20 ー邂逅ー
野崎准教授は明らかに警戒していた。思っていることがほぼ顔に出てしまうタイプらしい。たぶん、自分の研究がどんなふうに書かれるのか、気にしているんだろう。
田県は内心苦笑しながら、とりあえず目的を正直に告げて警戒を解くことにした。
「いや、まだ記事にはならないんですよ。てゆーか、当分できそうにもないんです。材料を集めてる段階でしてね。」
それよりも、田県の心配は「言っていることを理解してもらえるだろうか?」ということだった。
田県はこれまでの経緯を手短かにまとめて話した。
「今日は、ご相談とアドバイス、それにもしよろしければ、先生の研究から見えた情報を少しいただけないかと・・・。もちろん、差し障りのない部分だけで構いませんので。」
野崎の表情に、露骨にがっかりした表情が表れた。たぶん、新聞などで好意的に紹介してもらえれば研究資金の獲得につながるのでは、という期待もあったのだろう。
正直な人だ。と、田県は内心おかしかった。
「奇妙と言いますと?」
野崎はしかし、すぐに表情を隠して田県に質問してきた。
「発信者が存在しないのでは、という疑いのある・・・・」
言ってから、田県は頭がおかしいと思われるのではないかと不安になった。
だが、野崎はむしろ興味を示し、初対面の田県を研究室にまで迎え入れ、例のグラフまで見せてくれたのだった。
この出会いは、2人を思わぬ地平へと連れてゆくことになった。
初対面から3日目の夜には、田県は野崎の用意したホテルに泊まることになった。といっても艶な話ではない。
田県の言う「勘」あるいは「透明感」を、野崎の数式に代入するためのフィルターを作る作業に協力するためである。
その夜はデリバリーのピザにかぶりつきながら、大学の門限の11時ぎりぎりまで野崎の研究室にカンヅメになった。
翌朝はホテルの朝食を取り終わった7時半には、野崎の車がホテルの玄関に待っていた。
「大学は7時から開けてもらえるんだけどね。」
「勘弁してよ。朝のトーストとコーヒーぐらいは許可してよ。」
野崎は笑いながら車をスタートさせた。
「何か他に思いついた言葉、ある?」
早速、研究の話か。色気もへったくれもないことで・・・と、内心苦笑しながら、田県は一枚の折りたたんだ紙をとりだして野崎に見せた。ホテルの名前が印刷された便箋で、黒いボールペンで何かがびっしり書いてある。
「昨夜、思いつく限り書き出してみた。」
「さすが、ジャーナリストさんね。それも入れて、今日の午後には仮のフィルターを作ってみるわ。」
野崎の目が、子どものようにキラキラしている。
ある意味、夢中になっている研究者というのは、子どもなのかもしれない。旺盛な好奇心こそが、研究を進める最大の原動力なのだろう。
好奇心といえば、ジャーナリストもそうか・・・。と田県は思ったが、しかし、ジャーナリストというのは、子どもとはちょっと違うな・・・。
「聞いてる?」
野崎の声で、田県は意識を車の中に引き戻された。
「すまん。ちょっと考え事をしてた。」
「仮のフィルターで抽出した『情報』を、田県さんに見てもらいたいのよ。それで田県さんの『勘』とのズレを修正しながら、フィルターの精度を上げてゆくから。午後まで研究室に居る?」
「いや、図書館にでも居るよ。書き上げなきゃいけない記事もあるしね。」
車を降りながら、田県は肩をすくめてみせた。
「金になる仕事もやらないとね。こっちは今のところ、1円にもならないからな。」
野崎の車がハザードランプを点滅させて、ドアのロックとイモビライザーの作動を知らせた。
「少しくらいなら、ウチから出してもいいわよ。できたら2〜3日つき合ってもらいたいし。」
田県は朝の空気をいっぱいに吸い込んでから、ちょっと困ったという顔つきで野崎に言った。
「研究資金が取れると思っているようだが、表に出すのは少し慎重にした方がいいと思うぞ。」
野崎は怪訝な顔をした。
「考えてもみろ。あんたの言うこの『ノイズ』が、もし政府系のヤバい機関が出してるものだったら、どうなる? 不用意に表に出したりしたら、それこそ2人とも命が危ない——なんてことにもなりかねないぜ。」
野崎は笑おうとして、それを呑み込んだ。田県の表情のどこにも、ジョークの片鱗すら見えなかったからだ。
そもそも、そういう話題を冗談でするには、朝の空気は冷たく澄み過ぎていた。




