22 ー日々の暮らしー
一歩は時々、年配の人から「結婚はしないのか?」と聞かれることがある。
「その稼ぎだったら、よりどりみどりでしょうに。」などと無責任に言う。
それはあなたたちの若い頃の話でしょ——と、一歩は思う。それに、一歩は「稼ぎに寄ってくる」ような女性と「家庭」を築けるとは思えなかった。
一歩には以前からそういう傾向はあったが、七海が来てからは一層そのハードルが高くなったようだ。
別に「結婚はしない」とか決めてるわけじゃないし、GFは何人か出来ては消えたが、これといったキッカケもないままに、ずるずると「仕事一筋」になっているというだけのことだ。
七海の母親になれる人でなければ・・・という一歩のハードルを超える女性に出会うこともなく、気がつけば、あれからでさえもう4年が過ぎようとしている。
一歩は相変わらず、学生の頃みたいにプログラムと取っ組み、大学の頃「あなたはパソコンとでも結婚すれば?」という捨てゼリフとともにカノジョに出て行かれた一歩のままだった。
ただ最近、困った——と思うことがある。
高校生になった七海が、ひどく「女くさく」なってきたのだ。成長するのだから当たり前なのだが、風呂上がりなど一歩は目のやり場に困ることがある。
七海はバスローブ1枚で、平然とリビングを横切って自分の部屋に行くのである。どういう意識なんだろうか。一歩は目をそらしているので、そういう時の七海の表情までは分からない。
子供の頃から暮らしている「父親」として安心しきっているのか、それとも・・・と思うのは、時折する仕草が一歩を「男」として「挑発」しているようにも見える時があるからだ。
七海は一歩のことを「お父さん」とは呼ばない。「一歩さん」と呼ぶ。
たしかに、父親にしては年が近すぎ、兄にしては離れすぎている。現在「保護者」ではあるが、血の繋がり(少なくともそう呼べるほど近い)があるわけでもない。養子でもない。
一度、七海が中学生になった時、一歩は養子縁組のことを聞いてみたことがある。
「板垣の姓じゃなくなるの?」と七海は言った。
亡くなった両親や源助さんとの絆が切れてしまうような寂しさを覚えたのだろう。そう一歩は想像して、それ以来この話題を出したことはない。
だから、いまだに一歩は法的には七海の「後見人」という立場でしかない。
一歩と七海は、そういう微妙で不安定な関係のまま、一つ屋根の下に暮らしていた。取りようによっては危なっかしい状況とも言える。
もちろん、一歩は七海をそういう目では見ていない。・・・いや、見ていない、と思い込もうとしているのかもしれなかったが。
母親が要る——という思いを、一歩は年々強くしていた。
しかし・・・・。難しい年頃の「娘」がいる「未婚の男」のもとに、「母親」役を買って出て来てくれる奇特な女性がいるとも思えなかった。
七海を引き取る時には考えもしなかったことだが、一歩の「結婚」の条件は考えられないほどにハードルが上がってしまっていた。
(僕はこのまま「未婚の父親」として、バージンロードを「娘」の手を引いて歩くことになるのだろうか?)
その間抜けな姿を想像して、一歩は思わず自分で笑ってしまった。
七海は中学生になると、友達をあまり家に連れてこなくなった。七海が友達の家に遊びに行った。たぶん、どうやっても「タワマンの27階」というのが自慢くさくなってしまうのを避けられない——という七海なりの気配りなんだろう。
どんな友達と付き合っているのか、どんなふうに友達と過ごしているのか、ちょっと見えづらくなった一歩は、自分の中にじわじわと滲み出てくる不安と「過干渉はいけない」という意識の間で揺れ動いた。
引っ越そうか・・・と一歩は何度か思ったが、それとなくそんな話を持ち出すと、七海は決まって
「この景色、好きだから。」と言った。
実際、七海はよく窓から夜景を眺めていた。そんな時の七海の貌は、あの最初の時に見たようなある種の神々しさを宿すことがあった。
何を思っているのだろう? とは思うのだが、それが何かあの震災の記憶と結びついているような気がして、一歩は声をかけられずにいた。
子育ては難しい。
と、つくづく思う。
「竹内さん、よくやっていますよ。」
「良いお父さんじゃないですか。(笑)」
会社のみんなは気軽に言ってくれるが、しかし、七海の母親になってもいいというような人がいるわけではない。一歩が一度、冗談めかしてそれを言うと、
「あ、私たち結婚自体する気ないんでぇ。(笑)」
異口同音に返ってきた。
「仕方ないですよぉ。」
と、新入社員の工藤鈴音が笑った。
「だって、上司と結婚してタワマンに住んでぇ? 仕事、続けられるわけないじゃないですか(笑)。 社外で探すべきです。」(ビシッ)
そんな社交性があったら、苦労はしない。引っ越そうか、と思った理由の一つにはこの工藤の発言もあったのだが、七海が景色を気に入っているようなのでそれも立ち消えになった。
かくして、一歩の頭の中の未来図に「バージンロードの未婚の父親」という滑稽な図が輪郭を濃くしてゆくのである。
七海は出遅れたヴィータウンの世界で、それでも梅雨入り前には(執念で?)白い岩を見つけ出して、そこの『王』になった。
「IPPOタウン」という命名は一歩には少し恥ずかしかったが、七海なりの一歩への感謝の気持ちらしかった。
七海はまず、何よりも先に社を建設した。それも小さなものではなく、塔のように高い建造物だ。
「縄文時代の神殿を参考にしたの。」
と、七海が言うその建造物は、大きな9本の柱の周りを巡るようにして階段が取り付き、てっぺんの御台の上に小さな社が建つ展望台のようなものだった。
「みんなに夜景を見てもらいたくて。」
だが、肝心の街はまだ「村」のレベルで、社造りにエネルギーを注ぎ続けた七海は秋になっても自分の「家」さえ出来ていない。
夜景そのものが無いではないか。
一歩がそのことを指摘すると、七海はケラケラと笑った。
「まあ、街はそのうちみんなが作るから——。」
たしかに、「高い所からの視点」というのは、ヴィータウンでは得にくい。上空から眺めるのは地図モードだけで、リアル感のある夜景というのは、七海がやったように高い「塔」でも作らないと見られない。
(鳥の目を借りられる『バードアイ』というような新機能を投入してみるかな?)と一歩は思ったが、せっかく苦労して高い建造物を作った七海に悪いような気もした。
それに、他にも同じようなことを思いついて「建設」に取りかかるプレイヤーがいるかもしれない。
(そうだな。そういう動きが一通り出て、ちょっと飽きられ始めた頃——というのがベストタイミングかもしれないな)
と一歩は思い直した、
それなら、今から、そういう機能の設計だけを進めておけばいいか・・・。
七海は1日に1回は窓際に行って、時にはベランダに出て夜景を眺めた。そういう時の七海の貌には、ときおり、あの不思議な神々しさが宿った。
遠くを見るような目、しかもそこに哀しみのような慈愛のような何物かが潜んでいる目が、一歩にそう感じさせるのかもしれなかった。
たしかに、あの津波が根こそぎ奪っていってしまった街には、こういう景色はどこにもないんだよな・・・と一歩は思った。
だから、夜景を見ている時の七海に、一歩はどういう言葉をかけていいのか分からなかった。
そんな一歩に七海の方から話しかけたのは、暑さがようやく緩み始めた9月の終わり頃のことだった。
「夜景っていいね。」
空の何処かにまだ夕暮れの名残りが隠れていそうな時間で、風はあったが生ぬるい風で涼しさとはほど遠い。
「七海は夜景が好きだねぇ。」
一歩はそれとなく誘い水を向けてみる。
「あの1つ1つの灯りに、それぞれの暮らしがあるんだよね・・・。」
一歩の胸の奥が、ちり、と痛んだ。
そうだ。七海の故郷は、そういう暮らしが根こそぎ海に持っていかれたんだ。
歳月が経てば、やがて「暮らし」たちは戻ってきて、寄り添い合ってまた夜景になるのだろう。でも、そこには戻らない暮らしもある。
やはり、夜景とあの記憶は結びついていたのだろう。暮らしは続いてゆく。両親も源助さんもいない世界を、七海だけが、前に進まなくてはならない。
一歩は七海の隣に並んで、目の端で七海の表情を窺った。
しかし、一歩の心配をよそに、七海の目に表れていたのは哀しみではなく、慈しみのような何かだった。




