23 ー日々の暮らしー
東京へ向かうのぞみの窓から、田県は流れてゆく夜景をぼんやり眺めていた。この辺は掛川あたりだろうか。
野崎は別れ際に「『新宿の眼』に関するデータの分析は、年明けになるから」と言っていた。
「他にも気になる動きがあるので、そっちもできたらやっておくわ。1月半ばには、一度連絡できると思う。」
明日はクリスマスイブだ。大学も冬休みに入る。研究室は28日まで使えるようだったが、いずれにしても動きが出るのは年が明けてからになる。
田県も27日には今年最後の「稼ぐ仕事」を納品して、仕事納めになる予定だ。田県の得体の知れない不安をよそに、世の中はいつも通りの年の瀬を迎えつつある。
細かく見る暇もなく後ろへと飛んでゆく窓の外の灯りたちの中に、色とりどりの電飾もいくつか混ざっている。そういう1つ1つの灯りの下に、人々はささやかな暮らしを紡いでいるのだ。
それを・・・と田県は思う。より大きなものの為に捧げよ——という考えに、田県は抗いたかった。たとえそれが、生命の進化の必然であるとしても。
矢ケ崎との会話の中で、田県がどうしても引っかかったのはその部分だった。
田県の取材は彷徨している。
初めは、社会の中に現れてくる「理解の及ばない思考回路」を持った人間は、なぜどのようにして生まれてくるのか——を追求しているはずだった。そのための手がかりが、あの元女子大生だった。
ところがいつの間にか、標的は大きくズレ始め、「NET内のノイズ」に移ってしまったのだ。しかも、そのノイズはどういう方法でか分からないが、現実の事象に方向性を持ったバイアスをかけていると、あの准教授は言う。
さらに院生の羽田の話では、そんなことは人間はおろか、AIでもそこらへんのAIでできることではないということだった。
田県が「ヤバい組織では?」と考える理由だったが、それにしても・・・と思う。
いったい誰が? 何の目的で? 新宿高層ビルの公園のモニュメント作家に、若手新人を起用するように誘導しなけりゃならない?
これほど手の込んだことをしてまで———?
もし、そんなとんでもないことをできる何者か、あるいは組織があるとしたら、その闇は、人々のささやかな暮らしの足下に薄皮1枚隔てて潜んでいる禍々しい怪物のようにも田県には思えた。
俺なんかに暴き出せるだろうか?
窓にほとんど灯りが見えなくなっていた。
黒々とした斜面が流れていくところを見ると、たぶんこの辺りは茶畑なんじゃないか。若葉薫る頃にはここで茶摘みが始まるだろう。と田県はその明るい光景を想像した。それもまた、人々の暮らしだ。
そういえば誰かが言っていたな。
小麦は人間に食われているだけではない。人間を利用して「確かな繁殖」を手に入れたのだ——と。
そうすると、茶の木も、その新芽を人間に与えてその嗜好を満足させることで、継続的な世話と繁殖を手に入れているのかもしれない。
田県の思考は今、とりとめもない。
田県の耳に、子どもの嬌声が聞こえた。
冬休みに海外へ家族旅行にでも行くのだろうか。2つ前の席で、大きなキャリーバッグを座席脇に置いた若い夫婦が、やわらかい言葉で、はしゃぐ子どもをたしなめていた。




