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ポストサピエンス  作者: Aju
10/40

10 ー研究者ー


 田県の元に岐阜産業大の野崎准教授から興奮した声で電話が入ったのは、田県が野崎を訪ねた2日後の夕方少し前のことだった。

 何やら、田県のデータで大変な発見があったということで、データ抽出の方法を詳しく聞きたいということだった。


 田県の勘では、これは「事件」が展開する前の予兆だった。確実に新しい視野が開けるだろう、という予感があった。

 田県は「すぐに伺います!」と言うや否や、書きかけの記事をそのままにノートパソコンを閉じ、バッグに押し込んだ。

 東京の田県の事務所から岐阜産業大まで、のぞみを使えば2時間半だ。記事はのぞみの車内で仕上げればいい。


 田県が野崎の研究室に着いた時には、あたりはもうすっかり暗くなっていた。

「とんでもない結果が出ましたよ!」

 田県の顔を見るなり、野崎が興奮した様子で紙の束を持ち上げて見せた。デスクにはもう1人若い男が座って何やらパソコンで忙しげに作業をしている。

「あ、彼は手伝ってくれている院生の羽田クン。」

 野崎が思い出したようにその男を紹介すると、羽田と呼ばれた青年は、目だけをこちらに向けてぺこりとお辞儀をした。

「どんな結果です?」

 田県はすっ飛んできたくせに、わざと落ち着き払って聞いた。


 野崎は、手に持った紙を応接のテーブルの上に、ぱっぱっと並べていった。飲み物を勧めることさえ忘れている。

「田県さんにいただいたデータを・・・」

と、野崎は上下に並べた2枚のグラフを指差しながら、

「これまでにやった計算と同じフィルターにかけて、グラフ化してみたものです。」

と言った。

「下のグラフは『小さな山』だけになっていますね。」

「そうです。これが田県さんにいただいた抽出データのもので、上のグラフが元のものです。」


 野崎は田県が理解できる時間をとっているのか、少し間を開けてから続けた。

「これまでに5つのケースについて同じことをやってみましたが、すべて一致しました。もちろん、いただいたデータの量があまりにも少ないので、ものすごく荒いものです。だからまだ確証的なことは言えないんです、科学的には・・・。でも、これだけ同じような形が出てくれば、偶然とは言えないとも思います。これが何を意味するか分かりますか?」

 野崎は一気に話すと、その後、田県の目を覗き込んだ。

 田県もまた、自分の心臓の鼓動が静かな部屋の中に響き渡っているような気がしてきた。

「・・・・オレの、直感が正しかった・・・ってことか?」

 田県はついついぞんざいな口ききになってしまった。記者仲間と、情報の中に隠された真実を探している時のような錯覚に陥ってしまったのだ。

 野崎は気にせず、話を続けた。

「まだ分析が終わってないけど、このグラフが意味するのは、ある社会現象に対してあなたが持ってきたこの情報の発信者が干渉している可能性が高い——ということなの。それも、現象に歪みを与えるような『意図』を持って・・・。」


 野崎の目が光っている。

 一度、唾を飲み込むように口を閉じてから、言葉を発した。

「あなたはこの情報を、どうやって抽出したの?」

 これが野崎の核心の疑問だった。


「先生、やっぱりです。出ました。」

 パソコンの前で作業をしていた羽田が、モニターをこちらに向けた。

「羽田クン、ノートこっちに持ってきて。」

「いいんですか?」

「構わないわ。その画面だけなら。——その代わり、田県さんにもしっかり情報は提供してもらいますからね?」

 2日前とは打って変わった野崎の気迫に、田県は少し圧倒されていた。


 羽田がノートパソコンのモニターを2人に見えるようにしながら、説明を始めた。

「この青のラインが元のグラフです。そして赤の方が修正した方のグラフ。グリーンがTデータのグラフです。」

 なるほど『田県データ』ね、と田県は内心その安易なネーミングがおかしかった。

「やったことは簡単です。平たく言えば、データ量の差を補正して、単純に引き算しただけ。羽田クン、赤の誤差率は?」

「全部、15%以下に収まっています。」

 野崎は、肩をすくめて両手を広げて見せた。

「さあ、話してもらいますよ。田県さん。——あなたは、どうやってこのデータを抽出したんですか?」


 田県は野崎の剣幕の前に途方にくれた。

「どうやって、と言われても・・・・記者の勘と言うしか・・・」

「それでは『科学』にならないのよ。勘だと言うなら、その『勘』の中身を論理的なフィルターに置き換えなければ・・・。」

 心底困り果てている様子の田県に、野崎はたたみかけた。

「あなたが持ってきたデータは、とんでもないものなの。情報と現実の事象との関係にバイアスをかけている。いい? この情報群の発信者は、現実の事象に『方向性を持ったバイアス』をかけているのよ!」

 野崎はテーブルの上のグラフを指で叩いた。

「つまり事象を意図的にある方向へ歪めているということになります。」

と、院生の羽田が言葉を置き換えた。

「しかも——先生とも何度も検討したんですが——情報自体には特定の思想性も何もない、バラバラのものなんです。ところが、それを演算の中に放り込むと、ある方向性を持ったバイアスが現れるんです。」


 羽田はそこまで言うと、ちら、と野崎の方を見た。

「いいわよ。言って。」

 野崎が促すと、羽田は少しためらいを見せてから、口を開いた。

「人間がやってるとは思えないんです。僕には・・・。AIにしても、相当高度な演算能力がなければ、こんなことが出来るとは思えない・・・」


 野崎は音が聞こえそうなくらい大きく鼻で息を吐いて、田県を睨みつけるような目をした。

「あなたがこのデータを抽出した『勘』とやらを、科学的なフィルターになるまで分析させてほしいんだけど。ホテルは用意しますから。」

 野崎は、失礼を通り越すほどに強引だった。田県の都合など、全く無視している。

「もっと多くの資料が要るの! このタイプの・・・。」


 もっとも田県も、この異様な結果について何らかの答えを得ずに帰らなければならないような『仕事』は、何もなかった。

 それどころか、田県自身、この展開の行く末を見届けずに『現場』を去ることなど、考えられもしなかった。


 田県が「発信者がいない」と直感した情報群について、院生の羽田も「人間がやっているとは思えない」という感想を持ち、情報社会学の准教授である野崎も同意しているのだ。

 田県が『記者の直感』で追いかけてきた『事件』が、いよいよ科学的に裏付けを得ようとしているのだ。

 その鍵は、田県の『勘』を野崎の理論的な『フィルター』へと翻訳することにかかっている。


 協力の依頼どころか、こっちからお願いしたいくらいだ。と、田県は思った。

 が、そういう真剣さに対して、田県は少し照れ隠しする悪い癖があった。

「いいよぉ。ホテルでやる?」

助平そうな顔を作ってみたが、野崎は相手にしなかった。

「バカね。ここでやるに決まってるでしょ。11時までは使わせてもらえるし、朝は7時から開けてもらえるわ。明日はホテルまで迎えに行くわね。デリバリーのピザとるけど、羽田クンどうする?」

「僕も残ります。」

 食べながらやる気らしい。


 研究者と記者ってのは、どこか似たとこがあるな・・・と田県は内心苦笑しながら思った。

 目の前に真実の鍵穴が見えると、もう、それを開けること以外のことは見えなくなっちまうらしい。それとも、たまたまこの准教授がそういうタイプというだけなんだろうか。

 ピザだと、キーボードが油で汚れるぞぉ。田県は自分の経験から、余計な心配をしていた。


 3人でやるのかと思っていたら、羽田という青年はパソコンを持ってまた奥のデスクに戻っていった。

「羽田クンは例の『新宿の眼』に関する情報の抽出を続けてて・・・。あまり絞り込まないで、できるだけ幅広く。」

「はい。」


「さて・・・と。」

 野崎が別のノートパソコンを開いて田県と向き合った。

「まずは、あなたが『臭いが無い』と言う言葉で表した概念を、別の言葉に置き換えてみてくれる? できるだけたくさんの言葉に・・・」

 野崎もいつの間にかすっかり、ぞんざいな言葉遣いになってしまっている。田県を、まるで自分の研究室の学生かなにかと勘違いしているような口ききだが、田県には不快ではなかった。

 真相を追求する仲間——戦友のような感覚を、田県は持ち始めていた。


 だが、その前に、田県は1つだけ引っかかった言葉について質問した。

「新宿の眼って?」

「ああ、それ・・・。」

 野崎は意外にも「出鼻をくじかれた」というような表情は見せず、むしろ進んで話題に応じた。

「田県さんも知ってるんじゃない? 今、新宿の高層ビル街で話題のオブジェの製作工事。」

 田県ももちろん興味は持っていて、三丸ビルの上から何枚も写真を取っている。もっとも、NET上には似たような画像が溢れかえっているから、その写真だけではどこのメディアも買ってはくれないだろうが。


「あれ、おかしいと思わない?」

と、野崎が言う。

「普通に考えて、あれほどのプロジェクトに——才能はあるのかもしれないけど——何の実績もないような若い作家が突然抜擢される?」

 へえ・・・、と思いながら、田県は上目づかいに野崎を見た。

「実は、そこんとこ、オレも取材したいと思ってたんだよね。少なくとも、外側から取材してみた限りじゃ、あの佐々木無文って若造に政治家や財界がらみのコネはないんだ。しかも、たしかに才能は有りやがる。」

 田県はちょっと残念そうな顔をした。たぶんスキャンダル狙いで取材を始めたんだろうが、今のところ空振りのようだった。


 野崎が口にしたのは、もっと刺激的な別のアプローチだった。

「もし、この『新宿の眼』に関係する情報の中に、あなたが言うような『発信者のいない情報』が紛れ込んでいて、それがあの現象に何らかのバイアスを与えているとしたら?」


 田県は明らかに、自分が表情に余裕を失っているのが分かった。

「人間じゃないものが、あの作家を起用するように仕向けたって言うのか?」

「だから、それをこれから私たちのやり方で調べてみようって言うんじゃないの。」



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