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ポストサピエンス  作者: Aju
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1 ー都市(シティ)ー


 27階の自室へと昇るエレベーターの中で、竹内一歩は少し後悔し始めている自分がいることを意識していた。

「なぁ、タケチンポ。どうやったらこんな高いとこに住むことができるんだ?」

 一歩は苦虫を噛みつぶした表情のまま、その言葉を無視した。これで何度目だ?


 小学校の時、一歩についたアダ名で、タケウチカズホをタケウチイッポと読んで、それを縮めて呼ぶうちにこれに到達した。

 友だちにそう言ってイジられる時、一歩はことさら明るくふるまって笑いを買うようにしていたが、心の底の方を尖ったもので引っ掻かれるような嫌な痛みを感じ続けてもいた。


 久しく聞くことのなかったその言葉を小学生の七海ななみの口から聞いて、子どもの頃のその感情がよみがえったらしい。

 30にもなろうといういいオトナが・・・と、やや自嘲気味に思いながらも、一歩は一方で、いいオトナだからこそ、とも思う。まだこんな呼ばれ方をされるとは思ってもおらず、不意をつかれた格好だったからだ。

 とりあえず「このクソガキめ」という言葉が、喉のすぐ下あたりでいつでも飛び出せるように身構えているのを押さえ込む努力はしていた。

 あの災害で、両親と祖父を失った小学生の女の子にぶつけるべき言葉ではないし、第一、それこそいいオトナが小学生相手にガチになってどうする——だ。


 七海の母親は、一歩の母の従姉妹に当たる。つまり、一歩にとっては七海はもう親戚とは呼べないほどの遠いつながりでしかないが、ただ、高校の頃から七海の両親が経営するペンションによく遊びに行っていた。自然、小さな七海にも懐かれ、一緒に海に連れて行ってやったりもしていた。

 震災前に最後に七海に会ったのは3年前、まだ七海が小学3年生の頃だ。当時も生意気なガキだったと記憶しているが、今みたいではなかったと思う。

 3年も経つと、子どもというのはこんな妙な大人び方——言葉を変えればひねくれ方——をするものなのだろうか、と一歩は思った。

 まるで二十歳前後の女性のような大人びた態度をとるかと思えば、次の瞬間には小学校低学年の悪ガキ(それも男の子)みたいに子どもっぽく不躾になる。(以前は生意気ではあったが、こんなではなかったような・・・)


 この不安定な感じは、この年頃には普通のことなんだろうか。それとも、震災という異常な事態の経験がそうさせるのだろうか。

 一歩は、接し方に困っていた。

 結婚もしたことがなく、まして子どもを育てた経験もない彼が、こんなこと引き受けるべきではなかったのかもしれない。一歩の「後悔」はそれだった。

 だからと言って、この子は施設にいた方が良かったのだ、とは思えない。それなりに面識のある身内、といえば一歩しか残っていないのだし、七海もそれを希望したのだからなおさらだ。


 2年半前、東北地方を襲った震災と大津波は、幼い七海の日常を根こそぎ奪っていった。


 七海の家は、気仙沼の海に近い高台にあった。高台と言ってもすぐ浜に下りられる場所だから、あの大津波の前にはひとたまりもなかっただろう。

 七海の両親はそこで小さなペンションを営んでいた。父親は漁師でもあり、小さいけれども漁船も持っていて、時々近海へ漁にも出た。ペンションは新鮮な魚料理と海の眺めが売りで、それなりに固定のファンがいて商売は順調だったと思う。

 一歩も高校から大学時代、何度もお世話になり、3年前もサークル仲間と久しぶりにそこで集まったのだった。

 まさか半年後に全てが失われるとは知らずに・・・。


 七海は一人っ子で、その瞬間は小学校にいた。先生の指示で2階に避難して、かろうじて難を逃れたと聞いた。

 校舎は海からかなり離れた高台にあったが、それでも津波は校庭を1m以上も水没させ、鉄筋コンクリートの校舎の1階を躯体だけ残してめちゃくちゃにしていったのだと、七海を迎えに行った時に地元の人に聞いた。

 津波は近くの川を遡り、海の反対側から学校に襲いかかった。と、その人は話してくれた。一歩はそれまで、津波は海の方から来るものだとばかり思っていたので、この話は彼に驚きと新たな知識を与えてくれた。


 学校はそのまま避難所になった。七海はそこで祖父である源助げんすけさんと再会したが、ついに父母と再会することはなかった。

 なぜ七海の両親が逃げ遅れたのかは、今もわからない。海を知らないわけではないし、危機を漫然と見過ごすような人たちでもないのに。

 七海の両親の葬儀には一歩の母親が行った。その母親も半年後、従姉妹のあとを追うように癌を患って他界した。一歩は独りになった。


 一方、七海と源助さんは校庭に作られた仮設住宅に入居し、そこでの生活が始まった。他の多くの被災者たちと同じように、将来に何の見通しもないままに。

 政府が音頭をとる「盛り土」は遅々として進まず、都市計画も決まらずに復興は遅れに遅れた。足元が浮いたままの頼りない仮説生活は長引いていった。しかし運命はそれで彼らを許しはしなかった。


 1週間前、源助さんが脳卒中で斃れたのだ。

 息子夫婦を失い、さらには先のあてのない仮設住宅生活という二重のストレスの中で、それでも幼い孫に負担をかけまいと頑張り続けた源助さんは、おそらく自身の生命エネルギーを使い果たしてしまったに違いない。

 七海だけが取り残された。


 葬儀に呼ばれて出向いた仮説の集会所の中で、七海は無表情で座っていた。3年前より手足がひょろっと伸びた感じで、肌は日焼けして健康そうではあった。が、表情がない。


 来てやればよかった・・・と一歩は唇を噛むように思った。仕事が忙しかったのは事実だ。でも、1回や2回、様子を見に来る余裕くらいはあったはずだ。

 想像力が足りなかった。場合によったら、自分が経済的援助を・・・。いや、そういう問題ではない。それに、あの源助さんがそんな話を受けるはずもない・・・。問題はそこにあるわけではないのだ。

 一歩は自分の中で言い訳をくり返しながら、七海にかける言葉を失ったまま祭壇に焼香をした。香をつまむのは2回でいいんだっけ・・・・


 源助さんにも地元の親類がいないわけではない。葬儀の後、そういう親類が集まって「七海をどうするか」という話になった。

 地元は被災者ばかりで、誰もが余裕がない。自然、皆の視線は東京でIT関係の会社を経営する一歩のもとに集まった。

「七海ちゃん。竹内のおじちゃんは好き?」

 露骨なほどのわざとらしさで七海に問いかけたのは、源助さんの妹にあたる貞子さんだった。


 一歩は(あっ、この婆ァ)とその意図を悟ったが、手遅れだった。それまで虚ろだった七海の目に光が宿った。ホステスが上客を見つけたときのような、あの目の光に似ていた。一歩はぎょっととした。これが小学生の目の光か?

 一歩がたじろいだ直後、今度は3年前と同じ無邪気極まりない目に変わり、七海は「うん」と小さく頷いた。・・・この妖怪変化はなんだ?


 この恐るべき茶番で、その場の空気は定まってしまった。これをはね返すどんな言葉も、一歩は持ち合わせていない。

 そもそも、こういう駆け引きや人間関係のやりとりは一歩のニガテとするところなのだ。今の会社でも営業関係は共同経営者の岡田に任せっきりで、彼はもっぱら技術面を担当している。

 たぶん一歩がこの葬儀に呼ばれたのは、初めからこれが狙いで仕組まれていたのだろうと推測できた。それでも・・・・

「東京に来るかい?」

一歩はそう言うしかなかった。


 言いながら、一歩はこの急激な展開と、自分に子育てなんかできるだろうかという不安に、足元が揺らぐような感覚を覚えていた。

 しかし一方で、七海をこんな環境に置いておくわけにもいくまい、という責任感のようなものも湧き上がってきていた。七海は、お世話になった叔父さん夫妻の忘れ形見なのだ。

 彼が引き取らなければ、この婆さんたちはいずれ七海を児童施設に入れてしまうだろう。若い夫婦はいないのだし、仮設住宅では源助さんと同じ負担を強いることになる。良し悪しは別にして、七海のあの目は正しい。



 学校の転入手続きやらなんやで数日かかり、一歩が七海を迎えに気仙沼まで行ったのは葬儀から5日後だった。

 それまでの間面倒を見てもらっていた仮設住宅の町内会長さんに、手土産を持って挨拶に行き、仮設住宅の部屋から七海の「持ち物」を車に積み込んだ。持ち物といっても、ほとんどが海に流されてしまっていたから大した量ではない。


 町内会長さんは穏やかな人だったが、愚痴に紛れさせてやんわりと政府や行政の批判をしながら部屋までついてきた。

 自分でどうにかできる経済力の残っていた人はもう、みんなどうにかしてしまった。ここに残っている人たちは、ここに居るしか仕方のない人ばかりだ。2年後に仮設をたためるようにすると言われても、どうにもならない・・・。七海ちゃんはまだ幸せだよ。


 仮説の部屋の中は、がらんとしていた。家電などの目ぼしいものは、あの「親戚」連中が持っていったんだろうか。

 もちろん、一歩は誰を責めるつもりもない。わずかばかりの支援金があったところで、何もかも失ってしまった人たちが、どうやって生活を立て直すのか・・・・一歩にはむしろ、そちらの方が疑問だった。

 自分だったら立て直せるだろうか?


 車が出発するとき、七海は町内会長さんに無言で手を振っていた。一歩には顔が見えなかったので表情はわからない。

 その後の七海はずっとうつむいたまま、ゲーム機の操作ばかりしている。窓の外を見ようともしない。


 海を見たくないのだろうか。それとも荒廃した町並みを・・・あるいは、その両方をかもしれない。

 異郷に向かうにあたって、心に健在だった頃の町の風景を残したままにしておきたいのだろうか。と一歩は想像したりもした。


 何か話した方がいい・・・とは思うのだが、小学生の女の子と何を話したらいいのかがわからない。結局、沈黙に耐えながら、運転を続けている。

「あ・・・えっと、ゲーム、好きなの?」

 やっと発した言葉の間抜けさに、一歩は自分で呆れ返った。

「お爺ちゃんに買ってもらったの。」

 うつむいたままで七海は答えた。一歩にとっては、これが初めての七海との「会話」だった。


 源助さんは、少ない支援金の中から七海の笑顔のための出費を優先したんだろう。七海は源助さんといるときは笑顔だったんだろうか。

 一歩はぎこちなく「会話」を続けようとした。

「どんなゲーム?」

「殺すやつ。」

 気まずい空気が流れた。一歩は泣きたくなった。あれほど決意を固めたはずだったのに、早くもこの先が不安になってきた。


 一ノ関に入る前に七海が「おしっこ」と言ったので、コンビニを探して休憩することにした。一歩がコーヒーとジュースを買って車に戻ると、七海はもう車のドアの前で待っていた。

 一歩がにっこりと(本人はそのつもりだった)笑うのと、近づいたキーの電波でドアの鍵が開くのが同時だった。七海はさっと助手席にもぐり込んだ。

 一歩も運転席のドアを開けて乗り込み、七海にジュースを差し出した。

「飲むか?」

 七海はダッシュボードを開けて、一歩の免許を眺めていた。

「勝手に触っちゃダメだよ。」

「ヘンな顔。」

 一歩は苦笑しながらも、会話のきっかけができたことを喜んだ。

「免許の写真を撮る時は緊張してるからな。」

「タケウチイッポ?」

「カズホって読むんだ。」

 しかし七海は最初の発音を繰り返した。

「タケウチッポ・・・タケチッポ・・・タケチンポ!」

 七海が初めて笑った。笑顔になってくれたのはいい。だがその文字列は一歩にとってはNGワードだった。


 突如としてかわいそうな(はずだった)小学生の女の子から、心の底の底に埋れていたはずの古傷を引っ掻かれた一歩はうろたえた。

「お・・・女の子がそういう言葉を使うもんじゃありません!」

 一歩の狼狽を読まれたらしく、七海はよけいに面白がって大きな声を出した。

「タケチンポ!」

 七海の「笑顔」は心なしか子供ならではの残虐性を帯びているようにも見えた。

「やめなさい!」

 一歩は努めて怖くならないようにしようとソフトに言ったつもりだったが、たぶん顔が引きつっていた。


 七海は急に大人びた雰囲気になり、

「すみません。」と言うと、免許をダッシュボードにしまって、またゲーム機と睨めっこになった。ジュースには手もつけない。

 しまった! と一歩はほぞを噛んだ。せっかく会話のきっかけができたのに、何をやってるんだまったく。小学生相手に大人気のない。


 長者原のサービスエリアまでは、またほとんど無言になってしまった。一歩は新しく転入する学校の話などを断片的にしてみたが、七海はゲームを続けていて反応しなかった。


 サービスエリアは混雑していた。トラックが多いように見える。復興のための資材を運んでいるのだろうか。ワンボックスカーに戻ってきた一団は、どうやらボランティアの帰りらしい。

 あの、根こそぎ持っていかれた何も無い町に比べると、ここには活気があった。

 こういう物流のシステムが無ければ、かの地の復興はいつのことになるのだろう。そしてこれらを支えているのが、SNSを始めとする新しい情報ネットワークなのだ。

 一歩の会社も、そういう情報ネットワークを支える一隅で、ささやかながらプラットフォームを提供する駆け出しのベンチャー企業だった。

 一歩はボランティアにこそ行かないが、それを縁の下で支えているという密かな自負はあった。


 一歩は空いているスペースを見つけて車を停めると、反対側に回って助手席のドアを開けた。レディにするそれのように。

「気を使わなくていいっス。別に怒ってないんで。」

 小面憎いほどの七海の落ち着きっぷりに、一歩は少し腹が立った。この小学生に対してか、それとも自分のズレた媚び方に対してかはよく分からなかったが——。


 だが、こんなことでメゲているわけにはいかない。一歩はこの先、この子の親代わりになると決めたのだから。

 歩きながら一歩は再度、七海に話しかけてみた。

「お昼だし、何か食べようか。」

「・・・いらない。」

「おなか減ってないの?」

「・・・減ってる。」

 どうにも会話が成り立たない。一歩は閉口した。これで本当にこの先やっていけるんだろうか?

 母が生きていれば相談することもできるが(それどころか母が引き取っただろう)それもできない以上、明日にでも子どものいる社員に聞いてみるか・・・。


 しかし、レストランの前に来ると、七海の方から話しかけてきた。それもはしゃぐような声でだ。

「わたし、ラーメンがいい!」

 一歩は一瞬めんくらったが、このチャンスを逃してはいけないと思ってすぐに応じた。

「じゃ、僕もそれにする。」

 ラーメンを待っている間、七海は何か鼻歌のようなものを口ずさんでご機嫌な様子だった。一歩は相変わらず、この子の気持ちを測りかねている。何が本当の感情なのかが、まるで判らない。


 やがてラーメンの丼が2つ運ばれてくると、2人でそろって「いただきます」を言うことができた。

 うん。上手くいき始めた。と、一歩は最初の麺を箸で持ち上げて口に含み、七海の方をチラと見た。七海は箸を持ったままで固まっている。

 表情がおかしい。

 と、見る間に、七海の両目から大粒の涙がぼろぼろと溢れ出した。七海は口を半開きに開け、涙が丼の中に落ちるのも構わず、肩を小さく震わせて声を出さずに泣いているのだった。


このお話は、2019年から2020年にかけてアメーバブログで連載UPしたものです。

こちらでも順次UPしてゆきますが、一気に読みたい方はアメブロへどうぞ。

https://ameblo.jp/mm21s-b/theme2-10110820024.html

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