を向けると、田県の隣の椅子に座って同じ画面を見る形になった。
田県の鼻孔を少し甘い香りがくすぐった。使っているのは何かな、とちらと思ったが、野崎が画面を開いて話し出したので、田県もそれに集中することにした。羽田が立ったまま、傍から覗き込んでいる。
「まず、Tフィルターでの抽出データを少し見て。」
そう言って野崎がスクロールして見せたのは、実に雑多な言葉だった。中には言葉になっていない文字列や、一文字だけ、というものもあった。
「文字だけで5751単語。これを『単語』って言っていいのなら、だけど。」
「これ、いったい何なの?」
「情報。」
と、野崎が、くりっとした目をむいて言った。
「何だか分からないけど、『新宿の眼』の社会的事象にバイアスをかけている情報。1文字だけのものも含めて。」
野崎は別のファイルを開いた。
「そして、こっちが画像情報。」
「画像もあるのか?」
「画像の方が多いわ。1万以上出てきた。」
「佐々木無文の作品の画像もあるな。当然と言えば当然だが。」
野崎は軽くため息をついた。
「でも、これは役に立たないのよ。たぶん何らかの画像改変がTフィルターに引っかかってるんだろうけど、元データがないと比較のしようがないし・・・。で、とりあえず文字だけで数式に当てはめてグラフ化したものが、これ。」
野崎がまた別のファイルを開いた。
「これが『新宿の眼』に関係する情報の元グラフ。大きなノイズが出てるでしょ? で、これがTデータだけのグラフ。」
「見事にノイズだけが出てるな。」
「そう、そして・・・」
と、野崎は別のグラフを指し示した。
「これが、引き算をやった結果。」
それは、ピークの位置も形も、元グラフとは大きくズレていた。
「相当ズレてるな。」
「そう。・・・で、これが画像だけのTデータグラフね。」
野崎が示したグラフは、ノイズだらけのグチャグチャなグラフだった。ただ、こちらには、元グラフのピークに近い部分にも大きな山がある。
「これが、こんなふうにノイズだらけになることから、私たちは『画像改変』ではないか——と推測してるの。まだ結論を得るには、科学的にはデータが足りなさ過ぎるから、もっと事例やデータを集めなければ、だけどね。」
科学者の仕事というのも根気のいる仕事だな・・・、と田県は感心しながら話を聞いている。こういうめんどくさい作業に情熱を傾け続けられる、というのも一種の才能なんだろうな——と田県は思った。
「そして、これが、文字と画像、全部のデータを引き算したグラフ。」
田県は目を見はった。
それはもう、元グラフとは全く違うグラフだった。
「で、次にね。私たちはこれの逆算をやってみたのよ。」
野崎が田県の表情を確かめるように、彼の顔にちらと目をやった。
「つまり、このTデータがNET上に無かったとしたら、現実の社会事象はどうなっていたか——というのを粗々に出してみたというわけ。」
野崎はここで、大きく息を吸い込んで吐いた。
「どうなったと思う?」
田県は、分からないという意味で、首を軽く横に振った。
「起用される作家どころか——」
野崎は一呼吸置いてから続けた。
「三丸パークの改修工事自体が、始まってすらいない確率が70%を超えたのよ!」
田県は、乾いた口の中を湿らそうと、コーヒーを一口すすった。
「それは・・・つまり、三丸商事がこのデータを仕込んだ——ということか?」
野崎は軽く首を横に振った。
「早まらないで。私たちはもう1つの事例——ノイズの大きい事例を探し出して、同じことをやってみたの。」




