11 ー環境運動家ー
時代は変わったな・・・。と、高橋は思った。
高橋淳は50代の環境運動家である。環境問題に熱心な人なら、一度はその名前を耳にしたことがあるだろう。
河川の水環境、化学物質、電磁波問題と、若い頃から熱心に取り組んできた。
正義感が強いというよりは、どちらかと言えばこうした活動が「好き」なタイプのようである。
四角い顔とガタイの良い体つきをしており、政治家を目指せばその道でそこそこ上までいけそうな『押し』と『器の大きさ』もある。
もちろん、そこに「子どもたちの未来の環境を守る」という思想がなければ、こんなことは続けられるものではないし、下手をすればただの「偉そうなオッサン」で終わったかもしれない。
近頃は、そのレパートリーに「地球温暖化問題」も加わったが、こちらは少し出遅れた感がある。
高橋の若い頃は「環境問題」などと言うと白い目で見られたものだが、今や、どこの行政庁に行っても「環境」と言えば、水戸黄門の印籠みたいに効力を発揮する。
それどころか、今、高橋は横浜大の教授と共に首都圏のモデルタウンで、低電磁波システムの実験施工に関わっているのだ。
かつて、電磁波の危険性について高橋が声を張り上げていた頃、無視するだけでなく、敵視までしていた人々が、今は高橋にその意見を求めてくる。
時代は変わった・・・・。
と、高橋は感慨深く思った。
横浜大の浜中浩志が高橋に面会を求めてきたのは、4年前のことだった。当時はまだ30代の准教授だった。
何やら、高橋の著作を読んで感銘を受けたとかで、自分が提唱する新しい通信システムについて話を聞いてほしいという。
高橋は最初、にべもなく断った。
ただでさえ電磁波が溢れ過ぎていると思っているのに、さらに追い打ちをかけるように「新しい通信システム」とやらを投入しようとする産業界や学者どもの能天気な行為を、腹に据えかねると思っていたからだ。
何が5Gだ!
生物の体は電気的活動でできている。もちろん、人間も例外ではない。
それを強烈な電磁場の変化の中に長期間晒せば、どういうことになるか。何も影響がないと考える方が馬鹿げている!
だが、浜中は諦めず、NPOの事務所にまで押しかけてきた。
苦々しい思いを隠そうともせず、高橋は応接に入った。適当にあしらってすぐに帰すつもりだった。
その時の開口一番の浜中の言葉を、高橋は今も覚えている。
「高橋さんは、スマホは無くなると思いますか?」
高橋はとっさに答えに詰まったが、内心は「無くなるまい」と思った。
「自動運転は? やっぱりやめた・・・ってなると思います?」
苦虫を噛み潰したような顔をしている高橋に、ひるむことなく浜中は言った。
「電磁波——正確には電波——の需要が増える一方なら、一つ一つの強さを落として同じ効果を得られるようなシステムを開発すれば、人体への影響は最小限に抑えられるとは思いませんか?」
その時、浜中が提案してきたアイデアが、小型基地局ネットワーク(SBN)という概念だった。
「簡単に言えば、光ケーブルでネットワーク化しながらアンテナの数を増やして1つ1つの出力を下げつつ、干渉を消して接続状況をよくするという方法です。」
と浜中は説明した。
すでに大手通信事業会社が2社、共同研究に意欲を見せているという。
高橋には技術的なことはよく分からなかったが、浜中が要請してきたのは高橋の持つ知見と人脈によるチェックだった。
「高橋さんたちのグループが了承できる『安全性』に極力合格したいんです。」
「安全性の保証はできませんよ。知ってのとおり、電磁波の影響についてはまだまだ分かっていないことの方が多いのです。」
高橋は、考え方の方向性としては悪くない、と思いながらも、釘を刺した。
「ええ。高橋さんのお考えには、私も共感しています。やみくもに不安を煽るのではなく、きちんと科学的に押さえていらっしゃるところも素晴らしいと思います。だからこそ私は、利便性を確保しながら『量』を抑える技術の開発に、高橋さんの助言をいただきたいんです。」
電磁波については実にいろいろな見解があり、妙にスピリチュアルな話に直結するようなグループもあるし、電磁波を防ぐという白い服を着て集団で生活するカルトのようなグループまであった。
高橋はそういうグループとは一線を画し、あくまでも科学的に問題を追及しようとしていた。
ただ、高橋のスタンスが総務省の公式見解などと異なるのは、「リスクが証明されない限り『安全』である」という立場を取らないことにあった。
彼は、サビッツ博士やカロリンスカ研究所の統計学的調査についても、その弱点も含めて熟知しており、一方でどの周波数帯が生物にどういう影響を与えるかについては、まだ説得力を持った研究が少ないことも承知していた。
その上で「予防原則」に立って社会に警鐘を鳴らしてきたし、多くの学者と交流してもきた。
浜中は、社会が多通信依存に進むことを見越した上で、そういう高橋の予防原則にかなうシステムに世の中を誘導したいのだと言う。
こういう動きが出てきたことは歓迎すべきだろう。と、高橋は思った。
「わかりました。しかし、浜中さん。私は『これは違う』と思ったら、どういう状態であっても即座に手を引かせてもらいますよ。無責任と思われようと。場合によっては、批判する側に回るかも・・・」
「それで結構です。それこそが私が今、求めているものです。」
と、浜中は爽やかに言い切った。
高橋はその翌々日、浜中の研究室を訪れた。
「あ、高橋さん。よくいらっしゃってくださいました!」
浜中は嬉しそうに飛んで出てきて、抱き寄せんばかりの勢いで部屋の中に招き入れた。
研究室は2部屋あって、片方は書類が山積み。そしてもう一方はがらんとした部屋の隅の方に機材がおいてあって、真ん中の床には網目状の配線につながった箱のようなものがいくつも置いてあった。中心部あたりにひときわ大きなアンテナらしきものの付いた箱がある。
「はは・・・。あてがわれた研究室のうち、実験用に1部屋とっちゃってるんで、あっちの部屋は書類の置き場も無いような状態でして。」
と少し弁解がましいことを言った。
「まあ、私も同じようなものですよ。」
と、高橋も一応慰めておく。
「ここで、いろんな条件を設定してデータを取っているんですが、今日はその1つを実際にお見せします。」
浜中はパソコンの画面を高橋に見せ、
「ここでのベース値を確認してください。これが電界強度、こちらが磁界強度です。それからこのアイコンは受信状態を表します。頭の番号は測定器——あ、あの部屋中に配置してある黒い箱のことですが、それの番号です。」
画面の説明を終えると、今度は室内に配置された『物体』を指差しながらの説明に移った。
「黒い箱は先ほど説明しました測定器です。スマホなど受信機を持った「人」だと思ってください。実際には動き回るわけですが、定点でのデータ比較をするために、こうして多数配置してあるわけです。光ケーブルで結ばれた銀色の小さな箱は、今回私が提唱しようとしているSBNのアンテナです。」
測定器の線はパソコンの置いてあるデスクの上の黒い箱型の機器に集められ、そこからパソコンに1本の線が伸びている。
「真ん中の高いアンテナが、従来の基地局システムのものということになります。もちろんモデルですから、どちらの出力も50分の1以下に抑えてあります。」
浜中は別の機器のスイッチ(らしきもの)に手を伸ばした。
「ではまず、中央のアンテナから発信してみます。」
パソコン内の各数値が跳ね上がった。
「これが現在のシステムの状況です。これ、このアンテナから一番遠い35番の測定器でもこの値です。もちろん全ての測定点で受信状況は良好です。」
浜中はパソコンの画面をスクロールしながら説明した。
「では今度はSBNに切り替えてみます。」
浜中がスイッチを切り替えると、パソコンの中の各測定器の示す値が急激に下がった。場所によってはベース値とほとんど変わらない。
「もちろん、全ての場所で受信状況は良好です。」
浜中はさっきの35番のアイコンを見せた。
「どうしてこれを今まで誰もやらなかったんだろう。費用のせいですか?」
「それもありますが、一番のネックは干渉なんです。アンテナが多くなると電波同士が干渉しあって上手く受信できない。都心部など、電波の混み合う場所ではそのための調整を人力でやってる、というのが今の状況です。」
それから、浜中は少し自慢げにこう続けた。
「私の研究のミソは、この問題を低コストで解決する方法を見つけたことにあるんですよ。今は、実用化まであと一歩、というところなんです。」
浜中は子どものような無邪気な笑顔を見せた。
高橋は、たしかにこれが普及できれば、電磁波のリスクの一つは低減できるだろうと思えた。しかし、いくら干渉の問題が低コストで解決できたとしても、光ケーブルのネットワークやアンテナの多数設置にかかる費用が一気にコストダウンできるはずもないではないか。
だから、高橋はこの時はまだ、話がそれほど急速に動くとは思ってもいなかったのだった。




