21 ー邂逅ー
その日の午後、田県が研究棟の事務局で野崎への取り次ぎを頼むと、すぐに野崎からの返事がきて、研究室まで通された。
「できたわよ! 抽出も。 目を通してみて。」
野崎はプリントした紙を持った手を降って、はしゃぐように田県を手招いた。
「取りこぼしてるものもあるかもしれないけど、とりあえず、あなたの言う『臭い』のあるものはチェックマーク入れてくれる?」
田県は研究室の安物の椅子に座って、院生の羽田が持ってきたインスタントコーヒーを一口含むと、プリントされた文字列を目で追った。
並んでいる文字列を眺めていくうち、田県は背中に冷たい汗が滲んでくるのを感じた。
ジャンルも言葉選びもバラバラ・・・、意味のない文字列さえ含むそれらには、見事なまでに田県が感じたあの『透明感』があった。
「臭いがない・・・」
田県は誰に言うでもなく呟いた。
その数の多さはどうだ。
「とりあえず、文字列で1772個検出したわ。」
「この数時間で?」
「フィルターが出来れば、ものの30分よ。私たちの作ったソフトがNET内をランダムに検索して、フィルターですくい上げていくだけだから。もっと時間をかければ、もっと資料は集まるのだけれど、それじゃ田県さんが見るだけで疲れちゃうでしょ。」
「1700見るだけだって大変だよ。」
田県はチェックマークをつける文字列を探しながら、目を上げずに言った。実際、この分量の文字列を、勘を研ぎ澄ましたままで見続けるのは骨が折れる。
「とりあえずは、まだ叩き台だから。田県さんのチェックをもらいながら、フィルターの精度を上げてゆくつもりなので・・・。サンプルとしては、これで十分な量だと思うわ。」
「少し時間をもらっていいか? 疲れて勘が狂っちゃいけないし、見直しもしたい。正直、こんなにいっぺんに見たのは初めてなんだ。」
「そりゃあね。ゆっくりでいいから。こっちも見る?」
そう言って、野崎は別の紙の束を振って見せた。
「画像の分。」
「画像もあるのか?」
田県は、そのプリントされた写真や絵をぱらぱらとめくって眺めていたが、やがてばさっと放り出した。
「これはわからん。」
「私も。」と、野崎が言った。
「文字列を拾うはずなんだけど、なぜか画像もこれだけ拾ってきたのよ。」
「画像もUPしてるのか? この得体の知れないやつは・・・。」
野崎はかぶりを振った。
「たぶん、何かの改変をしてるんだと思う。元画像に。・・・あるいは、フィルターの精度が悪いせいかもしれない。それはもう少し精査してみないと・・・」
「判断のつかないのはどうする? 例えば、この1文字だけのものとか・・・」
「それはチェックしなくていいわ。田県さんが、明らかに『これは違う』と思うものだけで。」
2時間ほどかけて田県がチェックした結果、チェックマークが入ったものは、73個になった。
「誤差4.1%・・・か。最初からかなりいい精度が出たわね。」
「役に立ちそうか?」
「これだけでも、もう十分に。」
野崎は満足そうに笑った。
が、田県は笑っていない。
「この73個を分析すれば、もっと精度が上げられると思う。これは少し時間がかかりそうだけど。」
「で、これ、何だと思うね、先生?」
野崎は肩をすくめた。
「私に今、分かるわけがないでしょ。これから分析していくんだから。」
それから田県の目をまっすぐ見つめて言った。
「焦らないで。とりあえず、このフィルターだけでも十分やれるわ。」
それから、院生の羽田の方をちらと眺めて、
「まずは『新宿の眼』の方を徹底的に分析してみるわ。できれば田県さん、あなたの取材情報を材料として提供してもらえると有り難いんだけど・・・。」
と、田県の顔を見た。
「それは構わない。他に漏らさなければ。」
田県は研究室から出るときに、ふと振り返った。
「あ、それから・・・」
と、野崎の方を見て人差し指を立てる。
「ここまでの経過は他言無用だよ。羽田くんも・・・。」
田県は、羽田が彼の方に振り向くのを待ってから、続けた。
「この得体の知れない情報をNET内に流しているのは、ものすごくヤバい組織——という可能性もあるんだからね。慎重にいこう。」




