研究員 苗間栞里
講師の女性の楽し気な声が耳から入っては抜けていく。
今日一日ですでに何度同じ話を聞かされているのだろうか。
講習室の後方に座り僕は何を考えるでもなくただぼんやりと参加者の後姿を眺める。
僕と同じくらいの学生や小さな親子連れ、熱心な様子でメモを取る老人など参加者の層は様々だ。
僕はと言えば部屋の後方の受付に座っている。ただひらすらに座っているだけだ。
この部屋の講習の名前は何だったかと貰ったパンフレットを見てみると「特殊能力者研究所について~はじまりと活動~」と題されている。
講師はスライドや映像をあれこれ動かしながら話を続けているが僕の意識はそれに比例するようにゆるやかに遠ざかっていく。
それも仕方あるまい。
僕が今日ここでやったことと言えば、一時間半ごとに入れ替わる参加者に対し初めに参加記念品を渡し、終わりにアンケートを回収をする、それだけだ。
その作業も既に3周目に入った。
当然講師の話は毎回同じであり、かれこれ数時間、同じ話と同じ映像を見続けていたのだった。根気と集中力が売りの僕とは言え、これでは意識がどこかに旅をしてしまう。
足利からの頼みはこれであった。
今日、ここ【国定開発法人 特殊能力者研究所】で行われる一般開放のイベントにボランティアとして参加してくれというそれだけであった。
今日は年に一回の研究所の一般開放日であり、市民に向け認知向上のための様々なイベントが行われているらしい。
そしてこうした活動に参加することは【力】に関する学習につながるとされ、僕の成績の補填となるとのことだ。
そう考えるとこの時間も足利の思いやりから生まれるものであり、こうしてぼんやりとしているのも申し訳ない気がする。
「それでは本日のお話は異常となります。ご清聴ありがとうございました。所内ではバザーなども開かれていますので皆さまどうぞお楽しみください!」
そんなことを考えていたところ、講師の声に意識が現実に引き戻される。
参加者はぞろぞろと立ち上がり帰りの準備をする。僕は慌てて出口でアンケートを受け取る。
最後の参加者が出ていき、僕はトントンとアンケートを整える。これが今日予定されていた最後の回である。
あとはこれを講師に渡せば僕の仕事は終わりだ。
「これ、今の分です」
マイクを片付けていた講師に僕はファイルに入れたアンケートを渡す。
「おっ、ありがとう!今日は何だか座りっぱなしで申し訳なかったねぇ!」
講師の女性がくるりと振り向く。
肩口あたりまでの髪に猫のような丸い瞳。
後方から見ていた時にも思っていたがこうして改めて見ると幼い印象がある。無論、講義をしていたのだから彼女もきっとここの研究員なのだろうが。
眼を細めて笑う姿は相変わらず元気な様子だ。
確かに僕は一日中ここで座っていたのだが、そういう意味では彼女は一日中ここで話しっぱなしであり僕から見ればそちらのほうが大変そうだ。
「まあ私はこうしたところで話すのが好きだし得意だからね。もっと話していたって良かったんだけども。それより真喜屋君はどうだった。私の話は面白かったかな?」
講師の女性はまくしたてるように話をする。その勢いと考えを読まれたような口ぶりもさることながら、僕は急に名前を呼ばれたことにドキリとする。
「あれ、僕のこと知ってるんですか?」
「ん?もちろん名前くらいちゃんと知ってるよ。一日手伝ってもらうんだしね。ちゃんと覚えていたとも」
なるほど。考えてみればボランティアとして参加しているのだから事前に学校から僕の情報は送られていたのだろう。
そして自分の講習にサポートとして入る人間のことを事前に知っておくことは特段不思議なことではない。
「そういえば私のほうが名乗っていなかったね。私は苗間 栞里≪なえま しおり≫。左右対称の名前が美しいだろう?」
苗間は首から下げている職員証らしきものをひらひらとさせながら笑顔で自己紹介をする。
どうも反応に困る自己紹介だったような気もしたが
「真喜屋葦人です」
とりあえずこちらは平凡な自己紹介で返す。
「真喜屋君は学生なのに偉いねぇ。でも勤勉なだけでほめてもらえるのは学生の特権だからね。今のうちに楽しんでおきなさい」
にこにこと笑いながら言われる。
やはり何と返せばいいのかよくわからないことを言う人物だ。
しかし快活な様子には皮肉を込めているようには感じないので彼女はこういう人物なのだろう。
しかし、快活な人間ではない僕にとっては決して得意なタイプではない。
そして学生は、というがそういう苗間自身もそれほど年齢が上にも見えない。何となくの印象だが30にも達してはいないのではないかと思う。
「さて、真喜屋君はこの後も時間はあるのかな?きっと時間があるから今日来てくれたんだろうけどまだ時間があるなら施設見学をしていくといいよ。普段はしかめっ面の研究者しかいないここも今日だけは賑やかだからね。是非ともここは明るくて楽しい場所だという認識を持って帰ってほしい。それに知っているということは知らないということよりきっと良いことだよ」
まくしたてるように言われるが要するに帰らずに見学していけということか。
さてそう言われるがどうしたものか。
決して急いで帰らなければならないほどの用事はないのだが、それと同じく見学をしていくほどの興味もない。
「きっと君の【力】にも役立つことがあるはずだよ」
にこりと笑う苗間に僕は小さく息をのんでしまう。
今の言葉は一般的な施設職員として見学を薦めているということなのだろうか。
僕のことをどこまで知っているのだろうか。まさか学校からいちいち成績表などが送られているとも思えない。
彼女が僕のことを詳しく知っているはずもない。
はずもないのだが、なんだかこの人は全て知っているようで少し寒気がする。
「そうですね。何か面白いものがあれば見ていこうと思います」
それでも動揺した様子もなく、さもその気であったように振舞えるのは我ながら大人な対応であった。
その言葉はとっさに出たものだが、それでも決して嘘ではなかった。